作家でごはん!鍛練場

『愛しきアリスへ Ⅰ』

オブローモフの末娘著

初めて小説投稿サイトに投稿します。趣味で小説を書いていましたが、時間ができたのでここで書いてみよう、と思いたち、雑文を書きました。留学の間に小難しい単語や文章構成術をいくらか忘れた節があります。拙い文章でしょうが読んで、おこがましいでしょうが評価とアドバイスをいただければ嬉しいです。この小説には、まだ続きがあり、最後の回想録で終わらせるつもりはありません。しかし、文字数が今回と同じか、それ以上になると考えていますし、プロットも大まかで、まだ未完成ですので来年になると思います。
表現したいものは、特にないのですが......それをいうと失礼かと思うので。個人的には谷崎潤一郎の『刺青』や ナボコフの『青白い炎』、『賜物』に幾分か触発されたものです。大まかなテーマはありませんが、思春期男子特有の悩みや性的欲求を文章化したら?と思い書きました。
気を楽にして、子供の悪戯と思って読んでいただければ幸いです。

嘘を嫌う人間がいる。
真実を求めてやまない人間がいる。
愚かしさに溶け込めない人間もいる。
それらは社会的な欠陥品に他ならない、と通信衛星の破片を抱きしめながら、議長は呟いた。見るからにマゾティズムに溺れた背中は、灰のように朽ちようとしていた。視聴覚室に柔らかな声が響き渡る。セメントのような肩を回しながら、ミルクコーヒーの金の匙をいやらしく舐めた。セオリーの真っ黒な背広は少しばかり大きいように見えた。波の後に残る白いしぶきのようなあつあつナポリタンの染みは、卑猥にさえ思えた。赤黒い小宇宙は、広がり続け、本物の宇宙を創ろうとしていた。犯し犯される関係は強大なエロティズムであろう。
集団には虚偽があり、純粋さは毒である。太古の時代より、それは確立されてきた事柄である。照明はすでに、済んでいるにも関わらず、懲りずに掘りおこそうと躍起になっている。ヘルメットに赤く塗られたスコップを振り回すのが、楽しいか。
その忌々しい毒に犯されつつある女ほど面倒な輩はいない。大抵の男はそのような時に、見て見ぬ振りをするか、ただ聞き流すものであるが、この男だけは違った。出る杭は誰からでも、歩兵式散弾銃を打たれるのだ。ここに、そこまで良い男でもない、彼のことを書くのは無駄に思える。数年来の猛暑の夏である。後に待つ、秋も冬も溶けて、葉桜の陰に消えていった。ベートヴェンは黒鍵片手に死に絶えた。そう、女は書き記した。なんとも、詩的で、無駄なのだろう。口紅は剥がれ、眉の黒い羽は散り、化粧の粉がおちていたなど、気づきもしないのだから。
  A〜S
見ることは罪なのだろうか。ただ、私は目の前の、彼女を眺めているだけなのにね。
よく叩かれることがある。なんでかは分かったもんじゃない。
だから、卒業した後、逃げるかのように、ここへ戻ってきた。すべてが嫌いなこの街に、希望はない。
海にも山にも恵まれた土地は、そうそう多くはない。ここまで書けば、察しの良い諸君なら分かるんじゃないのだろうか。ここは中部の一角、静岡県。そのお零れに与っているのが、伊豆である。雄大な富士を山梨と分け合い、海にも山にも祝福を受け、比較的温暖な気候帯を持つ。そう、地理の教師が言ったときは、いまいちそのことを正しく理解できなかった。山も海もどこにでもある、珍しくない代物だと。そう思っていた。しかし、上京し、都会の膿に呑まれていると、どうしてだか、故郷のことをおもいだしてしまう。土地柄もそうだが、ここの女は地元よりも何か、性的に固い。見もしないアメフト中継を流すくらいなら、ポルノを盛大に流してほしいものだ。だから、避難したのだ。夢だろうが世の中だろうが、そこに境などなかった。嘲笑の声と道化の涙は、もう過去のものだった。あったのは流れゆく惨劇の実情グラフだけだった。固い。やっぱり固い。それはすべてにおいて固いのではなく、緩さと固さのバランスが取れていないのだ。所詮は、田舎者の集まったところである。故郷への漠然とした悲しさは捨てきれない。純粋な都会人はそう多くはない。こんな狭っ苦しいところに三千万人もいる方がおかしいのだから。これだけ数がいるのに良い女はとんと見つからない。娼婦でもなんでもいいわけじゃない。見境がない動物とは違うのだ。選別する権利というものがある。残り物も、廃棄物も御免被る。極上の贅沢をしてこそ、生まれた意味があるというもの。やはり、良い女は盆地からしか生まれないのだろうか。
  T〜A
もともとは、こんな人じゃなかったのです。綺麗で、誠実で、正しく、絶え間ない努力の人でした。確かに、可哀想なところもありました。でも、それを含めて、そういうことだったのです。それがいつの間にか、ああいう風に変わっていったんです。
第一の事件も原因の一つであることに変わるはないんだと思います。それでも第二の事件。いいえ、あれは事件というよりは、何といいましょうか、怪しげな光とかそういう類の霊的なものだったのではないでしょうか。少なくとも私は、そういう風に思いましたし、動物園でライオンを見たときに感じた気持ちと一緒だったんですから。
穏やかな冬休みでした。年末最後の一週間だったと思います。あの人の地元である伊豆へ、義父の三回忌に行くためでした。大きな羽織姿で棺桶に収められていた様子は、思い出すだけで厭になります。どうしても葬列だとか、墓場だとか、死というものが嫌いですし、まだまだ死にたくないんだな、と思ってしまうんです。ホールまでのバスの中で。最初は違かったんです。それもこれも、あのバスに変えてからでした。こんなことを言うのは何ですが、私もそこそこに綺麗だと思うんです。お金をかけて、肌を一般基準まで引き上げているのですから。それでも、そうだとしても、あの人はどうとも言ってはくれないのです。会えば会ったで上の空で、ぶつぶつと何かを呟いていました。それが彼女だと、名も知らぬ彼女だと知ったのは、数十年後のことでした。
