作家でごはん!鍛練場

『ぜんぶ夏の夕暮れのせい』

HK著

初めて書いてみました。
欠点だらけと思いますが、至らない点や感想等教えていただければありがたいです。
宜しくお願い致します。

 ある年のある日の夏の夕暮れどき、その日の日中はとても暑い日中であったが、その暑さがふとどこかへ行ってしまい、気持ちよく感じられるほど涼しくなっていた夕暮れどき、駅前のH&Mで白いエンリーネックのシャツと色あせたサックス・ブルーのジーンズを買い、そのあと隣の大型の書店で目についたハード・カバーの本を二冊買ってしまうとようやく家に帰ってもいいなと思えたのだった。その日は午後の3時をすぎてようやく出掛けても良いなと思うことができて、髭を剃ってシャワーを浴びて、電車に乗ることができたのだった。それは僕にとって、久しぶりの外出だった。
 その年、その時期僕は仕事を辞めていた。貯金はあったが、当然それは何年も無職でいられるほどのものではなかった。不安になって車を売り、着なくなった洋服を売り、読まなくなった本を売って生活費を捻出し始めていた。はじめはそれらの行動を起こすことに強いためらいを覚えていたと記憶している。車と本とファッションは僕の中で大切なものだった。長年お金をかけて、ブラッシュ・アップしてきたものだった。車のホイールにこだわり、たくさんのメーカーと種類を空で言えた、自分好みのファッションを見つけ出し、その系統の洋服たちがクローゼットにかかっていた、いつか自分の部屋を図書館のようにしたくて、数えたら二千冊を超える蔵書がアパートにあった。それらを崩していくことは自分自身をも崩していくことに他ならなかった。しかしいったん始めるとそれは僕に強い快感をもたらすこととなった。なくなってしまえばなくなってしまったでそれは、初めからそうであったように思えた。身の回りがすっきりと片付き、余分なものがなくなると僕は、まったくの新しい人間になれた気がした。もうお洒落をして、読みたい本を持って、遠く離れたお気に入りの図書館にカスタマイズした愛車に乗って出掛けなくてもいいのだ。ただ、調子に乗って洋服を売りすぎて、外に着ていけるような夏服がなくなってしまい、そのために店をいくつかまわって、結局その日H&Mで新たな洋服を買ったのだった。そしてその久しぶりの買い物にドーパミンとβエンドルフィンが分泌されて僕はやはり久しぶりに楽しく幸福になり、これまた久しぶりに本屋にも足を向けたのだった。
 そんなわけで僕はH&Mと蔦屋書店の買い物袋を下げて、駅の改札に向かう途中、彼女に出会ったのだった。あんなことが起こったのも僕は、すべて夏の夕暮れのせいだと思っている。
 もともと僕は夏の夕暮れというものが大好きだった。あの匂いというか空気が大好きなのだ。空のあのピンクとオレンジと紫と青と白い雲、灰色の雲が一緒くたに混ざり合っているとも整然と並んでいるとも言えないあの感じ、どこかでジーと泣いている虫の声、どこからか流れてくる夕食の匂い、排気ガスの匂い、点灯し始めた車のライト、建物の灯、もやっとした風に時折混じるひやっとした風、それらが科学的な反応を起こす夏の夕暮れ。いやでも明日を意識せざるを得ない、夏の夕暮れ。なぜ、明日を意識するのだろう、と考えるにそれは僕に強すぎる幸福感を運んでくれるからだと納得するようにしている。幸せは長くは続かないことを知っていて、それは人を寂しく感じさせる。僕にとって夏の夕暮れは、日曜日の夕方とリンクする部分がある。来なくても良い月曜日がすぐそこに控えている、といったような日曜日の夕方に。
 ともあれ僕はその久しぶりに感じている幸福感と大好きな夏の夕暮れに包まれながら、彼女に出会ったのだった。
 彼女は、駅前で歌を歌っていた。つまり、いつかシンガー・ソング・ライターになることを夢見ていて、駅前の人が多く集まる時間帯を狙って歌っていたのだった。自分で作った歌をギターで演奏しながら歌っていたのではなく、有名な歌をカバーしていただけのことだった。音源はラジカセの音量を精一杯あげたものだった。インストルメント。夏川りみの涙そうそう。わざわざ立ち止まって見ている人は、それほどいなかった。確か三、四人ほどだったと思う。駅前のよくあるロータリーで、ちょうどバス停とタクシー乗り場に挟まれているところだった。幸いにもタクシーにもバスにも乗りたい人は多くなく、また、同時に彼女の歌を真剣に聞きたいと思う人も多くなく、公共交通に対して迷惑をかけているということはなかった。彼女は夕日をバックに歌っていた。後ろには駅ビルのネオンが輝いており、その中には僕が行ったH&Mの文字と蔦屋書店の文字も光っていて、後ろのロータリーでは時折やってくるバスやタクシーや一般の車がくるくると回っていた。どの車もスモール・ランプを点け始めていた。それはちょっとした風景だった。僕はしばらく彼女の声を聞きながら、そして彼女自身を突っ立ったまま眺めるともなく眺めていた。しかし僕は次第に彼女から目を逸らすことが出来なくなっていった。彼女はとても楽しそうに歌っていたのだった。ものすごく気持ち良さそうに歌っていたのだった。彼女は特別に可愛いというわけではなかった。歌も格段に上手だというわけでもなかった。それでも、まるで自分が今立っている場所はブロード・ウェイなのだと言わんばかりに気持ちを込めて、時に音楽に合わせて大きくマイクを持っていない左手を大きく動かしながら、時折その手を胸に当てながら、眺めているこちらが思わず目を細めてしまうようなとても素敵な笑顔で伸びやかに堂々と歌っていたのだった。彼女はよく日に焼けており身長は小柄でおよそ150センチほど。左腕に赤いブレスレットをつけ白いブラウスに黒いスカートといった格好だった。髪はポニーテールにしており、それは白い大きなシュシュでまとめられていた。その格好はとても彼女に似合っていた。その時彼女の年齢を判断することはできなかった。大学生にも見えたし、25歳前後にも見えた。30歳と言われても違和感を抱かなかっただろう。後ろでは、ひょっとしたらタクシー乗り場に現れるかもしれない人間のためにタクシーが周り続けていた。客を降ろしたバスが次の目的地へと向かい続けていた。人々の集団が機械的に改札へと吸い込まれ続け、また同時に吐き出され続けてもいた。彼女は、そんな中幸せそうに大きなジェスチャーを混ぜ合わせながら歌い続けていた。僕は彼女から目を離すことができなかった。彼女は人の目など一切気にしていないようだった。自分のしたいことを思いっきりしているだけのようだった。僕は彼女の歌声が聞こえているはずの他の人々が一体なぜ、足を止めずに歩き去ってしまえるのかが分からなかったし、歌っている彼女自身についても一体なぜこんなに観客がいないのに、これだけ楽しそうに幸せそうに堂々と歌い続けていられるのかが分からなかった。僕は、僕のすぐ後ろにあったバスを待つ人のためのベンチに腰を下ろした。