作家でごはん!鍛練場

『グッバイ』

momonga著

 登場人物たちが抱える葛藤を表現したいと思い執筆しました。
 とある公募の賞に応募して一次で落選しました。
 ご意見等頂ければ幸いです。

 1

 生ごみの腐臭がきつく鼻の奥をつく。
 喉元から熱くこみ上げてくるものを、上手く吐き出すことが出来ずに、濡れて鈍く光るステンレスの縁を握り締めて、じっと、塩辛い喉の痛みに耐えている。背後でつけっぱなしのテレビが微かなボリュームで鳴いている。
 画面上に次々と映し出される数字と、苦笑いを浮かべる顧客、それに上司の鋭い罵声が一辺に頭の上から降りかかってきて、思わず声を張り上げた時、ようやく、俺は悪い夢から目を覚ます。起きた時、汗臭いシャツの脇はべっとりと濡れていて、枕もとで倒れた目覚まし時計は午前二時を示していたが、頭の隅の方は妙に冴えていた。それで睡眠薬代わりにちょっと酒でも煽ればよろしいと、冷蔵庫から取り出したワンカップ焼酎の辛い味を舐めてみたらこの様だ。熱い液体が喉から食道を伝い胃腸にまで流れ込む感触が感じられ、代わりに熱く酸っぱいものがこみ上げてきたはいいものの、この20数年間の人生の中で一度も酒を飲んで吐いたことの無い無駄に頑強な肉体のせいで、俺はもう今すぐにでも吐き出したいのに、一方では喉の入り口にしっかりと蓋をされてしまったような息苦しさも相まって、せり上げてきたものは胸と喉の間をピンポン玉のように行ったり来たりするばかりで、吐くものも吐けずに俺はすっかり気分が悪くなってしまった。
 脳裏にちらつく上司のしかめ面と罵声を振り払うように、俺は二本の指を喉の奥に突っ込む。明日は月例の会議があるのだ。一か月の成績をまとめて上方に報告しなければならない。だが何を報告したところで、所詮は現場を知らぬお偉いさん方のむやみやたらな叱咤激励を浴びるばかりで、すっかり恐縮した俺は汗にぬれた襟元を正しながらぺこぺこと馬鹿の一つ覚えみたいに繰り返し頭を下げているに違いない。俺はそのさまを忠実に頭の中で想像してみる。すると再び熱いものが喉の奥からせりあがってきて、醜い嗚咽と共に口の端からはよだれがだらしなく滴り落ちるも、やはり俺は吐くことが出来ない。熱っぽい吐き気だけが胸の奥でゆっくりと渦巻いている。いよいよ諦めて俺は仕方なく湿気た布団を頭から被って目をつむってみるも、心地よいポジションを探り体位を仰向けた途端、みぞおちの辺りに太い棒でも押し込まれたような痛みが走る。結局、俺は黒い天井に向かって虚ろな目を開いた。
 目覚まし時計のタイマーはきっちり午前六時にセッティングされていた。あと四時間後には頭上でけたたましい音を上げて鳴る訳なのだが、おそらくそれよりも数秒早く、俺の意識は気だるい感覚と共にすっかり覚醒してしまうだろう。午前五時五十九分。俺はうっすらと靄のかかったような意識の中で、秒針が頂点を目指す生々しい足音を聞く。窓外では小鳥が気持ちよさそうにさえずっている。もう一か月はクリーニングに出していない生乾きのスーツに袖を通すとき、目覚まし時計は今更の如くやかましい音を立てて鳴いていた。俺は鳴るがままにして置き薄暗い1kの部屋を出る。
 眼前を急行列車の突風がかすめた時、ようやく、俺は自分が最寄り駅のホームに立って居たことに気が付く。度重なる残業に加えて、昨夜煽った酒も相まって古代の鎧でもまとったみたいに気だるい身体はもはや満身創痍。ここから五駅先までの道程を、満員電車に揺られる気力すら残ってはいないと思われた。それでも、俺は間違いなく電車に乗り、定刻通り会社に到着するだろう。そうやって俺はこれまでの日々を過ごしてきたわけだし、ホーム上で窮屈そうに列をなす他の人たちだって恐らく同じだろう。濃い色のスーツを着ているせいか、どの顔も皆病人のように青白くこわばって見える。黒い電光掲示板にオレンジ色の文字が大きな蟻のように連なっていく。その動きを目で追っていると、腹の底に収まっていた吐き気がまたうずくような気がして目を逸らした。字列は、遠くの地方にある路線で起きた人身事故の情報を事務的に伝えていた。
 俺はふと、足元に広がるシミに目をやる。黒い地面に塩を吹いたように広がるそのシミは吐瀉物の後だった。蝶が羽を広げたような形をしたそのシミは、ホームに立つ柱を中心にして広がっている。誰が、いつ吐いたのかもわからぬ吐瀉物の跡に視線を落とすとき、俺は何とも言えぬ心地になった。せり上げる苦しみに耐えながら、この主は吐き出す刹那、この一本の柱に向かって空しく首を垂れたのだ。虚ろな群れの中、せめて周囲に迷惑を掛けまいとして彼は、冷たい柱にその熱っぽい額を必死に押し付けたに違いない。周囲の冷たい視線を浴びながら、吐き出す時ですら気を使わなくてはならなかったこの男に、俺は何とも言えぬ悲哀を感じた。友人や家族、会社、あらゆる社会の視線がその疲れた背中に注がれている。俺の背中にもまた、遠くに暮らす高齢の母や、婚約者である聡子の視線が注がれている。冷たい風の吹きすさぶ東北の僻地で、ぱちぱちと鳴るストーブにしわくちゃの掌をかざしている母の、丸い背中が目に浮かぶと、俺は何とも切ない気持ちになる。ふかふかの白い雪に四つずつ黒い足跡を残しながら歩いた母との帰り道。灰色の空に溶けていく母の白い息と、優しい声は、今は俺の意識の中で徐々に薄れつつある。色あせていく景色の中で、母の丸い背中は石油ストーブのオレンジ色の光に包まれている。眼前を吹きすさぶ雪の粒にさえぎられて、俺の意識は遠ざかっていく。代わりに現れたのは、聡子の強気で、勝気な声色だった。
 
 そろそろ、本気で考えたいの。
 
 いつも物静かな聡子が突如、炎のような激しさをちらつかせる。まるで懐に忍ばせていた刃物を取り出すみたいに。彼女の黒い瞳は、少しのブレもなくまっすぐにこちらを見つめてくる。それは一人の女の実直な愛の表現であると言えなくもないが、しかし、長年の付き合いより彼女の一切を了解している俺からすれば、よくもまあいけしゃあしゃあとそんなことが言えたものだと、心中密かにほくそ笑む。付き合い始めてから7年という歳月が、俺たちの間に目に見えぬほつれのようなものを生み出し、そして徐々に広げていった。今更何も言うまいと、俺は下らぬお笑い番組が映る画面に再び視線を戻す。画面の中ではツッコミ担当の男が、ボケ担当のスキンヘッドを思い切り、小気味よい音を立ててはたく。いつもはウケるコント番組を、今はいくら見つめても上手く笑うことが出来なかった。ただ、片頬が痙攣したみたいにぴくぴくと引きつっている。聡子の鋭い視線を感じているせいもあるだろう。それ以上、彼女はこちらの手を引いたり、駄々をこねるでもない。無言の圧力を背中に受けながら、俺は目の前の画面に映るお笑いショーだけに意識を集中しようと試みる。またツッコミ担当が、隣のスキンヘッドをテンポよく、まるでドラムにでも対するみたいに叩く。その精緻で、洗練された動作を見ていると、不意に黒い笑いがいがっぽい腹の底からこみ上げてくる。考えてみるよ。俺が馬鹿みたいに述べて見せると、聡子は両手の指を組み合わせてまるで幼い子供のようにこくりとうなずく。望みをかなえた満足と微かな不満とをその白い頬に残して。灰色に染まる窓のすぐそばを、一匹のハエがのろのろと横切っていく。俺は口に沸いた苦いつばを飲み干す。もう何度こんなやり取りを繰り返したことか。一体全体、何の解決にもなっていないというのに、聡子は得意げにその華奢な身をひるがえして、ぐつぐつと鳴る鍋の調理に取り掛かる。白い頬には偽りの母性に満ち溢れた微笑みさえ湛えて。俺は、おそらくそう遠くない将来に自分の妻になるであろう女が、汁の味を確かめる微かな音を、そっと目を閉じて聞いていた。

 俺はときどき、己の人生に対して無性に腹立たしさのようなものを感じることがある。それは、『なぜ自分のような逸材が内閣総理大臣になれなかったのか』みたいな子供じみた妄想ではなく、俺の行くべき道しるべとなる決定打のようなものが、自分の人生には欠落していると思うのだ。よくよく考えてみると、俺の人生にケチが付き始めたのは中学生の頃、所属していた野球部を辞めたときからだった。

 本番の試合を目前に控えたある日、レギュラー決めの紅白試合を開催することになった。無論、レギュラーメンバーとは程遠い俺ら一年生はグランド整備をやらされた。いつもは他部と共同で使用している狭いグラウンドに、その日は試合前の選手たちの掛け声とノック音だけが響く。傾きかけた太陽が放課後のがらんとしたグラウンドを赤く染め、俺はトンボ掛けされた綺麗な地面に一本の白線を描いていく。ネットの外側には黄金色に煌く田畑の光景が広がり、俺は肌を切る冷たい空気を肺の奥にまで吸い込む。未だ青い頭上の空を見上げると、数羽の鳥たちが黒い影のようになってゆっくりと、まるでこちらをからかうかのように旋回していた。それはときに大きくなり、ときに小さくなり変形しながら、やがて遠くに連なる山々の狭間へと消えていった。
 ふと後ろを振り返ると、上級生の指示で一年生たちが小兵のようにひょこひょこと辺りを駆け回り、四つのベースがそれぞれ置かれ、やがてグラウンド上に綺麗なダイヤモンドが浮かび上がってくる。その見事な四角形を、俺が引いた一本の歪んだ白線が醜く汚していた。
 指示を出していた上級生のうちの一人が突然、遠くから鬼気迫る表情でこちらに向かってくる。
 「ちゃんとやれ!沢村」
 先輩は、180センチはある上杖から細かいつばを飛ばしてくる。俺は詫びの言葉を述べるも、顎を上げ毅然とした態度を崩さない。負けてはいけない。なぜかそんな気がした。やがて周囲の視線を集めどんな罵声にも怯まない俺に対して、先輩の四角い顔が徐々に赤く上気していく。息詰まるような空気の中、遂に先輩の怒りの鉄槌が俺の右頬に下される。それはさほど激しいものではなく、肌がちょっとヒリつくくらいの衝撃だったが、その瞬間、俺の中で何かが、はっきりとした音を立てて切れた。それはまるで、喉に詰まっていた小骨でも取り除くかのような心地よさを伴っていた。次の瞬間にはもう、俺は先輩の汗臭いユニフォームの胸倉に飛びついていた。ほんの一瞬だけ時間が止まったみたいに誰も、何も言うことが出来ない。雨をたっぷりと含んだ雲がじっとこちらを見下ろしている。木々に止まる鳥も死んだように動かない。俺だけが時間を、空気を支配した。そんな気さえしたくらいだ。我に返った他の部員たちが、俺の身体を強引に引き剝がすまで、先輩はなすすべもなく俺の汚れたユニフォームの足に組み敷かれていた。
 ふわふわとした、不思議な心地だった。
 罰として試合中ずっとグラウンドの隅の方で正座をさせられている間も、俺は未だ夢でも見ているような気分だった。連帯責任で罰に巻き込まれた同級生たちの恨めしそうな視線さえ、今は意識の隅の方に追いやられていく。冷たい風が頬をかすめ、地面についた両膝が痛む。鋭い打球音。ぼんやりと霞がかった意識の中で、白球のやり取りが繰り広げられる。ピッチャーが投げ、バッターが打つ。野手が打球を捕球し、走者は全速力でベースを駆け抜け、審判がコールを告げる。そんな一連の動作に魅せられ、小さいころからずっと追いかけてきた筈なのに、今はすべての動きがもろとも計算されつくした胡散臭い芝居のようで、まるで古びたフィルムみたい急速に色あせていくような気がした。一日中、朝から晩までユニフォームの裾を泥だらけにして、只、白球を追い続けた。そんな日々が今は全くのでたらめであったとすら思えてきて、不意に奇妙な笑いが腹の底からこみ上げてくる。なぜ、俺は今ここに居るのか?馬鹿馬鹿しくなった俺は突然、矢で撃たれたみたいに立ち上がった。
「沢村!」
 チームメイトたちの声を背に、俺は颯爽とグラウンドを後にする。ことは意外にも容易く運んだ。いつもより幾分早く帰宅した俺に、玄関まで出てきた母は訝しげな視線を向ける。泥で汚れたエナメルバックを投げ捨て、退部の旨を伝える時、俺は微かな興奮さえ感じたほどだ。後から帰宅した父の説得にも、俺は頑として首を縦に振らない。自分でも驚くほどに、この決意は揺るぎなかった。両親は俺の態度にすっかり気後れしている様子だった。何せ、幼いころから言われれば二つ返事で応えていた素直なわが子が突然、こうも強情な態度を取り始めたのだ。俺はこれまでに先輩たちに受けた仕打ちや、厳しい練習を要因に挙げたが、それだけではない。むしろ、そんな日々はもう意識の片隅に追いやられていた。汚れた服を脱ぎ捨てて、まっさらな道を再び歩み始める。既にそんなこそばゆい快感が胸を満たしていた。
 両親から渋々、退部の了承を得ると、俺はさっそく部屋の半分ほどを埋めていた野球用具の片づけに取り掛かる。熱い鉄は冷めないうちに、俺はバットやグローブ、少年野球大会でもらったトロフィーなどを次々と容赦なく手にしたゴミ袋の中に放り込んでいく。迷いは禁物だ。ふと、何気なく手にしたボールに視線を落とす。普段は使わない硬式球。赤い縫い目は所々がほつれている。埃で薄汚れた皮の表面には流れるようなサイン。
 今でも覚えている。美しい放物線を描きながらスタンドに吸い込まれていく白い筋。一瞬の静寂の後に、ドームが割れんばかりの歓声。それでも、打たれた投手に敬意を払って彼は、無言を貫いたままダイヤモンドを回った。何万と詰めかけたファンたちが振りかざすタオルやメガホンが、かつてビッグエッグと呼ばれた球場全体に無数の花びらを浮かび上がらせる。ホームベースを踏み、チームメイトからハイタッチを求められてようやく彼は口の端にちらと白い歯をのぞかせる。狂おしいほどの熱気が満ち溢れる中、ヒーローは静かにグラウンドを退いて行った。隣で子供のようにはしゃぐ父を他所に、俺はその場で打ちひしがれた。奇跡は彗星の如く現れ、すぐに彼方の空へと消え去った。感動の波が胸の内に引いては押し寄せ、俺の身体は芯から震えた。帰りに父にねだって買ってもらったボールには、あの選手のサインが入っていた。勿論、本物の筆跡ではない。あの試合があった翌年に、彼は海を渡りメジャーリーガーになった。そんな大物選手のサインボールがそう簡単に手に入るはずもなかった。それでも、俺が野球を始めるきっかけになったこのボールを、俺は今日まで大切に持っていた。
 湿っぽい感覚が鼻の奥をツンとさせる。その後メジャーリーグでも活躍して、ワールドシリーズのMVPを獲得したあの選手に憧れて、俺は野球を始めた。早速、近所にある少年野球チームに入ったとき、俺は右利きにもかかわらず、バッティングのときは必ず左打席に立ってバットを構えた。あの選手もまた右投げ左打ちだった。一塁ベースに近いから、右投手が多いから左打者が有利とか、そんなことは考える間もなく、俺はごく自然に左打席に立ってバットを振った。いくらコーチに注意されても止めない。俺にとって野球とは、単にボールを投げて打つ競技ではなく、あの選手の背中に少しでも近づくということだった。俺の中でふつふつと燃え、綺麗な放物線を描きながら消えていったあの打球。颯爽とダイヤモンドをかけていく凛とした背中。日本中を、全米を熱狂させたプレースタイル。そのすべてが、これから俺が行くべき道筋を示す北極星のように、もう眩しいほどに輝いて見えた。かなり大げさかもしれないが、当時の俺は、自分の生きる道はこれしかないとさえ思うほど真剣に野球に没頭していたのだ。ナイター中継があれば、あの選手が打席に立つときの一挙一動を食い入るように見詰め、その細部まで忠実に再現しようと試みた。まったく無駄のない軌道から放たれる一閃。彼方に消え去る白球の行方は、いつしか俺の放つ打球の軌跡と重なってきた。無数の観衆が見守る中、俺はゆっくりと打席に向かう。俺のバットが放つ一閃が静寂を突き破り、次の瞬間、辺りは堰を切ったような拍手喝采に包まれる。マウンド上で放心する相手投手。俺は込み上げる感情を噛み殺しながら、ダイヤモンドをゆっくりと回る。ホームベースを踏みしめ、チームメイトにハイタッチを求められてようやく、俺は少しだけ相好を崩す。華麗にしてクールな一場面に、立ち会った誰もが感嘆の息を漏らす。深い感動の余韻が疲れた身体の芯にまで心地よく染み込んでくる。そんな光景を想像しながら、俺は無心でバットを振り続けた。
 愚かだと思うだろうか。しかし、誰だってこんな夢想にふけることがあるだろう。誰だって。そう、俺は誰もが同じような儚い夢想にふけっていたことにまったく気が付かなかった。想像の中であれば、誰もが手の届くはずも無いヒーローのような存在に成りきれるのだ。メジャーリーガーだろうが、大統領だろうが、想像の余地がある限りどこまでも突き進める。それは無心のあまり足元だけを見つめたまま走り続ける時のような無邪気さ、或いは危うさを含んでいた。俺はなりふり構わなかった。そしてある時に突然、強固な壁は悠然と眼前に現れたのだ。
 俺はもう全くの無防備で、その壁に真正面からぶち当たってしまった。
 俺が上がった中学校の野球部には、市内の強豪クラブチームからたくさんの選手たちが集まってきた。彼らは皆、器用にバットやグローブを操り、打席に立てば凄まじい打球を柵の向こう側までかっ飛ばした。そして彼らは皆、左打ちだった。
 海を渡って活躍したあの選手に憧れたのは俺だけではなかった。誰もがあの輝かしい光景を胸に秘め、己の野心をたぎらせていた。ただ、現実に置いてある者はその夢想を体現し、ある者は出来ずに夢破れていった。放課後の汗と土の匂いが染み込んだグラウンド上で、弱者たちは次々と淘汰されていく。俺はシミのついた模写サインボールを見下ろす。あの選手の存在は、あの眩いほどの煌きは、俺たち無数の模写の上に築き上げられていたのだ。一握りの英雄が輝きを放つために、その道程には無数の敗れ去った屍どもの呻きが満ちているのだ。英雄は、その醜い呻きさえ糧にして肥え太る。そう思うと、途端にあの人への感情は俺の中で潮が引くみたいに冷めてしまった。誇らしげに夢を語ってみたところで、俺たちは現実という名の網目の細かいザルでもって十分に漉され、漉された不純物どもの悲鳴が、やがて一滴の潤沢な成分を滴らせる。それは醜い悲鳴を聞きながら、より一層美しく輝き始める。チームメイトの放った打球が今、透き通った真昼の青空に美しい放物線を描く。一瞬の静寂の後に、会場は溢れんばかりの歓声に包まれる。打者はど派手なガッツポーズを振りかざしながらダイヤモンドを駆ける。その時の俺はと言えば、張り巡らされた網目の細かい柵の向こう側、どれも似通ったいがぐり頭どもの中で一人、虚しく指を噛みしめていた。