   A=X
三鷹の公園には変出者がいるらしい。その噂は風に乗って、遠く離れた伊豆にまで来ていた。
伊豆のコンビニは相変わらず汚く、異国人はゴミ箱に頭を突っ込んでいた。それを横で見ながら、彼は気取った顔つきで経済新聞とパックのコーヒー牛乳をカウンターに置いた。なよついた店員が、弱々しい声色で肉まんを勧めてきたが、やんわりと断った。
どうしようもないくらいに、断るという行為に対して罪悪感があった。それは、幼児の頃から変わることのない唯一の性質であるとともに、救いでもあった。変わっていくことを許容できなかった思春期に、変わらないものを見出せたのだ。これのおかげで、校舎の窓ガラスも破らず、喧嘩もしなかった。小説家の彼にとって、活字中毒はなくてはならないものの一つであるが、それが彼にはなかった。一片たりとも残ってはいなかった。
そもそもの問題として、そのような嗜好を持っていたのかも定かではない。だからだろう。見栄と役者気取りによって買わされた、大手経済新聞の紙面は意味をなしていない。ただの紙くず同然である。幾らかの値段を払ってまで新聞を、天麩羅用油とり紙を買う必要はないのだ。そもそもに活字というものに耐性がない。自分があの下手くそで、虚栄心と自己実現の欲求とがひどく絡み合った、あれを書いていることに我慢がならない。昨今のニュースよろしく、我慢がならない。キーボードに触れる自分の指先も、汚れに汚れた百均のコーヒーカップも、あの黒髪脂肪過多な女性担当編集者も、嫌いだ。深呼吸で勘弁してくれ。
もはや、すべての存在が、目に入るすべてのものが敵だ。
端的にいうならば、彼は、こいつは、まだ思春期の鎖を外せていないのである。近所のハスキーやプードルのように、やっかみがられながらも、同時にある程度、愛されている。そんな不均等な現実に嫌気がさしているのだ。生まれたときに、誰かしらが、押し付けていった亡霊を憎みもせず、恐怖もせず、ただ受け入れていたのだ。それは結局のところ、自分も愛されたい、という美しくも、嘆かわしく、見るに耐えない標語の裏返しなのだ。夢はぶくぶく太り、隣を彼が歩いてくる。のろのろとした速度のまま、誰も引き連れることなく馬鹿歩きで、のそのそ歩いてくる。地面が叫び、夢は足首をがしりと掴み、そのまま黄ばんだ口の中へと、海の底へと包み込んでいく。それですら、見るに耐えない。華族ならまだしも、お前は、歯車なのだ。放浪者でもない、ブルジョワジーでもない。ただの一歯車が死ぬ時くらい。死ぬ手間で、華麗に生きなくてどうする。写真にも、伝記にも、記念碑にも、勲章にも、お前の入る隙間などこれっぽっちもない。もう、貴族であるタイミングを逃したのだ。知らなかったんじゃない。知ろうとしなかった。あの時に、な。欲望に忠実であれ、この私くらいは、それを応援してもいいと思った。牢獄で会おう。その時まで弱音を吐くな、死ぬな。
  A〜A
時間ができた。宗教になんかつぎ込んでいる暇はない。やるものか、よって立つ瀬など必要ないし、波風はめっぽう嫌いだ。改めて自分の生き方を見直して見ると、無駄が多い。今でも、その無駄は取り除かれることのないまま彷徨っている。山梨は青木ヶ原にでも行けば、会えそうだ。しかし、その無駄に自分の人生やら精神世界やらは立脚しているといっても、過言ではない。精神科医ですら、そんなことわかりはしない。私の世界。私の主観、私の客観、私の主なのだから。付箋とマーカーライン付きのバロウズの麻薬書簡が通勤バッグに入ってるのは可笑しいことなのか?
誰もが、その人特有の隠している趣味があるものだ。ジャンヌダルクも家康もチェザーレも。もしかしたら、画面の向こうの、あのアイドルでさえも。それがたまたま、私の場合は許容範囲が広かっただけだ。それをうだうだと批判する奴はろくでもない。どうせ、自分がやられなくてよかった、とでも決め込んでいるに違いない。馬鹿め。いずれ、君たちも墓の前で堂々と孫娘にでも読まれるのだ。えーっ、わたしのおじいちゃんの、と。早いか遅いかの違いを囃し立てるなんて、馬鹿みたいだ。
運命を感じた。私は妻帯者であり、礼儀正しい英国紳士なのだ。シルクハットを被り、何処ぞの鞄をさげ、名前入りビニール傘を三本めの足代わりに使いこなし、安物の時計で時間を、意味ありげに確認する。そんな稀代のハンサムボーイの目に映るなんて、光栄極まりない、とばかりに目を逸らした。高校生であろうか。季節外れの苺の香りが、鼻腔をむず痒くくすぐる。一瞬の思考停止になど負けてはいられない。耄碌しつつある瞳の奥底をカッと見開き、彼女の四肢はもちろんのこと、髪の毛も唇の皺も、それに爪の垢だって焼きつけようとした。その目ですよ。あぁ、その眼差しを待っていたんです。長いことできていなかったからか、衰えてしまって、それが不甲斐ないというか、阿呆というか。戯言に相応しかった。思わず、バスの窓ガラスに頭を打ち付けてしまった。いやはや、痛いのなんの。
「大丈夫ですか?」と彼女は柔らかく訊いていた。そんな他人行儀な尋ね方をしなくてもいいじゃないか。私の目の前に座ったことも、その現場を生で見たことも。すべては必然だったというのだから。しかし、その感極まる喜びを表に出してはいけない。英国紳士たるもの三枚舌を滑らかに操り、リルケの手紙を大声でドラマティックに歌い上げなくてはならないのだ。
 「あっ、ありがとう。一応、大丈夫だよ」
 淡々な物言いだった。失敗した。もう少し抑揚をつければ良かったのだ。
 「それなら、良かったです。急にアスファルトが歪んでたんで。危ないですよね」
 あれで正解だったらしい。良かったのか、悪かったのか。女子高生の脳内はよくわからない。長年の観察眼をもってしても、彼女らのことだけは、かけらも分析できない。私は小さいお辞儀と心のこもった微笑みで和ませるように努めた。その場の空気が、ホイッスルが解けたとは、到底思えなかった。それでも、首落ちと微笑だけで、会話は成り立っていた。
