作家でごはん!鍛練場

『涙の跡に咲く花』

むむむ著

お読み頂きありがとうございます。
以前こちらに投稿させて頂いたものを書き直して投稿しました。

主人公の椎名光が

(1)人の気持ちがわからない。
(2)姉と過ごす時間で変わる。
(3)姉が亡くなり、昔の自分に戻る。
(4)でも、姉との思い出がある。昔の自分との決別。
(5)高校生になって、姉さんのような人間になるために必死に現実と向かい合ってあがく。

という物語を書きたいと思っていたのですが
(1)から(4)まで書いたところで、
独りよがりなものになっているのではないかと不安になり、
皆さんのご意見を頂きたいと思って投稿させて頂きました。
宜しくお願い致します。

一、

 姉さんが死んだ。
 梅雨の真ん中。バケツをひっくり返したような雨が続くある日のことだった。走る車に跳ね飛ばされ、即死だったらしい。
 行ってきますと元気に言って、朝早くに学校を出て行った姉さんの笑顔。
 その笑顔を次に見たのは、しばらく経ったあと。瞼の奥でだった。
 わき見運転だったそうだ。いや、携帯電話で話をしていたせいだったか。
 まあ理由なんてどうでもいい。
 飲酒運転だろうが、脱法ドラッグだろうが、姉さんが死んだことに変わりない。姉さんを殺した不注意な人間を恨むか、姉さんを殺したモラルの低い人間を恨むか、はたまた姉さんを跳ねた鉄の塊を恨むか。
 その程度の違いしかないのだ。
 たしかに恨む対象が変われば、その後の生き方も変わるかもしれない。人を恨めば人間不信になるかもしれないし、警察官になることもあるだろう。宗教に救いを求めることもあるかもしれない。車を恨めば車の安全に関する研究に携わりたいなんて思うかもしれない。
 しかし、僕にとって何を恨むかなんてことは、やはりどうでもいいことだった。
 どうやら僕の中身が涙と一緒に全部外に出て行って、僕はがらんどうの人形みたいになってしまったようだ。
 あとには残りカスみたいな「僕」だけが残っている。
 自分の空っぽの心の底に、澱みたい溜まったそれ。真黒に淀んだそれが、虚ろな心をじんわりと濁らせていく。
 でも、そのどうしようもなく醜い僕が、本当の僕だ。
 僕は昔、本当にどうしようもない奴だった。空っぽの僕に、中身を詰めて、ちゃんと人間にしてくれたのは、他でもない。姉さんだった。

 バンジーとか、マリーゴールドとか。
 学校の花壇によく植えてある、色とりどりの花が小学生の頃の僕は嫌いだった。
 理由はよくわからなかった。雑草のない花壇にお行儀よく並べられた人工的なところか。原色がやたらと目に刺さる毒々しいところか。強く甘い匂いを醸し出すいやらしさか。何にせよ、僕は学校の花が嫌いだった。
 だから僕は毎朝早く学校に行って、それらの花を引っこ抜いていった。
 毎日、一つずつ。気に入らない花の命を摘み取っていった。
 まず、花壇の前に着くと、誰かに見つかる可能性なんて考えず、ゆっくりと時間をかけてどれを抜くか吟味する。そして、一番元気よく、綺麗に咲いている一つを見つけたら、根本からズブリと引き抜く。根っこが土を離すまいと抵抗する。美しく咲いた花が不条理にその命を終えていく。その一瞬が、うまくは言えないが、とても愉快だった。
 そんな僕の趣味をやめさせたのは、学校の教員ではなく、姉さんだった。
 ある朝、同じように花を摘もうと手を伸ばすと、「ダメだよ、そんなことしたら」という声がした。振り向くと、真っ赤なランドセルを背負った姉さんがいた。
「どうして?」
 お楽しみを邪魔された僕は思わず、そう聞いてしまった。
 本当は、考えておいた言い訳を言わなければいけなかったのだ。「この前スズメさんを埋めたところに、このお花をお供えしたいんだ」って。
 姉さんは僕のほうに歩み寄って少しだけかがんだ。
「お花がかわいそうでしょ」
「お花はかわいそうじゃないよ」
 母さんだってよくお花を買ってくるじゃないか、と僕は思った。
「お花を育ててくれた人もかわいそうでしょ」
「そうかなぁ」
 僕は姉さんの言葉がよくわからなかった。
「じゃあ一緒にお花を育ててみようよ。今日、種を買って帰ろ」
 姉さんは僕の手を引いて、下駄箱の方へと歩き出した。
「うん、わかった」
「何にする?私はね、ヒガンバナとか好きかなぁ」
「ヒガン?」
「死後の世界とかって意味だったかなぁ、たしか」
「へぇ。死後かぁ」
 僕は少し興味が湧いた。
「名前は不吉だけどね、お花は真っ赤ですごく綺麗なんだよ」
「うん。じゃあヒガンバナ、育ててみたい」
「じゃあ放課後、教室で待っててね」
 僕はヒガンバナの球根を姉さんと買って帰った。
 そしてその日から僕は、花を殺さなくなった。

