作家でごはん!鍛練場

『拝啓 この記憶の持ち主へ』

河童著

処女作です。一番書きやすい小説家の話を書きました。

 証明しよう。
 もし、リセットボタンがこの人生に存在したのなら。
 もし、今の記憶を前世に持っていくことができたなら。
 夢が簡単に叶うかもしれない。いままでできなかったことができるかもしれない。人よりも多い経験で、他人を出し抜くことだって簡単なはずだ。でも、そんな荒唐無稽なことはあるはずがない。
 でも、本当に起こったらどうなるのだろうか。
 それは俺が見を持って証明していた。
 子供のとき、いつからかうっすらと自分の思考が変わっていったことが全てのはじまりだ。徐々に思考を侵食されていくように、別の思考に上書きされる。その思考が、記憶であると気づいたのはいつだっただろうか。
 誰かの記憶が、それによって形成される人格が、形成された人格が生み出す思考が。僕の脳内を乗っとっていく感覚があった。
 それがいわゆる前世の記憶と呼ばれるようなものであると知ったのはインターネットだ。
 僕の歩むはずだった人生は、誰かの前世に上書きされた。
 「もし、来世に記憶を持っていけたら。」なんて考えに、僕は人生を壊されたのかもしれない。
 今でも、精神年齢と記憶が一致しない感覚がある。
 異物感というより、もっと質が悪い。いわば汚物感だ。
 僕はそんな自身への忌避感から、自分が嫌いだ。僕は僕が大嫌いだ。
 だから、僕の前世の夢である「小説家」を目指そうとは絶対に思わない。
 ずっとキーボードを打ちながら、将来に夢を馳せ、くだらないことばかりに試行錯誤する小説家志望の素人。それが前世の僕。
 前世の記憶は、トラックが迫ってきたところまでで止まっている。
 この頃の流行り通りにことが進んでいったのならば、そこから前世の僕は剣と魔法の異世界にでも言っていたのだろう。
 しかし、何の因果か。この記憶は僕の脳裏に今もこうしてへばり付いている。
 なによりここは現代日本だ。
 確かに、前世の僕のは強くてニューゲームができるわけだろう。
 だが、そんなことのために、僕の記憶は上書きされたのか。
 人生の冒険の書が消えてしまったのだ。そんなうすっぺらいニュゲームのせいで。
 だというのに、僕はいまだに毎日欠かすことなく日記を綴っている。
 
《今日は美術の授業があった。内容は『自画像を描く』という至極簡単なものだった。しかし、私がそのテーマを耳にした最初の感情は『恐怖』で、何故にこんなことをするのだろうかと疑問におもった。鏡に向かいて「君は誰だ」と言い続ければ人は発狂するという。自分が自分でなく成る感覚が恐怖を換気して気がきがではなかった。》

 自分でもところどころ誇張があると思えてしまって仕方がない。
 だが、今の俺は9歳だ。それにしてはいささか語彙力が高いので、この日記が人目につかないように引き出しに鍵をかけてしまっている。
 小説家というのは人生を擦り減らす職業だ。
 それはそこらの人より理解しているという自負がある。
 売れるかどうかはほとんど運に近く、スランプに陥れば小説が好きじゃなくなる。自分の思うままに書いたなら売れない。売れるものを書こうとすれば楽しくない。
 「これを好む者はこれを楽しむ者にしかず」という孔子の言葉があるように、自分が小説を好んでいると思っていても、物書きというものを楽しんでいないのならば、面白くなくなる。
 前世の俺は愚かの権化のような奴だった。
 小説界を通じて歴史に名を残したい、などと宣っていのだ。
 できるわけがない。仮にできたとしよう、それで俺は幸せなのだろうか。死後、俺が幽霊にでも成るというのならば話はわかるが、こんな科学の発展した社会でそんなことを考えるのは流石に無いだろう。
 歴史に名を残すほどに面白い小説は、皆から真似される。
 真似されて使い古されて、面白く無くなっていくのだ。
 ふざけるな。他人に良いように使われるだけの人生なんて嫌だ。
 あんなに焦がれて、あんなに苦悩して、あんなに嫉妬して、あんなにキーボードを打ち続けた。それが、使い古されるか他の名作に埋もれるかの二択しかないというのだ。

 だから僕は小説家を目指さない。

 じゃあ何故、俺はいま日記を書いているのだろうか。
 俺は小説家を目指さないのに、何故いま日記を書き綴っているのだろうか。
 考えても答えは出ない。習慣と割り切ってみたいのだが、何か違う気がする。