 彼女が停止ボタンを押すよりも、早く、早く、見知らぬ誰かが、それを強引に奪い犯した。
「焔のような! 氷のような! 薔薇のような! 俺のものに触れるなんて」
王立劇場のトゥーランドッドのうろ覚えは酸素を押し込めていった。唇が小刻みに震え、膝は熱く膨れ上がり、真空を揺らすことのないまま口走った、それを、咎めるものは、いなかった。
Преступление и наказание
或る女の証言
作り方は知っていたようです。材料も揃っていましたし、授業でも当然、習ったんでしょう。あの時期ですから、興味を持つことはなんらおかしくはないんです。ただの見栄と恥ずかしさからでしょう。それでも書店に行っては、その手のものを買って、数少ない友人と交換さえしていたそうです。今ほど、豊富ではないのですから、致し方がないことです。
伊豆と聞けば、私たちのような都市部で生活し、生きてきた人間が想像するのは浅はかな知識との混合物にほかなりません。広く平らな海に、煌々と下りゆく太陽、半ズボンの虫少年。それに滝。何という名前だったかは忘れてしまいましたが、あの滝は沈んでいるのです。一時期、テレビのワイドショーではそんなことを持ち上げていたようです。共同通信にも載ったと言っていました。決して、誇らしげでも、哀しくもなく、それはただただ、人ごとのような声色でした。
絹や糸などの繊維でできた滝だそうで、小雨あがりの日などは、赤や紫に変色し、くるりと繭のような薄い膜が絡まっていき、縫い目のない壁が半球となってあたり一帯を極めて、自然的にゆっくりと包み込んでいったのです。その光景は見るものを今でこそ、惹きつけるようですが、数十年前までは呪いの場所として忌み嫌われていたようです。やはり、科学や人間の知識が豊富になったとしても、芯からふつふつと群がる霊的なものや、本能的な閉鎖感はどう足掻こうとも、防げないものです。戦前には滝の周りに寄せ集めの柵が置かれ、注意書きさえありました。あの人の頃には、柵は金属の頑丈なものに取って代わっていましたが、不気味な注意書きはなおも残っていたのです。そこには赤く太い血文字で『立ち入るべからず。これより進みし者、かつてない厄災を抱くであろう』と大きく描いてあったといいます。看板の所々は虫に喰われて腐敗し、汚物が節々にひっつき、異臭を放っていたのです。もともとは、この地方に伝わる昔話のような言伝だったそうですが、いつのまにか、変化して教訓も最後にあったでしょう大団円のデウスマキナもなくなって、怖さのみが流布されたのです。大人たちは、行かせまいと、どうこうとしたらしいのですが、そのような愚行は子供らの前では無力に等しいのは明らかです。いつでしたか。あの人が、幼さと母親の甘えに耐えながらも、必死に仲間内の蛇の群へ飛び込もうとしていたときでした。子宮のような潤いもなく、乳房のような丹念な輝きもなかったのです。その世界は、新世界はただの悪夢のようでした。それでいても、雑草にしがみつきながらも生きていかなければならない。それが規則であり、一定数の法則に等しかったのです。多感な子供だったんでしょう。作文やいいえ、部屋中にその流れがあったのです。今でも葉書なんかを書かせますと、文字自体は美しいのですが、流れというか、バランスが取れていないのです。時折、こう申してはなんでしょうが、気味が悪くなるのです。バランスのなさになのか、それとも他のことからなのかはわかりませんが、兎に角、なにかがあるのでしょう。中学生といいますと、大きくなっていく、その成長期の只中ですので、色々なものが変わっていきます。まず、体格でしょう。背が伸び、象徴たる男根の変わりようは激しいものだと聞いております。次に、考え方です。純粋な思考から、複雑怪奇な何処かへ向かっていくかのような細やかなものになります。その一つに、トラウマがございます。この時代に何を書いているんだ、というか、何をペラペラと言っているんだ、という指摘がございましたら、次の電話番号におかけください。ただし、海外でございますので、料金の方はそちらさんでお持ちくださりますよう。
(ここまで息継ぎなし。華奢な咽が二度、三度震える)
tel:210-670-9900
ここで太宰治を出すと批判される方もいるのではないでしょうか。それでも出さないわけには参りません。この、彼の根幹を一文で表すのにこれほど、便利なものはありますまい。世紀の大発明だと思っております。文学の目的というものは多々あるのでしょうが、一つを取り上げれば、それはいかに、崇高な文章を作り上げ、かつ端的に意味をなすように細部に命を賭けるかにあるでしょう。その点、今こうして話している、私などは海岸に打ち捨てられた貝柱ほどの価値しかございますまい。かの文豪は、こう、申しております。
「それは非常に恥ずかしいものである」-引用『チャンス』 四十七行目
そのままでした。今でもこれを引きずっていると考えて差し支えないのではないでしょうか。しかし、あの人は太宰よりも三島や坂口などを好みながら、海外小説を裸で読むのが好きなのです。たぶん知らないのでしょう。教えてあげられたら、いいのですが。それはそれで微妙なものなのかもしれません。物事には然るべきタイミングと、泳ぐべき瞬間があるのですから。
思春期にもなりますと、男女で同じことをするだとか、 まさか同じ場所に引き篭もるだとか、そのようなことにうんと敏感になりまして、どうしようもないくらいの羞恥心に見舞われていくのです。これは文科省の指定教科書からの引用ではございません。男女の差は外見から発見されると申します。豊かな乳房に男は憧れますし、がっちりとした身体つきに女は暖かみを求めます。もちろん、前提条件としては女の方が性的欲求に目覚めるのが早いのですが。女の地位は初めから上でありまして、こと、このようなご時世におきましては安心できることでございましょう。