そしてそのまま前のめりになり、両膝の上に両肘をのせ両手を組み合わせ、その組み合わせた両手の上に自分の顎を乗せた。もし、その時少しでも僕のことを目にした人がいたのなら、おそらくその人は僕のことを彼女の付き人か彼氏か優しい兄か何かで、歌っている彼女を見守っているように映ったかもしれない。僕の方は彼女のことをまるで吸い込むようにして見つめていたのに、彼女と一回も目が合うことはなかった。彼女は自分の世界の中にいた。彼女はそのあと僕の知らない曲を二曲歌ったあと、満面の笑顔でありがとうございます、ありがとうございました、といって左手を胸に当てて深々とお辞儀をした。三、四人の見物客がパラパラとした拍手を送った。僕は拍手をすることができなかった。拍手によって訪れていた余韻を壊したくなかった。彼女はマイク越しに深呼吸をして、ああ、気持ち良かったと呟いて、一人で機材を片付け始めた。いつの間にか日が暮れようとしていた。思ったよりも暗くなっていた。彼女はあっという間に荷物をまとめると、改札の方へと歩き去っていった。僕はそのまま彼女が歌っていた場所を見るともなく見つめ続けていた。僕の中でしばらくの間彼女の幻影が歌い続けていた。僕は気がつけば涙を流していた。泣いていたのだ。いつから泣いていたのかは全くもって記憶にないのだが、ともかく泣いたのは久しぶりだった。久しぶりすぎて自分が泣いているのだと理解するまでに時間がかかったような気がする。僕は流れてくる涙を一度たりとも拭うことなく、そのまま流れるに任せておいた。そして、彼女が去ってしまってから五分か十分ほどが経った時だと思うのだが、僕の前にバスがやってきて僕は無意識にもそのバスに乗ってしまった。今あの時のことを一生懸命に思い返してみても、なぜ僕は用のないのにバスなんかに乗り込んでしまったのかを説明することができない。そしてバスの中での記憶もほとんど残っていない。数多くのバス停に停まり、その度に何人かの人間が乗ってきては降りていったということ、だんだんと陽の光が消えて去っていく中で、雨が降ってきたこと(僕はずっと窓の外だけを見ていて、その窓に雨粒がつき始めてきたのだ)、その細切れでぼんやりとしたまるで使い物にならないような淡い映像が僕の頭の中に微かに残っているだけだ。僕とバスは結果的に一時間ほどの時間をかけて一周し元来た場所へ戻ることになった。つまり彼女が歌っていた、そして僕がこのバスに乗り込んだロータリーへと戻ったのだ。もしこれがその駅発の巡回バスでなかったらあの時僕は一体どこへを行ってしまったのだろうと考えただけでぞっとする。多分どこまでも行ってしまっていただろう。もしかしたら料金だって払えなかったのかもしれない。しかし僕はきちんと戻ってきた。バスを降りると、改札へと向かい、そこから電車に乗ってようやくアパートへと帰ることができた。
 思い返すに当時僕は自分が思っていた以上に精神的に結構参っていたのだと思う。そうでも思わなければ、多分泣いたという理由を説明することはできない。僕は仕事を辞めてから、半年近く誰とも話していなかった。あれだけ好きだった読書だってしなくなっていた。音楽だって聞かなくなっていた。テレビだってほとんどつけなかった。要するにそれらをするエネルギーがずっと一人でいる中で急激になくなっていってしまったのだ。ただ寝ては起き、寝ては起きの繰り返し。食べるものがなくなったらなんとか重い体に鞭打って、近くのスーパーに行って適当なものを買った。それだけでも当時の僕にとっては重労働だった。スーパーから帰ってきたて、アパートの鍵をかけた途端にどっと疲れが押し寄せてきて、買ったものを冷蔵庫に入れる元気もなくベッドへ倒れ込んだのは一度や二度だけではなかった。おそらくあの時に精神科にでもかかっていれば、間違いなくうつ病と診断されていただろう。もともと放っておけば、いつまででも一人でいようとする性格だが、それでも当時の僕の状況はあまりにも不健全すぎた。自身の将来に対する絶対的な不安。日に日に減っていく預金残高の夢を毎日のように見たものだった。あと3千円、2千円、千円・・・。夜中にとうとう一銭もなくなってしまった夢で全身汗だくになって起きたこともある。それでも僕は次の仕事に就くことを先延ばしにしようとしていた。これも僕の性格の一つだが、悲観的な状況の中でもたまに楽観的な面を見てしまうことがあるのだ。それが僕の無職期間を長引かせる要因になった。もうそろそろ就職活動をしなければ、しなければと何日も思い詰める。よし、いい加減思い腰を上げよう。しかしある日、ふと、これは自分の中では次のステップに進む充電期間なのだからと前向きに考えてしまう日があったりするのだ。そうするとまだいいかなどと現実から逃げてしまう。しかし、明日になるとまた思い詰めて・・・の繰り返し。僕が仕事をやめたのには大した理由はなかった。僕はあるプロジェクトで小さなミスを犯してしまい、そしてそのことでクライアントに怒られて、たったそれだけのことで衝動的にやめてしまったのだ。もともと会社勤めに向いておらず、辞めたいという思いが蓄積されていたというのはある。ミスで云々というのはただの引き金に過ぎなかったわけだが、いずれにしてもただ単に就いていた仕事から逃げただけのことだった。それが自分では分かりすぎるほど分かっていた。やりたいことも特になく、進みたいけどどこにも進めない、進みたくないという心の中の迷路に迷い込んでしまっていた。そしてそんな中僕の周りの友人たちは、それぞれ勤めて続けている会社の中で順調に昇進し始めていた。30歳というのは一番仕事が面白い時期だと言われている。まだ結婚していなかった何人かの人間も結婚式を挙げようとしているといった風の噂も流れ込んできていた。当時の僕には文字通り何もなかった。その事実は僕を大きく焦せらせることとなった。仕事を中途半端に放り出し、結婚はおろか恋人すらいなかった。貯金だって満足にない。客観的にみて、社会的に見れば底辺に位置していることは明白だった。当時の僕はその事実に向き合わないように向き合わないようにしていた。そして、知らぬうちに自分自身とも向き合わないようにしていたのだ。そのようにして僕はアパートの中でどんどん自身の不健康な精神状態を培養していったわけだが、だからこそ当時の僕のあの時の状況からすれば、僕があの日ふと、どこかへ出かけてもいいかななどと思えたのは今思い返せば奇跡的な出来事であり、その中でなぜ急に新しい夏服などというものが欲しくなったのかということについては一体どういう反応が僕の体の中で起こったのだろうかなどと考え込んでしまう。とにかく僕は、普段はずっしりと重く感じるアパートのドアを軽々と開けて外に出て、それも人の大勢いる駅前のショッピング・センターなどに足を運んだというわけである。さらに信じられないことに服を選んでいる自分はこの上なく幸せであったのだ。今でも服を選んで、レジに向かう時の自分の気持ちを思い出すだけで頬が緩んでしまう。店員と笑顔で二言三言会話までこなした記憶まである。しかし(勿論これも今思い返せば、ということだが)、あの時僕は鬱状態と鬱状態との間に挟まれた一時的な躁状態にあったに過ぎず、店から外に出て暮れていく空とリンクするようにだんだんと自身の通常状態出会った鬱状態へと戻っていく最中に、彼女の歌声を聞いてしまったのだった。そのような精神状態の中であの駅前の幻想的な風景をバックに彼女に歌われてしまえば僕の中にあった脆い部分がいとも簡単に崩れ去ってしまったのは容易に納得できる。しかし、いくら暗くなってきていたからといって外であれだけの人がいる中で泣いたというのは未だに非現実的な出来事に思える。