 数日立っても答えはでない。
 しかし、その代わりとして賞を取った。
 読書感想文だ。
 俺は本を読んだらそのあと必ず感想文を書くという習慣があった。
 夏休みの宿題ではいくつか作文の種類を選んで書かなければいけない。俺が最も書き慣れている読書感想文を選んだのは当たり前だろう。
 それがなまじ良かったらしい。けれど、せいぜい市の中でという程度だった。
 死ぬ気で書いていないのだから当たり前と言えば当たり前だろう。こういった賞はもっと地頭のいい人が取るべきだ。しかし、前世の名残か、少し暮らしい。
 全国に選ばれたのは、俺のクラスの者だった。なんという偶然なのだろう。
 余計に悔しさが増した。
 そして気づかされもした。
 読書感想文で全国に選ばれたその者を見ていると、格の違いを知った。
 想像力、発想力、集中力、記憶力とそれ故の語彙力。すべてが高いというより、伸びしろがある。
 高校になる頃には、俺はきっとこの天才に先を越されるのだろう。天才は努力しているというが、そうでないものもいる。もっとも、小説家を諦めた俺が色々と口を出すことではない。前世の未練は捨てないといけない。
 そう考えている間にも、物事は進んでいくらしい。
 皮肉めいたことだが、その天才が俺に向かって質問をしてきた。
「造詣ってどういう意味?」
「なにかおすすめの本とかあったら教えてよ」
「昨日のニュース見た? あの芸人さん芥川賞取ったんだって!」
 不満が沸々と湧き上がってきた。
 なぜお前が、そんなことも知らないやつが、選ばれたんだ。
 あまりにも理不尽極まりなくそして身勝手な憤りだったので、どうにか抑えていた。しかし、とある日のその天才の一声が引き金になり、俺の体を突き動かした。

「小説家の人って、なんで面白くない小説を書いているのに辞めない人がいるんだろう。ほら、この前、あの小説家さん亡くなったじゃん? その人の作品を読んでそんなこと思ってさ。あの人の書いてる話って全部内容が薄いんだよね」

 亡くなった小説家は、俺の好きな小説を書いている人だ。
 反射的に手が出たのを覚えている。
 あとになって、怒りが倍増して、目の前の天才を目の敵のように睨みつけ叫んだ。
 先生に止められるまで、俺達は取っ組み合いになって派手に転げまわっていた。
 お前に何がわかるんだ。
 お前が貶めた小説家は、前世の俺が初めて読んだ小説だ。
 俺は、その人の夢の追い方に憧れたんだ。
 なんでお前なんかにあの物語を否定されなきゃならない。
 ふざけるなよ。
 俺達が必死に勉強して語彙力を増やしたり、頭がパンクするくらい煮詰めていい作品を作ろうとしているのを、何もしらないんだろうが。
 このときはそんなことしか考えていなかった。
 もしかすると、俺が前世を持った理由は、あの憧れを実現するためのものだったのかもしれない。
 あとあとよく考えれば申し訳なかった。
 俺はライトノベルを中心に書いていたのに対し、アイツは純文学として書いているのだ。根本的に差異があった。だからこそ、アイツはライトノベルを内容が薄いと言い切ったのだ。
 喧嘩のあと、あの天才は俺に近づかなくなった。寂しいと思うことはなかった。

 そんな小学生時代も終わる。
 中学生生活もつつがなく迎え、受験をして高校生になる。
 皆が通る道だ。
 このころ、アニメと漫画がさらに発展し、小説は相当な暇人しか読まなくなっていた。
 小説というジャンルの中でも、ライトノベルが主流となってきていたのだ。
 小説が大衆文化としてさかえた時代は通り過ぎた。その名残として残った数少ない小説家達も、寿命は存在する。
 俺はやはり小説を書き続けていた。俺の中の何かがそうさせているのだろう。
 日記も感想文も日々ずっと書いている。それらを挟んだファイルの数はすでに十を越え、流石に嵩張ってきたのでまとめて燃やすことにした。少しもったいないという心境も勿論あった。せめて最後に読んでおこうと思い、ファイルのページを捲った。
 懐かしさと未熟さの結晶がそこにあった。少しづつ、本当に少しつづ、赤ちゃんのような歩みで上手くなっているのが見て取れた。
 いままでどうにか小説家を目指していたぜ前世での習慣をやめようとしたのだが、どうしても辞められなかった。
 これはもう呪いだな、と笑いが溢れる。
 