八月の下旬。正しい日時はわかりませんが、幽かなレモンの香りが午後のことだというのに漂っていたといいます。放課後に一種のおふざけで、整備されていない数キロメートルの道をおぼつかない足取りで歩いてきました。最初のうちは彼の他に数名の同級生がいたらしいですが、妙な恐さを感じて逃げていきました。それは完璧な直感であり、子供独特の嗅覚でもあったでしょう。竹藪やら汚らしい山道を泥だらけになって避けてきた先には、あの滝があったのです。天から下に手を広げている滝壺に向かって豪快にザァーザァーと勢いよく流れていました。それは幾分かの険しさを感じさせ、今、彼が歩いているアスファルトの灰色を嘲笑っているようでした。その微笑みが中傷されたと感じたのか、いそいそとやり始めたのです。小学五年生といっても、子供と大人の境でございまして体力なんぞは有り余っていて、代わりに脳みその方が空っぽです。それでも少ない塵を掻き集めては、型にはめ込んでいるのです。虫よけ用の長めのジーパンを膝ほどまで捲り上げ、靴のマジックテープをきちんと剥がして脱ぎ、靴下を押し込み、薄汚れた手川の中で合わせながら洗いました。すべてに満足がいくと、残虐な革の帽子のツバを被り直し、足の指を曲げては戻し、右足から静かに突っ込みました。それはギリシア神話のテセウスのように勇敢に見えました。しかし、その背中には不恰好なパラドックスが染み付いていたことなど誰も知りはしますまい。清らかな水は麗峰と謳われた富士の袂よりわかち、ここまで流れ出ていて、小さな魚たちの住処になっています。そこを踏みならすように強引に進んでいく、彼を水も魚も歓迎することはありませんでした。
流れは少しずつ速まり、それは渦を巻いていったのです。叫び声を上げながらも、足裏を岩に押しつけ、一歩一歩前に行きました。歩めば歩むほど、太陽は煌々と光り、筋に満ちた線が節々を貫き、空洞を作りました。数分後にはようやく地面に足を上げたのです。そこは滝の斜め下でありまして、行くには歩いて渡るか、崖から垂れ落ちている縄梯子を使うしか方法はなかったのです。そのうちの一つで攻略したのですからある程度の賞賛は受けてしかるべきではないでしょうか。それはヒッピーからのものでもいいのですから。その空洞には大層な名前が付いていて、『バラの洞窟』と密かに呼ばれていたようです。なんでも洞窟の中にはその世紀毎、伊豆一番の美女がいるそうで、中では祈祷やら水浴びやらをいやらしくやっていると、もっぱらの噂でした。もちろん、噂ですから、信憑性など皆無ですし、何処が発信源かもわかりません。倦怠期の若年カップルが流布したのかもしれませんし、ともあれそういう噂がこの滝を包み込んで離さなかったのは事実です。彼もそれを、悪友ずてに聞いていたので、嬉々としてこういうところに来たのです。だからでしょうか、逃げた悪友たちを帰ったら、思いっきり冷やかしてやろう。そう思いながら鉄条網を父親の書斎から奪ったナイフで切り、穴から身を屈めて入っていったのです。
薄暗く、蝙蝠が蠢いているような羽音さえしていました。狭く息苦しい道にはおまけがありまして、裸足に小石、尖った枝木、滴り落ちる濁り水、となんでも御戯れでした。それを必死こいて抜けると、人知れぬ情欲にかられたのです。唐突の極みでした。性教育やら何やらで知ってはいたのでしょうか、ここまでとは思わなかったようです。体の芯が火照り、なんでもいいから水を浴びて、体中を掻きむしりたい感覚に襲われたのです。キャンプで蚊に刺されたり、夏の日に水たまりの蚊や蟻と遊んだときとは、まるで痒さのベクトルが違いました。痒い痒い、というような痒さではなく、緩やかで柔らかな痒さだったのです。まるで泡だて始めたタカナシの生クリームのような感触でした。痒みも治まった頃です。開けた場所が見えてきたのです。 芳しい楼の焼けるパチパチという音とそよ風で揺れる火の灯りが、どことなく誘惑しているようでした。演劇舞台に必要なものは舞台でも黄金の小道具でもなくて、ただの平凡な役者でいいのですから。影に形はまさしく女性でした。倒れていたのですから。只事ではない、そう思ったのです。それも同世代の女の子。長い黒髪は肩まで流れ、楼がポタポタと彼女の髪に絡みついていきました。その様をただただ遠目で見ていたわけではなく、気づくとその女の子に覆いかぶさっていました。数秒後、おどおどと彼女から離れましたが、その時自分の半袖に赤い汁が付いていて、何処からどう見ても鮮血でした。あぁ、悍ましいといったら、なんたることや。それに発達しつつある乳房に、健康的な太腿、すべてのパーツが彼を刺激し、惑わせ、無意識の奥底を突いていたのでございます。性欲は何にも増して、自然回帰的で、頭をふらつかせ、友禅一色に染め上げるのですから。横たわり、胸の下に置かれた手に包まれていたのは一輪の赤いバラでした。バラはいつも見る野生のものとは違い花弁は幾重にも切り裂かれ、雌蕊は萎びていたのです。枯れゆくバラは、傷一つない途中な裸体と相まって、芸術作品としてそこにありました。誰かが恣意的に作り上げたかのような、と思うと、血が滾ってきたのです。心臓に押し戻されていた、野蛮な血液が巡り巡って芯を温め始めました。普段なら、思わないようなことに興奮を覚えている自分をひどく嫌悪しながらも、一方ではそれに逆らえないし、逆らってはいけない、と囁かれていたのです。
ともすると、辺りは明るく、熱くなっていき、背中や脇には汗が溜まっていくのがわかりました。何処からともなくバッハの交響曲が流れてきては鼓膜を震わせ、背中とシャツがくっつき、狂いそうになっていました。いいえ、もうすでに狂っていたのかもしれません。至高の音楽は人を操り、髪の匂いを嗅がせていたのですから。長い黒髪から漂うのはブルーベリージャムと革命でした。体はまた火照り始め、足や手は硬直して動かなかったのです。どうにかしようと、首を何度か回してみるものの、変わるはずがありません。固まったままでした。
