作家でごはん!鍛練場

『ホタルノ草紙』

kaiquu著

古代の歴史にも、表には現れない、いろんな人々の営みがあった。壬申の大乱前後の時代に生きた、女と男、忍姫と庭男、を描こうとしている。

 第一章 我門如来

    1 
 白妙の衣干すてふ、と歌にもうたわれた香具山からさらに東の、海柘榴市のにぎわいから少し外れた、ここはやまとは三輪の庶家の一隅、歌にうたわれた白妙は、神の宿りたもう、たなびく幟りのことですが、虚けてかすむ目に見える白妙は、物干し竿に取り込み忘れたおみなの仏の宿る下襦のこと。のっけに申せば、生えそめしおみなの仏もすり切れようかという、お噺しです。
 そしてわざくれ、手繰る糸を物語と言わずして、お噺し、と断るからには、いささか不埒です。
 野に、ボケ猿というものが居り、一団の囲いのメス猿どもに毛づくろいさせて、安逸をむさぼる姿をよく見かけます。その恍惚としている様、この世の神妙をひとり占めしている、至福感に満ちています。
 あれは進化の極であるはずの人類の、男(牡)から見て愉快なものであるか、女(牝)からすると笑ってごまかす不快な千万であるか。される側(男)にも、する側(女)にも、もしかしたら先祖返りのなごりのもてなし、不可思議功徳の実相が表われているのではないでしょうか。
 つい先刻に、やまとは三輪あたりの泊瀬川の渡し場近くに、ひとりの貴公の君が佇んでいました。貴公の君とわかるのは、冠をかぶり、袍を着用して、ひらひらの襴には縁までついている身形からです。
 川幅およそ五尋、山際のこちら岸には、今宵はもう乗客も荷駄もない、船頭もいまごろ陸に上がり、美味し三輪酒をかっくらって、ほろ酔い機嫌のくだを巻いているであろう、平船が数艘つながれていた。昼間はいわゆる海柘榴市のにぎわいで、人の往来も頻々な処なのです。
微かに柳風が吹いて、水面に魚鱗の波が立ち起こっているのが夜目にもわかる。しかし、これを見て、いくら歌心の優れた貴公の君でも、
 風、蕭々として心胆寒し――、
 と、気取るわけにはいかない。
 泊瀬川、先につづく大和川、と揺られて行けば、貴公の君の只今現在の仮寓である、平群斑鳩に着くのです。その思いがあったからこそ、どこをどう彷徨ったものか、船泊まりのある海柘榴市の渡し場まで来ていた。途中まで一緒であったはずの鞍馬は、夜闇に怖気て役に立たず、乗り捨てたのか、姿は見えない。
空には半欠け月が、煌として、やがて中天に差しかかろうとしている。三輪山の磐座もひっそりと鎮まりかえっている、眇々閑々とした、夜景色です。
往こうか還ろうか思案の涯に、ふらふらと歩きかけて、ふと霞み見た一軒の庶家の一隅から、誘蛾灯のような――この時代にも蛾は明かりに吸い寄せられて行きます――灯りがもれているのが見えた。
 もちろん、海柘榴市の紅灯の明かりはもっと前から目に留まっている。だが、黄塵にまみれる処世の知恵も、覚悟の程も、貴公の君には無用のたしなみです。
 他に人の匂いのする、灯火の在り処は見当たらない。
 貴公の君はそちらに足を向けようとして、
「ちえっ」と舌打ちをすると、忘れていたとばかりに、あたりに気を配った。尾行者が付かず離れず、ついて来ていたことを思い出したのです。
 はたして、
「いけませぬ。いけませぬ。そちらに行ってはなりませぬ。あれは庶家のおみなの、想い人を待つ、夜這いの風習です。あなた(皇子)さまが尋ねてよい、菜摘女、郎女ではありませぬ」
 そう尾行者が声をかけたものではない。貴公の君なら、当然に具えている、抑える思いがそう言わしめた。
しかし、貴公の君と呼ばれる御身なれば、たとえ狂っていても――事情があって陽狂ぶりを装っているのですが――虚を実にする戯れをするものではありませんのに、その御仁は庶家の屋敷に入って行った。
 破れた土塀の向こうに、低い植垣で仕切られた離れ屋があり、誘蛾灯はそこから放たれていたのです。
 尾行者はここまでしか実見していません。麻白装束の舎人の身分で、招かれもしないのに、もしかしたら皇嗣となられるかもしれない尊方の秘事となる席に、侍ることは許されないからです。そうでなくてもそこまでの実況で、おそらく呆れ果てて、確認するまでもない貴公の君は、陽狂の真似ではなく、狂人そのものだ、と推断したのでしょう。
 押し入られた、おみなの方は大変な恐慌をきたしました。見知った幼馴染の想い人ではなくて、高潔な衣装の貴公の君、が忍びこんで来たのですから。
「な、なんなの。あなたはだれ?」
 人は動顛すると、普段の言葉を忘れて、奇声を発すると言われます。現代なら、さしずめ、
「フリーズ! フーアーユー?」と尋ねて、逆に自分が凍りつくところを、当時のトレンドは大陸の言葉です、
「你是誰?」と叫んでいた。
 それには答えず、
「そなたこそ、こんな夜更けにひとりで何をしている」
「なにをしているって、人を待っているのです。妾を妻にしてくれる、大切な人が今宵訪れて来ることになっているのです」
 声が震え、身を固くしていた。
 こちらはか弱い処女ひとり、相手は太刀を帯びた大柄な若武者。嘘か真か、呆れたことに冠を被った黄丹色の貴人の衣裳に身を包んでいる。最初はそれを、幼馴染の仮装かと思ったが、すぐに他人だと気付いて、怯んだ。たとえ貴公の君であろうとも、大切な貞操を自由にされるものではない。
 すぐ後の世の、唐の詩人は謡っている。

 妾髪初覆額  妾(わたし)の髪が初めて額を覆うころ
 折花門前劇  花を折って門前で劇むれていると
 郎騎竹馬来  郎(あなた)は竹馬に騎がりやって来て
 繞床弄青梅  床(筒井戸)をまわりながらわたしにかまってみせた
 同居長千里  同じ長千の里に居て
 両小無嫌猜  両(ふたり)ともおさなく仲良しだった

 どこの国、都鄙の区別なく、そうやって処女は気持ちを通わせ、通婚した。そのような若郎とこそ、共に白髪の生えるまで、寄り添うにふさわしい。天と地も身分の違う、貴公の君が、竹馬の若郎の身代わりになれるはずもない。
 唐の詩人の謡は、さらに次のようにつづく。

 十四為君婦  十四であなたにお嫁入り
 羞顔未嘗開  羞らう顔でどうしていいのか
 低頭向暗壁  壁に向かってうつむいて
 千喚不一回  幾たび喚ばれても一度も振り向けず
 十五始展眉  十五になってようやく慣れて眉に笑み
 願同塵与灰  願わくは塵になるまで灰になるまであなたと一緒に