 姉さんのおかげで、僕は少しずつ人間らしくなれた。何が正しくて、何が間違っているかを姉さんが教えてくれた。だから僕は、今日までこの世界で生きてこられた。
 けれど、姉さんは死んでしまった。
 正しかった姉さんは、正しくない人間によって、殺されてしまったのだ。
 頬に残った滴を拭い、きっと目を見開いた。平坦なお経がようやく耳に届き始めた。そしてあたりを見回した途端、自分が世界から弾き出されたような気がした。
 泣き崩れる姉さんの高校の友人たち。その姿を見た瞬間、こみあげてくる感情があったのだ。
 葬式にはたくさんの人が来ていた。すごくすごくたくさんの人が。姉さんの死をたくさんの人が悼んで、たくさんの人が姉さんのために涙を流していた。
 それが僕には、堪らなく不愉快だった。
 彼らの真ん中に横たわる美しい亡骸には、何の意味もない。
 この人たちはただ、姉さんのために涙を流す自分に酔っているだけだ。自分が真っ当な人間だと、周りにも自分にも思い込ませることができるのなら、死んだ人間が誰であろうとこの人たちには関係ない。
 涙は止まっていた。もう泣くことはできなかった。涙なんて、一滴も出なくなっていた。
 今まで流した涙と一緒に、僕の人間性というやつは消え失せてしまったのだろう。残っているのは、醜い本当の自分だけだ。ゆっくりと、自分の世界から色が消えていくのがわかる。灰色の世界はまさに悪魔の見る世界そのものだった。
 甘い雨の匂いの中、真っ黒な花が開いては式場から出て行く。どこまでも滑稽な儀式はようやく終わりを迎えた。

 何日か休んでから中学に行くと、僕の周りにはたくさんの人が集まった。
 集まった、という表現は嫌な言い方かもしれないが、それが一番この光景にふさわしい表現だと思った。僕は元々友達が少ないほうではなかったけれど、こんなにたくさんの人に囲まれるとは思ってもいなかった。
 一度も話したことがないクラスメイトが、まるで昔からの友人のように親しげに話しかけてくる。みんなが争うように休んでいた時のノートを貸してくれて、休み時間のたびに、誰かしらが僕の席の近くに来て、他愛のないお喋りをしていった。
 自分がまるでお世話が必要な小さな子どもにでもなった気分だった。
 みんなきっと、気を遣っているつもりなのだろう。誰の目にも慈愛というか、憐れみというか、そういう色が映っていた。
 もちろん僕にはそれが、不愉快だった。
「困った事があったら何でも言ってくれ、力になるから」「お姉さん、亡くなったんだってね。私もお母さんが死んじゃってるから、気持ちわかるよ」「お姉さんにはお世話になったんだ、俺にできることがあったら何でも言ってくれ」「辛い時期かもしれないけど、お前は本当によく頑張ってるよ」
 そんなふうに直接ズバズバ言ってくる人たち。
「今日の宿題やった?俺やってないんだよね、見せて」「私の卵焼き、食べる?」「さっきコンビニでくじ引いたらチョコレート当たったんだけど、俺甘いもの苦手だからやるよ」
 なんて言って、口実をつくっては無理に話しかけてくる人たち。
 君たちの偽善者ごっこに、僕を巻き込むのはやめてくれないだろうか。同情するフリをして、人のことを見下して喜んでいる君らの姿は、心の底から気持ち悪い。
 そんなふうに心の中では思っていた。けれど、僕はあえてみんなの期待を裏切るような行動はとらなかった。
 家族を失った、哀れで、かわいそうな、男の子。そんな役をきちんと演じたりはしなかったが、いつも通り、貼り付けただけの愛想笑いを浮かべていた。そうすれば、向こうは勝手に、無理をしてでも笑顔をつくっているんだろうと受け取った。
 単調で、つまらない毎日だった。そして時々、自分を取り巻くこの世界がひどく不確かに見えた。
 でも、まあそれでもいいかと思っていた。
 そんな僕の退屈を埋める出来事が起こったのは、姉さんが死んだ年の、夏のことだった。