もし、もしだけど、誰かがここへ、何かしらの偶然で来てしまったら。仮定は歴史のテキストでお腹いっぱいです。その抱えている土産物を置いて出ていっておくれ。顔なしは結構ですよ。自分は軽蔑され、卑しい男と蔑まれ、鋭い眼で睨まれ、人としての尊厳を失うかもしれない。ただの妄想でございましたが、それでも空想家はその怖さと対峙しなくてはならないのです。いつの時代もそれこそが英勇たりえたのですから。尊厳を踏みにじられることは別に悪くない、と前のことから数分でコロリと変わりました。それはすべての人がお前を機にすることなどない、という啓蒙的かつ個人主義的考えからだったのかもしれません。耳から音楽が抜けると手が動くようになり、その手は自分の頬を触り存在を確認することもせずに、その女の子の胸を揉み、つまみ、弄び出したのです。こう言っては世の女性に怒られるのでございましょうが、胸の大小には魅力の魔術があり、大まかな差が両岸にははっきりと流れているのです。
「アリス。それがお前の名前だ。いい名前だ、と思うけど......ルイスキャロルも、赤髭も財務長官様もみんな喜んでくれるだろう」
息は荒くなり、空気の循環は滞ってしまっていました。狭い道の時のように苦しく、叫びたくなっていたのです。本能的でしょう。左手で胸を揉みながら、バラを掴んでしばらく眺めていたのでございます。見渡す限りの赤が、その一点に絞られていて、そこからはそこはかとない死の香りが立ち込めていました。
「Большое спасибо」
花は散り、一つの花から出たとは思えない数の花弁が乱れていたのです。その花弁の数だけ、欲望は煮え続けていきました。死にたくない。でも死んだら彼女の元へ行ける。ぐるぐると頭の中を回っているうちに自分の髪の毛におびただしい楼がへばりついていました。髪の毛を掻きむしり、彼女の動かない体の足首を持ち、体を静かに何かに怯えるようにして、移動させ、ただ見つめていました。今までいたところには楼の池ができていたのです。池のそばに倒れている思春期の麗しき彫刻の女の子。滝の妖精が降りてきたかのように、水飛沫は軽やかなリズムを作っていました。BGMにうってつけでずっと聴いていられたそうです。マリファナ中毒者のように虹色の空に破裂する雲。
やがて、その娘の異常なほどに白い頬をさすりながら、人差し指を唇に置いて、なぞっていると、過剰に流れ出ていた情欲が解放されていったのでございます。それが何だったのか、彼は前々から知っていました。空になった樽には一滴も残っていませんでした。すべてが無駄に感じられ、そこはかとない空虚に虚無が襲ったのです。目の前に倒れている女の子のことをどうとも感じられませんでした。乾ききった体には、幼い心も英気も何もかもなかったのです。美女はまやかしで、一輪のバラのように儚く消えていったのですから。
彼の父親が持っていたレコードの軋む音と『コパカバーナ』が滝の上から聞こえてきたのでございます。あの陽気に見えて、死んでいる曲に合わせてステップさえ踏んでいたのです。彼女の腕を掴みましたが、動くはずもありませんでした。一人でタップダンスを裸足でしている姿は側から見れば滑稽極まりないものでございましょう。それでも踊り続ける以外に、この名前のない病を克服する術はなかったのです。蝋燭の灯りはとうの昔に消え去り、暗闇の中でのみが鹿鳴館でございました。殺風景な洋館にはダイアモンドいっぱいのティアラをつけた雌猫と精神病院から帰ってきたハムレットがいるばかりでした。鏡には下手な踊りが写り、ひび割れもしていたのです。死に至る手前の、懺悔すら許されない病の処方箋など、誰も知らないのですから。踊り疲れ、へたり込み、内股のまま呆然としていました。何もなかったはずの洞窟の岩と岩の間から斜陽が差し込んできていました。焦げくさい灰色の日の光が一筋当たっただけで、雲に隠れつつある残紅が濁っていると感じたのです。光は幾重にも彼女の素朴で、未だ傷のない顔に当たり、目の色さえも変えていきました。
「じゃあね、アリス。また、いつの日か。本物の君に会ったら」
口走ったその言葉と付随したその声色を自分で蔑んでいました。逃げるように、怒られないうちに逃げるように、今夜のことは何かの摩訶不思議な異境のことに違いない。滝の、滝の禍いだった。そう思い込みながら、心を西に、体を東に向けて、伽藍の世界へ手を合わせていました。
弱々しくなったその光を頼りに、石の壁を手で伝い、足を大きくあげてはゆっくりと下ろし、やっとのことで洞窟を抜けたのです。気づけば、足の裏は切り傷だらけで、手には埃、それに口には細かな砂が入っていました。流血は止まらず、滝の水と混じり合い赤くなっていったのです。青々としていた水は赤い残酷な色合いになり、魚の鱗までもが赤く染まっていきました。砂を滝に向かって吐き出し、口の中の滓を滝の水で嗽ぎました。その味は何処までも辛く、苦いものだったのはいうまでもありません。それから、走りに走って帰って、温かいシチューと珍しかった限定販売のガーリックブレッドに齧りつき、楽園を小さい体に無理矢理詰め込んでいました。冬は遠のき、クリスマス商戦が中心街を席巻しようとする中で、サンタクロースは来るのか、プレゼントはどうすればいいのか。アダムとイヴが耕し続ける中、主人は豚肉を丸呑みし、無謬の幻想に囚われていたのです。もみの木の棘は鋭く、林冠は逆立ち、赤く小さい実は一粒も堕ちず、プラスチックの星もお菓子のベルもここを少なからず祝福していました。せっかくの大斎で窶れた老骨のような弱者で生意気なあの人には、それだけが気がかりだったのでございます。