 そのようでなければならなかった、それが正しい有り様だった、それがどこでどう裙襦の袷を掛け間違えたのか、壁に向かってうつむくのを止してしまったのか。庶家の娘子は変わってしまった、それをただひとり、陽狂の貴公の君のせい、であったとは申しませんが。
 恍惚としてこの世の神妙をひとり占めしているボケ猿も、元は暴力で一団のオス猿を屈服させたもの。その荒々しい神猿の前では、メス猿はすすんで、毛づくろいするしかありません。
 乱入した貴公の君は
「夜が明けるまでここに置いてくれ」
「とんでもない。あなたが居ては、妾(わたし)の郎(いいひと)が入って来られないではありませんか」
「そこをなんとか頼む」
「いやです。出て行ってください。家人を呼びます」
 それがよくなかった。貴公の君の今一番困るのは、余人に姿を見られて、騒ぎ立てられること。
「待て、声を立てるな」
 そうさせないためには口を塞ぐしかない。片手で胴をはがいじめして、一方で首を巻いて口をおさえた。必然的に、娘子をうしろから、抱きしめた形になります。
 風もないのに、菜種油の燈芯の灯りが、抗う空気の揺れでゆらめいた。声はあえかにきれぎれ、それにかぼそい娘子の匂い香がかぶさり、はからずも抱きしめた片方の手が袷の内にすべり込み、まり状のものに感じ入ってしまった、貴公の君の脳髄に、じわりじわりと刺激の触手をのばしてきたのです。
 貴公の君はあわてて手を放し、しかし声を立てられては困る、とっさに袍の長紐をゆるめると、太刀の鞘を解いて、娘子に示して威圧した。決してそれがために忍び込んできたのではなかったが、ことこの場に及んではそれが一番の封じ手、それしか思いつかなかった。貴公の君には、そんな癖があったのかもしれません。
 鞘の中身は、まさかの竹光であるはずもない。切れ味は知らぬが、それは人の命運を左右するものぐらいは、処女の娘子の知恵でもわかる。
 そのとき、外から声がかかった。
「どうした? なにか困ったことでも起こっているのか」
「いえ、何でもありませぬ。いたずらな、風の音です」
 そう答えてしまったのは、決して貴公の君を気遣ったわけではない。この場に直情な家人がやって来ても、なにが解決できるものでもない。「曲者」と叫ぶや、鉈・鎌をかかえて襲い掛かるに躊躇しない人たちだ。斬りつけて、はじめて曲者の正体が判り、大慌てで右往左往する。
 家人は別の、「痛いがな」――鬼に食われた未通乙女の心配、をしたのかもしれないが。
 そうして何が起こったわけではない。ただひとりの貴公の君が、夜陰に紛れて一軒の庶家の灯火に妻問いしてきた、それだけの落花狼藉事件。
 猿の世界では、ボケ猿一匹のみの奉仕と聞きます。しかし往々、異端の情景が現出するのもまた仕方ありません。こののちのこと、あまりに上手なメス猿の毛づくろいの手並みを惜しんだ、オス猿どもの、吾も彼もの行列がつづくことになったのです。
 最初のボケ猿には、まったくもって未必の、迷惑千万でした。勢いのあるオス猿が、ボスの地位を狙って追い落としにやってきたわけですから。
 故意の噂を流布したのは、実見せずに立ち去った、堅物の、尾行の舎人であったのは言うまでもありません。
 夜這いに来る、郎(いいひと)を待っていた処女と、そこに忍び込んできた、見当違いの高潔な衣裳の君、何もなかったと言って通る話ではない、誰がそんな虚言を信じましょうか。
 普段なら家人と一緒に起居していたものを、そのときばかりは夜這い者が訪れ易いように離れ屋で、赤飯の祝いをしてからのち、そのときのために香をたきこめた下襦を身に着け、その上の袿もいつでも解けるように手で合わせ持ち――ために貴公の君はすんなりと胸のふくらみを掌に掴んでしまった――、さらに衝立の陰にはしどけない緋布団が半身覗いていたのです。
 幼馴染みの郎を待っていた娘子が、ついに翻意して、これも運命のいたずらかと命乞いのつもりで、長紐をゆるめ太刀を示して威圧してきた、高潔な衣裳の君の毛づくろいに走ったからといって、誰が非難いたしましょうか。
「待て、何をする。誤解するな」
 しかし、この場の誤解は了解を強いる、別の表現のことです。オス猿との戦いに勝利したボケ猿にまっさきに駆け寄り、毛づくろいを始めて奉仕するのはメス猿の務めなのです。夜這いに来る郎(いいひと)を待つために、心も体も準備して、そこにやって来ておいて、「誤解するな」はなんというひどい言葉でしょう。もはやこれまでと、覚悟を決めている処女に言える台詞ではありません。
 初めは背中からつくろっていますが、心地よくなったボケ猿が自然にごろりとなると、次はあけっぴろげの胸倉の方に回ります。
 野の猿も、進化の果てに、人間の言葉が話せるようになれば、痴れた戯けを曰すであろうか。
「ボケ猿の股座には如意坊が隠れている」
 毛づくろいされているボケ猿に、無防備にそのような変化が現われているとは、見たことも聞いたこともありませんが、人間はここちよい疲れに身を任せると、油断して変化が表われてくるものです。如意坊の何であるかは、もとより意の如く自在になるもの、あるいは時と場合には意の如くならない仕掛け坊のこと、これは猿でも知っている。
 なんのために尾行され、陽狂を装っているのか、真実頭がおかしくなっているのか、それを見定めたいのはわかっている。もしかしたら皇嗣となれるかもしれないと本気になって考えたこともある、それを取り除こうと謀っている勢力があるのも、承知している。
 やや、その抗争に倦んでいた。
 今日が見納めか明日が見納めになるかと、天神地祇に祈って過ごす、日々であった。いったん姿を消した月が雲間からあぶり出されて、足元を照らし、前方に明かりの灯った家があった。
「ちえっ」と再び、舌打ちした。今度はおのれの、無分別さかげんに呆れてのものです。相手の家の地位も名前も尋ねず、妻問いする者があろうか。この後に、どんな誹謗非難が待ち構えているか、分からぬおのれではない。皇嗣ともあろう者が、一夜のねぐらにも苦労している。
 「ちくしょう」いっそ今宵は一切を忘れて、あのブッダのように眠ってやろうか。のこのこ灯火に誘われて、そこでそのまま焼き焦がれてやろう、それもよい、そう考えて何が悪いか。
貴公の君も、毎日、歌ばかりをうたって、過ごしたわけではない。精通の道もすでに、身の回りをする女官から手ほどきされている。あだな薄闇に、白妙の衣干してふ、おみなの仏の宿る下襦に気づいて、ふらふらとそちらに向かってなんの怪訝がありましょうか。
 古来、鶏鳴のとき、までが融通無碍の時間でした。
 毛づくろいを始めて、どのくらい時間が経ったものか。
「出て行って」にも応じず、
「仕方がない。この方を妾の良人と定めよう」覚悟を決めて、あけっぴろげの胸倉に迫って行くと、朧かすみに浮かぶ貴公の君の、褌の奥に蔵ってあるものが、妙に翳りを濃くしている。
「やはり如意坊だ」
 たちまち察して、さすがに気恥ずかしさで耳たぶを染め、しかして目をそらすこともできずに魅入られていると、貴公の君は半寝のいい気持ち、積もり積もった疲れでうつらうつらの夢見の最中で、その部分がむず痒くなったのか、伸ばした手に触れた娘子の掌を自分の手と勘違いして、むんずと掴み、股座に導いた。
 そこはまだ、褌の上からの確かめであるのに、予期もかけない、固い突っ張りができていた。あらかじめ、雇人たちの猥談の盗み聞きで知識はある。しかし、耳学問に触手の感覚までは焼き付けられない。
 もはやどうすることもできないが、心の片隅で、
「いつまで寝ている告時鳥よ。鳴け、鳴け、早く鳴け」と祈る気持ちもどこかにあった。
 おとめは含羞草、おのこは奔り馬。ついに夢見のつづきで、貴公の君の股座の褌が解かれて露わなものを突き付けられ、思わずのけぞって払ったつもりがそのものを握らされていて、今まで感じたこともない、熱く脈打つものが掌の中にあった。
 これがおのこの珍宝というものか。これが妾の仏をかきわけて侵入してくるのか。ああどうしましょう。どうしたらいいのかしら。このまま、壁に向かってじっと俯いているわけにはいかないし。
 それでも気をとり直して、うす明かりの中、あらためて寝顔を見ると、これがなんと眉目秀麗な貴公子の顔。それがいかにも苦しげな声で、
「ああ、堕ちる、落ちる。なんという、巧妙にして超絶な温もりだ。まるで如来さまに抱かれて、慰撫されているような心地がする」
 そう言って、虚空を掴むようにして腕を差し伸べてくるので、身を寄せると、ひしと抱きついて来て夢遊のままの腰遣い。あとは声を潜め、貴公の君のおわんぬまで、ひたすら時の過ぎゆくのを待つばかりだった。


 かようにしてここに在る、生えそめしうら若いおとめの仏もすり切れようかという、おみなの名は、ホタルノテイシ・蛍庭子と云います。
 ここにいう仏とは、もちろん、ほとけ・陰毛のことです。ほとけのすり切れようかとは、この時代ものちの時代も、一夫を後生大事となしているのですから、ただひとりのおのこのみを相手にしてすり切れたわけではありません。
 初見の貴公の君が、一夜のみで満願逸楽に達したのか、家格の釣り合いが取れませんと出過ぎた阿者から因果を言い渡されたか、はたまたうら若いおとめの陰の狭き門に嫌気がさしたのか、その日以来ぱったり訪ねて来なくなった。
 しかし、初見の君に、あのあと夢幻のうちに落花紅涙にまで導かれて行ったのは、内股を伝う痕跡を認めたので否定しようもなかった。
 そうしてそのとき、事がおわり、どこの誰やら狼藉者に初穂を捧げてしまった、その恐れおののきを打ち消すかのように、夜這いの者にふるまう風習であった、「然善」のしるしの白酒を差し出していた。後日、家人に結婚の許諾を得るために、夜這い者はあらためて再度訪れて来るはずだった。
 ところが前述のように貴公の君には、行状探索の尾行の者がついていた。そういえばどこか、追い詰められている、暗い顔をしていた。
「吾は堕ちたいのだ。皇嗣であるがゆえに命を狙われる。堕ちれば救われる。さあ、吾を貶めよ」
 と分けのわからぬことを喚いていた。
 それでも、いきなり太刀を見せつけ、無理強いに迫るのは、夜這いの風習に反します。それだけなら、野良犬に噛まれたと諦めもした。しかし、それだけではなかった。数日を置かずに別のおのこが尋ねてきて、とんでもない難癖をつきつけてきたのです。
 ふたり目も、さらに高潔な衣裳の大きな男だった。家人はすぐにただならぬ事態を察して、怖れ畏まり、離れ屋に案内して来るとひたすら懇願して去って行った。
 それを見て、初見の君との「堕ちた」行為を咎められて、殺されてしまうのかと思った。
「そなたはとんでもないことをしてくれた。昨夜の出来事は一切、記憶から消してもらわねばならない。不憫であるが、このまま生きていてもらったのでは、後顧に憂いを残す。一日だけ、猶予を与える。家族と別れを惜しむがよい」
 なんという無慈悲な通告でありましょうか。
「妾はどんな悪いことをしたのですか」
「昨夜忍び込んだ者に落ち度がある。それを受け容れた、そなたの開に落ち度がある」
 とても現在では通用しない言いがかりですが、少しは世情に明るい、庶家の者たちであったために、家人は助命嘆願を求めて奔走した。
 間に立った者が力なく首を振って、即座に言い放った。
「こればかりは運が悪かったとあきらめるしかない。昨夜の夜這い者の素性がよくなかった。その者の胤が娘子に落ちたことが、問題とされている」
「たった一度で孕むとは、勘繰りです」
「一度とはかぎるまい。一夜に七廻り召した、剛の大君も過去に居る。とにかくその者の胤が落ちては困るのだ」
 こんな若い身空で死にたくない。どんな落ち度も、こちらにはない。家人は泣く泣く観念したが、娘子はそうなってたまるかと、身構えていた。
 次の日やってきた、高潔な衣裳の大きな男に体当たりでぶつかった。ふたりきりで、離れ屋に籠る理由を見つけると、今度は娘子の方から、君の長紐をゆるめ、抜身の太刀を探り出して、威圧させたのです。
「こうしてあの人は妾に夜這いしてきたのです。あの人の落ち度が妾の落ち度になるってそんなのむちゃくちゃです。こんな太刀を見せつけられたら、だれだって言うことをきかないわけにはいかないじゃありませんか」
 いざりながら腰に縋りつき、夜這いの曲君のときのように、丁寧な毛づくろをしていった。決して逃してはならない、しくじってはならない、それだけが助かる道と信じて。
 高潔な衣裳の大きな男は、愕然として、是非を諭し、もちろん捨身の行為を受け容れるはずもない、だが娘子の必死さだけは伝わった、そして娘子は助かった。
 しかし、それで万事終了となったのではなかった。みたり目からのやはり貴公の君は、逆に「堕ちた」みだらな毛づくろい行為、それを目当てにやって来たのだとわかった。
 蛍庭子は因果の理不尽さに戸惑うばかりで、ついには紅裙をはだけて、逆さに着ることを強く家人に主張した、癇の強い子であったと云います。
 しかしながら、日を追うごとに、そのころにはもう我が娘はおのこ好みの滑らかな、玉の肌と満の開、を具していたのかと、家人はあきれながらも内心ほくそえみを浮かべて、