 今でもふと、当時の感覚が痛いほどに思い起こされることがある。それは古傷が痛みだすように突然、俺の胸を内側からチクチクと刺した。やがて満員電車がそのずんぐりとした身を揺らしながらホームに滑り込んでくる。すし詰め状態のホーム上で、湿っぽい空気を肺の奥まで吸い込むと、微かにやにの苦みが舌先に感じられた。早朝の冷たい空気が、俺の身体に必要な酸素を供給し、未だおぼろげな意識を否応なく揺り起こす。建物の狭間からちらつく陽光に照らされて青白くむくんだ無数の表情の中に今、俺は居る。

2
 赤や黄色のホタル火がぽつぽつと真っ暗な窓外の景色に灯る。時々、耳をふさがれるような感覚を得て初めて、車両がトンネルに入ったのだと気づく。いくら目を凝らしてみても分からない、永遠に続くとも思える深淵の中を突き進む最終電車に俺は揺られていた。
 会社から徒歩二十分、さらに電車で五駅。大した距離ではないが、仕事で疲れた身には堪える。耳の奥に残る上司の罵声の余韻を俺は必死に振り払おうと試みる。自宅に着くまでに、俺は今日会社で味わったあらゆる苦痛を取り除かなくてはならない。仕事と私生活との間に高い壁を作り、きっぱりと隔てる事。それがこの社会を生き抜くための知恵であり、そして、社会人となった俺が一番勉強したことである。
 俺は、会社に勤めるとは例えば100メートルプールの間を行ったきり来たりするようなものだと思う。月曜日になると皆、一斉に踏み台を蹴り、苦しいときには息を継ぎながら、水曜日には向こう岸の壁を折り返して、息絶え絶えになりながら元の位置まで戻ってくる。繁忙期には休日出勤をすることがあるけれど大体そんな感じ。この永遠とも思える繰り返しの中で一つ言えることは、決して「苦しい」とは思ってはいけないということ。現に「苦しい」ことと、「苦しいと感じてしまう」ことの間には、実はかなり大きな違いがある。失敗しようが、上司に怒鳴られ叩かれようが、目の前の仕事を淡々とこなす。仕事が終われば自宅に帰る。それは僧侶が修行に打ち込む様にも似ている。自我を棄て、あらゆる感情を棄てて、ただ機械のように目の前の事物だけに没頭する。苦痛で醜いうめき声を上げた途端、身体はあるべき支柱を失っていとも簡単に崩れ去るだろう。そんな風にして辞めていった同期生たちの背中を、俺は微かな優越感を感じながら幾つも見てきた。新卒時代には上司や先輩にしばかれ、宴会では無茶な芸を仕込まれ、それに連日の長時間労働が続き、なぜ自分だけがこうも苦しい思いをしなければならいのかと嘆いたものだったが、ふとある日の最終電車に乗っていた時、そこには年齢や性別の違いはあれど、俺と似たようなサラリーマンたちが憮然とした表情を浮かべながら今にも崩れそうな身体を支えていることに気が付いた。実は、社会にとって俺の苦労や苦痛は何ら特別なものではなく、ただこの社会を動かす歯車のほんの一部に過ぎないのだ。そして、その歯車の上にあの選手の存在がある。それは本来、悲観すべきことなのかもしれないが、俺はそうは思わない。むしろ、大半の者たちと同じ歯車の一部であることに、俺はある種の安心すら抱いていた。
 よく「あの頃はよかった」みたいに学生時代や少年期の思い出を美化して夢想にふける者が居るが、あれは嘘だと俺は思う。今よりもむしろ、俺は彼らが言うあの頃の方がよっぽど苦しかったように思う。若かりし頃の何色にも染まっていない真っ白いキャンバスのような時期は、実は何処の誰でもないという不安定な恐怖を当時の俺に植え付けていた。
 俺は大学生時代に所属した「フットサルサークル」と称した飲みサークル仲間たちと行った湘南の海の景色を思い出す。東北の僻地で育ち日本海の黒々とした海しか知らなかった当時の俺は、免許取り立ての友人の粗い運転に助手席で軽い眩暈を覚えながら窓外の景色を見つめる。初めて太平洋の光景を目にしたとき、俺は息の詰まる様な思いがした。視界に収まりきらないほどの広大な海。吹き付けるそよ風が前髪を跳ね上げ、塩辛いにおいが鼻の奥をつく。初めはどんなに綺麗な海かと勝手に想像を膨らませていたが、目の前に広がる海の光景は、俺が見慣れた日本海と相も変わらず、淀んで黒かった。それでも、あの水平線の先に他国の大陸ではなく、ただただ広大な太平洋の海が広がっているのだと思うと、やはり感嘆の息を漏らさずにはいられなかった。押し寄せる細波を手ですくってみると塩辛い水が指の間をすり抜け、後には湿った砂が手のひらを汚した。威勢のいい仲間たちが、女子連中の前で格好をつけようと数十メートル先にあるブイをめがけて泳ぎ出す。俺もまた飛び込めばよいものを、あまり泳ぎが得意でないこともあって、すくんだ足が前に出なかった。
 「沢村くんは行かないの?」
 そう囁く淡い色の水着をまとった女子は、俺の肘に細い指でそっと触れる。どうやら彼女は、俺が行かないのを勝手に良い意味に変換して解釈してくれたらしい。薄い唇に浮かんだ恍惚な笑み。触れればすぐに解けてしまいそうな淡い水着。沖合へ向かって小さくなっていく仲間たちの背中。それを迎え入れる広大な海。砂浜を、俺らの肌を焼き尽くす真夏の太陽。女子の細い身体は滴る汗で妖艶なまでに光輝いた。俺はしびれるような快感と共に、言い知れぬ恐怖を覚えた。針を散らしたように輝く海の上を、いくつかのブイがゆっくりと揺られている。仲間たちの背中は今、そこを超えていこうとしていた。
サークルのOB連中は、よく俺ら現役世代の飲み会に参加して「あの頃はよかった」などと口をそろえて語ったものだ。学生時代の甘酸っぱい思い出は、社会に出て感じる陰湿な息苦しさを癒してくれるようだが、同時に彼らの目は明らかに、何処の何者でもない俺ら学生連中を見下し軽蔑していた。そして、己らはどのような形であれ社会の歯車の一部であることの自負と安心感を、俺ら哀れな学生連中を見つめることで確かめているようだった。その夜にOB連中の背中にくっついて歩く馬鹿な女子どももまた、そんな視線を感じて、一刻も早くこちら側から抜け出したいと考えていたに違いない。だが、例えどんな男に抱かれようが、この状況から抜け出すためには、精神だけでなく、物理的にもこちら側から抜け出し、社会という歯車に否応なく組み込まれなくてはならない。それが真っ新な心と自我をかなぐり捨てる事さえ意味しているとしても。その焦燥感は、ことを終えた後に気の無い男に抱かれた罪悪感と共に波のようになって女子どもの胸に押し寄せてくるだろう。
 確かに、あのOB連中が言ったように、歯車の一部として生きる事には苦痛が伴った。朝も夜も毎日、駅のホームは疲れた社会人たちの表情で溢れかえっている。俺たちの人生は、目覚まし時計のけたたましいアラーム音と、毎日乗る電車の時刻表の中でのみ動いている。しかし、俺たちは確かに敷かれたレールの上に乗っている。それを悲観する見方もあるが、ではあの湘南の地にどこまでも広がる大海原に放たれて「さぁ好きなようにいきなさい」と言われたところで、大半の人物は途方に暮れてしまうことだろう。息も付けぬほどの広大なる自由は、創造性に乏しい者たちにとっては、かえって身動きを取れなくしてしまうのだ。ならば一層の事、多少の不満はあれど、誰かに示されたレールの上を歩く方がよっぽど容易いではないか。自らの才能の無さを突き付けられ打ち震えるよりかは、自我を棄ててただ定められた苦痛と顔を突き合わせている方がマシだ。「あの頃はよかった」だなんて、不幸な若者たちを前にして口走るほど俺は悪趣味ではない。大学を卒業後、俺は何度かサークルの飲み会に誘われたがついに一度も顔を出さなかった。

 コンビニで買い求めた350ミリ入り缶チューハイを煽りながら、俺は人気のない夜道を闊歩していく。酔いで火照った頬に冷たい夜風が心地よく感じられる。突き抜けるような開放感が胸を満たし、ふと空を見上げると、都内のすすけた夜空にも微かに星々が煌いていることが分かる。それは細い穴から何とか顔をのぞかせるみたい窮屈そうに煌いていた。東北僻地の星々が一面に広がる光景とは違い、黒い炭で塗りつぶされたような都会の夜空を見上げる時、俺はいつも深い孤独を感じる。地元の高校を卒業後、そこには何かがあると切に信じて、俺は都内の大学に進学した。そして、取得単位ギリギリで大学を卒業し、都内の企業に就職した今となっては、もはやあの頃に自分が求めていた何かの正体が、一体なんであったのかは掴めなくなってきている。冬には底冷えのするうらぶれた東北の僻地に、老齢の母一人を置いてきた罪悪感だけが時々、俺の胸を強く締め付ける。
 誰も居ない筈の部屋の窓にぼんやりオレンジ色の光が灯っていることに気が付いた時、俺は思わず足を止める。もう深夜零時を過ぎてそこだけが死に後れた蛍のように煌煌と灯っているので、俺は嫌な胸騒ぎを感じながらもぼろアパートの階段を上っていく。腐食が進んだアパートの階段は、俺の足に踏まれるたびにギィと鈍い呻き声を上げた。錆びたドアの隙間から漂ってくる温かい芳醇な香りは、こちらの鼻と腹とを心地よくくすぐるくせに、何処か押しつけがましいというか、強すぎる芳香剤の香りでも嗅いだみたいな違和感が感じられた。俺が部屋の扉を開けても、聡子は敢えて気づかないふりをして作業を続ける。俺は狭い玄関先でどうしてよいかわからずに立ち尽くしている。「ただいま」という表現が正しいのかもしれないが、そう言ってもし聡子から「お帰り」と返されたなら、それは間違っている。ここは俺の部屋だ。
 「お帰り」
 聡子はこちらを一瞥もせずに先手を打ってのける。ひとの部屋だというのに、彼女の、菜箸や食器を棚から取り上げる手際は見事なもので、まるで一寸の迷いもないように見える。鍋からすくい上げたお玉に唇の先をつける仕草が、かつての母の姿を俺に思い起こさせ、それは俺や母に対する酷い侮辱のように思えた。俺は俺で、彼女など全く無視して自分の部屋に上がり、仕事着から楽な服装に着替える。擦り切れた我が家の畳に寝ころび、二本目のチューハイの蓋を開けて飲む。と、空きっ腹にチューハイの辛い液が流れ込み、みぞおちの辺りが鈍く痛みだす。そろそろつまみでも欲しくなった頃合いに、聡子が白い湯気の立ちのぼる鍋を抱えてやってくる。聡子が取り分けてくれる野菜はどれも瑞々しく、噛めば心地よい音を立てて鳴り、爽やかな風味が口の中に広がった。私も残業になってね、と彼女は言うが、俺が帰るタイミングを伺っていたのは明らかだった。俺はただうなずいただけで、黙々と煮立った食材を口に運んでいく。下味のよく効いた汁が、ボイルされたウィンナーの甘みが口の中でとろける。俺がただの肉よりウィンナーの方が好きであることぐらい聡子は熟知していた。電灯から垂れ下がるひもが、立ち込める靄に触れて音もなく揺れる。深夜の張り詰めたような静寂が、鍋のぐつぐつと煮える音を奇妙なほどに際立たせる。窓外の景色は、宇宙の果てのように暗く、そこにはどんな音や光さえ及ばないような気がした。チューハイ缶の表面が結露して握った手のひらがしっとりとする。それにしても、こんな平日の真夜中に二人で顔を突き合わせて鍋を食うとは、何だか不思議な感じがした。聡子は、自分はほとんど食いもせずにせっせと灰汁取りに励んでいる。その忙しない手つきは、この女の性(さが)を象徴する動きに見て取れた。菜箸とお玉を操るなめらかな手さばき。口元に滲む微笑。かつては、日陰にひっそりと咲くシャイな小花を見つけたような感動を彼女の中に見出したこともあった。俺が時折、烈火の如き罵声を浴びせると、彼女は根強い雑草のようにぐっと首を垂れて耐えている。そして俺の言葉が尽きると、今度は急にきっと顎を上げて、何を言うでもない静かなる逆襲に転じるのだ。初めてその光景に遭遇した時、俺はひどく狼狽した。その瞳には揺るぎない自信が満ち溢れていた。悪さを働いた上に悪態をつく我が子の身の潔白を信じる母親のように、彼女の決意はあまりに悲痛で愚かだった。そんな彼女に、俺は激しい嫌悪を感じた。まるで餌の入った缶に鼻を突っ込む豚のように、彼女は、彼女の作り出す夢想を醜く貪っていた。そう、彼女は愚かな夢想を貪る豚だ。じめじめとした狭い部屋に一人で閉じ籠り、目と、耳と、鼻とをしっかりと塞いでひたすら妄想に耽る。彼女が、かつて通っていた大学の芸術学部を途中で投げ出してしまったのにもうなずける。画家を目指していたという彼女は、それ以来筆を折り、絵とは何ら関係のない製品工場の事務員として働きだした。未だ憑きまとう夢想の幻影を打ち消すかのように。
 俺が未だ学生の頃、ある大学の芸術サークルが主催する展覧会に赴いたのが、聡子とのきっかけだった。当時付き合っていた女性に誘われたのだが、芸術の分野に関してはどうもピンと来ない俺にとってはただただ退屈なわけで、一緒に見て回る間にも俺がしょっちゅうタバコ休憩に抜け出すものだから、彼女の方はもうすっかり機嫌を損ねてしまった(程なくして、俺は彼女と別れてしまった)。
展覧会とは言うものの、大学の狭い講堂をいくつか貸切っただけの展覧会もどきにたくさんの人が集まるはずもなく、観覧者のほとんどがサークル会員かその友人といった面々ばかりであった。立ち並ぶ作品を眺めていると、まるで写真のように細部まで忠実に描かれたものもあれば、反対にペンキでも投げつけたようなさながら色のついた吐瀉物てき作品も見受けられ、まるで異国の怪言語を注視しているかのような心地に俺は軽い胸やけすら覚えたほどであった。そんな代物を、すぐ隣で当時の彼女はさも真剣な眼差しで見つめている。ただ、そんな芸術音痴の俺にもわかることは、この異彩を放つ展覧会の中で、真に煌きを放つものはほんの一握りであり、あとは世間からろくに見向きもされない醜い自己主張の塊であるということだった。この展覧会に限らず、その種のすえた臭いがこびりついた人間はこの世に五万といる。かくいう俺もかつてはそうだった。体中から異臭を放ちながら、あの選手の背中だけを見つめてバットを振り続けた。そんな遠い昔の記憶が胸の奥で疼き出すと急に気分が悪くなってきたので、俺は怪訝そうな表情を浮かべる彼女を他所に、本日四回目のタバコ休憩に向かう。
 よく晴れた濃い青空に、俺がふかす一筋の淡い煙が立ち上り消えていく。やにの苦みが口を伝い疲れた身体の隅々にまで広がっていく。会場で一人俺を待っている彼女からは、付き合い始めてから散々、禁煙を勧められていたから、最近ではすっかり冷めていた互いの感情もこれで決定的なものになるかもしれないと思ったが、今となってはどうでも良かった。俺がタバコを口にするとき、彼女は如何にも憎々し気な表情を浮かべ、そして、まるで我が背後には数千数万という味方がついているかのような勢いで、もう正義感たっぷりに喫煙行為の悪を追求してくるのだ。俺はそんな彼女の独断的で、断定的な態度がすごく嫌いだった。同い年ではあるが、恵まれた環境でぬくぬくと育ち、未だ世に蔓延る悪も波乱も知らぬ純粋無垢なこの女を、俺はいつしか心の底から憎むようになっていた。まだ戻る気になれず二本目のタバコを咥えたとき、狭い喫煙所に二人の男が入ってきた。中年ぐらいの二人組は外気で冷える両掌を揉み合わせながら、先に居た俺の方を一瞥すると、恐る恐る「ここの学生ですか?」と問うてくるので、俺は苦い笑みを浮かべて否定した。ここに来るまでに遭遇した、虚しい自己満足に耽る芸術青年たちの恍惚とした表情を思い出して、自然とそんな感じになってしまったのだ。俺の応えを聞いて安心したのか、男たちは各々タバコをふかしながらくぐもった声で話し始める。
 「いやぁ、今日は学生連中の新鮮な作風を見れるかもしれないと期待してきたのですけれどねぇ……。」
 「まったくだ。近頃の若者は、先人の知恵や技術を真似するだけで、上手いのだろうけれど、なんかこうガツンと来る感じに欠けるんだよね。」
 「似せるだけで満足してしまっているのでしょう。」
 「いっぱしの芸術家気取りで小難しい知識を身に着けていても、捨て身で挑むという真の芸術家たる姿勢を心得ていない。もっと、身体の内側からこみ上げてくる情熱をそのまま作品に表現するような、堂々とした態度で作品に臨んでほしいものだ。」
 「かくいう我々も、似たような失敗を犯して今に至るのですけれどねぇ……。」
 そう言うと、二人はまるで自分の事のように悔しがる。俺は背を向けたまま黙って聞いている。半分ほどが灰と化したタバコの火種を灰皿の上でもみ消すと、男二人の背中に向かって少しだけ頭を下げて喫煙所を後にする。構内に戻ると、途端に暖気が全身を包み込む。仄かなスポットライトを浴びせられた作品を前に、数人の学生たちが集まって熱心に何かを語り合っている。皆サークルの会員らしく、ある者は腕を組み、ある者は口に拳を添えて神妙そうな面持ちで議論している。何だか難しい糞でもするみたいな彼らの表情は、見ているこちらを妙に恥ずかしい気持ちにさせた。専門的なことは経済学部生の俺にはよくわからないが、それは例えば「2-1」という数式を「2(X-1)=0」に変換するといった具合に、彼らは同じ答えをあらゆる方向からこねくり回して、簡単なことを敢えて難しく表現しているようで、議論のための議論を繰り広げるような不毛な戦いをしているとしか思えなかった。それは若さゆえの過ちなのかもしれないが、ふと先ほどの男二人の言葉を思い出すと、俺はひどく憂鬱な気持ちになった。
 「違うんだよ。君の作品は」
 そう言うと、メンバーの一人が悔しそうに自らの膝を拳で打って見せる。他のメンバーの表情にも怪訝そうな色が浮かぶ。それら視線の先には、都会のビルが立ち並ぶ風景を描いた作品が、柔らかなスポットライトを浴びながら佇んでいる。そんなやけに妖艶な姿を、輪の中心から聡子は祈る様な眼差しで見つめていた。
 「まず、君は描く角度の選択からして間違っている。こんな中途半端な高さから俯瞰した都会の風景を描いて、君は一体何が表現したいのさ?」
 「僕も敢えて言わせてもらうけど、これでは君がこの都会の風景を『支配』したいのか、或いはそれに『困惑』しているのか、いずれにしても君の意志というものが伝わってこないんだよ。」
 聡子はまるで従順な犬のように、それらの言葉に対して何度もうなずいて見せる。だが、その目は突き付けられた重荷に耐えかねているのか哀れに潤んで見えた。
 「もう一度、自分の作品と真剣に向き合うことをお勧めするよ」
 そう言い残すと、連中はそそくさとその場を後にする。残された聡子を気遣っているのか、一人の男子学生が彼女の肩に手を置いて
 「悪くないと思うよ。でも、君のためだから。」
 そう言うと彼もまた連中の後を追っていった。得意げに風を切って歩く連中の背中を。君のためだから。その言葉は、擦れたジーンズの裾を悔しく掴んでいる聡子の境遇をかえってより一層惨めなものにして見せた。連中から取り残されても尚、聡子はこき下ろされた自らの作品の前に佇んでいる。
 「俺は良いと思うけどな」
 俺は敢えて連中に聞こえるような声量で言ってのける。後悔の念が胸中に過ったときにはもう口走った後であった。連中はこちらを一瞥するとしばらく睨みつけていたが、困ったように肩をすくめただけで去ってしまった。多少の言い争いにはなるだろう覚悟を決めていた俺は、呆気ない幕切れに拍子抜けして、思わず安堵の息を吐く。今までろくに他人と喧嘩すらしたことが無かったから、心臓はまだ耳の奥で生々しく鼓動していた。幸い観覧者が少なかったので、すぐにその場を去ろうと振り返ると、聡子の驚いたような視線とぶつかる。
「下らんことをしました。すみません」
 俺は先手を打って頭を下げる。下手に感謝でもされたなら恥ずかしくて死んでしまいたいと思うかもしれない。未だ緊張で俺の手のひらは汗ばんでいた。
 「別にいいんですよ。慰めてもらわなくても」
 しかし、聡子は感謝するどころか、むしろ憮然とした表情で
 「才能がないんですよ。私」
 そう言って、聡子はその白い頬に自虐的な笑みを浮かべる。連中の言うことは間違っていない、すべては自分の才能がないためだと、彼女は執拗に自らの作品をこき下ろして見せる。その声色には悲哀どころか、むしろ鼻歌でもくちずさむような愉快な感じさえ受けた。都会のビル群を俯瞰して描かれた彼女の作品は、一瞬写真かと見間違うくらい驚くほど精緻に描かれていた。枠の中一杯に詰め込まれたビル群。人影はなく、ただ灰色の光景が細かい輪郭でもって懇切丁寧に描き込まれている。反面、あまりに整然としすぎていて、それならば俺がその現場に行ってカメラで撮って来ても同じじゃないかと思うくらい、その作品は限りなく無意味な模写であるように思えた。
とはいえ、自分が一度は褒めた作品をこうもこき下ろされては、どうも釈然としない。俺は何とか言い返してやりたかったが、聡子は仄かに差し込むスポットライトの明かりの中で、額に垂れた長い前髪にさえ注意を払うこともなく、ただ自ら駄作と称した作品を、そのくせいつまでも祈る様に見上げていた。
尻ポケットの中で携帯が震える。