愛しきアリスへ Ⅰ ©オブローモフの末娘

執筆の狙い

初めて小説投稿サイトに投稿します。趣味で小説を書いていましたが、時間ができたのでここで書いてみよう、と思いたち、雑文を書きました。留学の間に小難しい単語や文章構成術をいくらか忘れた節があります。拙い文章でしょうが読んで、おこがましいでしょうが評価とアドバイスをいただければ嬉しいです。この小説には、まだ続きがあり、最後の回想録で終わらせるつもりはありません。しかし、文字数が今回と同じか、それ以上になると考えていますし、プロットも大まかで、まだ未完成ですので来年になると思います。
表現したいものは、特にないのですが......それをいうと失礼かと思うので。個人的には谷崎潤一郎の『刺青』や ナボコフの『青白い炎』、『賜物』に幾分か触発されたものです。大まかなテーマはありませんが、思春期男子特有の悩みや性的欲求を文章化したら?と思い書きました。
気を楽にして、子供の悪戯と思って読んでいただければ幸いです。

オブローモフの末娘

42.241.26.120

感想と意見

November Rain

冒頭、まっさきに出てくる名前が「議長」だったので、
「三人称で書かれてあるものなのか?」と思えば、全然そうではなく・・

「A〜S」と、意味不明に挿入されている一行は、もしかして・・ 「章立て」で、「小見出し」(その章のタイトル)??

