作家でごはん!鍛練場

『三寺尾の合戦【戦国歴史もの30枚】』

夏目吉春著

私は長編小説を綴るにあたり、10の合戦を描こうと考えました。
後にこれをつなぎ合わせて、ひとつのドラマに仕立て上げるのです。
これは、先の『茜の吹き流し』に続く第二弾なのであります。
今回は、短編としても読んで貰えるように頑張って書きました。
上野(群馬)の戦国時代を描いたもので、『甲陽軍鑑』『和田記』を元にしています。
物語の構成、表現・感想などコメントお待ちしております。
これから何度でも書き直し、皆様に読んで戴けるような物語を目指します。
よろしくお願いします。

1.源氏の末裔

 荒船山に夕陽が架かると、男は手綱を握りしめて愛馬に鞭を入れ、家族の待つ家路を急いだ。小札の具足(鎧一式)が、かしゃりかしゃりと音を立てては跳ね上がり、やがてその影は茜色の断幕に向かい消えていった。お天道様が東から登り西へ沈むのと同じように、男の働きが一家を支えるその姿は、今も昔も変わらない。
 上野国(群馬県)の中西部に広がる片岡丘陵の東南の端には、源氏の氏神である山名八幡宮が鎮座していた。その由緒は、河内源氏の流れをくむ新田義重の庶子、山名義範にさかのぼる。神社から西へ半里ほど行った山名郷、山の根の地には、鎌倉街道上道が南北に走っている。男はこの山本宿へ続く街道脇に構えられた、館まで帰って来ると家族と共に夕飯を迎えた。

「おまえさま、支度が出来ましたよ」

 妻のやえが呼びかけると、男は応える。

「おおそうか、いまいく」

 男は上杉家重臣の木部駿河守範次に仕え、この辺り一帯を任されている。領民から年貢を取り立てて家人を養い、人足を引き連れて主君へ奉公する役目を担っているのだ。男の名は萩原三郎左衛門康春と言い、一騎当千の武士であり木部十騎の一人に数えられている。

「今日もお切込みうどんですが、ろくな添え物も無くてすみませんことです」

「すまんのはこちらだ、--やえ、明日の市に出す反物の具合はどうだ? 良い値で売れれば少しは滋養の付く物も得られよう」

「はい、今少しで片付きますので、朝までには用意して置きます」

 この家では、三郎左衛門と妻のやえ、娘のせつ、嫡男の源吾丸と次男の康次郎がおった。

「お父上、われにも何か土産を買うて来てくだされ」

 源吾丸が言うと、姉のせつも負けずにねだる。

「私にも買うてくださりませ」

「そうだな、せつは母じゃを助けてよう働くからな、楽しみにしておれ、--源吾もな」

「はいぃ」

 三郎左衛門にとって、この喜びに満ちた返事と家族とのだんらんは、乱世での数少ない至福のひとときであった。

 この一家は、家人と小作人の家が屋敷を取り囲む形態の、ごく普通の郷士の館に住んでいる。上野国の南部では秋に稲を刈り入れると、冬にならない内に麦を蒔いて翌年収穫する二毛作が盛んである。米は年貢として納めたり戦時の兵糧として保管し、焼き米や干し飯などの携帯食を作り、常に出陣に備えている。その他の米は銭に換えて蓄えられる。このため麦は、お切込みうどん等の粉食に用いて、上州人の腹を支えているのである。

 翌朝、家人の与次郎は、厩から世話を終えたばかりの、主三郎左衛門の愛馬を引き出して軒につなぐと、

「だんな様、何か他に荷物があるんだんべか?」と声をかけてきた。

「与次郎、--反物をやえから受け取ってくれ、--やえ、用意は出来たか?」

「はい、今すぐ用意します」と、やえは奥から包みを持って現れ与次郎へ渡した。

「お願いしますね、与次郎」

「へい、かしこまりました」

 与次郎は包みを背負い、主を乗せた馬の手綱を握ると、街道を東に向かい山名八幡宮へ引いて行った。神社では、春は五穀豊穣を願い、秋は実りに感謝を捧げる祭りが行われる。これと重なると、この市もかなりの人出が見込まれた。しかし、関東管領上杉憲政が川越の戦や小田井原の戦で大敗してからは、迫り来る外敵からの圧迫により緊張の渦中に飲まれてしまい、例年の賑わいはない。市の開催さえ危ぶまれたこの日、ただ参道に植えられた桜のみが、変わることなく咲き誇っている。
 するとそこへ、山の根から三郎左衛門が家人の与次郎に、手綱を引かれてやって来た。あたりでは郷民たちが品物を持ち寄り、物々交換したり、商人たちと売り買いする姿がちらほらと見える。三郎左衛門は、さっそく露天の店主に反物の売値を掛け合って歩いた。そして、相応以上の値で返答を得ると満足そうに取引をし、それのついでに世間話を持ち掛ける。