『帰るね』

軽やかな着信音と共に、無機質な文字が黒い画面上に浮かび上がった。


 次に俺が聡子と出会ったのは、知り合いに誘われた合コンの席であった。
 あれから付き合っていた彼女に振られ、微かな寂寞と開放感とに浮かれていた俺は当日、友人たちの背後で佇んでいた聡子の姿にはじめは気付くことが出来なかった。いざ会が始まり、空気が悪くなるとみて行われた恒例の自己紹介で、聡子がおずおずと戸惑いがちに立ち上がった時、俺は初めて彼女の存在に気づくことが出来た。
 「石浦聡子と申します。以前は絵画の勉強も、少しだけ、やっておりました……。」
 慣れていないのか絞り出すようなか細い声に、男子連中は優しく相槌を打っていたが、視線は他の女子連中の方に泳ぎまくっていた。その気配を彼女自身もきっと敏感に察知していたに違いない。改めてみると、彼女は魅惑的な女性というよりかは、一回り大きくなった妹といった印象であった。それでも、彼女は決してあきらめずに与えられた勤めを淡々とこなしていく。俺だけが、あの芸術青年たちにこき下ろされ目を潤ませていた彼女の姿を思い出して、身じろぎもせずに耳を傾けていた。
 「よろしくお願いします。」
 最後に聡子がちょこんと頭を下げると、狭い座敷部屋は男子連中の被せ気味の拍手喝采に包まれる。そして各々の自己紹介が終わり、男子連中が今日の為に用意したとばかりにとっておきのうんちくやら一発芸を披露して、女子連中も身構えていた相好を崩し始めていよいよ盛り上がってきた最中、隅の方で一人その波に乗り切れずにストローの端を齧っている聡子の様子を、俺は友人の肩越しからさり気なく見つめていた。彼女の方は覚えていないのか、ときどきこちらと視線が合っても、ごく義務的に会釈を返すだけであった。展覧会の日には頭の後ろで結わいていた黒髪を、今日は胸の前あたりにまでおろしている。透き通るような白い肌と、ジョッキを掴む慣れない手つきが彼女を実際の歳より幾分幼く見せた。合コンのにぎやかな雰囲気の中から一人、彼女は明らかにはじき出されていたが、その表情は決して戸惑ってはいない。むしろ、鏡に映る己の哀れな姿と真正面から向き合っているような凛とした表情は、突出した美人でもない彼女の身体の中で、不意に出土した鉱石のように不思議な煌きを放っていた。俺はポケットの奥に隠し持っていた綺麗な石ころでも見つめるみたいに、遠巻きから彼女のそんな様子を眺めていた。
 「聡子さんは、絵の勉強をしていたんだって?」
 こなれて余裕が出てきたのか、一人の男子が声をかけると、
 「ええ。でも、もう辞めました。」
 そう答えた彼女の頬には、台詞とは裏腹に清々しいほどの笑みがあふれていた。湿っぽい部屋の空気が瞬間、薄い膜が張ったような静寂で満たされる。聡子の頬は酔いで仄かに赤らんでいたが、その視線は微塵も揺らいではいない。彼女は、俺らが居る少し後ろの空間をじっと見つめている。誰かが不意に手を叩いて何とかその場は収拾したように見えたが、その後も彼女が与えた違和感は、水面に石ころを投げ入れたように皆の脳裏に微かな余波を残しているようであった。俺は女子連中に義務的な笑みを向けつつ、気付くと上着のポケットの中身をまさぐっていた。

 淡い煙の筋が黒ずんだ夜空に溶けていく。聡子が吐くタバコの煙は幾分白っぽく見えた。あまり慣れていないのか、少しふかしただけで急に激しくせき込むものだから、結局、未だ半分は残っているタバコの火を灰皿の上でもみ消してしまった。奇遇ですね。俺がそんなタイミングで切り出すと、聡子は恨めしそうにこちらを見上げる。まるで、実の兄に恥ずかしいところを見られた妹のような感じ。中から女子連中の下品な笑い声が外にまで響いてくる。男子連中の掴みは順調なようだが、では、最後に彼女たちがこちらの誘いに応じてくれるかといえば、その可能性は低いと言わざるを得ない。いくら男子が張り切っても、女子はそれを眼前に飛ぶハエでも払うかのように退ける。それが合コンの真理だ。会の終わりに、女子連中が男子の誘いをこともなげに拒絶するその恍惚とした笑みは、ある意味では芸術的と言えるかもしれない。「お前はそんな芸術に目覚めたのか?」と、俺はうつむく聡子に向かって半笑いで問いかけてみたい気がした。
 「下らないだろう。あんな連中」
 自分でもびっくりするようなセリフが、淡い煙と共に口をついて出た。自分もまたその一味であるというのに。でも、聡子にもまた俺を非難する資格など無かった。先ほどの自信に満ちた態度とは打って変わって、聡子はいじけた子供のようにじっと爪の先を見つめている。
 「絵の勉強は諦めたの?」
 「うん」
 「どうして?」
 俺の問いに、聡子は露骨に細い眉をひそめたが、俺は構わずに問い詰める。自らの作品の前で仄かなスポットライトを浴びながら佇んでいた聡子。仲間たちの批判に耐えかねたのか。でも、自分の信じる道を進めばいいじゃないか。俺は彼女の痛がる部分に敢えて手を突っ込んでみる。答えはわかっているさ。でも、彼女は何も答えずに、目を伏せたままじっと耐えている。世に生きる大半の人たちがそうしているように、彼女もまた同じ道を選んだのだ。駅のホームに溢れる無表情な人たちの中にその身を潜めて、無味無臭な毎日を過ごしていく。眼前にそびえる壁からは目を逸らせて。
 俺は聡子が負った傷口の奥深くに手を突っ込む。どうして諦めるのさ?あんな批評家気取りの連中の言うことなど聞く必要はない。だって、奴らもまたアマチュアである以上、正しいとは限らないし、それに成功するためにはそれ相応の勇気と、覚悟が必要なんだ。所詮、合コンの誘い文句に違いないとわかってはいても、俺は自分でも笑ってしまうほどの臭い台詞を次々に並べ立てる。お前が言うなと、自分で自分を突っ込んでやりたかった。もう遠い昔に自分の夢を諦めて、そのくせ彼女のような人物に興味を抱いている。俺は醜いハイエナのような男だ。腐りかけた肉を咥えて喜んでいる。遂に、聡子がその目の端からぼろぼろと大粒の涙をこぼすと、俺は言い知れぬ興奮を感じた。せき止めていたものが突如として崩れ落ち、涙は嘘みたいに彼女の頬を伝い陶器のように白い喉を濡らした。俺はその華奢な身体を抱きしめてやる。彼女の身体は意外に柔らかく、そして、酔いのせいかやけに熱っぽかった。彼女がこぼす涙のせいで、胸元の辺りがしっとりとする。中に居る連中に気づかれただろうか。いや、こうして二人きりになった時点で既に怪しまれていることだろう。黒ずんだ夜空に一点の星が煌く。それは赤や黄、緑に変色しながら徐々に右から左へと移動していき、やがてビルの谷間へと消えていった。

 物憂い講義が続く。俺は回ってきたカードリーダーを使って五人分の代返を済ませると、机下に忍ばせたスマホの画面を弄ぶ。五人分の講義レジュメと出席カードで、俺の机上は山のようになっていた。特に何をするでもない、数あるアプリを開いては閉じていくうちに、結局、ヤフートップニュースの閲覧に落ち着く。内容は芸能人のゴシップやら、スポーツ選手の契約更改やら、凶悪事件の判決やら、無益な政治に対する無暗やたらな批判やら、いくら記者たちが記事を盛りに盛り立てても、所詮、波風経たぬ日常に縛られた者たちにとっては、漫画のページをめくるが如く、或いは遠い国のおとぎ話でも聞くかのように、それらは俺たちにとってあまりに縁遠い出来事であって、時々、目を引くような事象があったとしても、それは退屈な日常の中で俄かに下品な興奮を掻き立てるに過ぎない。その種の快楽は、安酒を煽るのとほとんど同じで、沸き立った熱はすぐに冷め、代わりにやり場のない苦痛が胸の奥で執拗に渦巻いている。画面をスライドさせていくうちに、一つの記事に目が留まる。『就職氷河期、到来。』そんな世の中を悲観するうえで刺激的なタイトルをつけた主とは、既に就職活動を終えてそちら側に行った者たちである。無責任な政治のせいで、そのしわ寄せを俺たち若者が食わされているというのである。確かに、世の中の雰囲気は上向いているように見えて、実はその恩恵を享受しているのはごく僅かである。サークルの先輩たちも就職活動で散々苦労した挙句に浪人か、或いはブラック企業でぼろ雑巾のような扱いを受けている。恩恵を享受する一部分に『入れる』か『入れない』か。そんな世の中における戦いの構図は今も昔も変わらない。しかし、そちら側に入れなかったことを、すべて他人のせいにできるほど俺は器用ではなかった。おそらく来年の今頃には、自分も厳しい就職活動の波にのまれているだろうと考えると、一抹の不安が胸によぎるも、不思議なものでよく効いた空調と、講師の単調な講義によって、俺は心地よい微睡の世界へと吸い込まれていく。真面目に講義を受けていたのも入学したばかりの頃、初めの方の僅か数か月間に過ぎなかった。確固たる意志も目的もなく、ただ漫然と経済学部を選んだが、いざやってみると、世の中の動きを精密なミニチュア模型に見立てたようなこの学問に面白みを感じたこともあった。しかし、のめり込んでいくうちに、俺の脳裏には同じように野球に熱中していた頃の苦い記憶が蘇った。なりふり構わず突っ走った挙句に、突如、眼前に現れた確固たる壁に真正面から激突する。その痛みの記憶がありありと蘇ると、俺の中で燃えていた熱は途端に潮が引くみたいに冷めてしまい、俺はあっさりとペンを置いた。そして、その他の同じような境遇にいる仲間たちとの下らぬ遊びに興じるようになった。
 聡子は「また会いたい」と俺に言った。額に張り付いた前髪を細長い指でそっと払う。湿っぽい布団の隙間からのぞく彼女の瞳からは、喫煙所で見せた涙は消え失せて、代わりに獲物を狙う鋭い光が佇んでいるようだった。汗ばんだ彼女の身体は、それ相応の肉と、僅かな体毛とを携えている。特に相性が良かったわけでも、目を見張る様な美人でもない。もし、繁華街の人混みの中にひとたび紛れ込んでしまえば、俺はおそらく彼女を見つけ出すことは出来ないだろう。この年頃の若者たちがよくやる、下らぬ戯れごとの一つに過ぎないと、そのとき俺は苦いタバコを燻らせながら自分にそう言い聞かせた。
 講義は未だ途中だったが、俺は荷物をまとめて教室を後にする。別に、誰も咎めはしない。「自由には常に責任が伴う」と、どこかの大先生が講義の中で述べたそうだが、まったくその通りだと俺は思う。真昼の人がいない最寄り駅のホームで立ち尽くしていると、不意に、俺はいつか自分が罰を受けるのではないかという不安に駆られる。ひとたび考え出すと、不安はやがて黒ずんでいく生々しい鮮血のように胸の内にふつふつと湧き出してくる。別にこれといった罪を犯した訳ではないのだが、澄んだ青空の下を優雅に飛び回る数羽の鳥たちが、なぜかこちらを指さしあざ笑っているような気がした。腰の曲がった老人が、目の前をゆっくりと横切っていく。朝の通勤ラッシュが嘘のようにホームは静まり返っている。俺はこれから仲間たちが待つカラオケボックスに向かうのだ。彼らとは協力して授業をさぼり、テストのときには答案を見せ合って、後はバカみたいに遊んでいる。そんな時間を「青春」だなんて、綺麗な言葉で片づけるつもりは俺には毛頭なかった。言うならば熟れた果実を欲望のままに食いつくして、遂には食うものもなくなり、後はすごすごと去っていくだけ。去っても尚、口の端についた果実の汁を未練たらしく舐めている。薄暗い部屋の中で、俺は友人たちの熱唱をぼんやり聞き流しながら、薄味のポテトを齧っている。まさか、こんな時間がいつまでも続くとは露も信じてはいないが、では俺たちの人生は一体どこに向かっているのかと問われても、おそらく言葉に詰まるだろう。いずれにせよ、俺たちがこの無意味な惰性から抜け出すことは当分出来そうにはなかった。
 友人が電子パネルに入力している間、俺はふと意味もなく携帯の画面を見つめる。俺は先ほど歌ったばかりなので、自分の番は当分回ってこなかった。手持無沙汰になっても、手元の画面に視線を落としておけば、まるで何か用事でもあるような、それなりの様になってしまう。俺はほとんど興味のないアプリを開いては閉じながら、そんな時代の流れに感謝する。友だち登録欄に溢れる宣伝広告に紛れて、見慣れないアカウント名が表示される。友人が振りかざすマラカスのうるさい音に耳を塞ぎながら俺はその画面を開く。

 女性に会いに行くときの、一握りの期待と、それに相反する白けた感情とを噛みしめながら、俺はぼろいアパートの階段を上る。触ると僅かに錆びの粉がつく手すりを見つめて、これが年頃の女性が住むアパートだろうかと内心で苦い笑みを浮かべる。
 玄関先で俺と目が合った時、聡子は物怖じもせずごく自然な動作で俺を部屋に招き入れる。何も不倫をしようというわけではないのだが、若い女性が、さして縁の無い男を自分の部屋に入れるのだから、もう少し緊張感のようなものがあっても良いものを、彼女は何のためらいもなく俺のシャツの袖を引いた。陸の孤島のような六畳一間に、小さめのタンスや冷蔵庫、テレビなど、生活するために必要な最低限の品が置かれてある。少し大きめのパーカーと擦り切れたジーンズを履いた彼女は、女性が本能的に兼ね備えている外見的魅力を積極的に打ち消そうとしているのかとさえ思えた。彼女がいれた薄いお茶を味わいながら、俺は無遠慮に狭い部屋の辺りを見回す。そもそも、彼女とは本気で付き合うつもりはなかったから、特に遠慮をする必要もなかった。彼女もそのことを承知しているのか、丸い湯呑を両手に抱えてじっとしている。たった一枚の作品を見ただけで、俺が彼女の人生について断定することは出来ないが、しかし、この空虚な一室が、彼女の行く末を暗示していると思った。世にいる大半の学生たちもまた、与えられた自由の意味をはき違え、下らぬ遊びにうつつを抜かしていつの間に時間を浪費していく。例えその道程で真理に気が付いたとしても、彼らは目を背けるだろう。既に確定した己の死と向き合うことが出来ないように、それは彼らにとって受け入れがたい事実だった。
 部屋の隅には一枚の真っ新なキャンバスが置かれている。生きていくために必要な最低限のものしか置かれていない筈の空虚な部屋の中で、シミ一つないそれだけが異様な雰囲気を放っていた。聡子は自分の裸を隠すように、細長い指先で真っ新なキャンバスの表面に触れる。ざらざらとした表面を何度も、愛おしそうに愛撫する。その様に俺は軽い眩暈すら覚えた。最初は特殊なプレーか何かと思ったが、彼女が机の引き出しから取り出した鋭利なペン先をその表面に突き立てた時、俺は自分が被写体になったのだと思った。聡子の目は、どこにでもいるごく普通の女性の目から、芸術家が持つであろう鋭い眼光にとって代わる。俺はこれほど切実に「見られる」という経験がなかったので、時々キャンバスの上から現れる彼女の視線を浴びるたびに、奇妙な興奮が沸き立ち俺の胸を高鳴らせた。しんと静まり返った部屋の中に、憑かれたように動き回るペン先の神経質な音が響く。それは彼女の意志というよりかは、小刻みに動き回るペンの方が能動的に彼女の掌を導いているようであった。徐々に上気していく彼女の白い頬は、そのあまりの激しさに耐えかねて苦悶しているようでもあった。芸術の魔物に身体の内側から食い破られていく。もし、自分に描けるほどの筆力があったとしたなら、そんな魔物の姿を表現してみたいと思った。彼女は過激な曲の演奏でもするみたいに、ときに柔らかく、ときに激しくキャンバスに作品を描いていく。そして突如、空を裂くような悲鳴とともに、彼女はキャンバスを見事真っ二つに引き裂いてしまった。無残な音を響かせながら何度も、何度も引き裂く。やがてキャンバスは白い紙吹雪となって宙を舞い、彼女の悲痛な雄叫びが空虚な部屋中に響き渡る。大量の汗と、涙と、涎で濡れた顎を拭いもせず、彼女は狂ったように泣き叫ぶ。それは人というよりかは、ただ欲望に向かって叫ぶ一つの獣のようであった。俺は片隅でただただ呆気に取られている。俺はあの展覧会で彼女を批判した学生連中や、批評家たちに言ってやりたかった。これほど真に芸術と向き合った者はいないであろうと。向き合った末に、暗く深い泥沼に足を取られて、惨めにその身をよじらせていることを、彼らの傲慢に歪んだ鼻先に向かって突き付けてやりたかった。聡子は人生の壁に真正面からぶち当たった。かつては、絵の上手い普通の女の子として、ただ絵が好きで、皆から褒められていたのだろう。それが、真の芸術の世界に一歩足を踏み入れた途端、その自信は完膚なきまでに叩きのめされたのだ。彼女は芸術の虜となって、自分の才能の無さと惨めに向き合わなくてはならなくなった。それがどんなに醜くて辛い生き方であるかは、とても俺には想像できない。かつて夢見ていたものをあっさり道端に捨て去った俺に、想像する権利など無いような気がした。