 僕はあの後アパートに帰ってから、久しぶりにノート・パソコンを立ち上げて(立ち上がるまでに長い時間がかかった)、訪れていた駅名とその後に続けるキーワードをなんと入力しようかと散々迷った末に、弾き語り、女性と続けて入力しエンター・キーを押した。検索結果を一つひとつ見ていく僕の心臓の鼓動は非常に速くなっていったのを覚えている。どの人間もSNSで報告し合うような時代だから、何かしら引っかかるだろうと思っていたが、結局有用な情報を見つけることができなかった。思いつく限りのワードを打ち込み、それらのワードを数学の確率の問題のようにパターンを変えて並べ替えてみても駄目だった。動画投稿サイトでも検索してみたがやはり結果は同じだった。その後何時間も飽きずに彼女のことをおびただしい情報の中から掬い出そうと懸命に努力したが無駄だった。僕は絶望的な気分になっていった。もう彼女に会うことができなくなるかもしれない、と思うと文字どおりに胸が苦しくなった。僕は彼女に恋をしてしまったのであり、それはなぜそうなってしまってしまったのかを上手く説明できない種のものだった。僕の当時の精神状態のせいであり、彼女の楽しそうに歌う様子のせいであり、彼女の歌声そのもののせいであった。ただ、やはり一番の大きな原因は彼女に出会ったのが夏の夕暮れだったということに尽きるように思う。説明をするのに、あるいは解釈をするのにその表現が一番しっくりくるように思える。もしそれが朝の十時だったとしたら、正午だったとしたら、午後三時だったとしたら、僕は自身の精神状態に関わらずあの時駅にいたその他大勢の人たちと同様、足を止めずに歩き去っていっていただろう。しかし何はともあれ僕は、買ってきた洋服や本をそのまま玄関に置き去りにしたまま、インターネットの海の中をあらかた泳ぎ回った。そして長い間ノート・パソコンとにらめっこをしている間久しぶりに自分が夢中になっていたことに気付いた。気がつけば部屋の時計は夜中の一時を少し過ぎたあたりを指していた。それほど時間と我を忘れるほど何かに夢中になったのは本当に久しぶりのことで、それは間違いなく疲弊しきっていた僕の脳に良い影響をもたらした。僕の心は彼女にもう会えなくなる可能性があることに対して絶望し始めてはいたが、僕の脳の歯車はグリスをさされてなんとかぎこちなく正常に回り始めたようだった。僕に必要だったのは自分自身以外のことを考えることであり、それが達成された瞬間、いとも簡単に僕の中で何かが急速に変わっていった。
 その彼女と出会ってしまった日の次の日からの僕の行動は単純だった。毎日電車に乗り、彼女が歌っていた時刻に合わせてのその駅まで出かけたのだ。今考えると馬鹿みたいに思えるが、僕は事実そういった行動を起こした。晴れの日も、曇りの日も、雨の日も、暑い日もそれほど暑くない日も、毎日。当時僕が住んでいたアパートのあった街から彼女の歌ってた駅までは電車で駅の数で言えば三つ分離れていた。距離にしても運賃にしても、移動にかかる時間にしてもそれほどのものではない。でも、それが毎日となると話は別だった。僕の単調な生活の中に午後五時に近くの駅に行って、目的の街まで電車に乗る習慣が入り込んできた。定期券は作らなかった。僕は毎日、律儀に切符売り場に行って小銭を入れて、小銭がないときは札を入れて、その駅までの切符を買い求めた。片道、600円。往復1200円。無職の人間がやることではない。就職活動のための費用ではないのだ。あくまで彼女にもう一度会いたいというその一心だけで、僕は電車に乗り続けた。自分で自分ことを頭がどうかしているのではないかと何度も思ったものだった。そう思えるほど一応は僕の頭は正常に機能していた、と言えるだろう。僕はおおよそ一ヶ月半の間毎日電車に揺られることになった。昼に起き、適当なものを食べ、本を読んだりテレビを見て時間を潰し(本を読んだりテレビを見ることができるようになった)、午後四時くらいになるとシャワーを浴びて丁寧に髭を剃った。その年のあの期間は振り返るとよく晴れていたように思う。一日中強い前が降り続いていたり、晴れていたのに急に激しい夕立に見舞われたりして、本気で出かけるのを躊躇したのは多分二、三回だけだったと記憶している。シャワーを浴びてから、さらにその上から浴びる外気。歩く駅までの道のりは僕に心地よさをもたらしてくれた。今、思い返すとあの駅までの散歩が性格的に暗くじめじめとした生活を繰り返してしまう僕にとって大きな気分転換をもたらしてくれた。辛く面倒な現実から目を背けさせてくれたのはやはりあの清々しい夏の夕暮れだった。どんな理由であれ、とにかく外に出ること。それこそが当時の僕にとっては何よりも重要なことだったのだ。あの時を振り返ると真っ先に目に浮かんでくるのは、日が落ちようとしている夕暮れの中近くの車の通りの激しい大通りをポケットに手を入れてとぼとぼと歩く自分の姿である。おおよそそんな生活が一ヶ月半の間続いた。そしてそれは唐突に終わりを告げた。自ら告げざるを得なかったのだ。分かっていたことだが、そんな生活をやめて働き始めないことには自分が今の生活レベルを維持することができなくなるということが、いよいよ銀行の預金残高を見て理解できるようになってきたのだ。しかし、夢にまで登場し僕を眠りから叩き起こしたはずのその現実は、もう僕にとっては恐ろしいものでもなんでもなくなっていた。
 それから僕はすぐに次の日から就職活動を開始した。そして信じられないことだがその日のうちに僕の就職活動は終わりを告げた。行動を移してから、物事が然るべきところに落ち着くまでには自分でも驚くほどスムーズにいった。就職活動や例えば結婚などという自分ではコントロールしきれない物事というのは、結局のところその縁に恵まれるかどうかが重要なのだ。その日午前中混んでしまう前にと意を決して早く起きハロー・ワークへ行くと、そこで対応してくれた担当者はちょうど午後から市内の文化施設で中途採用者のための企業説明会があるのでそこへ行ってみたらどうかと僕に勧めた。僕は言われた通りに一旦家に帰り久しぶりにスーツを着て、ネクタイを締めてその企業説明会へと足を運んだ。僕が結局入社したのは一番初めにその説明会で説明を聞いた、個人経営に毛が生えたような小さな測量会社だった。