 生女勿悲酸  娘が生まれても悲しむなかれ
 生男勿喜歓  息子が生まれても喜ぶなかれ

 その俗謡どおりに、
「お前はきっといい福相をしているんだよ」と、これが定めであるかの口吻。
 もとより、命を助けられたからには、それなりの覚悟を説き含められ、訪ねてくる貴公の君を断るほどの、家柄であろうはずもない。
 数代前の先祖が苦労して、少しばかりの墾田と交換に、零落した氏姓、ノウ・乃宇の由緒書きを譲り受け、それでもまだ残り数町歩ほどあった田地山畑の土地持ちであったのと、たまたま本人が面貌きらぎらしいおみなに産まれただけのこと。
 断れば、どのような災いがまた振りかかるか、後が恐ろしい。離れ屋に、初顔やら二度目やらの貴公の君がやって来、次の朝去る、それがこの家の景色となり、ついで君たちから白銀絹布の財宝が届くようになった。
 ただ心配なのは、貴公の君たちの誰も彼もが、寸止めの、技量を具えているわけではない。女体への、いたわりを持っているわけではない。いずれ孕んでしまうであろうそのときに、産まれてくる子がどこの貴公の君の胤であるか、確かめようがないこと。
 孕まぬように、孕んだ場合は育たぬように、育ち始めたら流れるようにと、あらゆる手立てを講じても、万一のことは起こる。手立てのつもりで、丹薬を仕入れて服用し、猿のように踊り狂って死ぬ、者もあったときく。
 巷間伝えられているその後の処置、産み落とすやいなや、すぐさまどこへともなく運ばれて、それはたいがいそのまま葦舟に乗せられて川に流されるか、泣き声も聞こえぬ山奥に捨てられて獣に食いちらかされるか、どちらかであった。
 たまたま情愛深く手元に置いても、顔立ちが父親似になる頃には、たいてい当の父親は内紛で失踪しているか、謀略の果に殺されているかで、すでにこの世の人ではなかった。
 このようであったおみな、千数百年以上ものちの世に現れた、泡姫、というものがおそらくこの蛍庭子を表現する最適の言葉であったかも知れません。こうして蛍庭子と、多くの貴公の君・天窮の君・流浪の君、との裸のつきあいが始まったのです。
 このとき、蛍庭子の年齢は、『十四為君婦』、十四であなたにお嫁入り、のとおりの、十あまり四つ。実の名前を、ノウノヲト・乃宇兎、と言いました。
 そして今、ホタルノテイシ・蛍庭子、そう呼ばれて久しい、飛鳥京から近江京、そして再び飛鳥藤原京、にまたがる時代の上から下までのうるわしの君たちに、尽くし尽くさせた、嬲り嬲らせた、奇しきおみなのお噺しです。
 上から下までのうるわしの君と云うからには、ご存じの聞き知った名前の大宮人・貴人武人・沙弥僧侶、らしき者どもが登場いたしますが、あくまで蛍庭子、と呼ばれるおみなの水沫のような綽名であるとご了解ください。
 古来、この社会では、ご贔屓筋の本名は決してもらさぬものと定められております。それをご承知の上で、蛍庭子、お訪ねくださいますよう、よろしく御立てお願い致します。つらつら思うに庶子には夜這いといい、貴子には妻問いという、やることは同じでもその後の行く末には、地と天、ほどの違いが生まれます。
 それゆえ物語と名付けるのもおこがましい、ホタルノ草紙と名づける、所以です。
 尚、この先、干支年には西暦年を付して便宜とし、月日はすべて旧暦です。事歴の多くを『――紀』に与かっていますが、断るまでもなく、これは虚構であり、実在の人物・事件とは一切関係ありません。


   2
 さて、春から夏にかけて飛鳥の地を横切る風を、明日香風、と云います。采女の袖を吹き返す、飛ぶ鳥の舞う山おろしの風のことですが、今日よりは明日の香りを良しとする、庶の民の願望の意味でもあったのでしょう。
 その明日香の薫風が、心地よく頬をなでて通り過ぎて行きます。
 蛍庭子は、この日、月病みとなってひと月ぶりの骨休みをいただいておりました。このときばかりは贔屓筋の君たちがやって来ても、愛想笑いはおろか内に籠って、決して顔を見せるようなことはいたしません。
 とはいえ、最近、お休み日が多くなったような、蛍庭子でもあります。
 聞くところによると、忍姫の中にはせっかくの君からのご訪問、お手揉みのみ、あるいはお口遊みのみでよろしければと、含み笑いを隠して、内に招き入れる者もいるとか噂に聞きますが、蛍庭子はそのような他人さまからうしろ指さされるような、低俗な真似はいたしません。
 こんなときは蔀板戸を開け放し、部屋の襖障子のすみからすみまで叩きをかけて、そこまでに積もりつもった、君たちの残していった滞留臭を掃き出していきます。決して消えぬ、君たちの衣ずれに沁みる音、もちろん主な理由は、月病みの憂さをまぎらわすためでもあります。
 そうしているところに、月病みであることを知らぬ、ヒラキ大王の稚子の君が通りかかって、白い頭巾に紅たすき掛け姿で外廊の円窓の桟に腰を下ろして、やや物憂げに笛を吹いている、蛍庭子を見かけていたく気に入り、断る間もなく、ずかずかと屋敷に入り込んできた。
 大臣以上の貴公の君は、いつなんどきにでも欲しいと言えば、おみなは皆自分に従うものと考えている、妙な専横意識があります。それに反抗して、住まいに火をかけられて蒸し焼きにされた、そんな話がつい先ごろにもあったばかりです。
 このヒラキ大王の稚子の君、のちには近江大王となられるべき尊き御方の弟君ですが、このときはまだ、十あまり三歳の、紅顔の美少年でありました。
 ついでにヒラキ大王とはどんなお方であったかと云えば、若いころは大変な人気を博したものですが――大向こうを意識するあまりのやんちゃが過ぎたと評価する向きもありますが、年経るにつれて猜疑心の強い性格があらわとなり、多くの政敵を誅殺してきたことで知られる、いわばこの時代を代表する毀誉褒貶の激しいお方です。久米舞を観るのに、右翼から見るか左翼から見るかで、演じる者の陰影の濃淡度合いが変化する、評価の大きく分かれるようなものです。
 特に、大皇弟とされるアマシ皇子には敵愾心を燃やし、それというのも性格、体格、ともにふたりに似たところは何もなく、さらにはアマシがある時期行方をくらまして、舞い戻ってきたときには大陸仕込みの洗練された衣装でしゃしゃり出てきたからです。こんな小憎らしい不逞者は、なんとか理由をつけて取り除こうとしていた。
 この時代の謀反の罪科というのも、
「彼奴はうざいな」と睨まれた瞬間に事実となる、性質のものであるのは言うまでもありません。
 ところで、やんごとなき尊方の苛斂誅求の兄弟喧嘩の話はさておき、蛍庭子の屋敷の門前には、どんな誘い文句・どんな職業名、が掲げられているわけでもありません。ただひとふみ、『我門如来』、とあるのみです。
 それで分かる人には解かる、のです。
『我門如来』、なんというぴったりの表札でありましょうか。身に覚えのあるお方にはたまらない、捧げ筒、と思わず声を発して駆け出したくなる、そんなありがたい、経文のようなお言葉です。
 しかし、十あまり三歳の、紅顔の美少年、すぐのちの壬申の大乱で兄君は叔父アマシに討たれて果てましたが、この弟君は近江を離れていて難を逃れ、その後はためらいもなく皇嗣を離れて世捨て人になった、そのような尊き血筋の御方が、『我門如来』、の何であるかを知ってやって来たわけではありません。
 白い頭巾に紅たすき、妙なる笛の音色まで聞こえる、こんな命婦のあで姿は宮殿のどこにも見かけたことがない、それだけでふらふらと心惹かれてしまったのです。
 もちろんそこに至るまでには、巧妙な仕掛けが道々に施されていたのですが、それは後から気づく、つまり、宴の後の一瞬の空虚にも似た、悔悟虫のようなものでしょう。
 ただならぬ立居振る舞いを見せる貴人の到来に、蛍庭子は慌てましたが、そこはすでに幾十幾百ものおのこの股座と対面してきた、やまとおみな、老若いずれの御方であろうとも、あしらいに粗漏はありません。
「あのう、もうし、本日はお休みなのですが」
 この一言に、つき従う徒士の眉が吊り上っているように見えましたが、貴公の稚子の君はそれを遮り、悠揚にこやかに声を発した。
「休みとは無慈悲に吹くや明日香風。はるばる近江からやって来たというに、吾には茶も出してくれぬのか。この屋敷の主人は名をなんという」
「これは失礼いたしました。ホタルノテイシ・蛍庭子、と申します。かくいう、妾の名前です。実は、賄いのはした女がおるのですが、只今、あいにく臥せって寝ております」
 はした女のせいにして、ここはおとなしく退散してもらおうと考えていた。
 何用であろうとも、お訪ねの君を怒らせて帰すなど、この道にある者としては、してはならぬ下の下の策です。
「――であるか、そうであるか。のどが渇いておるに、茶も飲めぬとは」
 心残りの貴公の稚子の君を、そのときつきの徒士が何かに感づいて、いそいで若い主人を外に出そうとした。
 それを見て、蛍庭子にいたずら心が沸々と湧いてきたのはいうまでもありません。つきの徒士は部屋に干してある、禁色の腰巻きに気づいたにちがいないからです。
「あのう、粗茶だけでよろしいのでしたら、どうぞ妾がご接待いたします。お上がり下さいませ」
 卑賤な所に上がってはなりませぬ、いけませぬ、と言う間もなく、貴公の稚子の君は沓を脱ぎ、廊下をひと跳びにして、部屋の敷居をまたいでいた。このような果断聡明屈託のなさが、弟君をして、ひと月後の災禍から逃れさせることができたのでありましょう。
 通常なら、月病みの日でなければ、そこは客間すなわち閨所、どのように目をつぶろうとも脇には朧かすみの蚊帳の垂れた寝台、やさしくまとわりつく絹の肌触りが、愉しい物語のはじまりを誘っているのでした。
 もとより、庭からは蔀板戸・襖障子に遮られて、盗み見できぬようになっていた。見えぬものほど見たい、階段は高ければ高いほど昇る喜びも増していく、これが人間の常、この世界のこわいところです。
 しかし、このときは先の理由で開け放たれ、それゆえに逆に一目でわかる朧かすみの蚊帳寝台は、衝立の影に隠れていた。ただ、つきの徒士が気づいたように、衣桁かけにかけてあった禁色の腰巻きだけは、よもやの出来事に隠れることもできず、張り付いているのでした。
 それでも、蛍庭子はすべてを悟ったおみなの強みで、素知らぬ顔をして急須にぬるいお湯を入れると、半島からもたらされたという白磁茶碗に注ぎ、両の掌で温めるように包んだのちに、稚子の君に差し出していた。
 そのしぐさがゆったりであればあるほど、訪ずれる君のだれもが嘆じ入る、もしくは細い指の、卑俗な表現で申せば白魚のような、さきほどまで妙なる音色を奏でていた指のうごきを見ているだけで、あらぬ想像をしてしまう、悲しいおのこの性です。
 おつきの従者は気が気でなかった。稚子の君について座敷に上がるわけにもいかず、また屋敷の女主人の意外の威厳で押し戻されもし、仕方なく庭先で侍っていた。つとめて内には耳目を立てないようにして、庭の景色などを眺めていた。
 ヒラキ大王の稚子の君、いずれは近江大王となられるべき尊き御筋の弟君が、のどの渇きを癒すためについふらふらと迷い込んでしまった、そう考えるたびにこの後の展開がそらおそろしい。ヒラキ大王の稚子の君となれば、それにふさわしい命婦を与えられて、すでにおのこの儀式は完了しているであろう。
 よもや未通男にして、前門の淫・後門の爛、の驚異にたじたじとなって、気後れしてはおられまい。なにしろ相手は、『我門如来』、といわれるこの世の華厳である。

 然善 (どうぞ然るべき善きことを)
 登頂 (しからば拝参る)
 放了 (よきおしるしでございました)

 の趣で、いかなおのこもさながら魂を抜かれた木偶の坊の態で、おぼつかぬ足取りで出てくるという話も、耳にしないではない。
 それにしても、と中年の従者の目は屋敷の内外を改めて見回していた。