ニ、

 彼の名前を、仮にKとでもしよう。Kは僕のクラスのムードメーカと言える存在だった。Kは明るく、クラスの中心で笑いを生むような存在だった。
 そしてKは、僕のことが気に食わなかった。
 「気に食わない」というのはお手ごろな表現だと思う。「嫌い」ほど明確で意志のある言葉ではなく、「苦手」ほどオブラートに包んだ言葉ではない。「気に食わない」という言葉は、目と目を合わせて直接相手に言うためにある言葉ではないのだ。そしてきっとKは、僕のことが気に食わなかったのだ。
 姉さんの死後、クラスのみんなが僕に優しく接して、クラスの空気がなんと言うか、少し甘ったるく、そして薄暗い感じになっていた。それがKの機嫌を損ねたのだろう。
 それまではKがクラスの中心にいて、自分を中心に明るい雰囲気がクラスに満ちていたのだ。それをいきなり家族が死んだとかいう悲劇の主人公が現れて、クラスの中心というポジションを奪い、今まで自分がつくってきた雰囲気を一瞬で変えられてしまったら、面白くないに決まっている。
 最初のうちは、Kはお通夜ムードの教室の雰囲気を何とか変えようと努力していた。たとえばわざとふざけた態度をとったり、ばかなことをやったりして。
 けれど、それはいつもどこかずれていて、白けることが多かった。生徒たちの雰囲気はどちらかというと悪くなる一方だった。結局、僕を中心に渦巻く負のオーラとクラスの生ぬるい空気に、彼は勝てなかったのだ。
 そしてKは、どうにもできないイライラを僕にぶつけた。
 なんていうことはない、些細な嫌がらせだ。すれ違うときにちょっと肩をぶつけてきたり。不注意を装って足を踏んだり。「最近、椎名って人気者だよな」と口元だけを気味悪くニヤリと曲げながら言ってみたり。そういう、他人がちょっと見たぐらいじゃわからないような、された本人にしか悪意がわからないような、そんな嫌がらせをKはした。
 本当に、いじめとも言えないような、些細な嫌がらせだ。毎日の生活にちょっとした棘が刺さるだけで、生きていけないというほどの害があるわけではない。
 だから、正直言うと、どうでもよかった。でも、僕はモノクロの毎日に少し飽きていた。だから、花びらの一枚をちぎってみることにした。
 そのチャンスが訪れたのは、ある日の二時間目と三時間目の間の、休み時間のことだった。
 僕は筆箱がないことに気が付いた。皮でできた茶色くて細長い、大人っぽいお気に入りの筆箱だった。二時間目の理科室での実験のときに忘れてきたのかもしれない。よくよく思い返せば、筆箱を持って教室に帰ってきた記憶もない。僕は机の中とバックの中をもう一度確認すると理科室へ向かった。
教室を出るとき、Kと、彼と仲の良い二人の男子生徒が集まってニヤリと笑っているのを目の隅で捉えた。
 理科室には誰もいなかった。どうやら三時間目は授業がないらしい。自分が座っていた席の、机の下をのぞき込んだが筆箱はなかった。理科準備室も確認したがそれらしきものはなかったし、職員室にいた理科の先生に聞いてみたが心当たりはないらしい。
 もうすぐ授業が始まる。胸のうちでは蕾がゆっくりと膨らみ始めていた。
 礼をして、授業が始まった直後。休み時間のざわめきが徐々に収まり、先生が話し始める直前に、僕はいつもの貼り付けた笑顔で「ちょっと筆箱が見当たらなくて。悪いんだけど、シャーペン貸してくれない?」と隣の席の女子生徒に言った。彼女はどこか嬉しそうに、消しゴムまでつけて貸してくれた。
 授業中、借りたシャーペンをじっと見つめながら考えた。
 現時点で、あいつらが筆箱を盗んだ可能性は半々。こっちを見て嫌な笑みを浮かべていた、というだけでは証拠とは言えない。誰かが拾って持ってくれてるだけ、という可能性はまだ十分にあった。
 伏線だけは張っておこう。そう結論を出して気持ちを黒板へと戻した。
 授業は嫌いではなかった。授業中は誰も話しかけてこないし、クラスも静かだからだ。休み時間なんかいらないからさっさと授業をやってくれと心から思っていた。
 授業が終わると、もう一度バックと机の中を確認した。今度は少しだけ大げさに、席を立ってバックと机の中のものをすべて机の上に出した。
 近くの席の子が「探し物?」と聞いてくる。「うん、筆箱見つからないんだ。ちょっと理科室見てくる」。そう言って教室を出た。
 すぐに教室を出た狙いは二つあった。一つは筆箱をもう一度探しに行くため。そしてもう一つは、もしKが筆箱を持っていたときに、自分に返すのを防ぐためだった。
 今の段階では「理科室に落ちてた筆箱を俺たちが拾ったんだよ」などと言って素知らぬふりをして返すこともできるかもしれない。そうすれば、彼らの罪はなかったことになってしまう。こんな絶好の機会をみすみす潰すわけにはいかなかった。
 僕は根気よく探したが、やはり筆箱は見つからなかった。職員室によって理科の先生に落し物が無かったか尋ねたが無駄だった。
 やはりこれは最高のチャンスだ。僕は走り出したくなるのをおさえて一段一段階段を踏みしめながら教室へ向かった。
 教室の近くまで来ても、すぐには教室に入らなかった。何か考え事でもしているかのようにゆっくり歩く。目的はドアの向こうの音を聞くことだった。Kの席は廊下側の一番前の席だ。