 今思えば、なぜ自分が数あるブースの中でその測量会社を選んだのかは分からない。僕は広告会社に勤めていたので、はじめは受付の時にもらったリーフレットの中に記されていたいくつかの広告会社を当たるつもりでいた。しかし、いざ会場に入り、その人の多さと設営されているブースの多さに驚かされ、つまりはその場に圧倒されてしまい、軽いパニック状態に見舞われた僕はその時人が誰も訪れていなくて、担当者二人が(社長と営業課の課長だ)揃ってスマートフォンを弄んでいたその測量会社のブースにフラフラと吸い込まれるように向かったのだった。熱気に満ちた会場の中で、どこかやる気なさげで興味なさそうに涼しい顔をしている二人を見て僕は多分無意識に安心したのかもしれない。僕が話聞きたいんですけどいいですか、と言って席に座った時二人はびっくりした顔をしたのをよく覚えている。後から聞いた話だが、二人ともまさか始まってこんな早くから人が(それも比較的若い人間が)話を聞きにきたこと自体に驚いたらしかった。あれだけ人が集まっていた説明会なのだから誰かしら聞きにくるだろうとは思ったのだが、どうやら新卒者向けの説明会ならともかくとして、中途採用者向けの説明会ともなると人気のないブルー・カラー的な肉体労働をイメージせざるを得ない測量会社の話など誰も興味など抱かないらしい。とりあえずと話だけでもなどと冷やかしでくる人間すらいない、とのことだった。僕は内心毎日スーツを着て、パソコンとにらめっこするような仕事にはうんざりしていたので、外の仕事もいいのかもしれないななどと心のどこかで思ったのもかもしれない。とにかく僕は用意されていた席に腰を下ろし、資料を受け取り、二人と話を始めたのだった。二人と交わした会話については僕はよく覚えている。というのも僕は、彼らに全てをありのままに正直に話したからだ。前の仕事を辞めた理由、無職の間自身の精神状態のこと、そしてようやく重い腰を上げることができたきっかけ。前の会社で小さなミスをし、逃げ出したこと。本当はずっと会社勤めというものに馴染めず小さなフラストレーションを抱え続けていたこと。無職の期間体重が10kgも痩せ、半病人のように青白くなり頬がこけてきてしまっていたこと。久しぶりに買い物へ出かけたら歌を歌っている女性に出会い、その彼女の全てに対して心を動かされたこと。つまりは、その女性に恋をしてしまったこと。その女性に出会ってから自分の中の何かが急速に動き出したこと。今、思い返せば僕は相当外に出すのが恥ずかしいような個人的な内容の話をぶちまけてしまったように思う。おそらく僕は誰かに話というものを聞いて欲しかったのだろう。そして二人は当時の僕にとっては願ってもない聞き手であり、事実優秀な聞き手だった。相槌の打ち方、話を次に続けさせる促し方。僕は夢中になって話を続けた。時間にして、少なく見積もっても一時間半はそんな自身の身の話をひたすら続けていたと思う。そしてその僕の話が一段落した後で、なぜそのような結果になったのかが今でも本当によく分からないのだが、とにかく明日からうちの職場に来て見ないか、と社長が言ったのだった。僕は実際に重量を測ったら大きく変化しているのではないかと思われるほど軽くなった頭をひねる前に、ぜひお願いします、と口に出していた。
 僕は結局この測量会社に五年の間勤めることになった。給料はびっくりするほど少なかったし、これまたびっくりするほど残業時間も多かったのだが、一緒に働いていた人間は皆気持ちの良い人間ばかりで、そして仕事内容そのものも僕の性格に向いていたことから、前回勤めていた職場と比べれば天国のような職場だった。僕は外で体を動かしている仕事の方が性に合っているようだった。重たい測量機器を肩に担いで山奥や川に出向き、そこで崖から転落しそうになったり、思ったより流れの速い川に足を取られて流されそうになったり、時には蜂の大群に襲われたり、大量のヒルに吸いつかれたりしたが、自然と一緒に仕事をするのはいいものだった。僕にとって重要だったのは春夏秋冬、季節の移り変わりそのものを肌や匂いや視覚で感じることができるという点だった。夏は暑く、冬は寒い。この当たり前のことを体全体で感じること。田舎の自然の中で育った人間としては冷房や暖房が効いている社内に一年中いれば体のどこかがおかしくなってしまうのだ。夏は真っ黒に日焼けをし、冬には僕の手足は霜焼けだらけになった。正直に言って体力的にはかなりハードな仕事だったが、精神的な疲労というものは皆無と言ってよかった。厄介なのは精神的な疲労なのだ。体力的な疲労など、精神的な疲労に比べればずっと回復が早く済む。前の職場に勤めていた時は体力が要求されるような仕事など何一つなかったのにも関わらず、アパートに帰れば食事をする勇気もなくベットに倒れこんでいたものだった。食事が喉を通らず、シャワーを浴びる元気すら湧いてこなかった。それは結構しんどいことだった。僕は本当はこの測量会社でずっと働き続けたかったのだが、公共事業が年々減っていく中、この会社の業務の中心を担っていた公共測量に当然ながらその影響が押し寄せて来て、とうとう経営状況が行き詰まってしまった。僕が入社した頃には、それまで毎年2回出ていたはずのボーナスもすでに一銭も出なくなっていて、小さな会社ゆえに、全員がもうこの会社が潰れるのは時間の問題だろう、という共通認識をしっかり共有していた。それでも誰一人として逃げるように出て行く人間がいなかったのは、社員の半数がすでに50代後半を過ぎていて行くあてを見つけることができなかったという理由だけでなく、どうせならこの会社を最後まで見届けてやろうという帰属意識みたいなものが芽生えていたからだろうと推測する。最後の飲み会のとき、僕は酔った勢いもあって思わず泣いてしまったほどだった。もう、これ以上の職場には出会えないだろうと思います、と僕は回ってきたスピーチの場で言った。それはお世辞でなく、全くの本音だった。目を赤く腫らしていた同僚は一人や二人だけではなかった。
 ちなみに僕はこの測量会社で生涯の伴侶と出会っている。妻は僕と同い年で、入社もほど同じタイミングで僕と彼女は歓迎会が一緒だったり、研修を一緒に受けたりすることで自然と仲良くなったのだ。彼女はパートで事務員として採用されていたのだが、以前も測量の会社で働いていたことから、CADを使って図面を書いたりすることができたので社員のみんなからとても重宝がられていた。性格は大人しく、とても真面目だった。仕事は丁寧で、ミスがなかった。はっきり言って美人とは言えないが、僕は彼女のその仕事の姿勢といったものにだんだん惹かれていったのだと思う。その妻との間に二人の子供ができた。男の子と女の子。人生は何が起こるか分からない、とよく言われるが、そんな分かりやすい例が自分自身の身に起こるなんてこの世界のネジは一体誰が回しているのだろうと考え込んでしまうことが未だにある。
 