「どうかな、商いの方は上手くいっとるようだが?」

「はい、--いや、その、どこへ行っても賑わいに欠けて困っております。それと言うのも近頃物騒な噂ばかりを耳にしまして……」

「なるほど、--それでその噂とはどのようなものか?」

「いやぁそれが、小幡の殿様は相模の北条様とよしみを通じて、平井の管領様へ弓を引いたばかりなのに、 今度は甲斐の武田様へ貢物をして、よからぬ事を企んでいると聴きました。何やら恐ろしゅうてなりません」

 と言うのは、小幡氏の領国内に南牧と言う土地があり、それは上野の西の外れにあたり、律令の時代より牧を構えて馬の放牧を行っている。どうやらその内の駿馬を、躑躅が先の晴信の所へ使いを出して送り届けたらしい。さらに、武田方の市河氏をこの土地へ招き入れたと言うのだ。

「まことか?」

「はい、私は佐久からこちらまで、商いをして参りましたが、道中の宿々で噂が立っております」

「さようか、だがうわさじゃ、それほど心配もいるまい」

 こう言うと三郎左衛門達は、土産など忘れて主の籠る木部城へ向かった。心配無い訳など無いからだ。主従が八幡宮を出て東に向けて進んで行くと、左手の遥か北方には上毛三山の内『赤城』『榛名』の山が水色に濡れてそびえている。山名郷は、北に北西から南東へ流れる烏川、南に西から東へ流れる鏑川が流れ、この両川に挟まれた肥沃な土地だ。さらに両川は、神社から二里程東の地で合流している。この川に挟まれた三角地帯の平野部で稲作を行い、西部の丘陵地帯では桑を植えて養蚕が行われていた。

「だんなさま、また戦になるんだんべか?」

「それも視野に入れて置かねばならんな」

「えれえ事にならなきゃ、ええがのう」

「そんときゃあ、そん時だ、与次郎頼むぞ」

「へい、だんな様」

 この水田地帯を横切る道を通り一里ほど進んでいくと、鎌倉街道上道の山名宿へたどり着く。宿は、鮎川や鏑川の河道を利用した水路で囲まれた総構えの中にあった。その広さは、東京ドームと小石川後楽園が余裕で収まるほどの広さである。
 山名宿へは、舟橋を渡って行かねばならない。戦時には水路の船上に掛けられた板を外して、船を退ければ二十間もの幅を持つ水堀となって寄せ手を阻むのだ。よって宿内に構えられた木部氏の館は、木部城とも呼ばれ、寄せ手を防ぐのに十分な能力を誇っていた。

「だんな様、今日は足場が悪く見えるんで、下馬されたら如何で?」

「これしきの揺れを渡れないで、戦など到底できぬ、大事無い」

 水路を渡りくる風に誘われるように、三郎左衛門は与次郎から手綱を取り上げて颯爽と山名宿へ入った。そして、宿内の北側に更に2重の堀を巡らした、木部城の大手門前で下馬すると、追ってきた与次郎に手綱を預けた。門をくぐると、そこは外曲輪と呼ばれ、そこから更に少し回り込んで内堀に続く門を超えて行かないと、本曲輪へは入れない。外敵が直線的に侵入してくるのを、防ぐためである。
 城主木部駿河守範次は、その出自を源頼朝の弟、蒲冠者(かばのかじゃ)源範頼の末裔と伝える。本曲輪の門をくぐると三郎左衛門は、《範》の字を代々受け継いでいる主君範次の主殿へ向かった。

「大殿は何処に居られるか?」番兵にこう伝えると

 しばらくして三郎左衛門の来訪に、奥から現れた木部家付家老の増尾新兵衛尉は答えた。

「如何いたした、三郎」

「それがな新兵衛、小幡の話なのだが……」

 三郎左衛門と新兵衛尉は、それぞれ譜代の家臣の家に生まれ、幼いころより共に育ってきた。お互い木部十騎に数えられて主範次に仕えていたが、新兵衛尉の方が少し高い地位にあった。しかし木部家が小領主という事もあって、二人の時はあまり上下関係など気にせずに親しく語っている。

「北条と武田の密約と小幡の話か」

「さよう、ご家老は如何にお考えじゃ?」

 少し待てとばかりに右手で制し、顎を上げて話す新兵衛

「なんだ、かような時だけ家老と呼ぶのか」

「まあそこは、--神社の市で聴いた噂が気になってな」

「三郎、噂とは小幡が武田とどうかした話か、--それを結んで家を保とうとする事態、是非も無いではないか」

 この当時台頭してきた戦国大名に挟まれた、領国の境目にある小領主達は、重大な選択を強いられている。国峯城の小幡氏やここ山名郷の木部氏にとっても同じことである。もうすぐそこに、北条や武田の脅威が迫ってきているのだから。こうした事態になると、小領主たちはあちらにもこちらにも、よしみを通じるため手立てを講じるのは当たり前だった。二股も三股もかけた風見鶏と言われようが、領主たちは所領を守り家を保つためなら、如何様な事もやってのけるのだ。

