作家でごはん!鍛練場

『雪の下にて』

真奈美著

5年前にここで習作として投稿したものを、若干改稿して再掲させていただきます。

私は本来ラノベ畑の人間で、ラノベ以外にもエンタメばかり書いていましたが、今作で少し文学調というものに挑戦したことを記憶しております。このためにわざわざ鎌倉まで現地取材に行ったことも思い出しました。それでも結構な酷評もいただきましたが(笑)

このたび、でしょさんの企画に乗らせていただくことになり、久しぶりにガチモードで新作に挑戦いたしますので、よろしくお願いいたします。

 部屋に射し込む光の調子が、いつもと違う。
 起きがけの寝ぼけ眼をこすりながら洋居間に足を入れた瞬間、悠子はふと違和感を覚えた。
 季節はまだ初秋と言うのに、底冷えのする早朝のことである。
 見渡すと、ベランダ戸の上の飾り窓に嵌められたステンドグラスの一部が割れていることに気がついた。なるほど、そこから漏れ入る光の具合がいつもと違う雰囲気を部屋に与えていたのだ。
 あらあらとつぶやきながら窓の下まで歩み寄ってみると、床には赤や緑の大小のガラスの破片が散らばっている。悠子は近くにあった古新聞紙を塵取り代わりにして、それらの欠片をすくい取り、慎重に包み込んで屑箱に放り入れた。
 少し歩いただけなのに、割れた箇所からの隙間風のせいか、部屋も床もすっかり冷え切っており、指先や足の裏までもじんじんと痺れている。 ストーブに火を入れ、毛糸の靴下を履き、パジャマの上にガウンを羽織る。さあどうしたものかとしばらく思案した後に、廊下の納戸に仕舞ってあったアルミの脚立を引っ張り出し、それを居間に運ぶと窓のそばにそっと立てかけた。
 丸縁の老眼鏡をかけ、白いものが混じる長い髪を後ろで束ね、厚手のゴム手袋をはめた。足元で揺れる脚立に不安そうな表情を浮かべながら、一段一段をゆっくりとのぼる。
 この部屋は二十畳近くもあるが、ただ広いだけではなく、その天井も高い。悠子は脚立の最上段まで何とかのぼりきると、ようやくステンドグラスの割れた箇所を間近に見ることが出来た。 
 割れた原因は、庭のクヌギの太い枝が外側から強く押し付けるように当たっていた為らしい。恐らくこの前の嵐の日に、強い風に煽られて枝が折れたか曲がったのだかしたのだろう。それにしてもこの程度のことで割れるなんて、と思いつつも、この老朽化した家ではそれも仕方がないかと溜息まじりに窓を眺めなおす。
 きらきら光る赤、青、黄色などの七彩のガラス片は、全て落下したわけではなく、かろうじて窓枠に残っているものもある。悠子は窓枠にそっと手を伸ばし、指を傷つけないように割れ欠けをひとつひとつ丁寧に抜き取っていった。
 その作業をしばらく続けている最中に、悠子はガラスの向こう側で何やら黒い影が動いたことに気がついた。枝の葉がそよいだのかなと思っていたら、今度は枝擦れのような音まで聞こえてくる。
 何かしらと割れた窓の穴から、そっと外を覗いてみた。すると、そこにはクヌギの枝に乗った小さなリスが、きょとんとした顔でこちらを見ているではないか。
「おやまあ、可愛いこと」
 思わぬ小さな来訪者に、悠子は作業の手を止めて目を細めた。尾の長い灰色のリスは、こちらに目を合わせたままじっとしている。はたして食事の最中だったのだろうか、なにやら口だけをもぐもぐ動かしている。 
 思わず「お腹が空いているの?」と声をかけたら、驚いた様子で木の幹を伝い、高い枝の葉陰へと身を隠してしまった。
 悠子がこの家の庭でリスを見かけたのは、実に久しぶりのことである。ここから少し離れた鶴岡八幡宮の大銀杏に棲息しているリスなどは、慣れているせいもあり、よく人前にあらわれては古都を訪れる観光客の目を楽しませたりしている。しかし同じ鎌倉でも、悠子の住むこの雪ノ下のような古い居住地区には、警戒心の強い野生のリスは何故かあまり寄り付くことはなかった。それでも可愛らしい珍客に、悠子の心は久々に癒された気がした。  