 そのおおよそ五年後のことである。僕にとっては決して忘れることのできない日が訪れたのは。それは僕と妻と子供二人で(男の方はやっと歩けるようになったばかり、女の子の方はまだ妻の腕に抱かれていて、すやすやと眠っていた)家の近所を散歩していた時だった。その年僕と妻は一念発起していわゆるマイホームを購入していた。それは雨がとてもよく降ったある年の夏のことだった。久しぶりに夕方になって晴れ間が見えてきたので僕たちは小さな子供たちを連れて外へ飛び出したのだった。僕たちはとりあえず近くの公園を目指すことにした。外はまだつよい雨の匂いがしていたのをはっきりと覚えている。そして東の空にはまだ灰色の雲たちがいくつか残っていたが、これから太陽が沈もうとしている西の方の空には陽の光を遮るものはなかった。空は素晴らしいグラデーションを描いていた。外の空気はやはり心地良く、僕は危なっかしく歩く男の子の手を引きながら幸せを感じていた。公園に近づくと、歌声が聞こえてきた。はじめは何の歌だか分からなかった。音源はなく、アカペラで女子が数人で声を合わせて何かを歌っているのがかろうじて分かっただけだった。前を歩いていた妻が僕の方を振り返り、どこかで誰かが歌っているね、と言った。僕はそうだね、と答えた。どうやら僕たちが向かっている、数十メートル先の公園から聞こえていることが分かり始めたその後、僕は全身に寒気が走り、肌が大きく泡立っていくのがわかった。それは、大きな感動からくるものだった。僕は見えている公園の門を目指して早歩きで歩き始めた。自分の子供を半ば強引に引きずるようにして引っ張っていき、妻を追い抜かして行った。追い抜かすとき妻はどうしたの、と驚いた顔で言ったが、僕はそれには答えることができなかった。公園に着くと、制服を着た女子高生たちが4人で歌っているのが見えた。彼女たちは4人で向かい合うようにして歌っており、その周りには四台の自転車が取り囲むように置かれていた。彼女たちは夏川りみの「涙そうそう」を歌っていたのだ。学芸会か何かで披露するつもりだったのかどうかは分からないが、とにかく彼女たちは一生懸命に歌っていた。そして、彼女たちは周りの目や耳を全く気にしていないようだった。