 耳をすませば聞こえてくる。Kの少し高い特徴的な声は、ざわめきの中でもよく聞こえた。
「返したほうがよくね?」
「別にそのへんに捨てときゃいいだろ」
 そう聞こえた気がする。もちろん聞き間違いの可能性はある。だって自分が今、一番聞きたかった言葉が聞こえてきたのだ。脳が勝手に変換したのかもしれない。もしかしたら僕とはまったく関係のない、別の話かもしれない。
 後ろの扉から静かに教室に入り、自分の席に着いた。すぐに先生が入って来て授業が始まる。
 わかっている。まだ証拠と言えるものは何もない。いや、筆箱をあいつらが持っているところを押さえない限りは何も証明できない。
 そう自分に言い聞かせながらも、口角が上がるのを堪えられなかった。思わず借りたシャーペンを指でクルリと回しそうになってしまって、それをさっさと机の上に置いた。
 もう尻尾は掴んだも同然だった。胸が高鳴ってしょうがない。こんな気持ちになったのは姉さんが死んで以来、初めてだった。
 自分が考えていることが、悪いことだということはわかっていた。けれど僕は同時に思った。自分がこれからしようとしていることが罪に罰を与えることだとすれば、これから自分がすることは正義なんじゃないか、と。
 昼休みになった。Kたちが教室を離れた隙に、Kの机の中を後ろからこっそり見た。
 遠くからでも明るい教室の中では机の奥までしっかりと見える。それに、床に落としたものを拾うフリをしてしゃがめば誰かに怪しまれることもない。机の奥までははっきりとは見えなかったが、それらしき細長いものがあるのは確認できた。
「あちゃー、あるっぽいなあ」
 思わず小声でつぶやく。
 少しうわずった自分の声を聞いて、僕は自分がどれだけ舞い上がっているか自覚した。真っ直ぐにKの机へと向かう。ここまできたら直接確認するしかない。もう周りの目を気にする必要はなかった。
 堂々とKの机の中に手を突っ込む。そして素早く目的のものを引き抜いた。見覚えのある筆箱だ。念のため中身を確認すると、毎日使っている自分のペンたちが行儀よく並んでいた。
 自分の筆箱に間違いない。
 不思議と自分が落ち着いてきていることに気づいた。さっきまでの高揚感もすっかりしぼんでしまっている。きっと、成功が約束されてしまったからだろう。
 筆箱を握りしめていたらクラスメイトが「どうしたの?」と話しかけてきた。
「いやあ、ちょっとね。筆箱をなくしたと思ってたんだけど」
 ちょっと大きめの声で答える。続きはあえて口にしなかった。
「最近、K君、椎名君に嫌がらせしてるよね」
 と、その子は同意を促すように言った。どうやら気にかけていたらしい。事情がわかっているなら話がはやい。そう言えばこの子は学級委員長だったか。
「こういうときって、どうしたらいいと思う?」
 苦笑いを浮かべながら尋ねてみた。どんな返事が返ってくるか楽しみだなあと思っていたら予想外の答えが返ってきた。
「先生に、言う、とか、かなあ」
 歯切れ悪く彼女はそう言う。笑っちゃいそうになるくらい困った顔をしていた。
 想像の斜め下を行く返答と、彼女の表情に僕は思わず吹き出してしまいそうになったので、それを頑張って苦笑いに変えた。
 クラスメイトが嫌がらせを受けているってわかるくらいの観察力はあって、どうにかしようと被害者に声をかける勇気もある。けど肝心の解決策は「先生に言う」。何かのギャグなんじゃないかと思う。さすが学級委員長だ。
 僕らがそんなことを話してると周りに人が集まり始めた。
 どうしたの?と優しく聞いてくれるクラスメイトたちに困った顔をしてちょっとね、なんて言っているとKたちが教室に戻ってきた。
 僕が手に持った筆箱を見て、Kたちの顔が歪んだ。それはもう、見ていて笑いがこみあげてきてしまうほどに綺麗に崩れた。うわずったのを押さえるために、わざと低い声を出して、僕は聞いた。
「ねえK君、なんで君の机に僕の筆箱が入ってるの?」
 先手必勝だ。おどけた調子で聞いてみると、Kは歪んだ顔のまま言う。ああ、それ、理科室で拾ったから渡そうと思って入れといたんだ、と。
「それって二時間目だよね?なんですぐ渡してくれなかったの?」
 口を開きかけたKの言葉を遮って、僕は声にひと匙の怒りをにじませて続けた。
「って聞いたら、忘れてた。とか言うんでしょ?」
 Kの顔にはひきつった笑いが貼りついていた。誰かを手のひらの上でコロコロと転がす感覚というのは、こういうことを言うのだろう。生まれて初めての体験だが、これは確かに楽しい。一抹の罪悪感がアクセントになっていて、何とも言えない深みがある。
「なんか最近、僕にちょっかい出してくるけどさ、僕のことが気に食わないなら直接言ってよ」
 声のトーンをさらに落として言った。Kが何か言う前に、すぐに言葉を足す。
「これさ、姉さんにもらった誕生日プレゼントだったんだ。……大事なものなんだよね」
 事実を口にしているだけなのに、自分の言葉はどこか嘘くさかった。不思議な感覚がした。Kの顔はもう笑ってはいなかった。
「今度何かやったら、許さないから」
 そう一言おまけに言い残して、僕は走って教室を出た。後ろは振り返らなかった。
 そのまま、バックも持たずに家に帰った。筆箱をポケットに押し込んで、手ぶらで歩く帰り道は、夏の高い日差しに照らし出されて、キラキラと輝いて見えた。
 