 またいつでもお出でなさいな、と悠子は窓の外の古木を見やりながら心の中で囁いた。
 ほっとした気分から我にかえると、悠子は止めていた作業を再開する。残っていたガラス片も全て取り除くと、それを何枚もの古新聞紙を重ねて包み、厚手のビニール袋に入れて縛り上げた。窓の、穴が開いたままの箇所には何枚かのガムテープを応急処置として貼り付けておいた。 本格的な寒さが訪れる前にはちゃんと直さないといけないなあ、と悠子はまた深い溜息をつく。普段の、家事以外のこんな雑事でも全て自分ひとりでこなさなくてはならない。当たり前のことではあるのだが、年々体力の衰えを感じている中では、たまにそれを疎ましく思うこともある。
 庭の正面に見える、朝霞がかかる山裾からはひんやりとした空気が流れ込み、鳥のかん高い鳴き声がこだました。
 長い歴史を誇るここ鎌倉は雪ノ下の住宅街は、今も昔と同じような閑静な佇まいを残している。鎌倉の山々に囲まれたいくつかの谷はそれぞれに歴史があり、中でも悠子の住んでいるこの地区は御谷と呼ばれていた。御谷と書いて地元では「おやつ」と呼称される。もともとこの地区には、八幡宮に仕えていた僧侶たちが住んでいたので、敬って御谷と呼ばれたらしい。またこの御谷とは、北谷、西谷、東谷と言う三つの谷の総称であり、悠子の住む場所はその中の東谷に位置している。昔、この場所には八幡宮の新宮と雪を貯蔵した「雪屋」があったため、雪ノ下と名付けられたと言われる。その名の通り、涼をもとめる夏こそ快適であるが、冬は鎌倉の中でも一番寒さが堪える場所でもあった。
 またここは、少し離れた鎌倉街道を通る車の音が時おり響いてくること以外は、山からの風の音と鳥や虫の鳴き声くらいしか耳に届かなかった。
 この古い平屋の屋敷は、もともと昭和初期に父方の祖父が建てた別荘である。
 当時、穀物相場で成功した祖父は派手好きでも知られ、歴史のある街にわざわざ和洋折衷の、当時としてはかなりモダンな造りの家を建てたのである。
 本家は東京の山の手にあったと聞いているが、悠子が産まれた時には、それは既に人手に渡っており、残されたこの別荘だけは家督を継いだ父親がずっと守り続けてきた。父母は、祖父の遺産を元に、アパートや駐車場などの賃貸収入などで生計を立てていた。二人ともこの落ち着いた雰囲気の屋敷を気に入っており、元気な頃には毎日のように部屋や庭の隅々にまで手入れをしていたものだ。
 しかし両親とも亡くした後、独りになった悠子の細腕だけでは、そこまでの行き届いた家の維持をすることは困難であった。
 いかに造りがしっかりしているとは言え、それなりの年輪が刻まれると、窓枠やステンドグラスはおろか、家のそこかしこに痛みが生じてくるものだ。庭は雑草が蔓延り、天井のあちこちでは雨漏りもすれば、サッシ戸も開きにくくなる。部屋の壁紙は端から捲りあがり、和室の鴨居もひび割れて折れ曲がったままになったりしていた。
 この家から男手が消失してから三十年以上が過ぎようとしている。もちろん、最後の男手とは、悠子の父親のことである。
 この家の一人娘として生まれた悠子は、お嬢様育ちであったにも関わらず、父母亡きあとずっと独身で、長年勤め上げた会社を二年前に定年退職した後、わずかな蓄えを元に質素な暮らしをここで続けていた。
 静寂は侘しさを伴うもの、でもそんなものは慣れるしかないと自分に言い聞かせて日々を過ごしてきた悠子ではあったが、最近ではその静けさの中に身を委ねることも、ごく自然なことと思えるようになってきていた。