「ならば、我らも立場を示さねばいずれ滅ぼされよう、--であろう新兵衛」

 身を乗り出して同意を求める三郎左衛門に、意を決して頷き腕組みをする新兵衛は、

「確かに、--実は大殿もその事で、頭を抱えておられる、--付いてまいれ」と立ち上がった。

 先年の川越合戦の大敗から武蔵や上野の上杉領国では、調略と言う戦乱の波が押し寄せて来ていた。求心力を失った関東管領山内上杉家では、これに内応した家臣どもの内紛が起こり、その情勢悪化に拍車をかけた。昨年などは、上野一揆衆(領主連合)旗頭の箕輪城主長野業政と並び立つ、国峯城主小幡憲重が謀反を起こして、平井城を攻め立てたのである。言葉を交わしながら、ゆるりと回廊を渡り奥主殿へと足を運ぶ二人。このような憂いを他所に、中庭の桜は尚も咲き誇りて、わずかな風が渡ると一筋の花びらが舞い降りた。

「大殿、来客は三郎左衛門でありました、--殿?」

 穏やかな日よりに反し、城主駿河守は書状を傍らに置き、木部家の行く末を慮り桜木の遥か向こうを見据えていた。

「うむ! うっかりしておった、で、如何した新兵衛?」

「はい、三郎左衛門も神社の市で噂を聞きつけ、武田の動きを懸念しておるようです」

「大殿、新兵衛の申す通りです」三郎左衛門は、平服した姿から顔を上げて返事をする。

「そうか、戻るのが遅かったのは、すでに二人で話しおうたのじゃろう、申してみよ」

 木部家付家老の、増尾新兵衛尉が話すことは、このようである。山内上杉家の直臣である木部家は、他の河西衆(利根川西の領主)と違い苦しい立場にあった。主の上杉憲政が求心力を失った今、家中は乱れ崩壊の危機にある。名ばかりの管領ともなれば、木部家は後ろ盾を失った只の草刈り場の孤独な『草』に過ぎなくなる。
 今は箕輪長野家から、嫡子範虎へ業政の娘が嫁いで来ていて、互いの結束を高めている。しかし北条からも誘われ、更に小幡家を通して武田家からは、調略と言う誘いの手が伸びて来ているのだ。上野へ侵攻の暁には、武田晴信の下に降り木部家のその手を貸してくれと。同じ源氏の血を受け継ぐもの、氏神である八幡神社は燃やしたくないと文が届いた。新兵衛はそう言った。続けて二人は、これらを鑑みた上で「武田にも応じておいて機を見る他ない」と申し上げた。

「もっともじゃな、心に留め置くが、他言は無用に、良いな」

「ははっ」 二人は畏まってこれに応じた。そして後に、国峯城へ使いが出された。

2.再会

 天文18年(1549年)夏、武田晴信は軍勢を従えて甲府を立ち、再び佐久郡を制圧した。そして、前山城へ入り陣を張ると信濃及び上野の平定について、今後の策略を練るため評定を行った。

「西上野の小幡が助けを求めてきた、そうであったな?弾正」

 弾正こと真田弾正幸隆(幸綱)は、父祖の地、小県を追われて上野国の箕輪城へ亡命していた。その頃に城主長野信濃守業政の娘婿である国峯城主、小幡尾張守憲重と幸隆は親しく語り合っていた。主君晴信の問いに応ええる幸隆によると憲重は、「お館様の誘いにより主君上杉憲政に弓を引いたものの、小幡家中にいまだ憲政に忠義を尽くそうとする輩がいて困っている」と送ってよこしたと言う。

 続けて幸隆は、
「ここは、お館様(晴信)に御出馬戴いて御威光を顕わにすれば、小幡家中はおろか他の地侍どもも、こちらへ寝返えりましょう」と答えた。
晴信は「信濃の次は」と、上野攻略も視野に入れた上で調略を仕掛けていた。すると、幸隆と懇意にしていた小幡憲重が誘いに乗ってきていたのだ。
 この評定に着いた諸将を見わたすと、馬場民部、原加賀守、同隼人助父子、浅利民部、小宮山丹後守、小山田備中守等のつわものである。この時幸隆はまだ小山田備中守の配下にあり、父祖の地である小県郡の奪還を目指していた。幸隆の答えに「なるほど」と頷いた晴信は、評定の席にある家臣どもへ「上野へ出向こうと思うが、その方等はどう思うか?」と問うて見回した。晴信の懐刀と言われた馬場民部が「よろしいのでは」と答えると、一同それに習った。しかし何か物足らなそうな様子の晴信である。

「勘助! そちはどう思う」

「は! まずは前山に守兵を残し、内山、星尾、田口峠へと軍勢を分けて西上野へ入るがよろしいかと思います」

 勘助もまだ諏訪上原城代の板垣駿河守が配下であり、軍議の席で意見を言える立場ではなく、晴信の意見を求める言葉を待っていたのだ。これの言う所によれば、まず真田弾正を小幡憲重の籠もる国峯城へ遣わす。次に真田の後を追い、陣場奉行の原加賀守、同隼人助父子を先発として向かわせ、道筋の安全と兵站の確保を命ずる。初めて上野へ軍勢を入れるため、かなり慎重になるべきだと勧めたのである。