 その日から、Kはクラスで完全に孤立した。椎名の姉さんの形見をKが盗んだ、という噂は瞬く間にクラス中、そして他のクラスにも伝わり、誰もがKを軽蔑し始めた。
 Kの共犯者、もとい彼と仲の良かった二人は、完全に彼を切り捨てた。むしろ、Kを追い詰めたのは彼らだった。
 彼らは、自分たちは止めた方がいいと説得したがKは聞く耳を持たなかった。あいつは本当に性格が悪い。自分たちは関係ない。自分たちは悪くない。という趣旨の話を言いふらし、Kを悪者に仕立て上げ自分たちの身を守った。
 Kの味方をする人間は誰一人いなかった。
 Kは椎名君に嫌がらせをする最低の人間。Kを差別することが正しいこと。これは差別ではなく区別。少しでも庇うような発言をしようものならKと同じ、悪人だと思われる。
 Kは悪い人間。許してはならない罪人。
 そんな共通の認識が、地面の底を這う無数の蛇のように学校に棲みついていた。
 受験が近かったためか、それはあまり直接的なものにはならなかった。だから教師たちはその存在に気づけなかったのかもしれない。いじめと呼ぶには少し華がないとでも言うか、明確な悪意が足りなかった。誰もが直接は手を下さず、傍観者という当事者を決め込んだ。それに参加する者に、積極的か消極的かという濃淡があるとすれば、色が濃いのはKの元友人の二人だけだった。
 思うに、善意ほどおそろしいものはない。悪気がない。誰かのためを思って。たったそれだけですべてが正当化される。いつまでもそうというわけではないかもしれない。ただ、みんな子どもだったのだ。正しさを振りかざし、悪を滅ぼす。それが間違っているなんて、誰も思わなかった。
 気づいていた人も、いたのかもしれない。けれど、正しいことを間違っているなんて言えるはずがなかった。
 弱者の味方。かわいそうな椎名君に味方する優しいクラスメイト。そんな善意が暴走していた。膨れ上がった集団の善意は誰にも止められない。そこにある正義はあまりにも大きすぎた。中学生がぶつけられて耐えられるものでも、中学生が止められるものでもなかった。
 しばらくしてKは学校を休みがちになった。たまに学校に来ても、誰とも一言も話さなかった。
 そして九月一日。始業式の日に、Kは自殺した。