 本当はまだ夢を諦めていない。

 死んでも諦めないという願いが、僕に乗りうつるほどの執念を見せたのだ。どれだけ不細工な物語しか紡げなくとも、その熱意と覚悟と渇望は本物だった。
 感想文を読む度に、そのときの感動が蘇る。日記を読む度に、そのときの思考が想像できる。
 いいな。俺も今まで読んできた小説のように、人を感動させられるだろうか。
 文字で伝えられるのは理解のみだ。感動させるのは難しい。
 書いてみたい、と考えが巡った瞬間、初めてあの精神と記憶の齟齬が、異物感が、無くなった気がした。
 キーボードを前にして、ピアノを弾くが如く文字を入力する。メモ帳に次々と文字の羅列が打ち込まれた。
 今までの教訓が頭のなかをかけめぐる。
 タイトルは五文字と七文字の組み合わせにしよう。主人公は感情移入できるキャラクターにしよう。敵にも魅力をつけよう。感動のシーンではキャラクターを泣かせよう、青色を使おう。
 プロットも無しに物語を考えるというのは無謀の極みなので、もちろん、このとき作った作品はしょうもないものだった。それでも、これがきっかけになった。
 小説を読んで小説家に憧れることはあっても、生き方を変えるようなことは少ない。ほとんど無いといっていいだろう。純文学にはそんな物語も存在しているのかもしれないが、今の御時世にライトノベル以外の小説が多くの人に読まれるのは難しい。逆にライトノベルでは生き方を変えてくれる物語は殆どないと言っていいだろう。小説は娯楽。テーマは二の次だ。
 面白く、かつ、誰かの人生を変える物語。それこそ俺が書きたいものだ。
 それは理想。確かに理想だ。
 だが理想というものは妄想や想像とは異なる。理想は、叶えるためにある。


 拝啓、この記憶の持ち主へ。 

 現世の僕は夢をもった。
 それは前世の僕から受け取ったものだ。
 最高の小説を書いて、誰かの人生を変えるのが小説家という生物の本望なのかもしれない。
 いつかは埋もれてしまうかもしれない。いつかは古びてしまうかもしれない。
 でもまぁ、一人でも感動させることができて、一人でも生き方を変えることができたら、それだけで報われるはずだ。
 QED.

拝啓 この記憶の持ち主へ ©河童

執筆の狙い

処女作です。一番書きやすい小説家の話を書きました。

河童

126.84.118.95

感想と意見

偏差値45

証明しよう。⇒QED.
このあたりは良いですが、伝わっていない人も居るかもしれない。

小説というより小説論に近いかもしれませんね。

前者ならば、つまらないです。
後者ならば、面白いです。

このサイトではバイアスがかかるけど、一般ウケするかは分からないですね。

2017-10-07 12:30

219.182.80.182

川井らすく

河童様


前世の記憶を受け継いだら俺tueeeできるのか。
そんな簡単なわけない。なかった。
だけど。
ぜんぜん簡単ではないのだとしても!
というQED.(決意表明)

面白かったです。
荒削りだけど迸りがあって、それがこの「僕」の一人称にとてもよく合っていると思いました。

タイトルいいですね。あと、入りの「証明しよう。」もよかった。
ついでに言うと、「異物感」と語感のそろった「汚物感」って表現が個人的にはツボでした。ぱくりたいくらい(笑)

うだつの上がらない小説家志望が道半ばであえなくくたばっては蘇り、また熱量だけをたよりに突き進む、みたいなループものがあったとしたら、わたしは読んでみたいですが、どうだろう、あまり需要はないかな(笑)

ありがとうございました。

2017-10-09 13:56

35.154.200.203

河童

偏差値45様、川井らすく様。
感想してくださり有難うございます。
会話文がほとんどなく、主人公の心情の動きがわかりにくい。ほとんどが偏差値45様のおっしゃった小説論のようになってしまいました。
「証明しよう」の入りと「QED」での終わりは突然閃いたもので、やはりわからない人もいらっしゃいますよね。そのあたりの工夫が足りていないことを思い知りました。
もっと終わり方と人とのやり取りを磨いていこうと思います。

2017-10-09 23:43

126.84.118.95

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です(テクニカルサポート)。

:
:
:
3,000字以内