「ほほう! すでに弾正と打ち合わせ済と見えるな、--よかろう、まずは小手調べじゃ」

「御意」勘助は答えた。

「では、さっそく準備にかかれ、そして南牧の市河と連絡を取れ」

 晴信も上野入りについては前もって手を打ってあり、内山城から峠を越えた先の、南牧谷へ市河氏を入れて砦を築かせてあった。すでに峠を越えて上野入りする道筋は確保されており、その先にある国峯城の小幡氏を味方に付ければ、関東管領の籠もる平井城は目の先である。此度は小幡憲重の腹の内と、上野衆の動向を探る小手調べの作戦となり、それが必定となる。
 国峯城は秩父山地の北の端、城山の稜線上に本曲輪を持つ山城で、麓に平時の館を構えている。館から平野部へ出るために、沢沿いに北へ、更に右手北東へ進むと両脇の山の裾から、水堀で仕切って出口が塞がれている。そこへ土橋を掛けて館方面への侵入を制限し、外敵からこの城を守っている。ここまでが国峯城の城域と言えよう。麓から本丸までの高さ百五十間(約300㍍)ほどの大そうな構えである。そこへ武田家の使者として、真田弾正以下の手の者がやって来た。

「たのもう、それがしは武田家家臣、真田幸隆と申す、小幡尾張守殿に目通り願いたい」

「ようこられた、話は市河殿から伺っておる、ささ、こちらえ」

 迎え出たのは、小幡家重臣の熊井戸対馬守正満である。

「主尾張守は只今取り込み中である」と控えの間に通された。

 館の周りでは、夏の暑さがじりじりと泣く蝉の声とともに、辺りに立ち込めている。熱を帯びた奥の部屋からは、何やら争うような声と共に、大男が飛び出して来た。この大男の名は図書之介景純と言い、その稀に見る身体を怒らせながら吐き捨てる。

「あちらにも、こちらにも媚びを売るとは何たる有様か」

 そして、床を大げさに踏み鳴らしながら去って行った。それを見送るように目を向けていると、熊井戸対馬守が声を掛けてきた。

「お恥ずかしいところを、見られてしもうた。--あれが騒動の頭なのです」

 奥の間へ通されると幸隆は、憲重との再会を果たす。

「一別以来じゃの、真田の」

「であるな、小幡の」

 二人は親しく語り終えると、幸隆から主晴信よりの思惟を憲重へ語った。嫡子信貞を南牧まで向かえに出し、以後道案内をする事。国峯城下のいずれかに、武田の陣城を築き、兵糧入れの手助けをする事。これ等について、原加賀守と真田とよくよく相談する事、などである。
 小幡尾張守の嫡子信貞は、初め信実と言った。そして武田家に従ってからは、上総介・尾張守と官途を与えられ、晴信より一字拝領して信貞と名乗りを変え、武田二十四将に数えられるのだ。赤備えの騎馬五百騎を従える尾張守信貞の手勢は、上野先方衆(国衆)でありながら武田家随一の規模を誇り、いずれ長篠へと従軍する事になる。

3.国衆の生きる道

 先発の原加賀守、同隼人助父子は、市河氏と協力して南牧と西牧の街道沿いへ、新たに駐屯・補給のための急ごしらえの城を築いた。原加賀守は西牧にて待機し、子の隼人助を国峯城下に陣城作るため向かわせると、主晴信へ出陣して来るように連絡の使者を立てた。すると、信濃佐久郡から上信国境の峠を越えて侵入する武田搦手勢(先手部隊)は、ぞくぞくと進み備えの城とした西牧城へ集結して来た。一方、晴信率いる大手勢(主力部隊)は、小幡信貞と合流するため南牧砥沢の城に進軍して来た。

 幸隆は砥沢の城へ晴信を迎えると、小幡信貞を従えて評定の席へまかりこした。

「お館様、これに控えるは小幡の嫡子にございます」

 すると、促されて信貞は挨拶をする。

「わたしが小幡尾張守が嫡子、信貞にございます。--援軍を率いての来訪、恐悦至極に存じます」

「なに、この晴信に従うとあらば当然の事よ、不慣れな上野ゆえ道案内頼むぞ」

「ははっ」

 幸隆は西上野の情勢について語り始める。
 南牧谷からの上野侵入は小幡が従えば容易いが、ゆくゆく信濃を従えた際には碓氷峠を越える道筋も確保せねばならない。すると、峠を越えた先にある諏訪城(松井田)に籠もる、安中氏も武田側に取り込む必要がある。このため「今回は八木連へ軍勢を進めて諏訪城を臨み、相手の動きを見るのが良い」と進言した。