三、

 制服を着た集団が、一人ずつ花を手向けていく。白い花が彼を包み込む。こういうのを献花というそうだ。燃やすために生まれてきた花というのも、皮肉なものだと僕は思った。 Kの友人の二人はいなかった。
 僕の番がきて、若い男性から花を両手で受け取る。香水か何かの匂いが鼻についた。
 遺族に一礼して祭壇の前に歩み寄り、祭壇に向かってまた頭を下げた。前の人間がしたのを真似ているだけだ。その行為自体に意味はない。
 僕は花が自分の方に向くようにして、花を静かに置いた。
 故人の遺影を見ながら黙とうする。長すぎず、短すぎず、時間を見計らって。あとは一礼して、遺族にもう一度お辞儀をして、それで終わりのはずだった。
 こちらを向いて満足げに横たわる、無数の花の亡骸が。死んでいった花びらたちが。楽しそうなKの笑顔が。溢れる白が、僕を襲った。
 あのうるさい声も、性格の悪そうな笑顔も、もうない。あるのは、彼の写真だけ。もう二度と、彼が笑うことはない。そんな当たり前に、僕の中で何かがはじけた。そしてふと違和感を覚えた。違和感がないという、違和感だった。ずっと掛け違っていたボタンが、やっと正しくなったような。失くしていた最後のパズルのピースが見つかった時のような。そんな不思議な感覚だった。
 ここにいたくないと思った。一刻も早く、ここから離れたかった。欲望に身を任せて、僕は式場を飛び出した。
 闇雲に、ただただ走り続ける。右に曲がり左に曲がり、街の中をぐるぐると走る。心臓がバクバクと脈を打ち、視界が狭くなった。
 でも、頭の中はまだ白い花びらで溢れていた。
 確かに最初は痛い目に合わせてやりたいと思っていた。いい気味だと心底思っていた。当然の報いだ。お前は敵に回す相手を間違えたのだ、と。愉快で、気分が良くて、堪らなかった。段々学校に来るのがつらそうになってくる彼の姿を見て、ざまあみろと、得意げになっていた。
 でも、彼は死ななければいけなかったのだろうか。彼はそこまでの罰を与えられなければいけなかったのだろうか。
 ただ筆箱を持っていて、すぐに返さなかっただけ。ただ嫉妬していただけ。ただ周りと同じように良い人のフリをしなかっただけ。
 それだけのことで、彼の命は絶たれてしまった。
 いや、違う。そうなるように仕向けたのは他ならぬ自分自身だった。
 もう限界だった僕は近くの公園に入り、少し歩を緩めた。公園は日暮れが近いからか、誰もいない。頭の悪そうな鳩が数羽いるだけだった。
 タンポポやススキが風に揺れている。死にかけの蝉が鳴いていて、秋の虫が鳴いている。でも、僕の頭はまだあの白い花でいっぱいだった。
「僕が、彼を、殺した」
 ゆっくりと噛み締めるように、声に出してみた。
「僕が、彼を殺した」
 歩きながら、何度も確かめた。
「彼を殺したのは……僕だ」
 公園の真ん中まで来たとき、一筋の涙が頬を伝った。
 花は、燃やされるために生まれてきたわけじゃない。たとえ最後は、燃やされて、消えて無くなるだけの命だとしても。
「かわいそうでしょ」
 ふと姉さんの言葉が脳裏をよぎった。途端に、姉さんとの時間が頭に溢れた。
 今日のように暑さの残る夕暮れのことを。月を見上げた夜のことを。ある晴れた冬の朝のことを。桜の中を一緒に歩いた日のことを。僕は一度に思い出した。
 かわいそうと思うことに。他人の気持ちに想いを馳せ、同情することに。何の意味もないのに。どれだけ気持ちを通わせようとも、同じにはなれないのに。僕らの間には、どうしようもない断絶があるのに。
 それでも人は、かわいそうだと、エゴを押し付け合う。
 分かち合うことのできないものを、分かち合ったフリをする。
 そんな自分勝手が、どうしようもなく愛おしいということを、僕は今さら思い出した。
 正しくない人間のせいで、正しくない世界のせいで、正しかった姉さんは死んでしまった。正しく生きることに、価値なんてないのだから、気に入らない花は摘めばいい。気に入らない人間は、徹底的に追い詰めればいい。そう思っていたのに。
「姉さんは、僕の中に生きてたじゃないか」
 ブラックコーヒーに溶けた砂糖のように。青い空に吸い込まれた虹のように。一緒に生きた時間が、たしかにあったんだ。