   3
 不思議な景観に出会えたものかな。
 うばら・茨垣で周囲を張り巡らせているが、決して目隠し・防御の役目を果たしているわけではない。大人の背丈になれば、誰でもが内を覗けるし、容易に侵入することもできる。茨木・空木とこの季節、白や淡紅色に咲き乱れており、現に、我が稚子の君は魅入られたかのように、ここに誘い込まれていた。
 この時節、世情はそれほど安寧のときではない。これだけの屋敷で、守るべき高塀もなければ、衛士の姿も見えない。
 門を入ってすぐの所に、大きな槻の樹が聳えている。それがこの屋敷の四方に睨みをきかせている、というわけであろうか。
 この屋敷は東側に高い山なみを控え、支脈の小高い丘が三方を取り囲んでいて、その存在に気づくにはあらかじめ見知った者から教えられていなければ辿り着けない、風景の中から遮蔽されていた。
 人馬の往来する街道は、丘の向こうのさらに先にあって、そこに飛鳥の田園風景がひろがっていた。点在する庶家の造りは、いまだ掘立小屋に毛の生えたような藁屋である。空間に庭園樹木を配置する、余裕も趣味もあろうはずもない。土けた色彩以外の色合いは皆無に等しい。
 そこに囲垣の内にさらに井川をめぐらして、木橋を渡ると先の庭内に唐竹が幾重にも生え立ち、まばらな隙間から見える、明らかに異界の者が住むにふさわしいと思わせる、基壇の上に丹朱青藍六角二重層の異国風の楼郭が建っている。
 一層には一番外寄りに人ひとりが歩けそうな欄干つきの縁側があり、ついで漆喰壁に円窓を抱えた外壁を各辺に構え、廊下をはさんで蔀板戸、内格子、襖障子とすでに見てきた。部屋は中心の内奥に一つあるのみらしく、それを囲んで廻り廊下がある。廊下の角ごとに戸蔵が見えていることから、六方すべての辺がそうなっているのであろう。
 目算で一番外側の一辺は三丈ほど、廊下の奥の部屋は放射的に収斂していっているから、一辺二丈ほどであろうか。
心柱はどれも太く、丸太の節ぶしを見せてあざやかに紅殻色である。屋根の瓦は青磁のきらめきを空に放っており、頭頂に相輪までついている。景観は堂塔の形にも見えるが、内部に仏像などが安置されているわけでなく、上階は透通しの望楼になっているようだ。
 しかし六角の楼郭とは、いかにもそれらしきおみなの暮らす、棲み家であるには違いない。ここでなら、誰しも欲望を散じて脱するに躊躇しない、そんな隔離のたたずまいになっている。
その他、敷地の一隅に、ひっそりと二棟の平屋が離れて建っている。これは使用人などの住居であろうか。
 元々、稚子の君は、どうしてここに居るのかといえば、前年の十月に帝位を固辞して吉野に去った叔父アマシを尋ねて行こうとしていた。飛鳥の地まで来たところで、急なのどの渇きを覚えて、それらしき憩い所を探していて、ふと脇道の石標につられて進むと丘を越えた先の窪地に異風な建造物が見えたので、つい立ち寄ってしまったのです。
 木々の透き間から見えた最初の印象、天魔の巣窟であるか、を信じて退散するべきであったか。
 弟アマシの隠棲を、兄ヒラキ大王が望んでいたかどうかは、十三歳の稚子の君の計り知るところではない。その年の十二月某日、ヒラキ大王は崩御したまい、稚子の君の長兄トモ皇子が跡を継がれて、只今も、亡き大王の陵墓造りにまい進しているさなかであった。
 ここで稚子の君の名前を明かさば、ヤソ皇子。これは忍姫蛍庭子の、『我門如来』、を尋ねてきた数多の貴公のひとりの君という、意味を兼ねた綽名でもある。前にも言ったようにいかなる場合も実名は明らかとされてはならぬ、のがここでの決まり。
 この夏、ヤソ皇子はひそかに長兄トモ皇子に呼ばれて眼前にまかり出ると、次のようなはかりごとを耳打ちされた。
「お前は今から吉野に向かえ。吉野の叔父上に会って、兄は叔父上を誅殺しようと企んでいます。飛鳥に向かう途中の各検問所には、兄の意向をくんだ者たちによって、叔父上の荷駄を通さないように指令がでています。また亡き父大王の山陵造りの人夫には武器を持たせています。わたしは兄と叔父上との争いを望みません」
 長兄トモ皇子は体躯隆々とした偉丈夫、すでに大王として即位するにふさわしい二十四歳になっていた。それに比べてヤソ皇子はまだ背も伸びきらぬ、頼りなげな少年皇子。
「わざくれとそのようなことを話して、どうなさるおつもりでしょうか」
「叔父上の真意を探りたいのだ。聞くところでは、叔父上は出家して修道に励まむと殊勝に申されて吉野に引き下がったそうだが、それは口先ばかり、近頃では美濃安八磨評あたりでさかんに兵士を徴発して戦に備えているとのことだ。吾らを討つつもりに違いない。その考えは道理を外れていることを知らしめたいのだ」
「吾はどうなりますでしょうか」
 それぐらいのことはヤソ皇子にも思いが至る。すでに半島を経由して伝来していた、あるいは渡来の学僧たちから直接受講している、漢・三国史の暗闘の史実を学んでいた。
「案ずるな。こちらには叔父上の子、お前と仲良しのトマリ皇子がいる。吾らも叔父上と争う気はもとよりない。叔父上もほかの誰でもない、亡き兄王の末子のお前が会いにやって来たとなれば、こころよく迎えてくれよう。そこでお前の言葉で吾の真意を話して説き伏せてくれれば、善き結果が得られよう」
 ヤソとトマリは年齢が近いということもあって、実の兄弟のように仲がよかった。それを万一の場合には人質とする、または人質となれ、かの物言いは、長兄トモ皇子の真意とはなんであろうか。
「それは、父君大王も恐れたという叔父上アマシと対面して、そのときに洩れ出るお前の感慨と一緒と心得よ。叔父上の眼光に射すくめられて、とても争うべきお方ではないと感ずれば、ただ口をすぼめて微笑んでおればよい。叔父上の歓待ぶりが真の心から出ていると感じられるのであれば、ただ黙してじっと目を見つめておればよい。言葉は、叔父上の方から発せられてくるであろう」
「わかりました。きっと兄上の役に立ちましょう。だれか、吉野までの道案内をつけてくださいますか」
「すでに、あべのしたごう・阿倍順を用意してある。大勢で行くわけにはいかぬ。従者はその阿倍順ひとりである。道中は皇子である必要はない。冠などは阿倍順に携えさせて、衣装も縁や褶は目立つゆえ、浅黄の袍と下袴のみを着てゆけ。ふたりで親子の旅人のようにして、髪も庶子の丸髷とせよ」
 末弟の行く末などにはかまっておれぬ、今は役目大事と心得よ、まるでそう言わぬばかりの口吻であった。
 そうしてヤソ皇子が近江の宮を後にしたのは、夏五月の辛卯の朔にして壬寅の日(十二日)、のことであった。莫逆の幼友トマリ皇子には黙って館を出るしかなかった。
 この後のひと月半ばかりのちに、ついに近江方と吉野方とのあいだに決戦の火ぶたが切られることになるが、このときはまだ両軍、平穏であった。
「馬を使え。しかし、ウヂを越えてナラ山の先からは用心してかかれ。古京の留守司高坂王にも気を許すな。できれば古京は素通りして行け。稲淵を過ぎればまもなく吉野の地である。万一見とがめられたら、堂々と、吾は亡き近江大王の一皇子である、と音声せよ」
 実を申せば、このときが、兄弟皇子が声を交わした最後となった。
 兄の指図どおりに、ヤソ皇子は上つ道よりさらに山すその間道を進んだために、馬は疲れて斃れ、代わりの馬を用意することもできずに仕方なく徒歩で進んだために、思いのほかのどがカラカラとなってしまったのです。そこに先に述べた、道標にあった「有水喉潤」の石碑文字に誘われて、間道をさらに逸れて行った先に、この屋敷を発見したわけです。
 谷間の平地にぽつりと、一軒ある、異風な構えの楼閣。木々の隙間から見た、最初の印象からして、いかにも不穏なたたずまいであった。
 そこに妙なる笛の音が聞こえてきたのです。
 下に降りて、たぶんそこからが敷地の境目にあたるのであろう、径の傍に、何かを象った、面らしきものを彫った石の造物が置いてあった。入り口を探して廻ると、似たようなものがまた見つかった。どうやら四方の魔除けか、あるいは此処の場合は、招来の道祖神であるか。
 入り口の門に、『我門如来』、とあったのはすでに述べたとおりです。また、門を入ってすぐの所に、大きな槻の木の青葉が繁っていた。
 供の阿倍順が異を感じ取って、「引き返しましょう」と袖を引っ張ろうとしたときには、ヤソ皇子が白い頭巾に紅たすき姿のおみなを見つけて、「人がいる。それも婦女だ。その婦女が笛を吹いているのだ」とさっさと入って行ったのです。
 皇子のお供としてつき随っている以上、離れるわけにはいかない。阿倍順は武芸も立つが、少しは古今伝承の知識があった。
 突然の入来に、ぼうと突っ立っているおみなを見れば、別に尾にしっぽが出ているわけでもなければ、額に角が生えているわけでもなさそうだ。ややにこやかすぎる笑みに油断はならないが、それも人里離れた場所で笛を吹く、嫋嫋とした妓女の艶姿に少々面喰っているがゆえであろう。
 よもや、このあと龍女に化けるものでもあるまい。
 お茶だけのつもりであったが、部屋に掛けてある、禁色の腰巻を見つけてしまったからには、話は別です。