 すると、信貞は
「恐れながら、我が叔父図書介は家中の不穏分子に担がれており、その居城宮崎を越えて向かうのは危険です」

「さようか、なら如何いたそう」晴信の問いに幸隆は

「西牧の先手勢とこちらの軍勢で、城を囲んで使者を立てるがよろしいかと」

「なるほど、それで上手くいくのか」すると信貞はおそるおそる進言した。

「はい、叔父図書介はその屈強な姿と裏腹に、意外と突然の出来事に狼狽える性質があります」

 補足するように幸隆が応えるには

「降伏しろではなく、国峯へ同道してくれと頼むのです。囲まれてぎょっとした所へこのように申せば、助かったとばかりに同意する事と成るでしょう」

「従わぬ時はいかがいたすのか、幸隆?」

「攻め滅ぼすまで」

「初めから攻めれば良かろう」

「お館様、此度は小手調べにございますれば」

「わかった、ならば早々に西牧へ使いを出せ」

「ははっ」

 やがて宮崎城が囲まれると、幸隆の言う通り図書介は臣従してきた。すると予定通り、先手衆を諏訪攻めのため八木連へ向かわせて、晴信たちは国峯へ向かった。子の原隼人助たちは、国峯城下の八幡山へ陣城を築き主晴信を迎え入れた。晴信は陣幕の内で、諏訪(松井田)攻めの近況を携えてくる、使い番を待つばかりである。
 八木連まで進軍して、郷土谷津の砦を占領した報告を受けたものの、上杉勢の動きが見られない。諏訪城に籠もる安中氏は静まり返り、そればかりか和田や倉賀野など、上杉家中の諸将もなりを潜めている。するとそこへ、三郎左衛門を従えた木部駿河守の嫡子範虎がやって来た。

 小幡尾張守は、範虎を連れて晴信の御前へ平伏すると

「これなるが、先の書状に託しました木部駿河守の嫡子範虎とその家臣であります」

「父駿河守が嫡男、範虎にございます、これに土産を持てご挨拶に参じました、三郎左衛門前へ」

 山名郷士の萩原三郎左衛門は、絹の反物を広げて差し出すと礼を取って後ろへ下がる。

「ほほう、これが仁田山の絹と並んで称される日野絹なるか」

「はい、川を挟んで南にある日野より桑や蚕を戴き、我が里でもこれを広めてござる」

「ところで、そのほうの室は長野の娘と聴くが、義父の信濃守殿はこの晴信をどう思うておるのかのう?」

「はい、義父はなかなか腰が重く、安易には動けぬようですが、いずれ使者を立てて来るでしょう」

「さようか、まずは義父殿に悪いようにはせぬとお伝えあれ」

「はい、かしこまりました」

 こうして、範虎達は恭順の姿勢を示すと、山名郷へ向かって帰って行った。しかし武田家へ好を通じたことにより、当然のごとく上杉家中での立場は悪くなり騒動の火種は絶えない。この後に郷土谷津の砦に在陣する武田の先手勢から「以前として安中氏の動きが全く見られなく、指示を仰ぐ」と伝令が入った。そこで晴信は「ならば、郷土谷津の砦に守兵を残し、先手の矛先を平井に向けよ」と平井城下に火をかけ分捕り(略奪)をする指示を下したのだ。
 そして先手勢は八幡山陣城に集結し、本体と合流し東へ向けて出陣した。武田勢は、平井口(平井へ通ずる入口)に当たる鏑川の南岸一里ほどの小高い丘に築かれた、小串城を攻略すると八幡山の陣城から本陣をそこへ移した。武田勢はこの城を起点として鎌倉街道沿いに暴れまわりながら南下した。さらに神流川まで達すると、川沿いに鬼面(鬼石)方面へ進出して乱暴狼藉の限りを尽くしたのである。すると、流石に上杉勢も業を煮やしたと見え、小串城本陣の晴信の所へ「安中・和田・倉賀野の諸氏が手を組み軍勢を三寺尾(片岡丘陵の東側平地)方面へ繰り出してきた」との知らせが入る。

「木部へ使いを出し、人質をここへ入れるよう伝えよ」と晴信は指図した。

 三寺尾と信玄の本陣がある小串城の間には、山名城や木部城が挟まれており、いよいよ風見鶏の頭はどちらを突くのか決めねばならぬ仕儀となった。このように、否応なく木部氏と山名郷は戦乱の真只中に巻き込まれて行くのである。

4.三寺尾《みてらお》の合戦

「ご注進、ご注進ぃ~ん」

 ここは木部城、舟橋を渡り武田の使者が到着すると、書状を受け取った番兵が中庭へやって来た。

「いかがした」範次の問いに番兵は

「武田の使いが、お目通りを願っております」

「これへ通せ」

 やって来た使いは「家の子を小串城へ、背かぬ証しとして差し出せ」と伝えてきた。その上「ともに戦わずともよいが、決して城から打って出てはならぬ」と言うものだ。武田に見方をする振りをして、寝返られては困るからだろう。

「承知したと、伝えてくれ」

 城主範次は使者にこう告げると、家老どもに登城するよう番兵に指示した。すると間もなく嫡男範虎を筆頭に、須川勘解由、増尾新兵衛尉、萩原三郎左衛門の家老どもが評定の席に着いた。

「呼び出したのは他でもない、武田が小串へ人質を入れろと言ってきた」

「我らは上杉が家臣、どうするおつもりでしょうか?」

「聞け我が子よ、そなたは此れより駿河守を名乗りわしの跡を継ぐのじゃ」

 範次が続けるには、武田は暗に「範虎を人質に出せ」と言ってきている。現当主の嫡男かそれに次ぐものを、差し出すのが最も重き人質として取らえ置かれる。ところが、範次には範虎の他、男子は失われており替わりはいない。そこで、範虎に家督を譲り、その子小次郎を差し出すというものである。