 居間の掃除を済ませると、朝食の準備にかかる。とは言っても、最近食が細くなった悠子の食卓はごく質素なものであった。
 軽く温めたクロワッサン、小ぶりな皿に盛ったトマトサラダにヨーグルト。そしてマイセンのティーカップに熱いダージリンティを注ぐ程度である。
 居間に射し込む朝陽は次第に暖かみを帯びてゆき、長年使い込んで磨きこまれたオーク材の床板は一層渋い光沢を放つ。ベランダのガラスが白く曇ってゆく。明るさを増した光が、古いアップライトピアノや、調度品、棚に飾ってある漆器などのシルエットを品よく浮き立たせた。
 ゆっくりと時間をかけて食事を済ませた悠子は、居間にある籐の揺り椅子に深々と腰かける。昼近くまでは、この明るい場所で読書や繕い物をすることが多かった。たまに陽気の良いときなどは、そのまま陽が傾くまでうたた寝をすることもあった。
 会社勤めの頃は、決められた仕事を時間内に淡々とこなしているだけで、それなりに充実感を得られたものだが、今の様な自由な時間を毎日与えられるようになると、逆に気持ちの方が不自由になっていくような感じがした。
 鏡台の前に座り自分を見つめなおすと、逃避しがたい現実が無遠慮に映し出される。目はくぼみ、腕も脚も細くなり、たるみがちな肌には深い皺が刻みこまれていく。それは、還暦を迎えた身に降りかかる相応の宿命だからとの諦観は抱いている。しかし、そんな悠子でも、自分の中の女を失うことだけはどうしても赦せず、どんなに年老いようとも、身だしなみと女らしさの矜持だけは保つようにと、毎日時間をかけて肌に乳液を塗り、長い髪を丁寧にとかし、時には唇に薄い紅をさしたりもした。
 特に今日のように外出をする日などは、いつもより入念に化粧を施す。気分転換のためにと長い髪も纏め上げ、東雲色の江戸小紋をまとい塩瀬の染め帯をきゅっと締めあげると、身体の芯から気持ちが凛となってゆく感じがした。