 俺を駅まで送る聡子の表情には、先ほどのような悲壮感は微塵も無くて、むしろ、ことを達成した後の爽快感さえ漂っていた。燃えるような夕焼けが、ビルの狭間に押しつぶされ消えていく。午後五時を過ぎて、駅には徐々に人があふれ始める。刹那に差し込む夕日の光に目を細めながら、人々は俺たちのそばを通り過ぎていく。ふと、俺は聡子の手によって破かれた作品を、この目で見ることが出来なかったことに気が付く。そこには俺が薄暗い六畳一間に座している画が描かれていた筈だが、今更、こちらに向かって手を振る聡子に聞けるはずもなかったし、聞いてはいけないような気がした。

3
 背後に食器同士が触れ合う微かな音を聞きながら、俺は擦れた畳の上に寝そべっている。電灯の白い光がまぶたにあたるせいか、目を閉じても意識は妙に冴えていた。少し薄めに味付けされた鍋は、いくら食べても飽きが来なくて、食べ過ぎて膨らんだ胃は、もたれるどころかむしろすっきりとしているくらいであった。普段は外食か、買ってきたものを食べるばかりで、自分ではほとんど寄り付かない台所の中で、聡子はてきぱきと後片付けをこなしていく。こんな時、俺はほとんど手伝わないし、別に聡子の方も俺を求めはしなかった。俺は必ずしも「男子は台所に入るべからず」的な昭和気質の精神を持ってはいなかったが、聡子は特に文句も言わずにやるものだから勝手にやらせておけばいいと思った。それに、俺にとって聡子は、切ろうと思えば簡単に切れる淡い存在であったから、時々部屋にやってきて飯を作って一夜を共に過ごして、それで何か彼女の方から文句があるというのなら「はい、さよなら」といった感じになっても構わなかった。
そんなお手軽な彼女の華奢な背中を、俺は背後からそっと見つめる。まくった袖の先から延びる細い腕や、結んで垂らした黒髪の脇からのぞく首は陶器のように白く、かつて俺に見せたキチガイじみた激しさは微塵も感じなれなかった。一体どこからそんなエネルギーが発せられたのかと今では不思議に思うくらいである。あれ以来、彼女は芸術の道からは正真正銘きっぱりと足を洗った。所属していたサークルや大学も辞めて、絵とは何ら関係の無い製品工場の事務員として月給手取り10数万円という給料で働きだした。俺は、彼女が毎日目の痛むような数字の羅列を見つめながら、どのようにしてあの激しい情熱を説き伏せることが出来たのか分からなかった。彼女は本当に、あの獰猛な感情を手なずけることが出来たのだろうか。灰の下で燻っていた炎が再び点火するように、あの情熱がいつしか赤い舌を出して彼女の中で再び燃え上がるのではないかと思うと、不意に俺はそんな残酷な瞬間を目撃したいと思った。それだけが、世間から見れば大した魅力の無い彼女と俺が付き合い続ける意味でもあった。
しかし、そんな俺の期待を裏切るかの様に、聡子は平穏な毎日を過ごしていた。
 ここから歩いて40分ほどの離れた場所にある単身者用アパートに彼女は一人で暮らしている。平日には毎朝8時から行われる朝礼に合わせて出勤し、8時半から5時半まで自席のパソコン画面と向き合っている。勤務態度や成績は可もなく不可もなくといったところだろうか。俺は以前、彼女の上司であるという男と会ったことがあるが、聡子を迎えに来た俺を見て、特にこれといった感想を述べる訳でもなく、聡子が出てくるまでの間、俺が暇を持て余していると、上司の男はやたらと競馬やパチンコの話ばかりしてきたのを覚えている。終業時刻になると、彼女はどこに寄るでもなく真っすぐ家路につく。これといった趣味もないようで、時々、流行りの本や雑誌を手にしても、ろくに最後まで読みもせずに挫折してしまうようだ。柄にもなくキックボクシングに興味を持ったこともあったが、所詮は一時のマイブームに過ぎなかった。いつも、怒っているとも悲しんでいるともとれる無表情でいて、唯一彼女が好きな「あんこ入り饅頭」を食べるときだけは、口の端についたあんこを舌先で舐めながら、ちょっとだけ満足げな笑みを浮かべる。ふと、そんな日々に満足しているのだろうかと、俺は彼女の白い横顔に向かって問うてみたくなることがある。彼女は前と違って、その歳の女性なりのお洒落もするようになった。デートの時には淡い色の口紅をつけ、短いスカートをはいて、決して突出した美人ではないけれど、すぐそばに居ても恥ずかしくないくらいの女性にはなったと思う。そして、彼女の目には以前よりもむしろ揺るぎない自信が満ちているようであった。
洗い物を終えると、聡子は寝そべる俺の傍に音もなく腰を下ろす。すると深夜の沈黙が薄い膜のようになって部屋の空気を覆う。目覚まし時計の秒針が音を立てて動かなければ、俺はこの深く暗い沈黙に耐えきれなかったかもしれない。黄ばんだレースのカーテンが静かに揺れ、秒針は乾いた音を立てて進んでいく。俺が声も掛けずにいると、聡子は遂に諦めたのか、ようやく振り向いた時にはもう彼女は部屋から姿を消していた。

 あれからしばらくの間、聡子は俺の部屋に現れなくなったが、特に俺は心配していなかった。そのような倦怠期は、砂浜に波が押し寄せてくるように男女の間に遅かれ早かれ必ず訪れるものであり、そんなことを繰り返して、もし耐えきれないと感じるならば一層のこと別れてしまえばよいのだ。俺たちもまた派手な喧嘩を何度かしたものの(ほとんどの場合、俺の一方的なものであったが)、こうして今も関係が続いているということは、まあ互いに相性は悪くない方なのだろう。
 早朝の満員電車に揺られながら、俺はこのまま会社の最寄り駅には降りずに、その先にある名も知らぬ最終駅まで行ってしまいたいと思う。そこには広大な海が広がっているかもしれないし、荘厳な山々が連なっているかもしれないし、はたまたここと同じビルの群れがあるだけかもしれない。しかし、そこは確実に『ここではない何処か』である。例え今よりずっと辛い思いをするかもしれないとしても、そこはここではないのだ。このまま聡子とのぬるま湯のような日々を過ごしていき、そこそこ働いて、二人の子供が出来て、やがて務めを終えて死んでいく。そんな先の見え透いた人生を平気な顔して歩んでいく自信が持てなかった。できればそんな運命をぶち壊してやりたいが、そんな勇気がないことは、自分自身が一番よく知っていた。俺は次の駅で電車を降りていつも通り会社に向かうだろう。契約を取りに街中を歩き回ってへとへとになって、日が落ちて会社に戻って上司に今日の成績を報告して、悪ければ怒鳴られて首を垂れている。今日の報告と明日の計画をノートパソコンにまとめながら、街の明かりが徐々にフェードアウトしていく様を、自席の窓からぼんやり眺めている。そんな日々に耐えきれず辞めていった仲間たちの背中を俺は幾つも見てきたし、彼らは口をそろえて俺のことを「馬鹿らしい人間だ」と言った。確かに、俺は上司に言われればどんな汚い手を使ってでも契約を取りに行ったし、例えば、大きな声で言うことは出来ないが、訳が分かっていないご老人のお宅に上がりこんで、酷い契約を半ば強引に押し付けるようなことだってしたこともある。そんな時、不意に田舎に住む母親の顔が脳裏によぎると俺は慌てて首を横に振って誤魔化した。自宅に戻り一人で風呂に浸かっているときに突如、罪悪感が胸の内にこみ上げてくると、俺は短く鋭い声を何度か上げてどうにか平静を保とうと努める。或いは、ほとんど八つ当たりに近い形で聡子に暴力をふるったりもした。俺に殴られる度に、折れまいとして歯を食いしばる聡子の艶やかな表情は、より一層俺の嗜虐的な興奮を掻き立てた。そんな俺が「馬鹿らしい人間」であると表現する奴らは、決して間違ってはいない。もし俺の正体が世間の明るみに出れば、俺は世間から原型をとどめないほどに蹴られ殴られて、正義の名のもとに吊し上げられるだろう。俺は汗と、涙と、鼻水とでぐしゃぐしゃになった醜い顔を地面にこすりつけて必死に許しを請うだろう。「それで貴様らは満足するのか?」と、俺は去っていった仲間たちの背中に向かって問うてみたかった。
 そして今日もまた、同期の仲間が一人会社を去ることになった。
 
 同期の高橋と俺は、社内の喫煙所で出くわすと目線だけで軽い挨拶を交わした。
 苦いタバコを燻らせながら、同じ営業部に勤める高橋と俺は、近頃の契約の取れ高や顧客の傾向などについて話しているが、彼はどうももじもじしてはっきりとしないので、俺が不審に思って聞いてみると、
 「実は俺、会社を辞めることにしたんだ」
 鳥の群れが高層ビルの谷間を横切っていく。高橋は渾身の一撃とばかり勢いで言ってくるが、俺はさして驚かない。何を期待していたのか、高橋は拍子抜けしたようにそれっきり黙り込んでしまう。俺は一応の流れに沿って退職の理由などを問うてみるも、正直に言って、彼こそ同期の中でも真っ先に会社を辞めるだろうと考えていたから、既に仲間の大半が辞めた今となっては遅すぎるくらいであった。
 「それでお前、これからやっていける自信はあるのか?」
 「いや、無いけど……。でも、ここで燻っていちゃあ何も始まらない。君だって、そう思うだろう?」
 ほら出た、と俺は内心ほくそ笑む。退職していく者たちは必ずと言っていいほど似たような綺麗事を語り、そして誰かを道連れにしたがる。彼の言い分は、人の為になる仕事がしたいのだと。人のためだと建前では語っておきながら、実は人を騙しているような今の仕事にこれ以上は我慢ならないのだとか。では、真に人のためになることとは一体、何であるのか問うてみると、彼はまたも黙り込んでしまう。俺は口元を抑えてこみ上げる笑いをこらえる。そんなぼんやりとしたビジョンでは、この厳しい世の中ではやってはいけないだろう。そんな考えは傲慢であると俺は思う。例え今の仕事が人を騙すようなものであるとしても、ある部分では確実に社会の役に立っているのだ。それは単に弱き者に手を差し伸べるといったものではなく、例えば蟻がきちんと列をなして歩いていくように、この社会を動かす歯車の一部分として、一連の流れからはみ出さないこともまた社会に生きる者として与えられた使命であると思う。そういった部分をすっ飛ばして、むやみやたらに正義だの道徳だのを語る連中を、俺はとても傲慢であると思う。
 「じゃあ、君はこのままでいいんだな?やっていけるんだな?」
 遂にはすねた子供が駄々をこねるような調子で、高橋はどうにか食らいついて来ようとする。俺は頷いたが、しかしどこか自信が持てなかった。溺れる者に去り際、濡れた手のひらでズボンの裾を掴まれたような感じ。今のままで良い、と答えればそれは恐らく嘘になるだろう。良いわけがない。では「お前はどうしたいのか?」と問われれば、それはそれでまた俺は困り果ててしまうだろう。所詮、俺もまた高橋に向かってご高説を垂れるような身分ではないのだ。空を覆う灰色の雲に溶けていく煙の行方を眺めながら、俺は力なくうなずく。高橋は何か言いかけたが、すぐに口を閉ざしてしまう。代わりに紫煙の混じった白い息が吐き出される。それは刹那、綿のように宙を舞って消えた。
 後日になって、高橋は上司に辞表を提出した。喫煙所での会話きりお互いに挨拶らしい挨拶もせず、まるであてつけるような辞め方をした高橋に、俺は微かな不満を感じた。昼時のオフィス。皆の視線のど真ん中を場違いなほどに堂々と歩んでいく高橋の背中を見つめながら、俺は不意に、入社一年目の忘年会のときのことを思い出す。毎年恒例の新人社員による宴会芸を、一人だけ頑強に拒み続けたのが高橋だった。俺は「パンツ一丁で頭からパンストを被り阿波踊り」という芸を終えて舞台の裾に戻ってくると、薄暗い隅の方で一人、顔を真っ赤にして頭を抱えている高橋の姿を見つけた。同期の俺たちがいくら説得しても頑なに首を振るばかりで、気が付くと舞台上には誰も居なくなって、彼が舞台のトリのような形となってしまった。場が白けると酔った先輩方の怒号が飛び交う中、高橋は半ば強引に引きずり出されるような格好で舞台上に現れた。
 「高橋ぃー!」
 真っ赤な頬に手を当てて叫んだのは、いつも何かと文句をつけては高橋を怒鳴りつける営業部の上司であった。それに呼応するように先輩たちの下品な笑いと拍手が起こる。俺は内心助かったなと思い、落ちかけたブリーフの裾を指で持ち上げる。ふすまを開けて入ってきた女中さんが、俺の方を見るなり恥ずかしそうにうつむく。高橋はうつむいたまま何も言わない。せっかく盛り上がった場の雰囲気が徐々にトーンダウンしていくと、俺は突っ立ったままでいる高橋の尻を拳で軽く小突く。舞台の裾では、同期の仲間たちも祈るような視線でこちらを見つめる中、高橋は一向に前を見ようとはしない。そして遂に、司会を務めていた一年先輩の社員が、鬼気迫る表情でこちらに向かってくると、
 「あぁぁぁぁぁぁっっ……!」
 突然、奇声が傍にいた俺の右耳をつんざく。高橋の胸倉に掴みかかった先輩も思わず目を丸くする。瞬間、会場を支配していた生暖かい空気が冷め、先輩方の薄い頭を照らす明かりは揺らぎ、そこに居る誰もが言葉を失った。高橋は苦し気に軋む床に向かって醜い嗚咽を吐き出す。高橋の汗と、涙と、涎とが舞台の床を醜く汚していた。高橋の咆哮はやけに生々しく会場の隅々にまで響き渡る。哀れな野獣のように、四肢を突っ伏して鳴く高橋の背中に向かって、俺は何をするわけでもなくただぼんやりと見つめている。眼下でうごめくこの白くてずんぐりとしたものが一体、本当はなんであるのか分からなくなってきた。先輩に肩の辺りを叩かれて初めて俺は我に返る。そう、これは彼の芸なんです。発情期の熊の鳴きまねです。俺はそう言っておどけて見せたが、先輩方の視線はどれも冷めきっていて、もはや収拾は不可能に思われた。奥の方では空のビール瓶を抱えた女中さんが足早に会場を去っていった。
 あの宴会の後、世話役の先輩社員から制裁を受けたのは彼ではなく、むしろ俺の方であった。あのような場で裸になるといった下劣極まりない芸を披露した上に、暴走する高橋を止めることが出来なかった。確かに、俺は罰せられるべきだったかもしれない。しかし、宴会を終えた後も俺たちの片づけ一つ手伝いもせずに、トイレに閉じ籠って半べそをかいていた当の高橋が、何のお咎めも無いときては、さすがの俺も腹に据えかねた。そのくせ、トイレから戻ってきた高橋は、まるで一仕事終えた後のような清々しい顔をして、先輩に叩かれて赤くなった俺の頬を見つめて「大丈夫か?」などと素っ頓狂に問うてくるものだから、俺はいよいよ気が狂って彼の緩んだ顔面めがけて怒涛のように当たり散らしたものであった。そんな彼とも今日でおさらばするのだと思うと、一抹の寂しさが湿っぽい胸の内をよぎった。「馬鹿な奴だ」と、誰かが声を潜めて述べた。しかし、去っていく彼の背中は、彼を見送る他のどの背中よりも清々しく自信に満ち溢れているようであった。