「それは、なりません、我ら家老どもがその役務めましょう」

「新兵衛、それは嬉しいが、武田は認めんだろう、家督を譲り、小次郎なら理に適おう」

「しかし、殿」「殿……」家老どもが口々に言うところへ

「皆の者またれよ、--父上の言う事を聞こう」

 範次はさらに言う。

「わしとて上杉家家老の端くれ、安中・和田・倉賀野を置いて武田に走るは道理が立たぬ」

 そこで、範次は年寄どもを引き連れて山名城へ引き籠り、機を観て上杉方に寝返り直し武田と戦うと言うのだ。その時は、範虎自身が小串城へ行き父範次が寝返ったことを告げ、自分は決して武田に背かないことを示せ。と続けた。乱世を生き残る手段である。そして、武田に勝てる見込みなど無い事は、小田井・笛吹峠の合戦で知れている。この当時多くの家が、このように敵味方に分かれ、勝った方の者が家の名を残すと言う苦肉の策を講じていた。
 小串城に守兵を残し出陣した武田の軍勢は、三ツ木より鏑川を難なく渡河して真庭城を占領した。この辺りの上杉方は、皆三寺尾地域の諸城に駆り出されて空き城も同然だったからである。河を渡ると言う事は、それ自体危険な行為であり、それが敵に追われて撤退するなら尚である。晴信は引き連れて来た六軍の内一つ原加賀守の手勢を、この真庭城へ入れて退却路を確保した。

 一方の上杉陣中では、安中越前守を大将とする西毛九頭の諸将が、三千余人を従えている。そして武田の軍勢が、鏑川を越えて山名から石原方面へ向けて進軍中の知らせを受ける。すると、丘を下り逆茂木を置き策を巡らした陣地へ躍り出て、敵を「今かいまか」と待ち受けた。
 その頃木部城は、板を外して船を退けた水路に囲まれる水城の中にあった。するとそこへ、武田が手勢を分けてその一軍がやって来た。そして白旗を上げながら、水路を小舟で渡って来るのが見える。

「御城主に取り次ぎ願いたい」

 この使者は、武田家家臣の小山田備中守が使いで「寝返って、わが軍の後ろを突かないよう見張りである」と言ってきた。まことに武田晴信と言う男は、用心深く抜け目のない武将である。鏑川を渡った手勢は、原加賀守が真庭城へ小山田備中守は木部城へ在陣している。残る軍勢は、馬場民部を先頭に原隼人助、浅利民部、小宮山丹後守の四段の備えで鎌倉街道を北上していった。
 見ると、晴信の馬印諏訪法性旗が八幡宮の裏山へ登ってゆく。すでに真庭城から原加賀守の手の者が、この山の上に陣所を構えて居たらしい。木部家の要害山城を見張り、三寺尾方面を見渡すためでもある。

 九月三日三寺尾の地において、上杉勢3千に対する武田勢6千が対峙した。その時木部城では、範虎が新兵衛尉と三郎左衛門の二臣を従えて小山田備中守の陣へまかり越した。

「我が父範次は、必ずや寝返り武田様の後ろを突くでしょう」

「なぜそれを告げに来た」

「それがしは、決して裏切らぬと証を立てねばならぬからです」

「それで?」備中守は食い入るように範虎を問い詰める。

「山名城に狼煙が上がるとき、倉賀野から兵が押し出して来るでしょう。それを木部の手勢で防いで御覧に入れます」

「うまいことを考えたのう、じゃがそれはならぬ。裏切らぬ証に今一人これへ人質を出せ、--倉賀野へは我らが当たる」

「おおせのままに」


5.決戦のゆくえ

 小山田備中守は、八幡神社の裏山に陣取る晴信の所へ使者を立て援軍を要請した。それと共に真田弾正を付けて、三郎左衛門とその子源吾丸を人質として送り出した。仔細をうけた晴信は、真庭城の原加賀守へ倉賀野方面への援軍を要請した。

すると真田弾正は、
「これなるが、範虎よりの人質でございます」

「しかし、これは家臣とその子ではないか」

「は!実はこの童子、萩原の実子ではなく、長野家の娘と安房里見家の男子の間に生まれたと言います」

「間違いないか?」晴信は問う

「はい、それがしが箕輪城に滞在したおりに、その子の父に会うております、その母とも」

「なぜそのような子が、木部におる」

「はい、その母とは範虎が室、ゆり姫であるからです」

「なんと、--わかったお主を信じよう、不足はない」

 遠くこれを見ている源吾丸は怯え、なぜこのような所に連れてこられたのか分からずにいる。義父三郎左衛門も、何時かはこのような事になることを覚悟していた。武士の子とは、小さいうちから戦に利用され、家を守らねばならぬ定めにあったのだ。
 八幡神社の裏山に陣取る晴信は、三寺尾先陣の馬場民部へ事の仔細をしたためた使いを走らせた。三寺尾では、左翼から原隼人助、浅利民部、小宮山丹後守を前方に広げ中央の真後ろに馬場民部が構えていた。そこえ主晴信からの伝言を受けた民部は、即座に策をしたためて各備えへ使番を走らせる。