そこから「私」の語り口調になるようなんで、そう(「A〜S」は章立て&小見出し)であるなら、
前後にアキ行入れるのが、「小説としての表記? 記載のマナー?」では??


 >マゾティズムに溺れた背中は、灰のように朽ちようと
 >セメントのような肩

↑ すっと入ってこない、一々引っかかる形容詞を、読者側が努力して乗り越えたあたりで、

 >海にも山にも恵まれた土地は、そうそう多くはない。ここまで書けば、察しの良い諸君なら分かるんじゃないのだろうか。ここは中部の一角、静岡県。

↑ ここで投げました。

察しの良い諸君なら分かる??
「読者」に向けて「諸君」とか語りかけちゃうのは・・「昭和期に流行したアレ※」な世界じゃないか??
(※ =読者への挑戦状つき本格推理小説。解決編が袋とじ仕様になってたアレ)

2017-11-07 20:31

219.100.86.89

November Rain

まあ、「です・ますの語り口調を採用」しているせいもあって、基本的に「読みにくい」文面なんです。

でも・・渋沢龍彦の『サロメの乳母の話』なんかは、「それでもさくっと読めた」のは、
【物語の語り手は乳母なんだけど、物語を牽引してゆく主人公は姫様(サロメ)であることが、冒頭からきっちり読者に提示され、時系列で語られてゆくから】
だったんだと思います。


本作は、そこいらへん(冒頭、導入)がまずとことん不親切で、
どこの国の、いつ頃の話なのか、とんとわからないし、「語り手の正体」も不明なまんま、だらだら・ねちねち〜っと進められる。


そして、衒学的記載ばんばん挿入なんだけど、その記載が、、、
一々引っかかる。


 >マゾティズム
↑ 見ない「ティ」表記に、「?? スペル、hじゃなくね??」と、確認してしまった。
 ・マゾヒズム(ドイツ語: Masochismus 英語: Masochism)

  >エロティズム
↑ 普通は「エロティシズム」だよね??


細かい事言うのはやめよう・・と思いつつも、スクロールすればすぐに、

 >三鷹の公園には変出者がいるらしい。

↑ それはたぶん「変質者」??


スカした衒学的テイスト原稿の場合、【作者の覚え間違い〜誤記・誤変換の悪目立ちと、恥ずかしさは、ラノベの比じゃない!!】んで・・

「全面的に校正」した方がいいと思う。

2017-11-07 20:57

219.100.86.89

November Rain

すんません、訂正〜〜。。


>マゾティズム
↑ 見ない「ティ」表記に、「?? スペル、tiじゃなくね??」と、確認してしまった。
 ・マゾヒズム(ドイツ語: Masochismus 英語: Masochism)


うん。。「衒学的部分で誤記をかます」と、このように恥ずかしい(一気にバカっぽく見える)とゆー・・

2017-11-07 21:05

219.100.86.89

オブローモフの末娘

November Rain様

ご意見ありがとうございます。投稿が初なので、お返事の仕方もこれで合っているのか、些か不安です。これ自体は、自己満足というか、そういう感じで書いているのでご不快な点や理解できない点も多々あると思います。なので、ご指摘のあった点を自分なりの言葉で説明しようと思います。がんばります。

*冒頭の議長は、物語全体を会議室という神の視点から見ている、という感じで特別に深い意味はありません。
*小説のルールをあまり知らないもので、ご指摘ありがとうございます。A〜Sは見立てであると同時に、Aは主人公、Sは主人公に妻、Xは神の視点を表しています。A〜Sは主人公→妻という意識の交換を表そうとしました。最初は日記形式にしようと思ったんですが、難しく...
*無駄な形容詞が多いのは癖で、そうなってしまいます。シンプルかそうでないかの極端なので。
*「諸君」と使ったのは読者が自分へのことだと認識しやすいようにしたのですが...。それと昭和文学の影響でしょうか。
差し支えなければ、そこで投げた理由を教えていただけないでしょうか。文量もしくは、回りくどい文でしょうか? 今後の参考にしたいです。

2017-11-07 21:08

42.241.26.120

オブローモフの末娘

November Rain様
再度のアドバイスと誤字脱字のご指摘、ありがとうございます。やはり、文面の言い回しがくどいのと、話の流れが曖昧なのがいけなかったんですね。ラノベと同等、との指摘は肝に命じ、今後の校閲に力を入れていこうと思います。馬鹿が露見しないように、色々してきたのですが、内面は隠せないものでしょうか。練習がまだ、必要だと改めてわかりました。貴重なご意見ありがとうございました。
ぜひ、何らかのご指摘があれば、またお願い致します。