 凍てつく夜。狭い部屋の外では、得体のしれぬ生物の鳴き声が不気味に響いている。その奇妙な音は、水滴が頬を伝うように寒さで強張った心臓にまで生々しく染み入ってくる。蛍光塗料によって怪しく浮かび上がる時計の針は午前0時過ぎをさしていた。俺は布団の中で冷えた手足をこすり合わせながら思わず身震いする。今日は熱い湯船に肩まで浸かって、寝る間際にはワンカップ焼酎の辛い味を舐めてから床に就いたのだが、身体の芯は冷え、無理やりかさつくまぶたを閉じても眠気は一向にやってこない。耳の奥で心臓が乾いた音を立てて鳴り、嫌な汗が頭皮に滲む。明日も朝から仕事だし、俺は何とか眠ろうと試みるが、必死なればなるほど意識は隅の方からどんどん冴えていく。すると、いつもなら気になるはずもない柱や床の軋む音にも過敏に反応して、神経はいよいよ研ぎ澄まされていく。薄いレースのカーテンが音もなくはためく。と、その向こう側から何者かがこちらを覗き見ているような錯覚にさえ陥って、もはや目をつむることすらままならなくなってくる。こうなってしまうと、後は泥沼にとられた足がどんどん沈み込んでいくみたいに歯止めが効かなくなる。まるで何処かの暗闇に一人閉じ込められたような恐怖と絶望感が胸を強く締め付け、俺はもう泣き出したいほどの衝動に駆られる。一人で居るとは困ったもので、このような孤独感は年に数回訪れるものだが、ここ数カ月は特に続いていた。聡子がしばらくその姿を見せないせいもあるだろう。別に来なかったところで、またすぐに戻ってくるのだろうと俺は高をくくっていたし、男女の間には多かれ少なかれそのような充電期間が必要なのだ。聡子が来ない間、俺はそう自分に言い聞かせて気楽な一人暮らしを満喫していた。それが数カ月も続いたのちにはこの様だ。カーテンの隙間からのぞく星々は、都会のすすけた夜空からこちらを冷酷な眼差しで見つめている。何処かで発情した猫たちが引きちぎる様な奇声を上げている。奇妙な鳴き声は時々、思い出したようにその不気味な音を響かせてくる。口元をラップで包みこまれたような閉塞感も相まって、俺は目の前の暗闇に向かって無性に叫びたくなった。出来れば、部屋のあらゆる壁という壁をがむしゃらに叩いて、それで隣人に通報されても構わない、自分以外の誰かにこの場所を見つけてほしかった。俺は暗闇の中でざらつく壁の表面をそっと指でなぞる。なぞっていくと、壁はどこまでも続いていくのかとさえ思えた。雑誌に埋もれた部屋の床が今晩最大の音を立てて軋む。何処かの部屋で突然、激しくせき込む男性の声が聞こえた。俺は慌てて首を横に振る。汗ばむ掌はいつの間に強く握り締められていた。時刻は午前1時をとうに過ぎている。ダメだな。俺は苦い笑みを目の前の暗闇に向かって浮かべてみる。今夜は未だ当分眠れそうになかった。
 特急電車の突風が鼻先をかすめる。早朝の冷たい空気がぴったりと肌に張り付いて、俺は痛む頬をコートの襟で覆い隠す。今更になって昨夜の布団の温もりが恋しい。人々が吐き出す白い息は、乾いた唇から放たれた途端、そのままの形で凍ってしまいそうに思えた。まるでモノクロ写真のような抑揚のない光景に、登りかけたオレンジ色の朝日が光の淡い筋を作り出して、それを特急電車の轟音がホームぎりぎりをかすめ壊していく。屋根の上で小さな羽を縮こめる小鳥たちのさえずりも、目の前の道路を行き交う車の排気音もすべてさらって飲み込んでしまう。後には刹那の沈黙と、早朝のやけに青白い光景が広がっている。やがてすべてが息を吹き返すと、途端に真冬の切る様な寒さが全身を襲い、俺の身体は芯から震える。駅員の高い声が二、三分のダイヤの遅れを詫びる。今日は特に人身事故などは起きていない。これといった原因はなさそうだが、しいて言うならば、それはいつの間にできたほつれのようなものであろうか。乗客の乗り降りや、乗員の引継ぎなんかでかかった時間が、坂を転がる雪玉が地面の雪を巻き込んで大きくなっていくみたいに積み上げられていく。或いは、編み物が完成した後に、毛糸が小さな尾っぽのようにちょっとだけ残る感じであろうか。駅員のアナウンス通り列車は三分の遅れをもってホームに滑り込んでくる。何処かの誰かが白い溜息を吐き、いつもより少し混んでいる以外、何も変わらない。列車は少しの乗客を吐き出し、代わりに何倍もの乗客を食らって、ドアが閉まるとよろめくように滑り出す。やにくさいコートや学生服にもみくちゃにされながら最寄り駅までひたすら耐える。狭い空間で無理やりスマホを開く者や、肘打ちを食らわせてくる者が居ても気にしない、ひたすら目をつむって耐える。目の前の女性が不審な眼差しを向けてきても、耐えるのだ。両脇に居る乗客の身体に挟まれた俺の右腕は、目の前に立つ女性の腰の辺りでロックされていた。俺は感情のスイッチをOFFにする。俺は一人のサラリーマンではなく、目的地まで次々に運ばれていく数ある荷物の一つに過ぎない。駅に着くたびに、いくつかの荷物の入れ替えが行われ、目的地に着けば、在るべき場所へと出荷されていく。それ以外にこんな無機質な俺たちの毎日に一体、何の意味があるというのだろうか?「休日」という名の対岸に向かって、乳酸の溜まって上がらない手足を無理やり動かしながら生ぬるい水をかいていく。口や鼻に入る水が塩辛い。ここはプールではなく、どこまでも広がる大海原なのか。満員の車内には乗客たちの黒い頭が見渡す限りぎっしりと詰まっていた。皆、安らぎを求めて息絶え絶えになりながら泳いでいる。そうしてようやくたどり着いた対岸でひと息つくと、また次の生ぬるい水めがけて飛び込んでいく。スマホの画面を見つめる者も、肘打ちを食らわす者も、不審な目を向ける女性も、或いはこの黒い頭の大海原の中に出来た小さなほつれのようなものなのかもしれない。女性は後ろにいる俺を見つめると、露骨に舌を打った。少し湿った舌の響きが、余波のようになって乾いた車内の空気を震わす。俺は気付かない振りをしようにも、その響きはあまりにも現実味を帯びすぎていて、どうにも目を背けることが出来ない。この車内に置いて、眼前の女性は被害者で、俺は紛れもなく変態で、迷惑な乗客であった。俺は微かに潤んだ視線で辺りを見回すも皆、不自然に視線を逸らせるばかりで決して俺を助けてはくれない。もし女性が一声上げたなら、俺はれっきとした犯罪者として祭り上げられたかもしれない。一人の男の未来を手中に収めた快感で女性の口元は怪しげに歪んでいるようにも見えた。冷たい汗が一筋、わきの下を伝う。俺は叫びたかった。次の駅でドアが開いた時、俺はほとんど転びそうな勢いで車内を飛び出した。
 駅の柱に汗ばんだ額を押し付ける。冷たい鉄の感触が心地よい。耳の奥で心臓が渇いた音を立てて鼓動する。熱いものが胃から食道の辺りにまでこみ上げてきたが、やはり俺は吐き出すことが出来ない。一度喉元から下がると、みぞおちの辺りでぐるぐると渦巻いている。通りすがりの主婦がちらとこちらを覗き見るが、すぐに立ち去ってしまう。俺が今すぐここで吐き出せば、俺は駅の救護室に運ばれて、新米の駅員が少し嫌そうな表情を浮かべながら汚れた床の後始末をする。たったそれだけ。耳の奥で心臓の生々しい鼓動は止まない。未だ遅刻するような時間ではないが、次の電車には乗らなければ恐らく間に合わないだろう。上司には適当に体調不良とでも訴えておけば一、二日くらいは休むことだってできるはずだ。しっかりと休んで、また仕事に復帰する方が、俺にとっても会社にとっても良い結果をもたらすのかもしれない。それでも、俺は未だイガイガとするみぞおちの辺りをさすりながら、勢いよく滑り込んできた次の電車に向かって重い足を引きずる。開いたドアからは、饅頭の皮が破けて中のあんこがはみ出すみたいに、詰め込まれていた乗客が次々に吐き出されて、俺はむくんだような無表情を浮かべる人々の波に飲み込まれそうになる。肩がぶつかって俺の身体が弾かれても、誰も気にしない。虚ろに並んだ二つの目は、前を見ているようで実は何も見てはいなかった。早朝の濁流に流され揉まれながら、それぞれの目的地に運ばれていく。俺が乗り込んだ車体は、重荷を背負った馬がいななくように悲痛な呻き声を上げながら動き出す。窓の外で流れていく人混みの中で、俺は、一人の女性の動きに目を止める。餌を求めて泳ぐ魚のように同じ表情を浮かべた群れの中から彼女一人を見つけ出すことができるのは恐らく俺だけに違いない。艶やかな黒髪をなびかせながら、聡子は、他の人たちと同じむくんだ無表情を浮かべて出口の方へと消えていく。スカートから延びるむき出しの白い太ももが眩しい。もうしばらく目にしていなかったそれは、電車がホームを過ぎ去った後も、俺の脳裏に鮮やかに焼き付けられていた。俺は、あの人込みの中で違和感なく溶け込んでいた聡子の姿を、ゆっくりと舌先で味わうように思い起こす。数か月前には、俺が差し出すコップに酒を注いでいた聡子。彼女もまた平日は仕事のはずであるが、今日はいつになくおめかしをした格好で改札の向こう側に消えていった。彼女の職場がある町へ行くには、ここから電車で反対方向に向かわなくてはならない。最寄駅から徒歩15分。いつも通り会社に到着して、資料が山と積まれたデスクに向かいながら、俺の脳裏には聡子の白く眩しい太ももが、やけに強く焼き付いていて離れなかった。
 聡子の動向については思い当たる節があった。いや、きっとそうに違いない。俺は冷えたコンビニおにぎりを齧りながら思う。午前中には出ていた日差しも陰り、まだ昼過ぎにもかかわらず灰色の街は車体のテールライトに照らされていた。霞がかった空からは今にも細かい雪が降ってきそうであった。コンビニ店内にある座高の高い椅子で足をぶらつかせながら、午後に向かう対象者のリストを確認する。営業とは、何よりもフットワークが重要であると自負している。小賢しいテクを駆使するよりかは、とにかく数を打てるだけ打ってみる。10回挑戦して1回当たれば儲けものだ。俺は特段仕事ができる訳ではないが、上司からは程よく信頼を得ていて、入社三年目にしてそれなりの立場に居られることを誇りに思っていた。或いは、高橋のような不器用な社員がコツを心得ずに失敗して、上司に怒鳴られているのを傍らから見て密かにほくそ笑んでいた。そんな奴らが苦し紛れに噛みついてきても、俺はいつも鼻歌交じりで蹴散らしてやる。環境に適さない生物が淘汰されていくように、彼らは社会において踏みにじられて当然の人間であった。彼らの去っていく背中を見つめるとき、俺は密かに己の小さな自尊心を慰めた。今も社会の歯車の一部分であることに喜びと安心を感じていた。そんな俺に、聡子は遂に愛想を尽かしたのだろうか。同級生たちに自分の作品をこき下ろされ涙ぐんでいた聡子。しかし、彼女もまたかつて自らが抱いていた夢ときっぱり決別したはずだ。眼前に突き付けられた現実を、悔し涙を呑んで受け入れ、時間がかかっても良い、よく咀嚼してから少しずつ己の身体に染み込ませていく。それが社会人としてのあるべき姿であり、そして、俺たちの唯一の共通点であると信じてきた。そんな確信も、聡子の度重なる裏切り行為によって俺の中で俄かに揺らぎつつある。彼女には柄に似合わず『不倫癖』のようなものがあった。学生時代に付き合い始めてからこの方、現にそのような場面を目撃したわけではない。しかし例えば突然、今までつけたことも無いような強い香水の香りを身体中から漂わせたり、一時は腰近くにまで伸ばしていた髪をバッサリと切っておきながら、俺には何の感想を求めるでもなく平然としていたりといった女性特有の兆候が度々感じられることがあった。そして何よりもタチが悪いのは、彼女はそのような行為を繰り返しておきながら、男としての俺を棄てるような言動は一切なく、しかも、後の結婚を意識するような感じすら匂わせてくる点である。そんな時、俺は目の前にいる聡子の正体がつかめなくなってくる。抜きんでて美人でもない、甘いものを口にするときだけは幸せそうな笑みを浮かべるごく普通の二十代の女性であるはずの彼女が、突然、化けの皮を一枚また一枚と剝いでいくような感じがして、俺は言い知れぬ恐怖を覚える。俺は未だ半分ほど残っているおにぎりを頬張り、すっかりぬるくなったコーヒーで喉の奥に流し込む。

 「今日は朝から外回りに出かけています。」
 そう言って受付の女の子は愛想よく微笑んだ。聡子が務める工場は、いわゆる古い町工場の雑多な感じは微塵も無くて、入り口の自動ドアを抜けると、白い壁を背に若い女の子が感じの良い笑みで迎えてくれる。しかし、俺は引っかかった。今朝、改札を抜けた聡子の後ろ姿は、とても仕事に出かけるような雰囲気ではなかったし、それに事務職員である彼女に一体、外回りのどんな仕事があるというのだろうか?俺はもう喉の一歩手前まで出かかった言葉を飲み込む。
 「彼女、外回りには結構出かけるんですよ。」
 何を察したのか、受付の女の子は綺麗な茶髪の毛先を指でくるくるといじりながら、
 「課長とです。気に入られているみたいですね。」
 そう言って浮かべた笑みは、今朝、俺が満員電車の中で目撃したあの女性の怪しげな笑みとよく似ていた。己の手中に収めた獲物を舌先でゆっくりと味わう様な笑み。瞬間、俺はすべてを見透かされていると思った。恥もなく驚愕して、その場に立ち尽くしてしまったことをただただ後悔する。別に、だから何だというのであろうか。俺にとって、聡子は必ずしも欠かせない存在とは言えなかった。俺は聡子の上司である男のことを思い出す。聡子を迎えに来た俺と目が合うと、やたらとギャンブルの話ばかりしてきた男。突出した魅力も無い、何処にでもいる妻子持ちの中年男といった印象であった。俺は工場前の信号を待ちながら、早く青にならないものかと思う。スクランブル式の信号は俺を執拗に焦らした。未だ勤務中であるし、それに一刻も早くこの場を離れたかった。俺は次の仕事へ向かうも、脳裏には聡子の艶やかな白い太ももがちらついて離れない。あの太ももを、男が愛おしそうに撫ぜている姿を想像すると、俺は激しい嫌悪に襲われた。妻子持ちの冴えない中年男に貪られながら、聡子は恍惚の笑みを浮かべている。例え相手がどんな不男であれ、誰かに求められる快感を全身で味わっている。彼女もまた、男の存在を醜く貪っているのだ。苦しんだ学生時代や、俺の存在からは目を逸らせて。西の彼方、ビルの谷間に燃えるような夕日が沈み押しつぶされていく。今日もまた、一日が、終わろうとしていた。


 遂に日が完全に沈んでしまうと、部屋を濃密な暗闇が満たしていく。その中でエアコンの低い回転音だけが虚しく響いていた。外の廊下では面会終了の物悲しい音楽が鳴り始める。それでも、俺は動かない。目の前で母が立てる微かな寝息にそっと耳を澄ませている。
 「高橋さん」
 しびれを切らした女性職員が外から声を掛けてくる。仕方がない。俺は少し間をおいてから重い腰を上げる。
 「高橋さんが近頃はよく来られるようになったから、お母さまはとても喜ばれているんですよ。」
 暗くて見づらい自動ドアのカギ穴を探りながら女性職員が語る一語一句に、俺は力なくうなずく。そうであって欲しいと思う。仕事が忙しくて月に一度くらいしか来られなかった頃に比べると、介護施設に入居している母の顔色は幾分赤みを増してきたような気がする。髪の毛や肌にも艶が出てきたであろうか。つい最近、仕事を辞めてからはほとんど毎日のように顔を出しているのだが、俺が訪れるたびに高齢の母は、まるで数年ぶりの再会を果たしたかのように大げさに喜んだ。そして二言目には、昔の優しかった母ならば考えられないような悪魔の言葉を次々に並べ立てるのだ。
 「今すれ違った職員さん、いつも私に意地悪をしてくるのよ。トイレに行きたいと言ってもね、連れてってくれないの。オムツの中でしなさいって言うのよ!信じられないわ近頃の若者は。こっちは金を出してやっているというのに……。」
 母は、目の前にいる俺ではないどこか一点をじっと見つめたまままくし立てる。かつて優しく俺の頭を撫でてくれた母の面影はそこにはなく、涎の垂れた口元からはひたすら呪詛の言葉が次々にあふれ出てくる。そんなことはないだろうと、俺が問いただすと
 「黙れ。この馬鹿息子が!親を嘘つき呼ばわりするなんて……。」
 烈火のごとく怒り狂う母を、俺はどうにかなだめようと苦心する。まるで小さな子供のように母はベッドの上で暴れまわり、布団や枕を蹴とばし、机に置かれた小物を投げつけてくる。そして、
 「あぁっ!財布がない。盗まれたのよきっと!さっきすれ違った職員だわ。大ちゃん、捕まえて。早く!早く!」
 そう言うと部屋の床に這いつくばり扉の方へと近づいていく。しかし、とうに衰えた四肢は激しく震え、空回りするばかりで身体は一向に前に進まない。俺は、肩で息をする母の背中を支えながら途方に暮れる。これが病気の症状であり、誰しもが辿るかもしれない末路であったとしても、いざ目の当たりにしてみると、それはあまりにも残酷であった。
 入所してから間もなく母は症状に陥った。あまりの変貌ぶりに初めはかなり戸惑ったが、職員の方は優しく、しかし事務的に老齢から来る母の症状について俺に教えてくれた。物忘れ、妄想、やり場のない怒り……。母が述べる呪詛の言葉もまた症状の一つであると言う。常に怒りの矛先は施設の職員や同居のご老人たちに向けられ、そして次には息子である俺に向けられた。ある時は高い波のように激しく、ある時は一筋の光さえ届かぬ深海のように物悲しく、様々な感情が目まぐるしく入れ替わっては押し寄せてきた。
 「ねぇ、大ちゃんお願い。ここから出して……。お願い……。」
「あんたをそんな子に育てた覚えはない!お前は、私の子ではない!」
「苦しい、苦しいのよ大ちゃん。」
「まったく、馬鹿にするんじゃないよ!」
俺は耐えた。耐えなければならなかった。今はそれだけが唯一、俺が母にしてやれることのような気がした。出口の見えない狭いトンネルを、身体を縮込めながら手探りで進んでいくような日々。もし、その先に終わりが見えるとするならば……。
しかしある日、仕事の合間に施設を訪れた時、偶然、俺は目撃してしまったのだ。
母の部屋の扉に手を掛けた時、俺は肉の弾ける鈍い音を聞いた。真昼の静かな老人施設に、奇妙に乾いた音が木霊する。何度も。その音は、こちら側にいる俺の胸にまで食い込んでくるようであった。音が三度、四度と続いても、俺はしばらく扉の取っ手を掴んだまま動くことが出来ない。この中で母が一体、どんな仕打ちを受けているのか、ほとんど確定してしまった事実をこの目にするのが恐ろしかった。俺は、自分がこのまま永久に一歩を踏み出すことが出来ないとすら思えた。いけない。中から母の低く唸るような声が聞こえてくると、俺は強張った心を奮い立たせる。そして、腕と、腹とに力を込めて重い扉の取っ手を引く。
 「助けて。大ちゃん……。」
 椅子から転げ落ち、顔を涎と涙とでぐしゃぐしゃにした母が俺の足元にすり寄ってくる。その背後で、手を上げた若い女性職員は放心している。両腕をだらんと下げて、その様はまるで打ち捨てられた人形のようであった。その瞬間、俺は一切を了解した。今まで母の言葉に取り合わなかった過去の愚かな自分を深く恥じた。母は俺の脛の辺りに縋りつき声を震わせて泣いている。母の流す涙が俺のズボンの裾を気持ち悪く濡らした。俺は怒りに打ち震える右腕で、たった今失態を犯した女性職員を施設の窓口に突き出す。
 「誠に、申し訳ございません……。」
出てきた施設長らしき中年男がひたすら平謝りするも、俺は少々薄くなった施設長の脳天めがけて思いつく限りの罵詈雑言を浴びせ、もしこの女性職員をクビにしないのならば、この施設に対する法的な対抗手段も辞さないつもりであると声高らかに訴えた。こんなにもこみ上げてきた感情を素直にぶつけるのは初めての経験だったので、言い終えた後には不思議な爽快感さえ感じたほどであった。減給処分を受けた女性職員は結局、自ら辞表を提出した。その後も、母は自分が如何に職員から酷い苛めを受けているかについて切々と訴え、俺はその度に職員を窓口に突き出して、出てきた施設長の薄い頭めがけて説教を繰り返した。母を守らなくてはならない。俺は悲痛な決意を胸に施設と戦い続けたのだ。
 「貴方たちは福祉の仕事以前に、人としての真心が無いのですか?」
 俺に叱られるたびに職員らは総立ちになってうな垂れ、施設長は汗ばんだ額をぶよぶよとした腕でしきりに拭った。彼らは母に対して悪事を働くくせに、こちらが要求を述べると従順な犬のように従った。おかげで、母に嫌がらせを行った職員たちはそれ相応の罰を受けることとなった。しかし、俺がいくら正義の鉄槌を下しても、訪れるたびに母は苛めの被害を訴え続け、手に掴みかけた悪の根源は、まるで生きの良いウナギのようにするりと手の中をすり抜けてしまう。
またある日、母がいじめを受けたと訴える職員は未だ10代という若い女の子であった。さすがにそんな子を突き出すのは気が引けたので、部屋に呼び出して説教をしていると、
 「では、どうすればよろしかったのですか?」
 慣れない片言の敬語で言い返され、俺は思わず黙り込む。すると、彼女の見開いた瞳の端からは嘘みたいに大粒の涙がぼろぼろと零れ落ちた。俺は慌ててなだめたのだが、彼女は挑むように細い顎を上げて毅然とした態度を崩さない。
「確かに、私は入居者の方々に対して心から接することが出来ません。手を上げたことだってあります。では、こんな不器用な私は一体、どうすればいいのですか?」
彼女は未だ赤い頬を涙で濡らしながらも静かに問うた。俺は汗ばんだ手のひらを、擦り切れたズボンの上で握り締める。
 「ねぇ大ちゃん。こんな小娘はクビにしてやってよ。私、怖いのよ……。」
母はそう言ってしきりに肩を揺すってくる。傍らで、女の子は遂に声を上げて泣き出してしまう。それでも母は構わず肩を揺すってくる。混沌とした空気の中で俺は、もはやどうして良いのか分からなくなった。その時、俺の脳裏に過ぎったのは、毎日顔を合わせるたびに怒鳴りつけてくる上司の赤ら顔であった。ちょうどその頃の俺は、入社一年目にして仕事の壁にぶち当たっていた。昭和気質で怒りっぽくすぐに手を上げる上司とはそりが合わず、個人の営業成績も思わしくなかったので、毎日が「これで良いのか」と考えるような葛藤の日々であった。そんな日々の連続に耐えきれず辞めていく同期たちの背中を、俺は複雑な気持ちで見送った。次は自分かもしれないという気持ちが過ぎり、現にそうなることが果たして良いことなのか悪いことなのか自分では判断しかねていた。一年目の忘年会では、先輩方を楽しませるためにと無茶な芸を振られて心が折れそうになった。人の役に立ちたい。そんな熱意をもって入った会社では、実は顧客のためではなく、会社の利益を上げたり先輩たちを喜ばせる為に毎日せっせと蟻のように働いているのではないかという思いに至り、自室で一人頭を抱えることもあった。今、目の前でぼろぼろと涙を流している幼い彼女もまた、苦しみに悶えていた。まだ初心(うぶ)で軟(やわ)な皮膚の上から灼熱の鉄パイプを押し当てられるような未知の痛みに、彼女もまた苦しんでいた。よく見ると、作業着からむき出した彼女の細い腕には、紫色に変色した小さなあざが幾つも残されていた。顔を覆う手のひらは荒れ、声はすっかり掠れていた。確かに、彼女は母に対して酷い振る舞いをしてしまったのかもしれない。しかし、同時に母もまた彼女に対して悪魔の言葉を囁いたのではないか?母だけに限らず、同じような症状を抱えた入居者たちと毎日接しなければならないとき、俺ならばどうするであろうか?誤解を恐れずに言うならば、果たして正気で居られるであろうか?
慌てて駆け付けた年配の職員が、彼女の犯した失態を詫びる。俺の顔を覚えていたのか、駆け付けた職員は綺麗に磨き上げられた床に両膝をついて必死に許しを乞うた。
「何分この子は未だ若いものですから、どうかお許しください」
過剰なまでの謝罪ぶりに、自分は一体どこぞの悪代官だろうかと我を疑った。この職員は、俺が彼女をさらっていくとでも思っているのだろうか?気が付いた時、俺は施設の職員たちから白眼視され、すっかり鼻つまみ者となっていた。俺と目が合うと、彼らはたちまち目を伏せてしまう。慌てて浮かべた笑みはどれも壊れた人形のようにぎこちない。不気味に張り詰めた空気の中を、俺はうつむき加減に歩いていく。出来ればもうこんな所に来たくはなかったが、父はとうの昔に亡くなり、母は俺に頼らざるを得なかった。かと言って他の施設も満杯で、転居する余裕もない。やがて孤独が冷たい雨を含んだ暗雲のようになって胸の内に立ち込めても、母は俺のズボンの裾を掴んで「ねぇ大ちゃん」と赤子のようにしきりに訴えかけていた。