「後方に狼煙が上がったら、ほら貝を合図に順繰りに退却せよ、馬場が殿を務める」

 つづけて

「鏑矢を合図に攻めかかれ、小手先を合わせても押し進むな」

 さらに

「真庭城へ向けて右に進み、丘に隠れたら反転して指示を待て」

 中央に構えた浅利民部の備えから、ひゅうと音を立てて鏑矢が放たれると戦が始まった。ここ山名城では、この様子を見ていた範次が狼煙を上げて倉賀野勢の出陣を促す。これを知りながら、木部場外に在陣する小山田備中守は微動だにしない。

範虎は、
「備中守殿、私の進言をお信じにならないのですか?」

「ふっふふ、わが御屋形様を侮るでない、まあ見ておれ」

 難なく渡河を終えた倉賀野勢は、三寺尾の武田勢を後ろから突くべく北上する。山名城の範次も、城を打って出て間道を縫い三寺尾へ向かう。上杉勢の最上の策である、はずだった。馬場民部以下四段の備えは、初戦で上杉勢を押したが、後方に狼煙を見るとホラ貝が吹かれ退却を始めた。演技である。これを見た上杉勢は「武田の兵が怖気づいておる、今が好機じゃ」とばかりに追撃した。馬場民部は、被害を最小限に殿を務め追撃を支えている。流石晴信の懐刀と呼ばれるだけの事はある。退却したはずの、原隼人助、浅利民部、小宮山丹後守等の手勢は、北上してくる倉賀野勢を瞬く間に粉砕して、退いて行った。

 根小屋七坂七不思議と言い、城山から流れ来る沢が、暴れて土砂を押し流し扇状地を形成している。度重なる土石流に川床は、平地の二階の屋根より高く押し上げられていた。つまり土塁の上を川が流れているのだ。馬場民部の手勢は、山名城の麓にある薬師沢までやって来た。すると最後尾が上杉勢をそれまでとは違い、全力で食い止めた。そして、合図とともに全力で後退した。
 上杉勢は「なんだこれしきで精一杯か」などと高をくくって坂を超えて行く。後続の上杉勢が続けて坂を超えると、そこには地獄絵図が待ち構えていた。土塁に隠れて素早く反転して備えを上杉勢に向け直していた。大返しを行った馬場民部の手勢が、左右から総がかりで攻め立てているのだ。

 後ろから続けて押し寄せてくる上杉勢は、先も見えずに次々と罠にはまり込んでくる。既に先に退いていた原隼人助、浅利民部、小宮山丹後守等の手勢がにここへ加わって来ると、阿鼻驚嘆に拍車をかけた。気付かれぬように遠回りをして城を下って来た範次は、これを目の当たりにして驚愕した。しかし、後戻りせず上杉家臣木部家の名を背負い突撃して果てた。関東武者と源氏の誇りを守ったのだ。
 木部城にあった範虎は、遠くにこの一部始終を見守っていた。出来れば、父の最後を近場で見届けてやりたかったが、それは叶わない事だ。僅かの間で上杉勢が大敗すると、武田勢は勝鬨を上げて退却していった。小手調べは十分な成果を挙げたのだ。すると間もなく増尾新兵衛尉は、小次郎を伴い帰って来た。萩原三郎左衛門も源吾丸を連れて戻って来た。範虎にとって、これがせめてもの救いであった。

 荒船山に夕陽が架かっている。
「まったくひどい一日だった……」
「明日からはもっとなのだろう、--これが生きるという事なのか」
 甘楽谷の西方より流れ来る鏑川は、その水面を紅く染め上げている。
 やがて浮世に帳がおろされると、夕陽は悲しみのうちに沈んでいった。


 後日談、箕輪落城後に範虎は武田家に仕え、五十騎を任され箕輪城代内藤修理亮の指揮下に入り長篠へ従軍している。
 そして武田家が滅亡する時は、勝頼と共に天目山の麓、田野で討ち死にを遂げている。

 《三寺尾の合戦 終わり》

三寺尾の合戦【戦国歴史もの30枚】 ©夏目吉春

執筆の狙い

私は長編小説を綴るにあたり、10の合戦を描こうと考えました。
後にこれをつなぎ合わせて、ひとつのドラマに仕立て上げるのです。
これは、先の『茜の吹き流し』に続く第二弾なのであります。
今回は、短編としても読んで貰えるように頑張って書きました。
上野(群馬)の戦国時代を描いたもので、『甲陽軍鑑』『和田記』を元にしています。
物語の構成、表現・感想などコメントお待ちしております。
これから何度でも書き直し、皆様に読んで戴けるような物語を目指します。
よろしくお願いします。

夏目吉春

114.166.126.173

感想と意見

虎徹

夏目吉春様

以前私の作品に感想を頂いたのでお返しに参りました。

ですが、すいません。途中から流し読みになってしまいました。
おそらく読者を選んでしまう作品だと思います。説明が多く細かいので、頭にインプットするのが大変で…。期待した戦の場面も流れの一部な感じで特に凝った様子は無かったので。
ただ、作者様の熱意も伝わりましたし、文章力も凄いと思います。
長編小説の第二段との事ですが、連載物や長編の一部だとなかなか感想も付かないと思います。