 陽が高くなるにつれ、鎌倉の山あいも小春日和の陽気となっていった。
 北鎌倉駅のホームから降りると、眼前には鬱蒼とした木々や山に囲まれた円覚寺がそびえている。間近を通る電車や踏み切りの警報音がなければ、そこには木々のさざめきと野鳥のさえずりしか聞こえない。天をつく杉木立からの木漏れ陽が目に眩しく映る。
 しっとりとした空気を肌に感じながら長い石段をのぼり、総門をくぐると、そこには見るものを圧倒する壮麗な山門が現われる。円覚寺は、鎌倉五山の一つであり、臨済宗円覚寺派の大本山でもある。その広大な境内には、山門、仏殿、方丈などの伽藍が一直線に並び、訪れた者は奥へ奥へと導かれ、涅槃、解脱に至る禅学を極めた鎌倉時代へと想いを馳せることになる。
 だが悠子は、観光客の歩む方向とは逆に、この巨大な山門の脇に据付けられているベンチの方へと向かっていった。
 そのベンチには、熱心にスケッチブックに鉛筆を走らせる一人の男が座っていた。年の頃なら三十代半ば、色黒の顔の中で大きな目がくるくる動くのが印象的だった。くせ毛の髪は肩まで伸び、角ばった頬や顎には長めの無精髭が生えていた。細身の身体に羽織ったよれよれの黒いジャンパーコートは、もう何年も着古したかのように色褪せていた。
 悠子は男の背後からゆっくりと近づき、声をかけた。
「こんにちは」
「ああ、どうもこんにちは」
 悠子が親しげに挨拶をすると、男はちらと振り向き、軽く会釈をしただけで、また顔をスケッチブックへと向かわせた。男は境内の風景の陰影を、細い線を幾重にも重ねるようにして写し取っていた。
「今日は思ったより暖かくなったわねえ」
 今度は男は振り返ることもなければ、返事をすることもなかった。それでも悠子はにこやかに話しかける。
「まだ紅葉には少し早いみたい。でも、暑過ぎず寒すぎず、今日はまさに散策日和」
 悠子は、男の隣にハンカチを敷いて腰掛けた。持参したポットから暖かいお茶をカップに注ぐと、それを男の脇にそっと置いた。境内を囲む巨大な杉木立の根元を縫うように、楓の木が大きく枝を広げている。苔むした石垣や孟宗竹の葉がかすかに揺らめく。薄もやがかかっていた空も、今は高く蒼く澄み渡り、清浄な空気が静かな境内に舞い降りていた。
 ひとしきりのスケッチを終えると、男は満足そうな表情で大きく息を吐き、鉛筆をポケットに仕舞った。
「ああ、すいませんでした。大体、終わりました。いつも申し訳ないです」
 男からそれまでの不遜な態度は消え、冷めたカップのお茶に手を伸ばすと、そのまま一気に飲み干した。
「これも召し上がります?」
 悠子はバッグから小さな風呂敷包みを取り出した。出来たての餡に香り豊かな豆をまぶし、つきたての餅で包んだ豆大福。小町通りの老舗で手に入れた逸品だ。
「いやあ、嬉しいなあ。では遠慮なく」
 男は包みを開けると、相好を崩しながら口いっぱいに頬張った。
「旨いなあ、これ。いや最高ですよ。たまらんなあ」
 まるで、お腹を空かした子供のように豆大福を食べている男は、屈託のない笑顔で悠子に向かってぱちんとウインクをした。悠子はその瞬間、心臓をぎゅうっと掴まれたような気がして、思わず下をうつむいてしまった。身体の奥底にある熱いものが沸き起こってくるのを感じる。心の動揺を見せまいと取り繕うのに必死になっていた。
 男はそんな悠子の気持ちを知る由もなく、ただひたすら豆大福を食べ続けている。
 好物を食べ終えると、満足そうに口元から安堵の息を漏らした。
 陽がわずかに翳る。杉木立がざわめき、境内の石畳の上を、砂を巻き上げながら一陣の冷たい風が通り過ぎていった。