 同期の沢村とは時々、社内にある喫煙所で顔を合わせる程度の仲であったが、忘年会のときには助けてもらった縁もあり、会社を辞めるときは真っ先に彼に報告した。
 「それでお前、これからやっていける自信はあるのか?」
 冷めた視線で問われると、俺は言葉に詰まる。特に今後の明確なビジョンがある訳ではない。しかし、これ以上ここに居てはいけないような気がした。俺は営業部の同期の中でも特に成績が芳しくなかったから、上司には散々怒鳴られて、寝ても夢にまで上司の歪んだ赤ら顔を見るほどであった。よく「怒られ慣れる」とか言う奴がいるが、あれは嘘であると俺は思う。俺はいつだって上司の顔色を窺っては、みぞおちの辺りを痛ませている。皆の面前で怒られることを、同期の間では「公開処刑」と言うのだが、そんな時、上司の恫喝に等しい剣幕に怯えるのは勿論、何よりも辛いのは、周囲から様々な視線を浴びせられることであった。奇異な視線や憐れむような視線、面白がるような視線もあるが、それらの視線に晒されるとき、俺はどんな表情を浮かべていれば良いのか分からなかった。そもそも、怒られるときにはどんな表情や感情でいれば正解なのか、考え出すとキリがない。だから、「怒られ慣れる」なんてことは絶対にありえないと思う。
 「昼飯食っている暇があったら、一件でも多く家を回れ。そして、どんな手を使ってでも契約をもぎ取れ。いいか?どんな手を使ってでもだ。」
 そう言うと上司はスカスカの報告書を俺の胸に押し返した。俺は小刻みに震える膝頭を抑えながら考える。もし上司が言うように、どんな手を使ってでも契約を取ってきたのなら、俺はまた怒られなくても済むのだ。その点で俺はいつも躊躇していた。一方で、沢村は違った。彼はどんな獲物も躊躇なく捉え、涼しい顔して帰ってくる。こんな荒業や、あんな汚い手だって使ったのだと、彼はいつもタバコ片手に鼻歌でも口ずさむみたいに言ってのける。彼の営業成績は、数十人いる同期の中でも指折り数えるほどであった。
 「すべては結果だぞ、高橋。その過程なんて誰も評価してくれやしない。頑張って報われない奴も居るし、頑張らなくて報われる奴も居る。ただ、それだけさ。」
 そう言って沢村は、乾いた唇の間から細い紫煙を吐き出す。俺はその行方、灰色の空の彼方を見つめる。雨をたっぷりと含んだ雲は、締まりのない下っ腹のようにその黒ずんだ表面を薄暗い都会の尖塔に向かって垂れ下げている。
実は、俺もまた一度だけ仕事で汚い手を使ったことがある。あるご老人のお宅にお邪魔した時のことだった。数年前に夫を亡くしたというご婦人は、生前の夫と半世紀近くを共に過ごしたという築数十年の平屋に住み、週三日のデイケアに出かけ、近所のご老人たちが集まって近くの公園で行うヨガ体操にもほぼ毎朝欠かさずに参加していた。そのおかげか、齢七十五にして肌は血色がよく、部屋を歩き回る動きはてきぱきとしていた。仄かに赤みがかった頬を緩ませてご婦人は優しく微笑む。程よく熱いお茶に口をつけながら、俺は胸の中で何かが溶けていくような心地よい感触を味わった。仕事上、初対面の相手と上手く世間話を交わすことは大切であると先輩方から教わってきたが、それにしても、玄関先で追い払われてしまうことの多い若手のセールスマン如きを、居間に入れてお茶まで出してもてなしてくれるなどとは思いもしなかった。息子が遠い赴任地に行ってしまったから寂しいのだと、ご婦人は血色の良い手で二杯目のお茶を注ぎながら言う。もはや自分の立場も忘れて俺は出された芋羊羹にかぶりつき、ご婦人との他愛の無い会話に興じる。小さいころに見ていた絵本やアニメの話。近頃の子供はスマホに慣れていて、すべての電子画面がタッチパネル式になっていると思い込んでいるのだとか。とは言え、俺が生まれたころも既に携帯電話がすっかり普及していたのだと言うと、ご婦人は優しく微笑んだ。もしかすると、俺と、遠くに赴任した息子さんの歳が近いのかもしれない。そうであったとして、ちっともおかしくはなかった。俺はいつの間に母に抱くような感情を、目の前のご婦人に対して感じていた。優しく包み込むような笑み。愛おしむような眼差し。懐かしいにおいのする微睡の世界にあと少しで引き込まれそうになった時、俺は我に返る。途端、感情のスイッチが俺の中で乾いた音を立てて切り替わる。出来れば心行くまでこのご婦人と語り合いたかったが、社会人としての自我がそれを許さなかった。俺は粛々と仕事を進めなくてはならない。自社の商品を売り、利益を上げ、見返りに月々の給料とボーナスを貰う。俺は説明資料を取り出しながら、一社会人としての悲哀を感じた。この良き親子のような関係を利用して俺は今、自社の利益の為に商品を目の前のご婦人に売りつけようとしている。俺は端的に、しかし高齢のご婦人にも分かり易いように商品の説明をした。契約プランには短期的なものと長期的なものとがあり、高齢の方々には短いスパンでお得な契約を提示させていただくことが多いが、奥様のご様子からして、むしろ長い目で見てお得になる長期プランをお勧めします。俺は喋りながら一社会人としての名に恥じぬ仕事をしようと胸に言い聞かせた。そんな俺を、ご婦人は優しく見守る様な眼差しで見つめている。俺は、崩れそうになる心をどうにか押しとどめる。よくわかりました。では、貴方が勧める長期プランをいただきましょう。契約は驚くほどにあっさりと結ばれた。俺は、長期プランを途中で破棄した場合に発生する違約金についても注意深く説明した後に、契約書を差し出した。ご婦人の艶やかな手によって今月初めての契約が結ばれるとき、俺の心は意外にも整然としていた。この契約書を持って会社に戻れば、きっと今日は上司に怒られずに済むであろう。帰りには自分へのご褒美に少し高めの酒とおつまみでも買って帰れば嫌なこともキレイさっぱり忘れてしまうだろうと、頭では理解できても、今は上手く掴み取ることが出来なかった。お宅の玄関を出た時、夕焼けの鋭い光が目に飛び込んできた。ご婦人が持たせてくれた残りの芋羊羹が入った包みをぶら下げながら、俺は途方に暮れた。
 「そんなんじゃ身が持たないぞ。」
 やはり、沢村は俺のちんけな感傷を見事に一蹴してみせた。まず、仕事と、私事とはきっぱり切り離すべきであり、妙な感傷を仕事に持ち込めばいつか自分が痛い目を見るぞ。彼の言うことはまさしく正論であった。確かに、俺は決して良からぬ感傷をあの高齢のご婦人に対して抱いていた。俺はご婦人のためとあらば、リスクのある自社の商品を無理に押し付けたくはないとさえ考えていた。それが沢村の言うように、社会人としての仕事に差し障ることは明らかであった。
 「でも、お前だってそんな風に感じることがあるだろう?ほら、なんて言うか……。」
 そこで俺は言葉に詰まる。行き場をなくした言葉は、白く淡い息となって宙を漂う。いつまでももじもじとしている俺を見て、沢村は困った子供でも見つめるような笑みを浮かべる。まったく、肝心な時に俺の舌は空回りしてしまう。チェーンが錆びついたみたいにすべての動きがぎこちなくなる。沢村がその目に携える揺るぎの無い光に、俺はもはや抗う気力をなくしてしまう。彼の、何物も恐れない生きざまが羨ましかった。出来るならば、まどろっこしい感傷や道徳心などを易々と踏み越えて、彼の目に映る景色を見つめてみたかった。何をするにもいちいち心の片隅に違和感を覚えるようなこの醜くて不器用な器から、一瞬でもいい、解き放たれてみたかった。
 「お前はいいよな」
 火種をもみ消し俺が去り際に吐き捨てた言葉を、沢村はきっと愚かな皮肉であると思ったに違いない。負け犬の遠吠えであるとみて取り合わなかったのだろう。俺がもう一度振り返った時、沢村は地面に吐いた痰を靴のかかとで、執拗に踏みにじっていた。彼の目にはもう、傍らにいる俺の姿など映ってはいない。
 デスクに戻り上司に早退を申し出ると、思いのほかあっさりと認められた。最近、高齢の母が調子を崩しておりまして、なんて言い訳を述べるまでもなく上司は何度も頷いて、仕舞には「ゆっくり休めよ」なんて調子の良い言葉までかけてくれるものだから俺は思わず拍子抜けしてしまった。よほどご婦人からもぎ取った契約の手土産が効いたらしい。俺は荷物をまとめ、未だ活気が溢れるオフィスの中をわき目も降らず大股で闊歩していく。すれ違いざま社員から非難がましい視線を向けられたが気にしない。そこでようやく、今日は仕事を果たしたのだという実感がしみじみと湧いてきた。
帰り道の途中で買い求めたワンカップ焼酎をあおりながら、冷たい風の吹きすさぶプラットホームで下り電車の到着を待っている。まだ帰宅する人々はまばらで、ホームで一人突っ立っていると、俄かに罪悪感のようなものを覚える。いつもなら人がはみ出しそうなほどにぎっしりと詰め込まれたホームが、こうもがらんとしていると、俺は言いようの無い不安に駆られる。毎日毎日、行きも帰りも荷物のように詰め込まれてうんざりしていた筈なのに。帽子を被ったおじいさんが、くしゃくしゃの新聞紙を片手にゆっくりと目の前を通り過ぎていく。電車は未だ来ない。電光掲示板に無機質な文字が躍る。どうやら、この先の駅で人身事故が起きたらしい。俺は少し苛立ったが、考えても仕方がなかった。今日は外で食事を済ませてさっさと寝てしまおう。何より健康が第一である。食ってくそして、風呂に入って寝る。そして目が覚めたら、嫌でも仕事にいく。良いことはあっという間に過ぎて、嫌なことはだらだらと続いた。慣れない酒のせいか頭の芯が熱くやけにぼんやりとする。それでも、俺は酒を味わう為ではなくただ酔うためにあおった。この心地良い気分を少しでも長く口に含んで味わいたかった。
 その後はまた契約が取れない日々が続いた。
 月に一度の会議では、グラフを用いて皆の成績と比較され、上司には散々怒鳴られた。冷たい汗が脇から横腹にかけて滴り落ち、俺の意志とは無関係に膝頭はがくがくと震え出す。上司の怒声を聞いている間、皆は決して顔を上げないが、意識の目はこちらに向けられていた。嘲る者、憐れむ者、関わりたくない者。上司のキチガイじみた声だけが木霊する会議室の中で、色んな感情がごちゃ混ぜになっている。そんな中に居て、沢村だけはじっと前を見据えている。口をきちんと結んで、その表情は俺の敵でも、味方でもないような気がした。
この頃から徐々に「退職」の二文字が俺の脳裏にちらつき始めていた。日々、「どうせ辞めるから」とか「あと少しの辛抱だ」といった文句で己の痛む心をどうにか慰めていた。そんな状況にあって、俺がどうにか辞めずに乗り越えられたのは、やはりご婦人の存在があったからに違いない。俺が辞めれば、担当を引き継いだ者から俺が会社を辞めたことを知らされるだろう。その時、ご婦人はどう思うだろうか?自分の息子に重ね合わせていた俺が、志半ばで挫折してしまったなら。ご婦人は、俺が担当する数少ない顧客であった。
 営業の仕事の合間にご婦人宅を訪れる足取りは、見込みの無い場所を回るよりも軽やかであった。もうすぐ雪でもちらつきそうな灰色の曇り空。そのすぐ下を、巣へと戻っていく鳥たちの羽ばたきは忙しない。遠くでは地鳴りのような低い雷鳴さえ響いている。俺はこの間いただいた芋羊羹のお返しに、洋菓子の手土産をぶら下げて先を急ぐ。仕事に追われてばかりで切羽詰まるよりかは、多少の気休めがあった方がむしろはかどるものである。そんな都合の良い言い訳を己の高まる胸に言い聞かせながら、俺はご婦人宅のベルを鳴らす。何も恋人の元を訪れる訳でもあるまいに、ベルを押す指先は久方ぶりの高揚感で小刻みに震えていた。二度、三度押してみても反応はない。出かけているのだろうか?ご老人一人が暮らすにしては少々広すぎる平屋からは人の気配が感じられない。錆びかけた鉄製の柵にそっと手を掛けると、手の甲に一粒の粉雪がぽとりと、何かの恵みを授けるみたいに落ちる。それは刹那、一粒の滴となって冷たい甲を伝う。背後を、小型犬を連れた主婦が通り過ぎていく。午後の授業を終えた学生が訝し気に空を見上げながら駆け抜けて行く。俺はその度にポケットから取り出した携帯やタバコを弄ったりしてみるが、時間が経つにつれてどうにも誤魔化しきれなくなってくる。そして、そばを通りかかった柴犬が、俺の足元に来て何やら神妙な面持ちで息みはじめ、飼い主が必死の形相でその縄を引いた時、俺は慌ててお宅の前を後にする。背後の様子を伺いながら電柱数本分の距離を駆け抜けて、俺はズボンの裾が汚れていないことを確かめてから一息つく。俺が吐く息が紫煙のようになって顔の周りをいつまでも漂う。これ以上ここに留まることは出来ないようだ。ご婦人宅でぱちぱちと鳴る旧式ストーブの温もりを思い出すと、俺は後ろ髪を引かれるような思いがしながらも、渋々、通常の業務に戻っていく。遠くでは雷鳴が本格的に轟いていた。
 その後も俺は凝りもせずご婦人宅に足繫く通った。そしてその度に俺の淡い期待は裏切られた。何度訪れても、平屋の雨戸はぴったりと閉じられ、庭の草木は伸びに伸びて、遂には木の蔦がひび割れたコンクリートの壁にまでその触手を伸ばしていた。それでも、俺はあのご婦人の懐かしい匂いの漂う温もりを求めて訪問し続けた。仕事の方ははかどるはずも無く、上司が毎日ボードに書き込む俺の欄には「0」の文字が並び続けた。上司の口から飛び散る細かいつばを頭に浴びながら俺は「どうせ辞めるのだ」と痛む己の心に言い聞かせてどうにかその場をやり過ごす日々。今日もまた営業の方は程々のところで切り上げてご婦人宅へ向かうも、やはり平屋の雨戸はぴったりと閉められ、蔦はさらにその触手を伸ばし、ポストには数週間分の広告やら新聞やらがぎっしりと詰め込まれていた。