   4
 この屋敷には、はした女だけでなく、下働きの者、いわゆる下男というものが居た。なんと言っても女だけでは人手の足らないことがあるものです。
 たちまち、庭園垣根の管理、茨木の刺に女は泣きわめくものですが、男の手は厚かましく平気です。住まいの修繕、女は高い屋根などにはとても登れませんが、男は誰しもお上りさんです。客寄せの石文、これこそ同性の男でなければ心を穿つことはできぬ、艶文に秀でているのは男です。
 また、男と女の違いの、腕力・武力などもここでは不要のものです。
『我門如来』、の何であるかを顧みずして、世間知らずの振る舞いをしようものなら、ただ皆から笑われるだけです。万一、ここで刃傷沙汰にでもなろうものなら、係累末代にまで恥をかくことになりましょう。
 元々、銭で自由を奪えるおみなに、どのような不作法があるからといって怒りましょうか。
 おみなのあしらいが気に入らなければそれはおのれの不徳ゆえ、おみなが鳴かぬのはおのれの努力が足らぬゆえ、ウグイスの谷渡りもヒヨドリの峠越えも雄鳥の呼声ひとつ、その度量なくして、忍姫遊びとは云えません。
 蛍庭子は忍姫となる前に、正確にいえば最初に夜這いされる前に、心ひそかに想う、おのこがありました。その名前を、イワレノヒヲシ・磐余日押と言います。
「いいですね。必ず、やって来て下さいね。そなたが最初の郎であったことを知れば、父母たちは忿るかもしれませんが、もう後の祭り、父母たちも文句は言えないのです。それが夜這いの決まり、妾はあなたの妻になりたいのですよ」
 闇夜にぼうと浮かんでいる、物干し竿に取り込み忘れた白妙の下襦は、
「今夜は妾の体調の良い日です。必ず忍んで来て契って下さいね」の合図だった。
 磐余日押は屋敷の息女にそう念を押されながら、下郎な身分であったために逡巡してしまい、勇気を奮って引き戸を開けようとしたときには、人の気配が先着していて、息遣いは鎮まっているようでもあり嬌に堪えているようでもあって、郎として、どうしても艶やな濡れ場に押し込むことはできなかった。
 あとから分かったことだが、この御仁と磐余日押は同じ、庚子(640)の年の産まれ、でした。
 その曲者が帰って行ったその次の日、また別のさらに尊い衣裳の貴人がやって来て、根掘り葉掘り家人に尋ねる詮議があり、なにがどう決まったのか、ノウノヲト・乃宇兎にはもう近寄ることができなくなった。
 そうして、日押の良き妻となるべき幼馴染みのお兎は、イワレノイラツメ・磐余郎女と呼ばれるようになり、どんな理由でか、ほどなくして貴人相手の忍姫になってしまった。
 いちど忍姫となったおみなは、もう下人ふぜいの手の届かぬ天女人、です。わずか十年たらずで、現在の場所に重層の高楼を建てるまでになった、蛍庭子を、どうして想いつづけることができましょうか。
 貴公の君でも、大臣の君でも、長者の君でもない、磐余日押が、忍姫蛍庭子と枕をひとつに添い寝するためには、百銀の櫃を積んでも叶うか否かでありましょう。
 それでも磐余日押は、今、屋敷の庭男として働いています。事情を知らぬ家刀自が、いえ実は知っていたのかもしれません、娘の門出の落成を祝って、そちらに身分を移したのです。互いに昔のことは忘れました。
 ときどき、蛍庭子は植木の手入れを終えて鋏を研いでいる磐余日押を掴まえては、こんな声をかけたものです。
「月に一銖のお給金では、一生かかっても銭は貯まりますまい。妾の容色もおとろえ、そなたの身体も老いるでしょう。なんのためにここに居るのですか」
 磐余日押は即答したものです。
「お前さまは赤猪子の話を聞いたことはないのですか。たとえ共に叶わぬ体になろうとも、心は通じています。ここに居れば、お前さまの生き死に立ち会える。他所に行けば、もっと稼ぐことはできるかもしれぬが、そこで得る対価はしれたもの、わしは夢想の中で無尽の宝物を得ている。貴公の君にも劣らぬ、優雅な風情の中に住まわっている」
 失われた男の、やや皮相な物言いであろうが、実際、その気がまったくなかったものでもない。
 それに対して、
「その鋏で妾を刺して、そなたも死ぬ、ということを考えたことがありますか」
 このときばかりは忍姫蛍庭子の目に、かすむものがあったと云います。そのときにはふたりはもう、皺だらけの老翁媼になっているであろう、ことが分かっているからです。
 磐余日押は顔を上げずに、答えました。
「毎日考え、毎日頭を振っている。そうして生きることが、今では楽しみのひとつでもある。うざったく目障りになったら、いつでもここを離れます。遠慮なく言ってくだされ」
「ここに居てください。そなたを目障りに思うなどとんでもない。あなたが居てくださるから、妾はホタルノテイシ・蛍庭子として、生きていくことができるのです」
 やや噴飯ものの、でき過ぎたお噺しに思えるかもしれませんが、ふたりの関係は少しもゆるぐことなく、共に死を迎えるまで、つづくのです。
 多くの貴公の君・天窮の君・流浪の君、がこの館にやって来て、部屋から見える手入れの行き届いた竹林や庭の花木を、蛍庭子の長くしたたる黒髪を賞賛するがごとくに語っていくのは、磐余日押の極上の喜びでもありました。
 そして、内の襖障子が閉められる頃合いになると、いつのまにか磐余日押の姿は屋敷内から消えてしまうのでした。
 磐余日押は近くの木陰で、この日、作業中に指に刺さった棘を抜いているのです。あるいは剪定した大枝を手に取って、黙然と小枝を切り離して、丸裸にしているのです。これが当時の、主従という垣根を越えることのできぬ、寄せ愛というものの真の姿でございましょう。
 ところでこの日はいつまでたっても、内の襖障子は閉められませんでした。蛍庭子の顔もこころなしか穏やかに見えます。本日はまだ背も伸びきっていない、稚子の君のお茶のみ相手です。
 話すことは邪気のない、風に柳でしょう。
 ヤソ皇子はしかし、さすがにヒラキ大王の御子です。のども潤ってくると、妙齢の婦女と差向ってまったく動じていません。
「どうしてあなたはこんな寂しい所に住んでいるのか。あなたほどの人なら、王宮の近くに居を構えることができるでしょうに」
 ちゃんと婦女を喜ばせる術を知っている。間違っても禁色の腰巻に触れるような話には持っていかないが、心の中では婦女の顔とそれとを見比べているふうでもある。
「ほほ。王宮の近くでは立ちいかぬのでございます。ここは殿方の、のどの渇きをいやすところですゆえ」
「道理でおいしい茶だ。もういっぱい所望しても構いませんか」
「よろしいですとも。たんとお召し上がり下さいませ。あなたさまの身のこなしを見ていると、さぞ名のある稚子の君でありましょうと、嬉しくなります。近頃はがさつなお方が多うございまして、なにやら、世の中が騒がしくなって来ているせいでもありましょうか」
 話しながら、蛍庭子は今度もお椀のまわりを掌でなでて、すっと差し出した。
「あのう。つかぬことを言いますが、笑われませんか」
「いいえ。大切なお客さまをもてなす場でそんな失礼なことは致しません」
「そうですか。ではあなたのお手を取らせてください。ここにやって来た記念に、あなたのような麗しい女性の膚のぬくもりを感じて、胸にしまっておきたいのです」
 このまま大きくなったら、どんなに素敵な天君になられることかと、蛍庭子の気は逸りましたが、そこはやはり慎みを第一とする当代一の忍姫です。それでも、掴まれた手にやや湿り気を感じて、この日が月病みの日でなければ、稚子の君に、掌のぬくもりではなくて麗しい女体のまとわりを味あわせてあげましょうほどにと、思う、蛍庭子でもありました。
 それですから、つい口に出てしまったのです。
「ありがたくお気持ちいただいておきます。記念と申されず、ぜひまたやって来てくださいませ」
 誰にでも言う、別れ際の挨拶であるが、このときには真実のぬれた気持ちも少しはあった。
ここに至ってヤソ皇子も、ここにやって来る多くの君たちと同じく、「来ます。必ずまた来ます」と握った手に力をこめて言い放つのであった。
 ちなみに、この屋敷の門を入ってすぐのところに、大きな槻の木があった。いったいに大槻は誰の家にでも植えられるものではなかった。宮殿の前の庭に植えられて、そこで大王の詔が発せられ、親王・大臣・重臣たちが盟約する、といわれている神霊の宿る樹木なのです。
 そのようなものがなぜ、この屋敷には植えられているのか。誰も咎める者はいなかったのか。お供の阿倍順が見かけてさほど気に留めなかったのは、大槻の存在以上に、丹朱青藍六角二重層の異国風の楼郭に臆する気持ちがあったからに違いない。
 忍姫蛍庭子は、裏を返してくれる――常連になって通って来るお客には、門の近くまで出向いて、ちょうど大槻の繁るあたりまで出迎えに来て、庭園を案内して歩いていた。
むろん、訪ねてくる君たちの奥方さまは決してしないであろう、手を差しのべて、言わず語りに指の力の入れ具合によって、このあとの愉楽の多寡を想わしめつつ、歩いたのです。
 訪問客が大槻の植樹の意味を問うまでもなく、誰もがそんなことはしたくなかった。触らぬ神に崇りなし、深読みすると毒がまわると申します。忍姫蛍庭子に厭われるぐらいなら、槻が桐であろうと橘になろうと藤であろうと、一切構わなかったのです。
「そんなことをおっしゃるのなら、どうぞ、ここまででございます。この先は、奥方さまにでも、はした女にでも、していただきなさいませ」
 蛍庭子なら、きっとそう言いかねない。
 いずれにせよ、この館の女主は、はじめ大槻庭子と呼ばれていた。それはこの大槻が門前に聳え立っていたゆえです。より目立つ、六角二重層の楼郭にちなんだ綽名にならなかったのは、その建物の形状に何やら秘された意味がありそうなことなどに、誰も関わりたくなかったからです。
 それがいつの間にか、蛍庭子と呼ばれるようになった。
 蛍の字冠に変わったのは、決してその幽美に飛ぶ様から、想起されたものではありません。そのものの性質、形状――尾腹部を光らせ、妙なる匂いで、夢幻境に連れ去る――ゆえに、だれかが言い出したものでしょう。
 テイシ・庭子とは、そのような女子につけられた、尊称、あるいは蔑称です。