 窓の外では荒涼たる風が吹き荒び、山裾の薄の穂の群れが素枯れたまま震えている。
 この家から臨む鎌倉の山の連なりは、四季折々、日々刻々と色合いを変えて悠子の目をなぐさめ、愉しませてくれる。それでも、秋の終わりと冬のはじまりが渾然としているこの時期は、まるで終わりも始めもない場所にひとり立たされているような心細さを感じさせた。
 悠子は居間の揺椅子にひとり座り、ぼんやりと窓の外を眺めていた。脇のテーブルの上には、一枚のスケッチ画が置かれている。あの男が気ままに描いた鎌倉の海の風景の素描であったが、悠子にとっては彼から貰った初めてのプレゼントであった。
 男の名は、堂本惣太郎と言う。 
 悠子が惣太郎に初めて出会ったのは、かなり以前のことで、その場所は、東京は銀座の裏通りにある小さな画廊であった。
 たまたま銀座で買い物をしていた折、悠子はどこかでひと休みしようと、混んでいる表通りを避け、裏路地に入り喫茶店を探していた。そのときに通りかかった、壁が乳白色の小じんまりとした画廊に何故か気を引かれ、そのウインドウ越しに中を覗いてみると、そこに彼が独りで座っていたのである。
 その朴訥な風体は、その当時からずっと変わりがない。入り口のガラス戸には「堂本惣太郎一人展」と貼り紙がしてあった。
 悠子はその画廊に入ってみた。彼は一瞬、大きな目をきょろきょろとさせたが、軽い会釈をするだけで、特に何も話しかけては来なかった。 作品は大きいものでも五号程度までで、比較的小さなサイズのものが十数点ほど壁に掲げられていた。悠子は一点一点を眺めていく内に、その作品の持つ雰囲気に惹かれていった。鉛筆によるラフスケッチあり、油彩あり水彩あり、リトグラフなどもあったが、そこに描かれているものは、悠子が長年親しんでいた地元、鎌倉の社寺や山や海などの風景であるとすぐに分かった。
 悠子はその題材に興味を惹かれたと言うよりも、その作風にまず気を奪われたのである。画面を構成するモチーフの輪郭は過剰なほど太く強調され、逆に面をあらわす陰影は霞むようなタッチで、そのアンバランスさが逆に独特の雰囲気を醸し出していた。漂う気配が画の中から見る者の肌に直接触れて来るような感覚があった。
「素晴らしいですわね。私も長年鎌倉に住んでいるのですけれど、これほど印象的な風景画は今まで拝見したことがありませんわ」
 一通り閲覧した後に、受付に座っていた惣太郎に向かって話しかけた。
「……ありがとうございます。ぼ、僕も鎌倉の地に惹かれて、そこに移り住んで描き続けているのですが」
 たどたどしい喋り方で惣太郎が話しはじめた。
 自分は東京の美術専門学校の出身である、しかし卒業してすぐ絵画を生業に食べていけるほど世の中は甘くはなく、印刷所でアルバイトをしながら趣味で画をこつこつと描き貯めているとのことだった。今回の個展は、自費で初めて開いたのだと言う。
 受付の訪問者名簿には、二桁にも届かない人数しか名が書き記されていなかった。
「訪れてくれた人も、ほとんど学校時代の友人ばかりですけどね。宣伝もほとんどしなかったし、裏路地の画廊ですしねえ」
 ぼさぼさの頭をかきながら惣太郎は照れくさそうに言った。
「自分の絵で飯が食えるほどの自信はありませんし……。まあ、自己満足ですよ」
「そんなことはありませんよ。私は初めて見たあなたの絵に心を動かされました。大変な才能をお持ちだと思います」
 いやあ、そんなと、うつむきながら答えたが、その顔はすぐに喜びの表情に変わり、悠子の方に向き直ると大きな目でぱちんとウインクをした。嬉しいことがあるとウインクをするのは、彼の生まれ持っての癖のようである。
 もしよろしければどうぞ、とその時に初めてプレゼントしてくれたのが、この一枚の素描画である。
「ぼくの部屋から眺めた風景です」
 聞くと、惣太郎は七里ガ浜の海沿いにある下宿荘に住んでおり、その眼下には、穏やかな湘南の海辺の風景が広がっていると言う。山々だけではなく、日々移ろいゆく鎌倉の海も、彼にとっては大切なモチーフだった。凪いだ海と彼の穏やかな性格が、そのまま同調したような温かみを感じさせるその絵を、悠子はずっと大切に仕舞い、時に取り出しては眺め直したりしていた。