 俺は冷たいドアノブにそっと手を掛ける。ベルはもう呆れるくらい何度も鳴らしたのだ。耳の奥では心臓が乾いた音を立てて鼓動する。身体は寒さで凍えているはずなのに、脇や手のひらにはじっとりと嫌な汗が滲んだ。頭上を黒いカラスが二羽こちらを嘲るかのように旋回する。或いは、俺に向かって最後の忠告を与えているのだろうか。カラスは一声鋭く鳴くと、諦めたようにどこかへ去っていった。今だ。俺は濡れた手のひらでドアノブを回転させる。
 俺を迎えたのはご婦人の包み込むような笑顔、ではなく、何かの黒い塊であった。それはお宅の玄関でうじゃうじゃと不気味な動きをしていたかと思うと、突然、こちら目掛けて飛び掛かってくる。それは一つの塊からビー玉ほどの大きさに分裂して、俺の顔にばちばちと音を立てながらぶつかってくる。それが異常に肥大したハエであると気づくのにしばらく時間がかかった。ハエの群れは酷い砂嵐のようになって玄関先に立つ俺の身体を襲う。あまりの勢いに俺の身体はのけ反り僅かな呻き声すら上げることが出来ない。数匹は鼻や口に入ってしまったかもしれない。それは傍を通り過ぎていくというよりかは、俺の内に入り込んで、無数の嫌な羽音を立てながら体中を縦横無尽に駆け回っているようであった。ぶつかってくる痛みとこみ上げる吐き気とでほとんど意識が飛びかけた時、ハエの嵐は去り、途端に目の前の視野が開けてくる。今度は鼻の奥をつんざくような腐臭が漂ってくる。目の前の床では濃いオレンジ色の肉塊が、残った数匹のハエにその身を啄まれながら横たわっている。恐らくご婦人の遺体らしき眼前のものは、腐敗が進み体の端々がボロボロに砕けてしまっていて、こちらに向いた足が無ければ、うつ伏せか仰向けになっているのかさえ分からない。鼻を突く悪臭は耐えがたく、視界が揺らぐような感覚に襲われてお宅の壁に手をついてどうにかよろめく身体を支える。ただ言える事は、俺と会ったすぐ後にご婦人は悲劇的な末路を迎えたということだ。優しい笑みや包み込むような眼差しは、今さっき背後に飛び去ったハエたちによってすっかり蝕まれてしまった。ハエたちは、腐った果物にでもありつくみたいに、ご婦人の身体から染み出る汁を吸い、オレンジ色の果肉を貪った……。

 ごん、ごんという低い音を聞いて俺は目を覚ます。
 ここが自室のベッド上であると理解できるまでに、混乱した頭はいくつかの紆余曲折を経ていく。上司の叱咤。営業の仕事。曇り空。腐敗したご婦人の遺体。ハエ。俺はかさつく唇を拳で拭う。おそらく夢を見ているとき、俺は醜い叫び声をあげたに違いない。先ほどのごん、ごんという音は、絶叫を耳にした隣人による壁越しの抗議であった。蛍光色の針は午前二時過ぎをさしている。全身から噴出した汗が冷えて思わず身震いする。とりあえず風呂にでも入ろうかと重い腰を上げた時、枕もとに置いた携帯のランプが点滅していることに気が付く。履歴を見ると、見たことの無い番号からの着信であった。どうせセールスか何かに違いない。俺はすぐに携帯を放り出して浴室へ向かうも、ご婦人の腹からむき出した肉塊の残像も相まって、その番号は妙に頭の片隅に引っかかった。俺は冷たい汗で濡れた頭を振る。その番号がどんな意味を持っているにせよ、この深夜に折り返し掛け直すことはできない。それについてはまた明日にでも考えればよい。俺は熱いシャワーを頭から浴びながら、うつらうつらと首を上下させては微睡に耽っていた。

 ご婦人の娘であるという女性は、はにかむと口元がまさに母親そっくりな方であった。綺麗な五本の指を揃えて、まず彼女は突然俺を呼び出したことを詫びる。ご婦人と似て肌艶も良いが、対面した時の落ち着き方といい30歳は過ぎている印象であった。決して出過ぎず、それでいて物腰の柔らかい感じに俺は母か姉に対して抱くような感情を覚えた。今日は平日ということもあって、彼女はえらく恐縮していたが、俺は一向にかまわなかった。既に上司に辞表を叩きつける覚悟はできていたから、有給消化を申し出て渋い表情を浮かべられてもさほど気にならなかった。どうにでもなれ。そんな投げやりな気持ちが、俺の行動を自然と大胆にさせていた。二人で近くのファミレスに入り、俺はコーヒーを彼女は紅茶を頼み、世間話もほどほどに、さあ本題に入りましょうとでも言わんばかり彼女はご婦人に似た端正な口元を引き締める。俺もまた居住まいを改めて次の言葉を待つ。
 「母が亡くなりました。」
 彼女が静かに述べる言葉を、俺は意外にもすんなりと受け入れることが出来る。水が喉を通り全身へと行き渡るように、俺はその言葉の意味をゆっくりと身体の内に染み込ませていく。虫の知らせとでも言うべきか、或いは寝起き様のデジャヴのようなものか、こうなることは既に俺の中で予見されていたような気がする。死因は何なのか。なぜご婦人は、余命が短いにもかかわらずセールスマンの俺を招き入れて、しかも長期の契約などを受け入れたのか。疑問は次々に湧き出てくるが、すべては目の前の彼女が告げる一言に懸かっていた。彼女は只、長いまつげをしきりに瞬いている。俺は手持無沙汰になるとマグカップの端に口をつけては辛抱強く待ち続けている。コーヒーの苦みとその中にある仄かな酸味とが心地よく鼻を通り抜けていく。時計の両針が頂点に差し掛かり、昼時の店内は急に混み始める。そして、彼女は遂にその重い口を開く。
 「母は、進行性のがんを患っていたのです。肝臓がんです。肝臓は『沈黙の臓器』とも言われることはご存じでしょうが、判明したときにはもう、手遅れでした……。」
 そこまで喘ぐように言い終えると、彼女は苦し気に息を吐き出す。未だ彼女の中で整理がついていないようだった。俺が勧める水を、彼女は重々しく首を振って断り
 「せめて最期くらいは傍に居てあげたかった。こちらの仕事も一段落して、これから母と一緒に暮らす手はずを整えていたのですが……。」
 凛としていた彼女の表情はみるみる内に崩れていく。彼女が流す涙が、綺麗に磨き上げられたテーブルを音もなく濡らす。俺は、胸に綿でも詰め込まれたような苦しさを覚える。目の前で我も忘れてしゃくりあげる彼女の身に寄り添ってやれない我が無力を嘆いた。彼女のすすり泣く声が響くと、周囲から浴びせられる奇異な視線に、気まずくなった俺はうつむく。この期に及んで俺は一社会人であり、平凡なサラリーマンであった。この場の空気を一変させるような気の効いた言葉を述べる訳でもなく、ただ片隅に追い詰められたネズミのように四肢を震わせている。
 「息子さんは……。」
 俺は苦し紛れに乾いた唇を開く。
 「遠くに赴任された息子さんとは中々会えないと、ご婦人が申されていました。」
 そう告げた時、彼女の見開いた目に涙ではない何かが煌いた。一瞬、俺は何か言ってはならぬ言葉を口にしてしまったかと肝を冷やす。彼女はしばらく呆気にとられたように黙り込んでいたが、はっとして、急に何やらカバンから白い封筒のようなものを取りだす。
 「母が遺したものです。」
 そう言って差し出された封筒を俺は受け取る。毛筆で書かれた『高橋さま』の文字は、美しく力強い。あの朗らかな笑みを浮かべるご婦人らしい書きっぷりであった。
 「弟は、二年前に仕事で乗っていた車で事故を起こして亡くなりました。生きていれば丁度貴方と同じくらいの歳です。母にとって、息子はあの子ただ一人です。」
 そう言うと彼女はこちらの感情を探る様にじっと見つめる。俺はひどく狼狽した。ご婦人の柔らかな笑みや愛おしむような眼差し。やけに広い部屋の中でぱちぱちと鳴るストーブや、懐かしい芋羊羹の味。それらがまるで青白いほうき星のようになって俺の脳裏に浮かんでは消えていく。ご婦人の娘さんは、何か言いたげに開いた唇を閉ざす。頂いた封筒を開けると、中には一万円札が数枚入っていた。それは、俺が予め説明しておいた違約金の額と同じであった。
 「頂けません……。」
 俺は封筒を彼女の方に押し返す。俺は、この思いをとても受け止めきれないような気がした。契約を取って浮かれていた俺は、無知で、あまりに愚かであった……。ご婦人の笑みが、優しく頭を撫でてくれた母の表情と重なる。ときに厳しく接することがあっても、その中身は息子に対する確かな愛で満ちていた。その母は今、薄暗く狭い施設の部屋の中で一人、見えない敵に怯えている。或いは、職員に酷い仕打ちを受けているのかもしれない。しかし、その職員たちもまたある意味で何かと懸命に闘っていたのだ。俺の中でいろんなものが渦巻いては消えてゆく。
 「ありがとうございました。」
 彼女は封筒を置いたまま立ち上がる。俺もまた立ち上がってみるものの、何もできずその場に立ち尽くしてしまう。感謝すべきは俺の方なのかもしれない。去っていく彼女の背中を見送りながら、俺は周囲の視線には目もくれず深々と頭を下げた。

 俺が退職届を差し出すと、上司は特に感動する様子もなく黙って受け取る。そして、わざと忙しそうに目の前のキーを叩き始める。例え今日俺がここから居なくなろうとも、万事は何事もなく進んでいくだろう。俺が残した仕事は他の社員に割り当てられ、その誰かは仕事を増やされてぶつくさ文句を言いながらもこなしていくだろう。もうすぐ新入社員たちが期待に胸を膨らませて入社してくるのだ。過度な夢を抱いた者は現実の荒波にその身を晒され、社会の厳しさに耐えきれず辞めていくのだ。その荒波に自分もまた飲み込まれていくのだと思うと一抹の悔しさがこみ上げたが、迷いはなかった。特に何をするという訳でもないが、とりあえず今は母の傍に居てやろうと思う。父を失った今、母に寄り添ってやれるのは俺ただ一人なのだ。皆の視線を浴びながら広いオフィスのど真ん中を歩いていくと、奥の方からこちらを見つめる沢村の姿を見つける。その強張った表情から確かな感情を読み取ることは出来ないが、恐らく俺を馬鹿な奴だと思っているだろう。何より社会の歯車の一部であることに誇りと安心を得ているお前に俺の気持ちは理解できないだろう。俺は敢えて胸を張ってオフィスの中を闊歩していく。出口を示す非常灯は切れかけてチカチカとしている。薄暗い屋内を抜け出すと、頭上にはどこまでも続く青空が広がっていて、立ち並ぶビルの隙間からのぞく冬の太陽が俺の背中を優しく照らし出す。俺は突き抜けるような開放感を、冷たい外気と一緒に肺の奥にまで吸い込んだ。

5
 俺は驚愕して思わずその場に立ちつくす。
 聡子が住んでいるはずの部屋から出てきた見知らぬ男は、俺の問いに、伸びたひげをさすりながら訝し気に首をひねる。
 「前に住んでいた人なんていちいち気にしないよ」
 欠伸でもするみたいに応える男に、俺は俄かに苛立ちを覚える。すると、何を察したのか男はいやらしい笑みを残してぴしゃりと扉を閉めてしまった。俺は薄暗い余韻の中でこみ上げる悔しさに唇を噛みしめる。大家さんや不動産屋に問い合わせても聡子の行方は一向に分からなかった。まさか俺が部屋にまで押し掛けたことが分かれば、きっと聡子は優越感に口元をほころばせるに違いない。そんな余計なプライドが邪魔して、気付いた時には半年近くが経過しても未だ俺は聡子の姿を見つけられずにいた。職場でも彼女は無断欠勤を繰り返しているという。目の前の通りから見える彼女の自席はいつ見てもぽっかりと空いていて、そのすぐ傍を時々、あの上司の男が何やら資料を握り締めてゆっくりと横切っていく。やがて次の女性職員が配属されると、男は如何にも真剣な表情で新人にあれやこれやと指示を伝えている。そこには、聡子とふしだらな関係を築いた男の面影はない。妻子を持ったごく普通の男としての生活を、彼は再び取り戻したかのように見えた。
 赤信号を待ちながら俺は一人首を横に振る。そして、ハンドルを握る汗ばんだ手のひらをじっと見つめる。何を意地になっているのか。最近辞めた高橋の分の仕事までこちらに押し付けられて、上司には「一時的なものだから」とか「お前には期待している」等と言い包められなだめすかされてしまった。しかし、心の奥は妙に浮ついていて仕事は思うようにはかどらない。それどころか、今までなら考えられないようなミスさえ目立つようになった。顧客との約束を忘れて、契約をふいにしてしまうといったこともあった。一度狂った時計の針が増々狂っていくように、俺はいよいよ自分を見失いつつあった。
 クラクションが鳴る。わかっとるわ!俺は目の前の青信号に向かって怒鳴ると勢いよくアクセルを踏み込む。タイヤが幾度か空回りした後に、ボロい車体は急激に前へと進みだす。なぜ聡子に拘るのか?俺が今まで付き合った女の中でも、聡子は特段良い女という訳ではない。甘いものを食う時だけは幸せそうな笑みを浮かべるくらいで、後は波風立たぬ水面をゆっくりとオールを漕いで進んでいくような人生を好むごく平凡な女である。時々、こちらを驚かせるような激しさを見せる一面もあったが、それも一瞬のことで、ちょっと甘い言葉でも囁いてやればすぐに機嫌を取り直して猫のようにすり寄ってきたものだ。そんな彼女がなぜ、妻子持ちの男と不倫して、しかも自分だけが仕事を辞めるなどといった不条理を甘んじて受け入れたのだろうか?仕事を終えて家に戻ると、視界の隅に聡子が残した下着やハンカチなどの品がチラつく度に、俺は意味の無い不安に駆られる。彼女は俺の前から姿を消したにも関わらず、その目は常にこちらを見つめているような気がした。実は、彼女は案外ここから近い場所に潜んでいて、こちらの反応を確かめては密かにほくそ笑んでいるのかもしれない。ならばもう十分だ。もし俺に謝れと言うのならば喜んで頭を下げよう。それで、これまで散々横柄に振る舞ってきた俺の立場は地に堕ちるかも知れない。いずれにせよ、少しだけでもその顔をのぞかせてくれたなら俺の気持ちは救われるような気がした。
 四月になり新入社員が入ってくると、俺は教育係のリーダーを任された。これまで自分の業績ばかり追い求めてきた俺にとって、後輩の存在は身の引き締まる様な思いがした。俺は、未だ学生生活の甘い感覚が残る者に対しては容赦なく喝を入れ、一方で仕事終わりには飲みに誘ってやるなどしてその後のケアも欠かさなかった。新しいやりがいを見出すと、俺の中で自然としこりのようなものは無くなり、仕事でもミスを犯さなくなった。勿論、中には耐えきれずに辞めていく者も居たが、努力の甲斐あってか俺を慕ってくれる者も居た。
 新川はその中の一人であった。
 彼女は容姿端麗で人懐っこい性格から、特に男性陣からは先輩同期に関係なくよく可愛がられた。何を言っても従順な犬のように従うし、仕事もよくできるのだが、時折ぬけた一面を見せる所もまた、男たちの心を何とも心地よくくすぐった。俺は特にそういった感情を抱きはしなかったが、いつも人懐っこい笑みを浮かべる彼女には自然と好意を持っていた。
 「先輩すごいです!それどうやるんですか?もう一回見せてくださいよ」
 エクセルで簡単なグラフを作成して見せると、新川は興奮した様子でせがんでくる。俺は周囲の男性陣から浴びせられる嫉妬に満ちた視線を感じながらも、仕方なくもう一度作って見せると、やはり彼女は大げさに愛らしい声を上げて喜んで見せる。
 「どこでそんなの習うんですか?私、パソコンが凄く苦手で、エクセル講座とか受講しようかと思っていたけど、やっぱり先輩に教えてもらおうかなぁー」
 支離滅裂な敬語も、彼女が話すと無垢な子犬のように愛らしくて俺は上手く注意を与えることが出来ない。一度彼女の天真爛漫なペースにハマってしまうと、どんな強面の上司であれ思わず口元が綻んでしまう。それは、彼女が生まれながらにして持つ才能のようであった。
 ある日、彼女はいつになく青ざめた表情で顧客からの問い合わせに対応していた。どうやら酷いクレーマーに摑まってしまった様子で、相手のキチガイじみた声の調子が受話器を通して隣にいる俺の方にまで響いてくる。男性顧客の中には、慣れない女性社員を掴まえると執拗にまくし立てる悪質なクレーマーが居るのだ。彼女の応対する口調はぎこちなく、頬は赤らんで大きな瞳の端には涙がいっぱいに溜まっていた。途中で替わってやることも出来たが、俺は彼女の成長のためにも敢えて傍から黙って見守っていた。そしてようやく解放されると、彼女は緊張が解けたのか急に声を上げて泣き出してしまった。
 「大丈夫、大丈夫。お前はよく頑張ったよ。」
 泣きじゃくる新川の華奢な背中をさすりながら、俺は娘を慰める親のような気持になった。それは今までの俺には無い不思議な感覚であった。丁度、俺は未だ彼女を飲みに誘ったことはなかったので、良い機会だと思いその日の仕事終わりには他の後輩も連れて彼女を誘った。
 「もう今日はたくさん飲みます!」
 さぞや落ち込むかと思いきや、新川は遠慮もなく俺の隣にどっかり座り込むと大ジョッキに入った酒を立て続けに飲み干す。その勢いは俺を含めた全員が息を飲むほどであった。当然の如く急激に酔いが回って気分を害した彼女は、ふらつく身体を懸命に支えながらトイレに駆け込む。その後を、我先にと後輩の男子たちが競って介抱しについて行く。彼らの慌ただしい背中を見送りながら、俺は血気盛んな彼らの若さを羨んだ。たった三、四歳しか違わぬ後輩たちではあるが、この数年間で俺はたいそう自分が老け込んだ様な気がする。無我夢中で野球に打ち込んだ少年時代。高校を卒業したばかりで右も左も分からずに飛び出した東北の実家には、もう随分前から帰っていない。それが親と子の宿命であると、根拠もなく思い込んでいた若いころの俺は、もう随分遠い昔の存在のように思える。意味もなく野球部の先輩に盾をついた俺が、まさかこうして後輩たちを引き連れているとは嘘みたいであった。俺は微かに揺れるオレンジ色の電灯を見つめながら、ジョッキに残ったぬるい酒を飲み干す。
 会が終わる頃にはもうフラフラで立てないほどに酔った新川を、自宅まで送り届けると申し出る野獣連中を俺は片手で制する。それで酔いつぶれた彼女をどうにかして問題を起こされてはたまったものではない。恨めしそうに見上げる連中の背中を最後まで見届けると、俺は丁度やってきたタクシーにふらつく新川の身体を抱えて乗せる。訝しる高齢の運転手に一万円札を渡してドアを閉めようとすると、不意に中から新川の赤らんだ手に引っ張られる。それで俺が彼女の身体に覆いかぶさる様な形になったので、運転手はミラー越しに苦い笑みを浮かべる。俺の腕の下で新川はもうすやすやと気持ちよさそうな寝息さえ立てているので、後輩たちを追い払った手前で気が引けながらも、運転手に迷惑はかけられまいと思い仕方なく同乗することにした。彼女を揺り起こして自宅の住所を聞き出すと運転手に伝える。それは意外にも俺の自宅の住所と近かった。赤、青、黄、緑さまざまのネオンが輝く夜道を、タクシーは滑る様に走り出す。