2017-11-07 21:14

42.241.26.120

麻生

オブローモフという名前に反応して、読ませて頂きました。
今ごろオブローモフという名前を聞こうとは、実は驚いています。もっとも私はあの長さに、しかもドストのようなエンタメではないことに怯えて作品は読んでいませんが。映画では見ています。それに花田清輝の本などでよく知っているキャラでした。ロシア文学は好きだったこともあり、というか、今も好きなので、やはりチェーホフかな。で、御作は読まなくちゃと思って、はたと気づくと、オブローモフの娘というのは作品のタイトルじゃなかったのですね。あれっという感じで、
 で、読み始めて困ってしまいました。話や人々の関係や立ち位置などがまるでわからないのです。つまり御作のいろんな場面で、カメラはどこにあるのか、それが曖昧なのです。なので、よくわからない。後半はまだしも、前半が朧のままなのです。
 思いだけを描かれるのなら、それはそれでかまわないのですが、その思いに何らかの絵が入れば、その絵はきちんと描写されるべきではないかと。さもないと読者は迷宮に落ちます。それもちっとも心地よくない迷宮に。
 私はエンタメ志向なので、特に人物の位置とか目線とか常に気にしています。なので、それ曖昧なのが不満といえば不満でした。ただいわゆる純文学といえる中にはこのような書き方の作品もあるような気がします。ナボコフのthe giftは読んだはずですが、ぼんやりとしか記憶にないですが、御作にその雰囲気はあるような気がします。ただナボコフ、何冊か読みましたが、the defenseなどは今も覚えていますが、どの場合も、というか、どのような世界名作の場合も、何がどうなっているか、絵としてわかるようにできているはずです。Lolitaの冒頭のハンバーグみたいなことをいう箇所も、確か唇があって、こちらを向いていたのがわかったはずです。←遠い記憶ですから、違うかもしれないですが、ロリータに囁いていたのかな。いずれにしても、読んでいるときは絵が見えたはずです。
他の方も書かれているように、冒頭部分など全く絵が浮かびませんし、物事の関係がわかりません。議長が呟いたとあるのですが、普通こういう場合は、読者は議長の顔を見ているはずです。つまり議長はこっちを向いていると。ところが、次に背中の描写になる。ふいに背中を向けたのでしょうか。これでは絵がつながりません。こういうのは、読者にとってストレスとなります。そういうところが多すぎて、よほど読むのをやめようかと思ったのですが、それでも文章に惹かれるものがあって、話はわかったようなわからないような、ぼんやりのままでしたが、最後まで楽しく読めました。形容詞が多いとかじゃなくて、本質的に文章にリズムから何からすてきなものがあって、読ませる力があります。だから長いと思いませんでした。しかも、悪ノリのように文学的な知識をばら撒かれて、それも楽しかったです。リルケ、今どきわかる人、いるでしょうか。まあ、いることはいるにしても、マイナーでしょうね。

>長い黒髪から漂うのはブルーベリージャムと革命でした。

 こんな部分、ラノベでないとすれば、何となく古い印象を受けました。
 いろいろ余計なこと書きましたが、文章はすごいものがあり、エンタメ志向の私からすれば、もったいないなあ、というものでした。こういう感想を持つやつもいるんだ、という程度で、軽くスルーしてください。それでは。

2017-11-08 19:03

218.226.59.132

オブローモフの末娘

麻生様
雑文をお読みいただきありがとうございます。貴重なご意見までいただけたのは、本当に嬉しいです。
ペンネームのオブローモフはゴンチャロフとそれに基づく高等遊民的主義に憧れて付けたものです。働きたくないかな...と。「執筆の狙い」でも書きましたように、思春期から抜け出せない私とそれを不安に思う妻。やがて妻が回想していく、という流れで、上記と同じく、A,S,Xとそれぞれの見出しに意味を込めて見たのですが、わかりにくかったでしょうか。実験小説的な意味合いもありましたので。冒頭の訳の分からないところは、視聴覚室の中に一人だけいる議長=主人公の妄想です。やはり、注釈とかを入れないと自己満足で終わってしまいますね。これまで、そういうスタンスでいいなんて思ってきたので、気にかけていかなくてはいけないと思いました。小説のジャンルとしてはジェイムズ・ジョイズやトマス・ピンチョン、他の昭和期の作家などを好んでいますので(もちろんロシア文学も)変な癖が出てしまったと反省しています。文章能力を褒めていただけたのは、光栄の極みで欣喜雀躍しています。鼻にかけるとロクなことがないので、落ち着こうかと。文学作品や他の知識を入れたのは、改めて読み返してみると、自己顕示欲とかの類であろうと思います。まだ二十歳を見たことさえない、若造ですのでご容赦ください。
エンタメ系は何処から何処までが、そうなのかはわからないのですが、出来れば御教授いただきたいです。今後の作品制作の糧にしていきたいと思います。

2017-11-09 09:39

59.167.51.133

地獄極楽丸

暇になって、僕の上にあったので少し読んでみました。

>嘘を嫌う人間がいる。
>真実を求めてやまない人間がいる。
>愚かしさに溶け込めない人間もいる。

冒頭3行の回収はどこでやってるのですか?
何が言いたいのですか?
論文ですか?

2017-11-11 08:58

58.183.26.178

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