 時計に目をやると、もう午後の四時をまわっている。陽は既に大きく傾いていた。山の稜は茜色に輝いていたが、裾は次第に黒みを帯びてきている。
 そろそろ雨戸の戸閉まりをしようかとベランダのガラス戸を開けると、庭用のサンダルの上に、またあのリスがちょこんと座っていた。悠子は嬉しそうな顔で、リスに囁きかけた。
「まあ、また来てくれたのね」
 リスは悠子の姿を目の当たりにしても逃げようとする気配はなかった。その様子を見て悠子は戸を開けたままにして台所に戻ると、食器棚から小皿と小さな紙箱を取り出してきた。箱の封を開け、中身を皿にあける。箱には、ひまわりの種が入っていた。
 小皿をベランダのタイルの上に置くと、リスは悠子のことを恐れる素振りも見せず近寄ってきて、ひまわりの種を器用に両手で取り、口に入れ始めた。
 悠子は窓際にしゃがみこんで、次第に膨れ上がってくるリスの頬を見て思わず微笑んだ。
「やっぱり、好物だったようね。本当はハムスター用のだけれど」
 悠子は、実はこの小さな友人のために、わざわざペットショップまで出向いてエサを買い求めていた。
「これから寒くなると、山のエサも少なくなってくるものね。ここに来たら、好きなだけ食べられるわよ」
 リスは悠子を見やることもなく、一心不乱にエサを口に放りこみ続けている。
「それでも、いつまでもと言うわけにはいかないけれど……」
 リスの姿を名残り惜しそうに眺めながら、悠子は音をたてないように雨戸を閉めた。漆黒の闇が、山の奥深くから雪ノ下を覆うように迫ろうとしていた。

「勅使河原さん。テシガワラ・ユウコさん、第二診察室へお入り下さい」
 病院の待合室に響きわたる看護師の声で悠子は、はっと目を覚まさせられた。大きな総合病院というものは、予約をしていても診察までの間、長い時間を待たされることが多い。小雨の中をわざわざ歩いて来たと言うのに、長椅子で二時間近くも待たされているうちに眠気に襲われ、ついうたた寝をしてしまった。
 窓の方を見やると、もう外から光が射し込み明るくなっていた。病院の庭の銀杏の裸の梢の間から、青空が垣間見えた。
 重々しい診察室のドアを開けると、若い男の医師が投影機に貼られたレントゲン写真を見ている。看護師におかけくださいと言われ、悠子は医師の前に座った。
 医師は、細い金縁の眼鏡を指で少し上にずらしながら、数枚の貼られた写真をまだ見つめたままだった。やがてゆっくりと悠子の方に向き直ると、落ち着いた声で話をし始めた。
「先だっての検査の結果をお伝えします」
 医師は右手の人差し指を写真にとんとんと当てながら、無表情で説明を始めた。
「前回、こことここ。大腸から結腸にかけての部分にいくつかの影が見えると申し上げました」
「はあ」
「今回の内視鏡による病理細胞検査の結果が出ましたのでお伝えいたします。この箇所には悪性の腫瘍ができています。……はっきり申し上げますと、癌ですね。この画像だけでは何とも言えませんが、場合によっては腹膜から肝臓、肺にまで転移している可能性もあります」
 医師は、無機質とさえ思われるほどの冷静な口調で、淡々と語った。
 悠子は他人事のように、はあ、と呆けた顔で聞いている。
「ご承諾を頂ければ、出来るだけ早い内に患部切除の施術を行えればと思います。ええと、確かご家族は……」
「はい。両親も兄弟もおりません。身近な親族もほとんどおりません」
「では、本人様のご判断と言うことになりますが、ベッドが空き次第、すぐに入院の手続きを取って頂けますでしょうか」
「先生、あの、突然のことでよく分らないのですが、これってすぐに手術を受ければ治るものなのでしょうか」
「施術後は、抗がん剤や放射線による治療を継続して受けていただくことになります」
 抗がん剤による副作用の苦しさなどは、多少なりとも悠子の知識の中にはあった。
「それはどのくらい続ければ……」
 一拍ほど間をおいて医師は続けた。
「正直申しまして、これは延命治療と言う範疇になります。個人差もありますが、現在のステージですと手術、治療を行った上で、半年から一年と言ったところでしょうか」
 前回の検査時に悪性腫瘍の恐れがあると聞いていたので、ある程度の覚悟はしていたつもりだが、あまりにも唐突な余命宣告に、悠子の身体は一瞬、硬直してしまった。膝の上で握り合わせている掌がじっとりと湿ってくる。
 何とか気を取り直して、医師に向き合いなおす。悠子は、死期を遅くするために苦しむ時間が増える、ということに疑念を感じざるを得なかった。
「あの、もしこの手術を受けるのをお断りしたらどうなるのでしょうか」
「宗教上の理由とかで拒否される患者さんも、中にはおられます。それでも抗がん剤の投与などは行いますが。ただ、そうなると、数ヶ月程度と言ったところでしょう」
 その後、医師から入院、手術に関する事務的な説明が続いたのだが、それは悠子の耳にはほとんど届くことはなかった。 
 満員だった病院の待合室も、正午のチャイムが鳴るころには人の気配がなくなっていた。診療室からロビーにまで漂う消毒液の匂いが、悠子の身体を冷え切らせていくような気がした。
 出口に向かってよろよろと歩きながら、受け止めた事実を自分の中で反芻してみる。悲しみと言うよりは、諦観が胸の奥を支配していく今、何をどうすると言う事も思い浮かばなければ、生への執着心が湧き上がることもなかった。受付で入院手続きの書類の束を受け取ると、呆然とした面持ちで病院の外へ出た。
 一度あがった雨がまた降りはじめている。ほんのいっとき前まで見えていた青空が、またどんよりと重くたれこめていた。