 タクシーはネオン街を抜け、真夜中の高速道路を走っている。華美な装飾を施したデコトラが傍らをゆっくりと追い越していく。車体が揺れるたびに隣で寝そべる新川のスカートの端がふわりとめくれ上がり、中から白いむっちりとした太ももが露になる。寝返りを打つとシャツの胸元も開けてきて、俺は妹の思わぬ成長に戸惑う兄のような気持になって堪らず目を逸らす。彼女がたてる細やかな寝息は、丁度俺の腰の辺りに当たっていた。運転手はこちらの雰囲気を気遣ってか、時々ミラー越しにちらと見つめるが決して話しかけては来ない。俺は物凄いスピードで過ぎ去っていく街灯の光に見とれながら、その背後に広がる墨で塗りつぶしたような暗闇について考える。東北の僻地では当たり前のように煌いていた無数の星々が、ここでは無数の電灯と排気ガスとですっかり覆い隠されてしまっている。煌びやかなネオン街や、不夜城のようにそびえるビルの群れに憧れて上京してきた筈なのに、今ではその光に深い疲れを感じている。
 自宅近くの道に入ると、俺は新川に起きるよう促す。夜はかなり更けて、俺のアパートもここから近かったので、俺は新川を自宅まで送り届けることにした。支払いを終え、未だ足元のおぼつかない新川の身体を支えながら冷たい夜道を歩き出す。
 「えっと、こっち……です。」
 「え、こっち?」
 俺は何度も聞き返しながら歩みを進める。もう大人なんだから、酒の付き合い方はきちんと考えなきゃならないぞ。俺が言うと、彼女は定まらない視線のままこくりうなずく。頬の赤みは大分引いたようだが、それでも足取りは未だおぼつかない。揺れた拍子に彼女の柔らかな胸の感触を感じると俺は慌てて視線を逸らす。仄かに甘酸っぱい香りが周囲に心地よく漂う。これを後輩たちが見たらどう思うだろうかと考えると思わずため息が漏れる。とにかく、今の自分にできることは、決して有らぬ感情は持たず確実に彼女を自宅まで送り届けることだ。俺は火照った己の胸に確と言い聞かせる。
 歩いているうちに先ほど見たのと同じ看板や家の塀を見つけると、俺は訝し気に新川の横顔を見つめる。
 「おい、家は本当にこの辺にあるのか?」
 俺が怒ったように問うと、新川は未だ呂律の回らない口調で
 「ごめんなさい。もう、自分で帰りますから……。」
 そう言って一人で歩き出す様はやはりおぼつかない。数歩歩いただけで、見えない糸に引かれるみたいによろめいて、道端の電柱に肩から突っ込んでしまう。
 「いたたっ……。」
 その場に倒れ込むともう開けたスカートから細長い足を投げ出してそのまま眠りこけてしまう。まさかこのまま置いて帰る訳にもいかず、俺は俄かに沸き立つ気持ちを誤魔化しながら彼女を抱き起す。そう言えば、ここから近いうちの部屋には聡子が使っていた布団があったなと思い出して
 「もう歩けそうにないか?」
 俺の問いに、彼女は眠そうにまぶたをかきながらうなずく。俺はもう叫びたい気持ちを抑え、代わりに白い溜息を吐き出す。いよいよ、俺は後輩たちに申し開きが出来そうになかった。俺は気が進まないながらも、ここから近い俺の部屋に彼女を連れていく。
 「早く寝ろよ」
 部屋に入れると俺は湿っぽいタオルケットを新川の胸に押し付けて言う。彼女がその華奢な身を狭い床に横たえると、もう今日は眠れそうになかったので、仕方なく俺はベランダに出てタバコをふかし始める。酔っているはずなのに意識はむしろ冴えていく一方であった。上空は一見すると厚い雲に覆われてしまっているようで、よく見ると所々に小さな星々が苦しそうに煌いている。遠くから高速道路の騒音が微かに聞こえてくる。救急車のサイレン音が何処からともなくやってきては遠ざかっていく。ここに完全なる沈黙は存在しなかったが、俺の心は妙に孤独を感じていた。吐いた紫煙が長らくその辺を漂っている。
 新川の声を聞いて振り向く。もう一度聞き返すと、彼女はくすくすと笑い声をあげた。
 「先輩の彼女のですか?これ」
 彼女は寝そべったまま、部屋の隅に落ちていた聡子の下着を指でつまみ上げる。俺は血の引く思いがし、さすがに頭に来たので
 「やめろ……。」
 俺が取り上げようと手を伸ばすと、新川は思わぬ速さで床から跳ね起きる。
 「へぇ、先輩の彼女ってこんな趣味なんだぁ」
 新川は弄ぶように下着を俺の眼前で揺らして見せる。小さなリボンが付いたそれは揺られて力なく首を垂れている。俺が取ろうとすると、彼女はドタバタと音を立てながら狭い部屋を逃げ回る。追いかけながら、俺はこの騒ぎが近所中に聞こえていないかと肝を冷やす。新川はその細長い足で華麗にステップを切るので、俺は意地になって彼女の身体を掴まえると思わず抱え込むようにして倒れる。
 ごめん……。出かかった言葉が喉の奥でつっかえる。下から見上げる彼女の大きな瞳は、少しもぶれることなく真っすぐにこちらを見つめていた。起き上がる間もなく、彼女は俺の身体を抱き寄せ、俺のやに臭い唇に吸い付く。瞬間、強い電流が体中を駆け巡り、甘い汁が口内を満たすと俺は強い眩暈を覚えた。酷い砂嵐が吹きすさぶような雑音が脳裏を駆け巡る。彼女は握り締めた聡子の下着を傍らに投げ捨て、まるで勝ち誇ったような笑みを浮かべると、もう一度強く唇を押し付けてくる。あけ放たれた窓から冷たい風が吹き付け、頭上で薄いレースのカーテンが音もなくはためく。俺はシャツの開ける音を遠くで聞きながら、快楽とは裏腹に胸の内で冷めていく何かを感じていた……。

 
 灰色の空の下、満杯のホーム上では浮腫んだ表情を浮かべた人たちの群れがどこまでも続いている。鈍い光を放つ車体は、何処からともなくやって来ては同じ表情の人々を吐き出し、また飲み込んでいく。革靴が鳴らす低い音や、発車を告げる音楽が虚ろに響く。立ち並ぶ高層ビルは、その尖塔を湿っぽい上空に向かって憮然と突き立てている。その上をカラスの群れはにべもなく黒い羽根をはためかせ横切っていく。そんな彼らを、俺はこれまでに何度恨めしく見上げたことか。俺はぬるいビールに口をつけながら、見る見る内に背後へと過ぎ去っていく都会の景色を惜しむように眺める。散々苦しめられた挙句に、今となってはこの雑然とした景色に微かな寂寞さえ感じる。聡子や高橋は、今もこの景色の何処かに潜んでいるのだろうか。車両はどんどんスピードを上げていき、ビルや人の群れは視界からみるみる遠ざかっていく。空を裂く悲鳴を上げながら車両は幾つもの街や景色をすっ飛ばしていく。まるでミニチュア模型でも眺めているかのように、窓外の景色は全く現実味を伴っていないような気がした。下り新幹線の車内はガラガラで、空調の音が妙に大きく響いている。俺は椅子の背もたれを下げ手足を思いっきり伸ばしてみるも、どこかやりきれない。いつもならひどい眠気に襲われているはずなのに、今はいくら目をつむっても眠りは一向にやって来ない。眠るどころか、閉じたまぶたの裏に浮かび上がってくるのは、酒臭い上司の赤ら顔であった。
 「実は今度、お前をグループのリーダーに推薦しようと思うんだ。」
つまみの枝豆を頬張りながら告げる上司の言葉を、俺はひどく恐縮しながら聞いている。上司はさも自慢げにジョッキを傾けながら喋り続けるが、その時、俺の心は意外にも白けていた。それは待ち焦がれていた言葉であったはずなのに。これまで会社の為に身を粉にして働いてきた苦労が、今はすべて馬鹿馬鹿しいとすら思えた。散々駆けずり回ってへとへとになって、俺は一体今まで何をしていたのだろうか?俺は自分の人生を、聡子や高橋の人生と重ね合わせてみる。顧客のご老人を妙に慕っていた高橋。芸術の世界で敗北を味わい、妻子持ちの男にも棄てられた聡子。彼らの背中がみるみる俺の視界から遠ざかっていく。あの夜の後も、新川は平然として先輩である俺に接してくる。しかし、俺たちの関係は実は水面下で確実に大きな変化を遂げていて、俺が手厳しく後輩を指導しているとき、新川の視線とぶつかると、途端に嫌な汗が全身から噴出してくる。それはまるでタネを見破られても尚、芸を披露する傀儡子のようなものだ。例えば彼女がコピーを取りに席を立つとき、上司の言葉を真剣な面持ちで聞いているとき、同期の社員と他愛の無い会話に興じているとき、そんな何気ない彼女の一挙一動にさえ俺は神経を尖らせていた。いくら他の後輩たちと同じように接しようと試みても、彼女に対する言葉は俺の中で妙に白々しく響いた。あれから、俺は幾度か彼女と関係を持ち、その度に彼女は優越に満ちた笑みをその愛らしい口元に浮かべた。俺は見えない手綱によって繋がれ、もはや彼女の存在からは逃れられないような気がした。
 県内屈指のターミナル駅で在来線に乗り換え揺られること一時間。立ち並ぶビルや低い屋根の家々が徐々に減っていき、雪の白が窓外の景色の大半を占め、遠くに見えていた山々が次第に現実味を帯びてくる。地面に積もった雪と曇り空の白が混ざり合う地平線を、鳥たちが黒い点となってゆっくりと横切っていく。二両編成の列車は軋んだ音を立てながら、看板と小さな掘立小屋だけが目印の人気のないホームに次々と音もなく滑り込んでいく。その一つの駅で、俺は手動ドアを横に開く。視界に収まりきらないほどの一面銀世界に、降り立った俺は懐かしさというよりも微かな恐怖すら覚えた。恐る恐る息を吸い込むと、肺も凍り付くような冷たい空気が一気に体の内側へとなだれ込んでくる。寒さで震えの止まらない手のひらを見つめながら、俺もすっかり都会の空気に慣れてしまったものだと思い苦笑する。無人の駅を出ると道端には雪かきを終えた後の雪が山盛りになっているが、なぜか人の気配は無い。まるで立ち退きを余儀なくされた小村のように、俺がふかふかの白い地面を踏みしめる音以外、辺りはしんと静まり返っている。煙突から立ち上る細い煙が空の白に溶けていく。白鷲が凍てつく川から飛び立っていく。俺はなるべく大きく足を上げながら、学生時代に何度も通った道を歩いてゆく。時々、地元に住むご老人らしき人とすれ違うと、俺は意味もなく緊張して視線を逸らせてしまう。数年前と何も変わっていないが、なぜかここが若き日を過ごした場所であるとは俄かに信じがたいような気がした。
 俺が立てつけの悪い戸を開くと、出てきた母は少し目を見開いたが、すぐに中へ入るよう促す。その時、俺の肩に置かれた母の、皺の刻まれた手のひらを見て思わず「老けたな」と思った。それは言いようの無い悲しみの籠った感情であった。促されるがままに上着を脱ぎ、居間に置かれた炬燵に両手足を突っ込む。急に熱に触れて冷えた手足が痛む。そっと辺りを見渡すと、カーテンの色やいくつかの家電など多少の変化はあれど、以前と何も変わらない実家の部屋であった。母は二つの椀にお茶を注ぐと、炬燵に手足を突っ込んで黙っている。意味もなくついたテレビでは、俺が見たことの無いワイドショーをやっていた。ダム建設に反対する住民の怒りの声が切々と読み上げられる。隣にいる母はテレビを見ているのかいないのか、わからなかった。
 「仕事は順調なの?」
 それは母が述べた最初の言葉であった。こんな声であったかと思う。俺は少し緊張しながらも頷く。俺がどんな仕事をしているのかさえ、母は知らされていなかった。それ以上、母は何を言うでもなくただ頷いている。エアコンが微かな音を立てて空気を吐き出す。
 「よく、帰って来たねぇ」
 その時、俺の胸に熱くこみ上げてくるものがあった。俺は思わずうつむく。まさか自分がこの手の感傷に流されるとは思いもしなかったが、母の丸い背中を見つめていると、不意に止めどなく流れ出てくる感情を抑えることが出来なかった。俺は急に撃たれた様に立ち上がると、母を残して二階にある自室に向かう。ご老人が上るには厳しい高さのある階段を一歩ずつ慎重に昇っていく。高校を卒業するまでの大半の時間を過ごした部屋は、さすがに畳は擦り切れて黒ずんでいたが、教科書がぎっしり詰まった机や本棚には埃一つ積もってはいなかった。まるで、この時の為にビニールで全体をすっぽりと覆って待ち構えていたかのように、部屋の様子はあの頃と何一つ変わってはいなかった。ただ、野球用具だけは少年時代の俺自身がこの手で棄て去ってしまったのだが。
 冷えた机や棚などに視線を巡らせていると、不意にあるものが目に留まる。それは糸が解れてぼろぼろになった硬式球であった。腹の部分にはあの選手のサイン(もちろん複製ではあるが)が施されている。まるでそれは何年もの月日を経てそこに突然現れたかのように机上でじっと佇んでいる。俺は取り上げると消えかけたサインの部分を指でなぞってみる。父に初めて連れて行ってもらった球場で買ったボール。使いもしないのにいつもポケットの中にしまい込んでいた。無心で打球を追いかけ、バットを振った日々。もうとっくの昔におさらばしたはずの記憶が、今になって痛いほどに思い起こされる。あの選手が放つ打球は美しい弧を描いて満員のスタンドに吸い込まれていった。世界最高峰の舞台で割れんばかりの歓声を浴びた。俺は、そんな彼の姿を夢見る少年の一人であった。そして、その夢が叶わぬと気付いた時、俺は自らバットを置いた。俺は冷たいボールの腹をぎゅっと握り締める。確かに俺は夢に破れたかもしれない。でも、その記憶が決して無くなる訳ではなかった。幾つになろうが、あの美しい弧は、割れんばかりの歓声は、こちらが思いもしないタイミングで突然姿を表すのだ。部屋を満たす冷気で胸が締め付けられるように痛む。俺は詰めていた息をふうっと吐き出す。真冬の凍てつく寒さの中を、壁に掛けられた時計の針は音を立てて進んでいった……。

グッバイ ©momonga

執筆の狙い

 登場人物たちが抱える葛藤を表現したいと思い執筆しました。
 とある公募の賞に応募して一次で落選しました。
 ご意見等頂ければ幸いです。

momonga

122.16.95.157

感想と意見

アフリカ

拝読しました

1だけですが……

んで、途中までの感想ですが。

先ずはどんな公募を狙っていたのかな?と気になりました。というのも、エンタメ思考の強い公募とは違う路線なのかなとかんじたからなのですが……

御作、と言うか。作者さんはもう、かなり書ける方ですよね? 文章的な破綻とか読みにくさとか僕はあまり感じませんでした。

ただ、酷く、強く、無茶苦茶真っ直ぐに

御作って、独り言……ですよね……
思考の吐露が止まらない。
本編が始まらない。

いや、有ると思います。有るのは理解してます。
俺の思考を開示することで動き始める。または、動き続ける物語も有るのは理解しているのですが……

この物語……
1を読んでみて、後、何人のキャラクターが登場するんだ?登場させることが出来るんだ?と……
なんだかそんなことが気になりました。
つまり、物語として動き出す気配と言うか、物語が物語として成立するのか……が気になったと言うのか……
これをエンタメ思考の強い公募に向けてかいているのなら技術力やアイデアとは少し違う部分で弾かれたのではないのかな……と勝手に感じました。

勿論、2.3.…と続けて読めば次第にワクワクしてくるのだとは思うのですが、少ししか読むド根性のなかった僕はそんな風に感じてしまいました。

それでも。
公募に挑戦するって決めて本当にそれに向けて努力されているなんて、ゴハンの中で遊んでばかりの僕からしたら凄いことですし、上にも出しましたが文章的に上手いかたなのだと感じますし、頑張って下さい。応援します

ありがとうございました

2017-09-09 11:37

49.104.30.231

momonga

アフリカ様
お読みいただき有難うございます。

応募した賞は純文学系のものです。実力がないので落ちたのは分かるのですが、度々お世話になっているこちらで何かしらアドバイスを頂ければと思い投稿しました。
アフリカ様にご指摘いただいたように、主人公の心理を描くあまり物語が上手く展開していかないので、実際に主人公を取り巻く状況は最後までほとんど変わりません。そもそも、変わらない状況の中で登場人物たちが抱く葛藤を描きたいと考えているのですが、内向的過ぎて物語の展開が無いので読者様を飽きさせてしまっているのかもしれません。
頂いた意見を基にまたチャレンジしていきたいと思います。

有難うございました。

2017-09-09 22:47

27.137.1.185

ラピス

自分の言葉で丹念に書かれた描写に惹かれて読み始めました。が、私は2でギブアップしました。
等身大の登場人物には好感が持てるのですが、愚痴めいた独り言を延々と聞かされて、飽きてしまいます。
しかも2で物語の全容が透けて見え、意外性があまりない、、。話を読み進める何らかの吸引力が欲しいです。人物の魅力なり、ストーリー展開なりetc.
とはいえ上手いかただと思うので、頑張って下さい。応援しています。

2017-09-10 20:21

49.104.33.44

momonga

ラピスさま
お読みいただき有難うございます。

上にも書いた通り、どうしても主人公の心理描写に偏るためストーリーが展開していかない傾向にあり、この点が落選の原因かもしれません。
ご意見参考にさせていただき、また再チャレンジしていきたいと思います。
有難うございました。

2017-09-11 07:44

122.16.95.157

ご利用のブラウザの言語モードを「日本語(ja, ja-JP)」に設定して頂くことで書き込みが可能です(テクニカルサポート)。

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3,000字以内