 古いアルバムめくり ありがとうってつぶやいた
 いつもいつも胸の中 励ましてくれる人よ
 晴れ渡る日も 雨の日も 浮かぶあの笑顔
 想い出遠くあせても
 おもかげ探して よみがえる日は 涙そうそう

 僕は子供と手を繋いだまま、公園の門で立ち尽くしながら、彼女たちの歌声をただ聴いていた。赤ん坊を抱いた妻がしばらくしてやってきて僕の隣に同じように止まった。僕はじっと歌う彼女たちを見つめていた。心の中では言葉にならない感情が洪水のように渦巻いているのを感じていた。
 女子高生たちは、最後まで歌い終わると「もう一回ね」と言ってすぐさままた出だしから歌い始めた。それを聴きながら隣にいる妻は上手ね、と微笑んで腕の中の赤ん坊を小さく揺すった。
 
 古いアルバムめくりありがとうって呟いた、この歌詞はまるで僕が今感じているシーンの一コマそのものではないか、と思った。
僕は、この手を繋いでいる子供と妻が抱いている小さな赤ん坊の頭に交互に手を添えてこう、思った。お前たちにもこんな摩訶不思議な未来が待っているんだぞ、と。
 ぜんぶ夏の夕暮れのせい。僕は無意識につぶやいていた。彼女はそれを聞いて、何それ、と言って笑った。

 女子高生たちが最後まで歌い終わり、今度はまた初めから繰り返す様子がないと判断すると僕は大きく拍手をした。さっきまで手を繋いでいた子供にほら、と言って拍手をするよう促した。子供は少し恥ずかしそうに控え目な拍手をした。妻は少し困った顔をして笑い、拍手に合わせて赤ん坊を優しく揺すった。その拍手に気づいた女子高生たちはこちらを見ると笑顔で4人とも小さな会釈をした。僕と子供と妻はしばらく拍手をやめなかった。
 まだ、陽は沈まないでいてくれそうだった。
 僕たちは少しばかりその女子高生たちと話をした後、自宅に向かって、太陽とは反対の方向へと歩き出した。
 

ぜんぶ夏の夕暮れのせい ©HK

執筆の狙い

初めて書いてみました。
欠点だらけと思いますが、至らない点や感想等教えていただければありがたいです。
宜しくお願い致します。

HK

101.102.4.222

感想と意見

加茂ミイル

フレアのせいっていう言葉が流行っているみたいですね。
テレビでやってました。

2017-09-09 14:26

60.34.120.167

九月が永遠に続けば

書き出し、

>ある年のある日の夏の夕暮れどき、その日の日中はとても暑い日中で

↑ ここまでで「〜の」が5回重複、+「日」って漢字だけで4回重複、「時間情報」が7回?重複!