   5
 この屋敷の庭園管理はすべて、磐余日押に委ねられていた。
 磐余日押はヒラキ大王がまだカツラキ皇子と呼ばれ、中臣鎌足と謀って蘇我大臣入鹿を斃して元号を大化と改めた初年(645)に五歳であったから、このとき三十二歳になっていた。
 五歳のときの記憶ではあるが、甘樫の丘が火煙に包まれた、乙巳の変、のことはよく覚えている。なぜなら、磐余日押は蘇我蝦夷の屋敷で、この大火に遭遇したからです。
 この乙巳の変ほど、当時の人々を驚かした出来事はなかった。
 あらましは多くの人々が聞き知っているとおりです。六月の丁酉の朔にして戊申(十二日)に、高句麗・百済・新羅三国の使者が、服属の証である朝貢に訪れていた進調の儀式の席で、宮廷最大の実力者蘇我大臣太郎鞍作(入鹿)を、カツラキ皇子(のちのヒラキ大王)と中臣鎌子(鎌足)が計って、斬殺した事件です。
 あとからいろんなことが言われたが、どこまで真実かわからない。
 のちの世の『――紀』によれば、入鹿は「臣罪を知らず。乞ふ垂審察へ――わたしは無実です。ご賢察をお願いします」と訴え、カツラキ皇子は「鞍作、天宗を尽に滅ぼして、日位を傾けむとす――蘇我太郎は天孫を亡ぼして、天位につこうとしています」と、言った。これらが世間に周知となる頃には潤色尾ひれがついているから、人が耳にした真実はすべて当時の大本営(すでに死語です)の発表です。
 この日、おりからの雨で、大臣入鹿の死体には蓆・障子が被せられた。
 進調の儀式のときに居た、フルヒト皇子はなぜだか自宅に逃げ帰ると、「漢人が鞍作を殺した」と家人に告げて、固く閉じこもってしまった。
 カツラキ皇子たちは法興寺(飛鳥寺)に入り、甘樫の丘の入鹿の父蝦夷に睨みをきかせた。蝦夷の父馬子が建てた法興寺は要塞であり、蝦夷が擁立していた、フルヒト皇子の大市居館と甘樫の丘の蘇我本家とを遮断する、立地でもあった。
 飛鳥川をはさんで、しばらく睨み合いがつづいた。
 丘を背にした側面からは入鹿暗殺の報を聞いて、ぞくぞくと蝦夷の元に武者たちが集まってきていた。
 権勢をほこった蘇我宗本家は、甘樫の丘全体を要塞兼宮殿となして、庭園・苑池など美事な景勝も多く造られていた。磐余日押の父は、館に結集した東漢の一族に連なる、常在の庭者であったらしい。
 何か重大事が発生したのは、木々の茂みの向こう側、対岸の飛鳥寺や板葺宮殿あたりで大きな悲鳴・怒号があがっていたので知っていた。そこに、大勢の騎馬武者たちが登って来て、あたりは騒然としていた。
 主だった者たちはおそらく夜を徹して衆議を決しかねている最中であったろう。そこにカツラキ皇子の命をうけた巨瀬徳太がやって来て説得が始まり、高向国押が立て籠もる不利を説いて帰順すると、次々と武者たちは弓・太刀を解いて丘を降りていった。その多くは、奉じるべきフルヒト皇子の不在、を嘆いたのだった。
翌、己酉(十三日)に蝦夷は大王記・国記などを焼き、館に火を放って、自決した。
 フルヒト皇子も三か月後に謀叛の疑いをかけられ、吉野で殺された。
 磐余日押の父たち庭者は、戦乱にはまったく無関係であったが、あっさりと雇い主である宗本家が亡くなったので途方に暮れて、さらに最後まで様子を見ていたために、家族ともども火煙に巻き込まれてしまった。
「構うことはねえから、早えとこ降りようぜ。このままでは蓑虫の蒸し焼きになっちまう」
 庭者はどちらかというと、気性が荒い。穏やかな性質では、木の枝先や樹の骨格の頂きを矯めるのに、躊躇してしまうからです。ずんと裁断してやらないと、自然は放題となって、すぐに人智の及ばない仕儀となる。
 石を割るのも決めたら迷わず、鏨を叩きこむ。たいてい狙い通りの形に、姿を現してくれるのは不思議です。
 磐余日押の父たちは、先頭になって降りる途中に、庭者の命の綱である、鋤・大鎌・鋸などの大道具を抱えていたために、掃討の敵方から不埒な武装団と見られて、斬られた。
 蝦夷の館で働いたことがただ同然になってしまって、腹を立てているところに、不逞の輩と引き止められて、一言半句、攻撃的になっていた。
「見ればわかる。わしらは庭者だ。通せ」
「素性がわかるまでは、通さぬ」
 武者に刃向って勝てるものではないのに、普段から自然と対峙している、自然に比べて小さな人間には、心酔しない習慣がそうさせた。
 興奮している武者たちをいっそう煽ることになって、ついには乱闘となって、男たちは斬られた。
 それにすがりついて、
「こんちくしょう。なんてことをするんだ」
 悪態をついて鋤をふるう女どもに、今度は別の猛々しさを、見せてきた。
 磐余日押は谷に蹴落とされ、まだ若かったはずの母親は、容赦なく殴られて、何処へともなく連れ去られた。
 磐余日押はそのときの生き残りです。
 五歳で燃えさかる火煙から逃げまどった、山猪のような武者たちの怒号が飛び交う中で父と母の命を見失った子供は、たいてい心に深い傷を負っている。その後に拾われて大切に育てられもしたが、感謝の念よりは引き離された怨みの方が根強く残っていた。養育は当然成長してからの使役のためであった。
 ヒヲシ・日押という名前はそのときつけられた。
 引き取られて、しばらくはまったく言葉をしゃべらなかった。名前を尋ねられても、どんな名であったか、思い出せなかった。
「強情な子だ。名がないでは、なんと呼んでいいか、困るではありませぬか」
 そうして、ヒヲシ・日押と呼ばれてきた。をし・唖者だけでは、さすがに不憫と感じたのだろう。
 育てられた屋敷の息女が十四歳で貴公の君に破瓜され、その後まもなく忍姫となり、やがてこの異風館を構えたのは三年前です。
 造成に取りかかるや、元の家に庭者として使役されていた磐余日押は、呼ばれて、設計から施工まで任された。
 物心ついた時から庭の片隅に住まわっていた、およそ顔を上げたことのない、しかしたまには道化て構ってくれることもあった、途中から幼女の好奇心で不良少年に近づいた、そしていつしかおのこの匂いを感じてしまっていた、屋敷の息女、ノウノヲト・乃宇兎、蛍庭子の意向であったのはいうまでもない。
 磐余日押は最初固辞したが、すぐに受け入れた。
 寡黙ではあったが実直な人柄であった、探究心が旺盛で人の話をよく聴いた、磐余日押には、父の代からの交流のある者たちが少なからず周囲に居た。
 長じて、そういった者たちの中から、乙巳の変、のときの、父と母の最期を語られることもあったが、五歳の子供の目にした情景と何ら異なるものではなかった。
 谷底から這い上がって、転がっている男たちの中に、虫の息の父親の姿を見つけた。
「殺られた。お坊は、乱暴者になるな。お母は探すな。いずれ死んでいる」
 そこに至るまでに、いっとき磐余日押はどこか他所に、屋敷に出入りの東漢の者から話に聞く、遠くの大陸にでも渡ろうかと考えたことがあった。とりたてて良い思い出のある土地でもない。そこに忍姫となった屋敷の息女、乃宇兎を近くで見るのは、やはり心辛いことであったのです。
 そんなときに、大陸の方に六角堂という建物があるという話を聞いて、すぐに飛びついていた。西域のフトと呼ばれる者たちが、広めているという教え、そのような決して磐余日押は信仰心のある男ではなかったが、その形状の珍奇さもあいまって、興味をもって心にとめていた。
 庭園の造成に最初から取り掛かれるのは、庭者としてこの上ない名誉でもあった。名称も庭者から庭師と一人前になる。
 どこからか異国の絵図を手に入れると、大工を呼び寄せ、それに似せた丹朱青藍六角二重層の楼郭を建てさせた。その周囲に唐竹を植え、庭を造り、小川を配し、仕上げに大槻の木のそばに屋敷の門を作った。
 大槻は元々、敷地を選んだ時に、そこに生えていたものです。
 完成する前に、幾度か訪れて検分していた館の女主蛍庭子は、そこに見たこともない楼閣が出来上がっていくのに、不思議な興奮を覚え、それは隠れていたわが意を得た思いでもあり、それを言い当てた施工者の磐余日押をあらためて見つめ直していた。
「ヒヲシさま」
 館の女主蛍庭子は、そのときどきの心理状態に合わせて、呼び名に「さま」をつけていた。
「あれは何か意味があるのですか。六辺の建物など見たこともないし、聞いたこともありませぬ」
「そうでしょう。踏み固めた高台の土壇をよく見てください。土を叩く心地よい槌音が何日も聞こえました。心柱を見てください。あの太っ柱を磨くためにひと月を要しました。鉋もさぞ板の削りがいがあったことでしょう。みんなお前さまのためです。こんなものを建てたら胸がすく、閊えが取れる、そう考えたのです。お前さまが住むにふさわしい館であるような気がして、思い立ったのです」
「妾にふさわしいとはどういう意味ですか」
「お前さまはここでは一番の輝きでなければなりません。お前さまの前では、貴人も武人も富者も皆、借りてきた猫のようにおとなしくなる。皆、平伏する。そうなる、そうなれかし、という意味です」
 蛍庭子は何か言おうとして、結局、そのままやり過ごしていた。磐余日押の言には裏がある、真意を見つけようとしたが、建物の形状に目を奪われていてかき消されていた。
 何不自由ない屋敷の息女ゆえに、かえって庭隅の特異な匂いに引き寄せられた。長じてその黒い影は下人だとわかったゆえに、かえって理不尽さも感じた。
 庭隅の黒い影には、父母を殺された、恨みを抱えていた。屋敷の息女には、忍姫になってしまったという、ほの燃ゆる、悔悟の緊張があった。
 どちらも今では、時に飼い馴らされて、それほど悼んではいないが、まったく失ったというわけでもない。その幼馴染みに任せた以上、そこにどんな企みがあろうとも、それは受け止めるしかないと考えたのです。
 そして実際、磐余日押には企みがあった。
 それはおそらく本人にも分かっていない、血すじの為せる、忿りのようなもの、であった。
 庭者であった父親は、その仕事に、肯定も否定も意見を吐かなかったが、
 ――わしが祖先は、あのワカタケル大王に一杯食らわしてやるほどの傑物であったそうだ。名前をダルさまとおっしゃられて、なんでも持斎として遣使船に乗り込み、大陸の皇帝の御前で、
『君看双眼色、不語以無愁』―君看ヨ双眼ノ色、語ラザレバ以ッテ愁無キ
 大君よ、しっかと眼を開けてご覧じろよ。吾々、黙しているからといって、愁いがないわけではないぞ、
 という意味であろう。たいしたものではないか。わしが五世の先祖は、大陸の皇帝に具申しているのだ。いや、これは立派な脅し文句になっている。とてもに、無事に帰って来ることは許されなかったであろう」
 そう言いながら、五世の孫である本人は、この国に生を享けているのですが。
 真偽のほどは雲をつかむような話だが、貴族・武人・富者・貧者を問わず、確かめようもない五世の孫から遡る、系譜づくりが盛んである、今日この頃であるから、尊系とはいわずに持斎であったと高らかに言いきるのは、あるいは何か謂われでも残っていたのだろう。恃むべき誇りではないが、いつも何かに反発しようとする、発条の生まれる素地にはなった。
 たちまち、門に、『我門如来』、の表札を掲げたのも、磐余日押の発案です。如来という言葉がすでに伝播して来ていた。東漢の進んだ者たちは面白がって、別の意味で、隠語に使っているのも知っていた。
「決して、お前さまを揶揄したのではありませぬ。お前さまを如来として敬う、そんな気持ちでなければお前さまには触れてくれるな、そういう願いです」
 磐余日押の場合、正しい意味の、つもりであった。
 以来、ふたりの心の睨み合いはつづいているが、それは決して刃を突き付けあう、嫌な敵対感情ではなかった。むしろ、ふたりの間の、かく在れり、という絶対感情は安定を保っていた。
 しかし、顧客の君が帰って行った後にふと空を見上げて、そこに有明の月が浮かんでいるのを見つけたときなどには、わけもなく胸騒ぎを覚えたりするのであった。
 この屋敷のどこかで寒々とした夜を過ごしているのであろう、心の片隅に残っている、いわば初恋の人が思い出されたりすると、もうとめどなく不安になるのであった。男は昼間の疲れでぐうぐうと鼾をかいているであろうに、おみなの気持ちはこんなときにこそ、噴き出るのだった。
「さっきのは演技ですよ。演技で声をあげてしまったのですよ。決して真実に感応しているのだとは思わないで下さいね。ああしないと、お客さまが喜ばないから、おおげさに感じ入って見せているだけです。わかって下さいますね。わかって下さいね」
 そしてどうにも気持ちに整理がつかなくなると、外に出て、決して磐余日押の姿を探し求めるというのではなくて、
「死ぬときはあなたと一緒です。死ぬのはあなたとのみ、です」
とつい口走ってしまうのだった。
 いみじくも、「だれもが皆、平伏する」のとは真逆の、おみなの、情念の発露であった。
 ちなみに、奈良の法隆寺に、八角堂夢殿が築かれたのはこれよりまだ半世紀ものちのことです。夢殿は、天平十一年(739)、行信僧都が聖徳太子の遺徳をしのんで、建立したと言われている。
 大きな違いは、『我門如来』の六角二重層の楼郭は、決して磐余日押・乃宇兎、ふたりの信仰心で建てられたものではなかった、ということです。