個人的には夏目様が書いた『歴史物ではない短編』を読んでみたいですね。

お力になれるような感想書けなくてすいません。

2017-11-11 19:47

223.25.160.22

藤光

読ませていただきました。
……と言っても、冒頭の部分を読んで、半分くらいまで流し読んだくらいですが。

とても熱心に書かれていることはよく分かりました。

>上野(群馬)の戦国時代を描いたもので、『甲陽軍鑑』『和田記』を元にしています。

とあるように、下調べもかなりされたことでしょう。

ですがこの小説。説明もしくは解説が多い! 歴史・時代小説に説明は不可欠ですが、もう少し登場人物を取り巻く情景描写、心情描写に字数を割きましょう。

読んで欲しいポイントが、説明ないし解説の箇所にあるのかもしれませんが、読者の興味は、登場人物の織りなすドラマの部分にこそあるように思います。

また、説明の多さに比して、台詞周りの淡白さは際立っていて、作者さんが比重をどちらにおいているかは明らかです。ここが一番先に手をつけるべき、改善箇所かもしれません。

2017-11-11 20:08

119.104.28.56

夏目吉春

虎徹様感想ありがとうございます。

>ですが、すいません。途中から流し読みになってしまいました。
つまらないものを、読んで戴きありがとうございます。

>読者を選んでしまう作品
そうですね、私もそう感じます。昨今流行りとでも言うのでしょうか? なんちゃって戦国もの。
作品名は控えますが、実は何々だったとか突拍子もない設定だったり、
タイムトラベルだったりの転生ものが受けるのでしょうね。
限りなくノンフィクションに近いものは、有名どころが語りつくされた感があり魅力に欠けるのでしょう。

>説明が多く細かいので、頭にインプットするのが大変で…。
武田信玄が西上野(群馬)に侵攻して、箕輪城を攻略した事実があるのに、数ある小説の武田物でその記述はほぼありません。
実際には研究が進んでいないからなのですが、では私が書きましょうが発端なんです。ですので、どうしても説明が必要になる。
武田や北条なら多くの出来事が広く知られているので、説明はその分少なくて済むのかなと思います。
次回は、極力出来事の説明なしで書いてみようかな、とも思ったりします。
いっそのこと、ラノベ調に戦国転生者がいいかな(気が向いたらで)

>ただ、作者様の熱意も伝わりましたし、文章力も凄いと思います。
熱意だけは自信があったりします、文章力はどうなのでしょう?でも有り難うございます。

>長編小説の第二段との事
短編として読めるように、頑張ったのですが、小説の形になってないとの評価なのですね。
自分で読んでも確かに面白みがあるかと言えば? ですね。一応家を守る事の困難を描いたつもりなのです。

最後に
>期待した戦の場面も流れの一部な感じで特に凝った様子
大河ドラマを見ていて一番不満なのが合戦シーンですね、騎馬で太刀を振り上げてとか駄目絶対。
鎧武者に太刀で斬撃とかなえまくりです。
箕輪城攻略の他に、リアルな合戦シーンも追求したいところなのですが、ここは研究が足らずどう表現してよいのか分らんのです。
どの小説でもまことしやかにお茶を濁している気がして不満が募ります。
お手本になる小説とかあったら助かるのですが、少しづつ探って行きたいと思います。

お礼だけ申し上げれば良いのに、思いのたけをぶつける様なお返事すみませんです。
ありがとうございました。

2017-11-11 20:46

114.166.126.173

夏目吉春

藤光様初めまして
感想ありがとうございます。

>もう少し登場人物を取り巻く情景描写、心情描写に字数を割きましょう。
>読んで欲しいポイントが、説明ないし解説の箇所にあるのかもしれませんが、読者の興味は、登場人物の織りなすドラマの部分にこそあるように思います。

ありがとうございます、おっしゃる通り『登場人物の織りなすドラマ』だと思います。

>また、説明の多さに比して、台詞周りの淡白さは際立っていて、作者さんが比重をどちらにおいているかは明らかです。
はいその通りです。私は『三寺尾の合戦』という十数行のしかも矛盾だらけの軍記ものを、あたかも実際に起きていたかのように再現することに注力しました。
こういった下調べに数年をついやし、そろそろ文章を書くという訓練をしないといけないと思い、ここにたどり着きました。
おっしゃるように『情景描写、心情描写を交えてセリフ』を生きたものにしてドラマを創作しようと思います。
御指摘のあったように、『説明』と『情景描写、心情描写を交えてセリフ』の割合を逆転するように努力していきたいと思います。
ありがとうございました。

2017-11-11 21:11

114.166.126.173

虎徹

再訪失礼致します。
4面に夏目様の作品ありましたね。

やっぱり人物の描写なのかな??
↑コレ私も課題なんですけどね。

お返事を拝見してさらに熱意を感じました。
リアルな合戦シーンて難しいのかもしれませんね。
これからも頑張って下さい。

2017-11-11 21:30

223.25.160.11

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