で、書き出しの一文( 。で区切りつく地点)が、とにかくうすら長〜〜くて、

>ある年のある日の夏の夕暮れどき、その日の日中はとても暑い日中であったが、その暑さがふとどこかへ行ってしまい、気持ちよく感じられるほど涼しくなっていた夕暮れどき、駅前のH&Mで白いエンリーネックのシャツと色あせたサックス・ブルーのジーンズを買い、そのあと隣の大型の書店で目についたハード・カバーの本を二冊買ってしまうとようやく家に帰ってもいいなと思えたのだった。

冒頭から読みにくいし、なくても良さそうな感じなんで、
うすら長い一文をさっくり割愛して、

>その日は午後の3時をすぎてようやく出掛けても良いなと思うことができて、髭を剃ってシャワーを浴びて、電車に乗ることができたのだった。それは僕にとって、久しぶりの外出だった。
>その年、その時期僕は仕事を辞めていた。

↑ から書き始めてもいいかなー?? って。



そこで挫折して、以降は見てないです。。

2017-09-09 18:10

219.100.86.89

山口 夕

> ある年のある日の夏の夕暮れどき、(省略)ようやく家に帰ってもいいなと思えたのだった。
 一文が長いです。初めの一文がこれですと読んで頂けない可能性があります。
>ブロード・ウェイ
 私の個人的な意見で申し訳ありませんが、Broadwayと言うと劇場街でミュージカルの印象が強く何か違和感を覚えました。私のイメージとしてはEllen's Stardust Dinerでのパーフォーマンスが近いです。
>そしてそのまま前のめりになり、両膝の上に両肘をのせ両手を組み合わせ、その組み合わせた両手の上に自分の顎を乗せた。
 冗長な感じを受けました。さらに
>僕はH&Mと蔦屋書店の買い物袋を下げて
 とあるのに「買い物袋」描写がないのは変だと感じました。
>袋を肘にかけ、組んだ手の甲に顎を乗せていた。
 不自然でない姿勢に対してはそこまで詳しく書く必要はありません。取っ手部分が小さい、腕が太い場合は肘にかからないため、下においてもいいと思います。しかし、その姿勢のために荷物を下におくものでしょうか。この部分はなくてもあとの
>もし、その時少しでも僕のことを目にした人がいたのなら、おそらくその人は僕のことを彼女の付き人か彼氏か優しい兄か何かで、歌っている彼女を見守っているように映ったかもしれない。
 から読者は「僕のことを彼女の付き人か彼氏か優しい兄か何か」に見える姿勢をおのおの想像してくださると思います。その姿勢で腰を痛めたと言ったイベントがない限り、書かなくても問題と思いました。
>思い返すに当時僕は自分が思っていた以上に精神的に結構参っていたのだと思う。(省略)あれだけ好きだった読書だってしなくなっていた。
 あとで
>そのようにして僕はアパートの中でどんどん自身の不健康な精神状態を培養していったわけだが、(省略)、その中でなぜ急に新しい夏服などというものが欲しくなったのかということについては一体どういう反応が僕の体の中で起こったのだろうかなどと考え込んでしまう。
 が来るのはあまりよくないではないでしょうか。
>あれだけ好きだった読書だってしなくなっていた。
 「そんな風だったかな」と疑問と思ってしまいます。後で「あのときは奇跡的に外出した」と言われて、釈然としない思いを持たれてしまうのではないでしょうか。もちろん、
>その日は午後の3時をすぎてようやく出掛けても良いなと思うことができて、髭を剃ってシャワーを浴びて、電車に乗ることができたのだった。それは僕にとって、久しぶりの外出だった。
とそれを匂わせる部分はあったものの、次の
>不安になって車を売り、着なくなった洋服を売り、読まなくなった本を売って生活費を捻出し始めていた。(省略)そしてその久しぶりの買い物にドーパミンとβエンドルフィンが分泌されて僕はやはり久しぶりに楽しく幸福になり、これまた久しぶりに本屋にも足を向けたのだった。
「あくまで金銭的な問題から移動手段と同時に自分の大切なものを失ってなかなか出かけないが、触れると散財してしまうから避けてきただけで、やはり好きだった」と感じてきたところで、そんな深く落ち込んでいた描写を入れられても共感するのは難しいと思います。
>身の回りがすっきりと片付き、余分なものがなくなると僕は、まったくの新しい人間になれた気がした。もうお洒落をして、読みたい本を持って、遠く離れたお気に入りの図書館にカスタマイズした愛車に乗って出掛けなくてもいいのだ。ただ、調子に乗って洋服を売りすぎて、外に着ていけるような夏服がなくなってしまい、そのために店をいくつかまわって、結局その日H&Mで新たな洋服を買ったのだった。
 具体的には「外に着ていけるような夏服がなくなってしまい」から「それなりに外出している・する気がある」と思ってしまいます。そうなると、それより上の文章「もうお洒落をし(省略)なくてもいいのだ」は「自分に言い聞かせるための言葉」になってしまいます。
 こうした理由で私には疑問符が浮かびました。
>全員がもうこの会社が潰れるのは時間の問題だろう
 潰れることが何か重要な描写なかったと思います。この「測量会社」で最も重要なのは「妻との出会い」であり、これはけっして「ちなみに」で済ませていいものではありません。駅前で歌っていた女性への愛はどうして冷めてしまったのかが書かれていないためここでも読者はついていけないと思います。
>僕は結局この測量会社に五年の間勤めることになった。
>そのおおよそ五年後のことである。
 子どもができて5年後ならこの間に「測量会社」を離れています。このあと主人公の勤め先がどうなったかが、書かれていないのは問題だと思います。「マイホームを購入する」にはその場で支払いができない限り、ローンを組むなど社会的信用が必要とされる事象が絡んできます。ここで、「測量会社」は「給料はびっくりするほど少なかった」とあるため、どこかに勤めていることが読者には想像されるでしょう。