ホタルノ草紙 ©kaiquu

執筆の狙い

古代の歴史にも、表には現れない、いろんな人々の営みがあった。壬申の大乱前後の時代に生きた、女と男、忍姫と庭男、を描こうとしている。

kaiquu

118.240.95.123

感想と意見

ペンニードル

Kaiquu様はじめまして。

読ませていただきました。面白かったです^ ^
切ないお話ですが、当時の世情を鑑みるにこれでも恵まれている方なのでしょうね。

それこそ、想い人と結ばれるはずの夜にレイプされ、挙句殺されて終わる可能性の方が高いのでしょうから。

西洋が描く身分差の恋となるとローマの休日の様な熱い展開と人生のひと時としての描かれかたになるのでしょうが、舞台が日本となると、こうなるのですね^ ^

歴史に記されない、時代と環境と運命に翻弄された二人の最大限の抵抗と贖罪が

死ぬのはあなたとだけ に集約されていると感じました。

2017-11-09 21:17

39.110.185.153

ペンニードル

捕捉です。
構成としては神視点による主要人物とその周囲の半生を綴る”伝記物””戦記物”に該当すると思いますが、一つのシーンで語り部が寄り添う人物がコロコロかわるところは素直に読みにくかったです。

特に序盤のレイプシーンです。男女による鮮烈な場面描写で空気感や触感まで描写している最中に視点が男性に寄ったり女性に寄ったりするとわけわかんなくなって、2度読みました 笑
勝手に”藪の中”方式です。

気になったのはその場面くらいでした^ ^

2017-11-09 21:31

39.110.185.153

kaiquu

ペンニードルさま
早速に読んでいただきありがとうございます。
このような場所での鍛錬、(どのようなご意見感想をぶつけられるかとやはり恐々とするものです)少し緊張しています。
小説の中ではかなり人を食った表現や面白がり過ぎた部分があろうかと思いますが、ご指摘のように、

>時代と環境と運命に翻弄された二人の最大限の抵抗と贖罪が死ぬのはあなたとだけ

になります。
最大限の抵抗は、壬申の乱の勝利者アマシ皇太子(天皇)ご照覧の磐余池の式典に、『我門如来』の面々が二頭立ての奉賛の駕籠馬車に乗って行くことです。
人民の離反を知っているアマシはその場でその行為を咎めることはしませんが、大王陛下にへつらう大伴馬来田によって、それからしばらくのちの月光の夜に
『我門如来』は火をかけられて消失します。
その屋上では、幼馴染の想い人、ヒヲシとお兎が最初で最後の婚合をします。
そしてアマシ天皇崩御後のある日、磐余池にたたずむひとりの若い僧形の姿、ヤソ皇子です。
ヤソ皇子は記憶をたぐって谷間の『我門如来』を探しに行き、草の中に焼け落ちたふたつの朱柱を見つけて、「嗚呼」とうめいた。

そんな物語、いえ、お噺、草紙です。

朝起きて開けてみると、昨日夕方アップしたばかりなのに、数時間後に、ご感想・ご意見をいただき、驚いています。
ありがとうございました。

2017-11-10 06:15

118.240.95.123

kaiquu

ペンニードルさま

訂正です。
先の文章の中の、>奉賛
ワード変換ですっと流したのですが、もちろん作者は細部まで気を回さなければなりません。
意味がまったく違います。
こちらです。
二頭立ての、鳳輦の輿駕籠、です。

2017-11-10 07:15

118.240.95.123

偏差値45

>幟り りは不要かも。

>お噺 これはお話? それとも本当は小噺としたかったのかな。

>不快な千万
しっくりこない。不愉快千万?

>不可思議功徳
ちょっとわからない。造語?

>心胆寒し
しっくりこない。

>鞍馬 
意味不明

地名ではないですよね。馬の種類なのか、馬の名前か

>煌として 
しっくりこない。

>誘蛾灯
この時代に存在したのかな。

>如意坊
如意棒?


ちょっと文章が難解。途中で挫折です。
文章は伝えて初めて意味を為すので、もっと分かりやすく書かれた方が良いと思います。

2017-11-10 17:45

219.182.80.182

kaiquu

偏差値45さま

>の各ご指摘、ありがとうございます。

ご指摘の個所について、少々のみ、お答えします。

幟りの、りは不要というのは確かです。
誘蛾灯、という言葉が当時になかったというのももしかしたらそうかもしれません。
しかし、鳥獣虫魚が夜、焚火や灯明に集まるのは真実ですから、それを誘蛾灯と表現するのはそれほどおかしなこととは思いません。

>不快な千万 >不可思議功徳 >心胆寒し >鞍馬  >煌として  >如意坊 
については、偏差値45さまの読解力ですから、こちらから何もいうことはありません。

>ちょっと文章が難解。途中で挫折です。
文章は伝えて初めて意味を為すので、もっと分かりやすく書かれた方が良いと思います。
についてはそれぞれの読者の方のそれぞれの感想として聴いておきます。

ありがとうございました。

2017-11-10 21:08

118.240.95.123

御廚年成

拝読しました。

濃厚な文は評価されるべきと思いますが、文体のブレも大きく感じました。
地の文は誰が語っているのでしょう。

特に早い段階で出てきた
>神の宿りたもう、たなびく幟りのことですが
古風な文と現代文が並列されているのは違和感を持ちました。
同様の個所は数か所あります。

>フリーズ! フーアーユー?
この部分は全般を損なっていると思います。
それまでの文章と大きく違和感を感じると共に、Who are youでは、「どなたですか」のニュアンスを持ちます。
先にfreeze、すなわち「動けばブッ放す」と言っているのなら、Who you(誰だッ)くらいの表現が適切ではないでしょうか。

益無き事を縷々申し上げました。
貴兄(で、宜しいですか)の御健筆を祈念申し上げます。

2017-11-11 03:37

14.11.161.224

kaiquu

御厨年成さま
ご指摘されている個所はすべてまったくそのとおりです。

>神の宿りたもう、たなびく幟りのことですが

>神の宿りたもう、は古代を語るときの人たちの言葉をあえて誇張して借り、>たなびく幟りのことですが、は作者の言葉です。
普通に 神の宿るたなびく幟とした方がいいのですが、
それだと一方を白妙の衣(神)とし、一方を白妙の下襦(女のパンティ)と対比させた、いわばこの小説の全編を貫く(つもり)の作者の主張がうまく伝わらないような気がしたのです。
しかし、ここの部分はもう少し考えてみます。

>フリーズ! フーアーユー?
これは急遽加えた個所なので、それと英語に弱いために、まったくこなれていません。
ご指摘のように訂正します。
この破調は、次の中国語の奇声を出すための、さらに次の李白の詩を持ち出すことに唐突感のないようにしたものですが、成功しているかどうかは作者にはわかりません。

>地の文は誰が語っているのでしょう。
まったく虚をつかれました。意識したことがないのです。意識して書いた覚えがないのです。
あえて言えば、この小説を創作した、創造主である作者がすべての権限を握って、語っている、ことになります。
これが、作者の最大の欠点なのかも知れませんね。
しかし、このスタイルで行くしかない。
今からそれを改めるにはもう残された時間がない。(これはこの小説のことではなく、余命のことです)

kaiquuは72歳です。

御厨年成さま
ありがとうございました。
ごはんに盛ったことを反省していたのですが、あなたのような方に召し上がっていただくことができて、大変感謝しています。

2017-11-11 06:32

118.240.95.123

kaiquu

御厨年成さま
追記です。

早速、こちらの原文の方、

>神の宿りたもう、たなびく幟りのことですが

を 神の宿りたもうと崇められる、たなびく・・、に、前文を他者の言葉とわかるように訂正しました。

英語文の個所も直しました。
古風な文と現代文がスムーズに溶け込むように工夫してみます。
ここに載せた第1章のあと、第2章以降の全文に目を通してもらうわけにはいかないのが残念ですが、地の文の書き手を意識して、推敲していきます。

2017-11-11 07:37

118.240.95.123

kaiquu

偏差値45様
先日は大変不親切な返答をしまして、失礼しました。その再送です。

順に
>不快な千万 普通なら不愉快千万となるところですが、不快という言葉の響きが先に出てしまったのでそうしたまでです。

>不可思議功徳 これは年寄りのお経です。別の表現で言えば、若い女性(にょしょう)と一緒に風呂に入っていたつもりが、化かされて野ツボに嵌っていた生臭坊主の感慨です。

>心胆寒し 前に置いた有名な言葉をそのまま借用したのでは作者の文にならないので、少しひねったまでです。
風・・は秦の始皇帝暗殺に赴いた燕のケイカが易水で詠んだ言葉です。

>鞍馬 裸馬ではない鞍をつけた馬、貴人の乗る馬のつもりでした。馬は夜目がきかないので怖気て連れて歩けなかった。
  
>煌として 古臭いひとつの漢語表現です。
 
>如意坊 棒にしたのではそのまんま、おちんちんになってしまいます。孫悟空の話ではないのですから。

以上です。
感想・ご意見をもらえるのは大変ありがたいことなのに、おろそかにして御免なさいね。
偏差値45様の作品も読ませていただきました。
上の、>各疑問を呈されるようなお方ではないのがわかってひと安心しました。

2017-11-11 16:17

118.240.95.123

November Rain

筆名は・・ 照見五蘊皆空 から??