涙の跡に咲く花 ©むむむ

執筆の狙い

お読み頂きありがとうございます。
以前こちらに投稿させて頂いたものを書き直して投稿しました。

主人公の椎名光が

(1)人の気持ちがわからない。
(2)姉と過ごす時間で変わる。
(3)姉が亡くなり、昔の自分に戻る。
(4)でも、姉との思い出がある。昔の自分との決別。
(5)高校生になって、姉さんのような人間になるために必死に現実と向かい合ってあがく。

という物語を書きたいと思っていたのですが
(1)から(4)まで書いたところで、
独りよがりなものになっているのではないかと不安になり、
皆さんのご意見を頂きたいと思って投稿させて頂きました。
宜しくお願い致します。

むむむ

124.87.202.225

感想と意見

解けかけの氷

とても読みやすかったです。未読ブラウザバック常習犯の自分としては珍しく、完読いたしました。
物語はすっと入ってきますし、物語のメッセージ性とかテーマは正しく伝わってきたかなと思います。

少なくとも、読者に物語を提供するという意味では、作者さんが懸念するように独りよがりにはなっていないのではないかと。

執筆の狙いにある(5)は、クライマックスというよりも、この物語の本質を描く部分に当たると思います。

少し、批判的な表現になりますが、ここまではテンプレートをなぞったような筋書きで、その上凝った演出も見られないので、助長的なプロローグというような印象を受けました。
(漫画【聲の形】の第一巻まるまる使われる幼少時代のエピソードのような)

この物語の良し悪しはすべてこの続きに掛かっていると思います。

なにはともあれ、完結目指して頑張ってください。それでは。

2017-09-08 04:14

1.75.238.245

解けかけの氷

スンマソン。訂正。
助長的→冗長的

前の投稿作品も遅ばせながら読ませて頂きました。大変面白かったです。

2017-09-08 05:34

1.75.238.245

あめ

拝読しました。
描写も読みやすかったです。
テーマは重いですが、作者が伝えたい思いは伝わってきました。
特に終盤の下記が今回のテーマだと受け取りました。
この価値観には共感できます。

>かわいそうと思うことに。他人の気持ちに想いを馳せ、同情することに。何の意味もないのに。どれだけ気持ちを通わせようとも、同じにはなれないのに。僕らの間には、どうしようもない断絶があるのに。
>それでも人は、かわいそうだと、エゴを押し付け合う。
>分かち合うことのできないものを、分かち合ったフリをする。
>そんな自分勝手が、どうしようもなく愛おしいということを、僕は今さら思い出した。

ただ読む中でもう少し推敲できればよいと思う点をいくつか。
・灰色の世界はまさに悪魔の見る世界そのものだった。
悪魔の見る世界は灰色なのでしょうか?
自分のことを悪魔だと思っているにしても、やっていたのは「お花を抜く」ことですよね?
悪魔はちょっと過剰表現ではと思いました・

・僕はヒガンバナの球根を姉さんと買って帰った。
なぜヒガンバナでしょうか。前述でパンジーやマリーゴールドとあるので、花の大切さを教えるならそれらの花がよいのでは?
あとあまり花屋でヒガンバナの球根に馴染みがなく、球根ならチューリップやヒアシンスなどが一般的かと。
ヒガンバナでないといけない理由があればいいと思います。

・胸のうちでは蕾がゆっくりと膨らみ始めていた。
何を意図した表現なのかわかりにくかったです。心の中の高揚感を表す表現かとは思いますが、なんのつぼみなのかと…。

・職員室によって理科の先生に落し物が無かったか尋ねたが無駄だった。
二回先生に尋ねている描写があるので、一回でいいかと思います。

生意気にすみません。
良いテーマだと思いますので、がんばってください。

2017-09-08 11:07

60.122.183.94

九月が永遠に続けば

上手にまとめてる観はあるんだけど・・まず、好きじゃないです。

主人公がクズすぎて、感情移入できない。。。
主人公の姉も、どうも類型的で・・重要キャラなくせに「弱い」。存在感薄く、魅力に乏しい感じ。

全体に「説明臭い」と言うか、クズ主人公の「理論展開」がちょっと長過ぎる感じで、、、土台“共感はできなかった”ですし、響いては来なかった。


姉弟が植えた球根がヒガンバナだった理由は、個人的にはすんなり納得した。
主人公が抜いていた花が、パンジーやマリーゴールド(=春〜夏の花)だったため、「秋に咲く花」を配置する必要があるし、
通常、球根類はほぼ“初夏に掘り上げて秋植え”だから。
(でもヒガンバナの球根の植え時期がいつなのかは知らない。植えた事ないんで)