 私が思いついた部分を書いてみました。

 全体としては「『初めて』にしては努力したのだろう」です。練習する際はもう少し短いもので数をこなしてください。

2017-09-09 20:08

124.240.230.118

加宮

初めまして。拝読させていただきました。
初めて書いたとは思えませんでした。私が初めて書いたものは、HKさんのこの作品の足元にも及ばないくらいでした。いえ、そこから何作か書いた今の私よりも、はるかにお上手だなと思いました。

読んでいて、感銘を受けたのは、表現したい、書きたい、何かを伝えたいという気持ちです。作品から作者のエネルギーや熱が、バシバシ伝わってきました。でも、それをうまく文章として乗せ切れていない、表現しきれていないという感じもまた受けました。大事なことは、たくさん書いて、たくさん人の感想をもらって、自分の作品を客観的に見つめ、成長していこうとする姿勢だと思います。お互い、頑張りましょう!
>ある年のある日の夏の夕暮れどき、その日の日中はとても暑い日中であったが、その暑さがふとどこかへ行ってしまい、気持ちよく感じられるほど涼しくなっていた夕暮れどき、
作品のタイトルにもなっているくらいなので、「夕暮れ」というのは強調したいところなのかもしれませんが、とにかくくどいなあと思いました。
ある年、ある日、その日、その暑さ。
日中、熱い日中。
暑さがふとどこかへ行ってしまい、気持ちよく感じられるほど涼しくなっていた夕暮れどき
曖昧な時間、同じことの繰り返し。そして、その退屈な文章が途切れることなく続いていく。正直、ここで断念したかったです。でも、何となく見える下の文章には何やらすごい勢いを感じる……ということで、頑張って最後まで読んだ次第です。何を買うか決めるために立ち読みするために開いた本だったら、冒頭で閉じます。買いません。そういう感じです。

>その日は午後の3時をすぎてようやく出掛けても良いなと思うことができて、髭を剃ってシャワーを浴びて、電車に乗ることができたのだった。それは僕にとって、久しぶりの外出だった。
思うことができて、電車に乗ることができた。思うことができて、電車に乗ったのだった。で、いいと思いますよ。それとも、久しぶりの外出で電車に乗るのも困難だったのだが何とか乗れたのだ、ということを言いたかったのでしょうか?

>その年、その時期僕は仕事を辞めていた
また曖昧な時間、描写の繰り返し。何か時間をぼかしたい意図があったのでしょうか? でも、暑いと言ってるのできっと夏でしょうし、夕暮れとか日中とか午後三時とか言ってるので時間帯も明確ですよね。おとぎ話やファンタジーでしたら、「あるとおい国のとおい昔のできごとです」と語り始めることで、現代にも通じる普遍性を獲得する効果はありますが、この作品は果たして……? と思いました。

>不安になって車を売り、着なくなった洋服を売り、読まなくなった本を売って生活費を捻出し始めていた。はじめはそれらの行動を起こすことに強いためらいを覚えていたと記憶している。車と本とファッションは僕の中で大切なものだった。
大切なものなのに、「ためらいをおぼえたと記憶している」程度なのですか? 記憶しているという客観的な表現にしない方がいいと思いました。「ためらいを覚えた」とストレートに書く、あるいはもっと強く「売るのは嫌だった。一つ売るたびに、長年付き合った彼女と別れるような、胸がしめつけられるくらいの痛みが走った」と。……まあ、これは強く言いすぎましたね。ごめんなさい。けど、車にこだわり、図書館にしたかったくらいですから、かなりの喪失感ではないでしょうか?

>点灯し始めた車のライト
いちゃもんかもしれませんが、これだと、これから今はライトの光が弱く、時間が経つにつれて光は強く明るくなるような印象をもちます。薄く照らす車のライト。

>彼女は、駅前で歌を歌っていた。つまり、いつかシンガー・ソング・ライターになることを~しかし僕はきちんと戻ってきた。バスを降りると、改札へと向かい、そこから電車に乗ってようやくアパートへと帰ることができた。
参りました。改行が全くなく続く単調の文章に。この段落の後半、僕が泣き始めてからは読めましたが、前半のタクシーとか人間が機械的にうんぬんは、しんどかったです。もっと読ませる工夫がほしいなと思いました。
というか、ここだけに限らず、句読点の少なさ、改行の少なさは、きっと、意識してやられていることだとは思いますが、あまり効果的ではないなと感じました。読むしんどさを増しているだけのような気がしました。

すみません、途中は端折ります。

>まだ、陽は沈まないでいてくれそうだった。
僕たちは少しばかりその女子高生たちと話をした後、自宅に向かって、太陽とは反対の方向へと歩き出した。
読後感は、よかったです。温かい気持ちになれました。ここまで読んできてよかったという気持ちにもなれました。

つたない感想ですみませんでした。
面白かったです。ありがとうございました!

2017-09-10 22:53

180.199.89.116

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