そんだけ。


中身は・・ ごはんに時代物出す男の人は、おおむね・なぜだかことごとく「エロ描写ぶちこんでくる」んで、食指動かなかった。

表題・・
「ホタルノ」と、時代背景に全然そぐわないカナ表記を「あえて」持ってくる、ってのは、どうも・・
【エロ描写にからめた作者の作為】(本人は「遊び心」だと思っている)がにじんでる感じで、いただけなかった。
普通に『蛍草紙』とか『ほたる草紙』なのだったら、そんな勘ぐりも必要ないのに。。

2017-11-12 06:06

219.100.86.89

November Rain

↑ すんません、、、かなり・だいぶ・相当? 意味不明なコメント書いちゃってー。

それはきっと 夜明け前・睡魔な時間の いかれた脳内妄想 のせいだ。。


ホタル・・をエロく感じる(勘ぐる)んだったら、「横浜市保土ヶ谷区」の方がよっぽどエロい・・とゆー事で、自己解決しました。。

2017-11-12 06:33

219.100.86.89

kaiquu

November Rainさま

朝早くから、ありがとうございます。

筆名のkaiquu 
>照見五蘊皆空  たぶん経典か何かにある言葉なのでしょうが、そのような難しい意味はありません。
小生のふたりの息、快と空、からつけたもので、親が子につける名前にはそれなりの思い入れがあります。

>ごはんに時代物出す男の人は、おおむね・なぜだかことごとく「エロ描写ぶちこんでくる」
のかどうか知りませんが、エロは年取って初めて味が出ることなのだと、いい風にご理解ください。
エロ小説を書いているつもりはないのですが、エロは人為の基本線だと考えているので、エロ描写のない小説はわさびのきかない寿司のようなもの、
もっとも現代は、さび抜きの寿司が好まれるようですが。

>「ホタルノ」と、時代背景に全然そぐわないカナ表記を「あえて」持ってくる、ってのは、どうも・・
このご指摘、よく考えてみます。しかし、表題は変えないと思います。それに向かって作者は書き進めていくものですから。

>【エロ描写にからめた作者の作為】(本人は「遊び心」だと思っている)がにじんでる感じで、いただけなかった。
普通に『蛍草紙』とか『ほたる草紙』なのだったら、そんな勘ぐりも必要ないのに。。

>本人は「遊び心」、だと全然思っていません。「遊び心」だと思えたのなら、作品が不備な故です。
>『ほたる草紙』ならたぶん、書く動機にならなかった。その表題は、たぶん若い人が思い描く世界のような気がします。

いずれにしてもカキコしていただいてありがとうございます。
November Rainさまがどのような方なのだろうかと想像するだけでも、ごはんがおいしくなります。
ごはんのおかずに、なりそうなお方なのか・・

2017-11-12 07:09

118.240.95.123

kaiquu


を返信して開けて見たら、November Rainさまの追記がありました。
かまわないんですよ。何を書いても、それが創作、小説なのですから。
現実に行動すると犯罪になっても、小説に書く限り、身の安泰は保障されます。

2017-11-12 07:16

118.240.95.123

kaiquu

偏差値45様 ほか感想・ご意見をいただいたみなさまへ

反省の弁と感謝
ご指摘の個所が古風な表現が多いことに気づきました。

>煌として、 →ぽつねんとして
>眇々閑々とした夜景色 →音も動きもない夜景色

などに改定して、書き出しの文調を壊さないようにして、第2章以降も推敲していきます。
古風な小説であればあるほど、現代風な文章でなければならない、目からウロコとはこのことです。

2017-11-13 09:21

118.240.95.123

ちくわ

こんにちは、作品何度か読まさせていただきました。

ちくわは歴史ものから離れて長くなりますゆえ、この世界の門外漢でありますので、一般的な感想としてしか書けません。
そこいら辺お含みおきいただけばと思っております。

予防線も張ったことだし、気が付いたことを幾つか書きたいと思います。
さて、ここでも歴史ものは時折見かけるんだけどじゃね、これはまた思い切って古い世界を描きましたね。
ちくわの知る限りごはんでの最古級を扱っておられるんじゃなかろうかね。
舞台が江戸期であればじゃね、なんとのう知れておられることが、この時代になっちゃうとものの考え方ばかりではなく、習俗や風俗に至るまで読者側の認知が薄くなるじゃろうことは明白であります。
それだけに説明が足りないと感じます。
ほとんど異世界ものを扱うくらい慎重であって良いように思いました。
幸いなことに本作は外側から作者が「語る」(このことは後でも述べます)という形態を採ってありますから、現代人の読者に合わせていくつか補強するのは難くないように思います。
このようなことは常識だろう、と思うのではなく物語をする以上はじゃね、安全柵や方向の指示、標識くらいは心を配るべきじゃと思いました。(しかし、すべてを親切に説明しようとすると、物語のバランスを崩しちゃうんじゃよね、この辺難しいとこですけど)


「語る」以上は上記のことは留意しなければなりませんが、「語り手」のにおいも統一せねばなりますまい。
どう持っていくのか計算した上でじゃね、「語り」始めねばならないし、物語の興味を一身に背負う覚悟が必要になると思います。
ここでも幾人かの方が指摘されていますが、作中の語り手はどうも一貫性がないのじゃね。

>現代なら、さしずめ、「フリーズ! フーアーユー?」と尋ねて、逆に自分が凍りつくところを、当時のトレンドは大陸の言葉です、
「你是誰?」と叫んでいた。

>尚、この先、干支年には西暦年を付して便宜とし、月日はすべて旧暦です。事歴の多くを『――紀』に与かっていますが、断るまでもなく、これは虚構であり、実在の人物・事件とは一切関係ありません。

このように明白に物語に登場しておられます。
なのにじゃ、黒子を演じようとしておるのか、肝心なとこには現れません。
そうじゃ、説明や登場人物の立場に関しては実に不親切じゃね。
誤解を恐れずに言えばじゃね、ちくわはこういうスタイルの書き物であるならば、「語り手」はもっと前面に押し出して「講釈師」あるいは「講談師」としての立場を用いるべきだと考えます。
でないと読み物としてのアトラクトが足りなくなります。


次に物語の分かりにくさ、カタルシスもなく、各キャラクターのパフォーマンスが無さすぎ、ってことについて。
処女破瓜およびその零落というのは、どうも古典ポルノの基本らしい。そういうのみんな好きってことじゃな。
なのでじゃね、なんとなく方向性は分かるし、それは悪くはないんじゃけど、各キャラの色合いが掴めないままなので(また時代背景も説明不足であるので)なんか一向になんの感慨も浮かばないんじゃよ。
これはたとえば小説を書くという行為の中でじゃね、とてつもない欠点になるんじゃないかしら。
最終章に至る枕として、その前に配置されている全編が対応してると見ることもできますが、そうとうな割引きをしてさえもバランスが上手くいってるように見えません。磐余日押というキャラが出てくるのが遅すぎだし、それだけに取って付けた感があるんじゃね。
たとえば庭子と磐余日押の日常を描くだけの作品にして、おしまいにくだんの皇子との経緯を匂わせば、淡い恋心を隠したまま職業としての悩乱に恥じる庭子、みたいなじゃな、分かり易く受け入れやすい物語にできるんじゃなかろうか。(そういうのは書きたいものじゃないだろうけどじゃね)


ともかく膨大な蘊蓄と知識だけはしっかりと感じることができました。
あとは単に読ませる技術やセンスなんじゃなかろうかね。
すごい口幅ったいこと書いてるし、無礼極まりないなとは思うのじゃけど、鍛錬場ってことなので勘弁してくださいね。
それではまた。

2017-11-13 11:23

220.221.36.196

kaiquu

ちくわさま

幕の内から観客の反応をうかがいながら、目当ての真打が見かねてやっと顔を出してきてくれた感です。
他のところで、Kおやじさんに上手に逃げられたので、真実がっかりしていたところです。

ここに出して鍛錬してもらうのだからと、少し構えすぎて、いろいろ装飾しすぎていました。
作者の気づかない点が多々あったことを指摘していただいて、やはり場をこなさなければならないものだと感じ入っています。

江戸物はすでに多く描かれて、歴史認証、物的証拠などすぐ見破られるので、容易に誰も踏み込まないだろう『東南海蛮夷」の時代をわざわざ持ってきて書いています。
平安の世から江戸期はいろんな制度の確立した時代、どのように市井の隠れた偉人を見つけて来ようと、町人は町人です。
いろいろな角度から町人(特に遊女を描く作品が多いのは不思議です。あれは本人は下に降りたつもりでも火の粉のかからぬ場所に立っている遊女以外の者の優越感なのでしょうかね)も描かれますが、貴と賤、の貴人と賤民を対比させて正面から描こうとした作品は、歴史家の史書は別として、小生の浅学知識の中にはあまり見かけません。
貴と賤、が見られるのは多くが古代の「日本書紀」「古事記」の時代からです。
それは果たして、我々が知っている、教えられ引き継がれている「日本書紀」「古事記」の世界のままの知識でいいのだろうか、というのがこの小説を書かせた動機です。
もちろん、いくら小説だからと、すべてを勝手な妄想で描いていいわけがありません。
貴と賤、を描くためには戦後の自由主義の現代といえど、相当の覚悟と、節度が不可欠です。
それがうまくできていなければ、ただのコップの中の嵐、ひと息の微風さえ起こすことはできません。
小説作品として認められないのは当然のことです。

それらの作者の意気込みに反して、技量が未だ至っていなかったことを知ることができて、大変有意義なごはんであったと思います。
ちくわさんの懇切な文章のひとつひとつを糧にして、日々、推敲していきますので、ちくわさま諸氏の方々のご指摘ご感想を参考にして、必ずやいい小説が出来上がるとご期待していてくださいませ。

サンキュウです。これでまた、別のところにも顔を出します。

2017-11-13 13:53

118.240.95.123

kaiquu

これを最後にします。

>書き出しの部分と語り手について。

白妙の衣干すてふ、と歌にもうたわれた香具山からさらに東の、・・・のっけに申せば、生えそめしおみなの仏もすり切れようかという、お噺です。
そしてわざくれ、手繰る文の糸を物語と言わずして、お噺、と断るからには、いささか語り手(に推された白髪頭)は不埒です。これが神仏の許す、業となるかならぬか、それこそ三輪の磐座に聞くしか法はありますまい。


>多くの人に指摘された、突然の奇声 英語の言語はまったく不用意でした。削除します。

「な、なんなの。あなたはだれ?」
 人は動顛すると、普段の言葉・母国語を忘れて、奇声を発すると言われます。「あっ!」とか「こらっ!」とか声に出したのでしょうが、文にするなら、当時の流行は大唐の言葉です、「你是誰?」と叫んだはず。
それには答えず、「そなたこそ、こんな夜更けにひとりで何をしている」


>早い段階で登場人物の正体を明らかに 
陽狂(たぶれ)の皇子と言われた、現在もフアンの多い有馬皇子のつもり。当然ながらすべての貴人の実前は出ません。
こんな夜這いがあったなど、どこの史書、創作物にもありませんが、これがないとあとあとの物語が続かないのです。

なんのために尾行され、陽狂を装っているのか、真実頭がおかしくなっているのか、・・
やや、その抗争に倦んでいた。
今日が見納めか明日が見納めになるかと、のちの世に歌に詠まれることとなる、
《磐代の浜松が枝を引き結び……》の心境の、日々であった。 (せめてこれぐらいしか見せることができません)

   3
以下、中年の従者の眼が見た呟き、です。(この一文を加えます)
不思議な景観に出会えたものかな。・・
その他、敷地の一隅に、ひっそりと二棟の平屋が離れて建っている。これは使用人などの住居であろうか。
従者の眼はここで立ち止まり、再び、語り手に推された白髪頭と入れ替わります。(ここにもこの一文を入れて見ます)
元々、稚子の君は、どうしてここに居るのかといえば、前年の十月に帝位を固辞して吉野に去った叔父アマシを尋ねて行こうとしていた。飛鳥の地まで来たところで、急なのどの渇きを覚えて、それらしき憩い所を探していて、ふと脇道の石標につられて進むと丘を越えた先の窪地に異風な建造物が見えたので、つい立ち寄ってしまったのです。

こんなふうに以降も修正してみようかと思います。

ついでにネタバレは、アマシは大海人皇子、天武天皇です。ヒラキ大王は中上大兄、天智天皇です。稚子の君ヤソ皇子は作者の創作人物です。
十分に節度を持って描かなければ、小説といえど、問題です。
当然どこかの新人賞に送っても、相手にもされません。と勝手に落選の予防線を張っておきます。
いい小説に仕上がっていれば、当然ごはんを食べている人は予選ぐらい、全員通ります。と思います。

それではみなさま、良い作品を書きましょう。

2017-11-13 17:37

118.240.95.123

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