タイトルは・・説明くさくて、据わりが悪い。どうもキレイに嵌ってない感じ。

2017-09-08 18:12

219.100.86.89

むむむ

解けかけの氷様
お読み頂きありがとうございます。
以前のものも読んで頂けたとのことで、とても嬉しいです。

メッセージが伝わったとのことで安心しました、ありがとうございます。

冗長なプロローグというのは、
まさにその通りだと思いました。
ここまではプロローグのつもりで書いていて、
この後、主人公がどんな高校生活を送るか、というところをメインにしたいと思っていたので、それを読み取って頂けてほっとしました。
また、プロローグであるのにもかかわらず、
読んでくださる方を引き込めるようなインパクトが足らず、あまり続きが読みたくなる感じにはできていないのかなとも思っていたので、ご指摘がとても身に染みます。

『聲の形』を読んだことがあるのですが、
確かにあの作品は、重苦しく、少し長いと感じてしまうような、1巻ですが、
そのプロローグがあるからこそ
後の話が生きてくるのだと思いました。
私は『聲の形』が好きなので目標に頑張りたいと思います、ありがとうございます。
続きの部分でプロローグが活かせるように、というのと、
あまりくどくなり過ぎないように、
というのを気を付けて書き直してみます。

2017-09-08 18:39

124.87.202.225

むむむ

あめ様
お読み頂きありがとうございます。
価値観が共感して頂けるものだったとのことで、安心しました。

・灰色の世界はまさに悪魔の見る世界そのものだった。
『悪魔の見る世界は灰色なのでしょうか?自分のことを悪魔だと思っているにしても、やっていたのは「お花を抜く」ことですよね?悪魔はちょっと過剰表現ではと思いました』

ご指摘を頂いて確かに、と思ってしまいました。少しオーバーというか、中二病っぽいだけ、
っていう感じですよね、書き直してみます、ありがとうございます。

・僕はヒガンバナの球根を姉さんと買って帰った。
『なぜヒガンバナでしょうか。前述でパンジーやマリーゴールドとあるので、花の大切さを教えるならそれらの花がよいのでは?あとあまり花屋でヒガンバナの球根に馴染みがなく、球根ならチューリップやヒアシンスなどが一般的かと。ヒガンバナでないといけない理由があればいいと思います。』

主人公はパンジーやマリーゴールドが嫌いで、
そんな彼が花に興味を持つきっかけが「彼岸」という名前、
と自分の頭の中では考えていたのですが、
ご指摘いただきました通り、説得力が足りなかったかもしれません。
もう一度読み直して、考えてみます、ありがとうございます。

・胸のうちでは蕾がゆっくりと膨らみ始めていた。
『何を意図した表現なのかわかりにくかったです。心の中の高揚感を表す表現かとは思いますが、なんのつぼみなのかと…。』

ご指摘を頂き見直してみたのですが、たぶん悪の華が咲く、とか考えて書いていたのだと思います。
あまり考えて書いていたわけではなかったので、伝わりにくいのも当然だと反省致しました。
書き直します、ありがとうございます。


・職員室によって理科の先生に落し物が無かったか尋ねたが無駄だった。
『二回先生に尋ねている描写があるので、一回でいいかと思います。』

気付いていませんでした。片方削ります、ありがとうございます。


たくさんの丁寧なご指摘を頂きありがとうございます。

2017-09-08 18:46

124.87.202.225

むむむ

九月が永遠に続けば様
お読み頂きありがとうございます。

主人公に感情移入できない、というのは致命的ですよね。
性格の歪んだキャラクターでも感情移入できるためには、
なにか納得できる理由とかがあればいいんでしょうか。
よく考えてみます。
今のところどこをどうしたらいいかはあまり掴めていないんですが、
とりあえずダラダラと長くなってしまっている部分を
もう少しスッキリさせてみます、ありがとうございます。

姉の存在感の薄さは、ご指摘頂いて納得しました。
後から、姉とのエピソードをもっと増やしていこうと考えていたんですが、
それにしたって弱いですね、考え直します。

ヒガンバナの季節についての話は書かなかったのですが、
読み取って頂けて嬉しいです。

タイトルはご指摘を伺ったらそんな気がしてきました。
もう少しよく練ります。

ご感想を頂き、ありがとうございました。

2017-09-08 18:51

124.87.202.225

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