「ねえ、リスくん。私、もう死んじゃうかもしれないんだって」
 日陰ができたベランダの上で、大きな尾を上げ下げしながら、小皿に入れたひまわりの種をリスは夢中になって食べている。最近では悠子の手から直接餌を受け取るほどまでに慣れてきていた。
 その様子をぼんやりと眺めながら、悠子は思う。命の灯なんて誰だっていずれ潰えるものだから……。心配してくれる人も誰もいやしないし、何も思い残すこともない。ただ、その来たるべき時まで、私はいったいどうやって過ごしたら良いのだろう……。
 悠子は、会社に勤務していた頃までは、健康に関しては充分すぎるほどの自信があった。会社で定期的な健診を受けても、何ら異常が認められたこともなく、日頃不規則な生活もしてはいなかった。 
 しかしその過信のために、四年間ほど何の検査も受けなかったことが、こんな形で返ってくるとは。よくよく考えてみれば、悠子の両親も部位こそ違うが、やはり癌が原因で早逝していた。
 今さら遺伝がどうとかを気にしても仕方がないことだけれども、まさかこのような形で自分の最後が目の前に迫って、心の置き場所を探す暇さえなくなるとは思いもしなかった。流す涙も忘れ、その目はただ虚空を彷徨うばかりであった。
 ふと気がつくと、リスは空の皿を残し、いつの間にか悠子の視界から消えていた。

 惣太郎は、鎌倉のあちこちに出向いては、地道に画を描き続けていた。
 やがて、彼の作品は、とある美術系出版社の編集者の目にとまり、そこで雑誌の挿絵として採用され、その後、望外の個人画集を上梓するに至るまでになっていた。そのおかげで、アルバイトをせずとも、糊口をしのぐ程度の稼ぎが得られるようになっていた。
 お気に入りの画材がたくさん入っている大きな黒いバッグを肩から提げながら、今日もスケッチの拠点となる場所を探し歩く。毎週、金曜日の午後と言えば、よほどの天候でない限りは、ほぼ円覚寺の境内のベンチに居座ることにしていた。 
 この寺は惣太郎にとってはよほどのお気に入りであると見え、広い鎌倉の中でも一番足繁く通う場所となっていた。その広い境内には、山門や仏舎利殿だけではなく、帰源院や仏日庵、黄梅院など、歴史を感じさせる塔頭なども、ひっそりと山蔭に点在しており、訪れる者を飽きさせない。 
 悠子は、自宅近くのこの寺に、定期的に惣太郎が来ていることを耳にして以来、何度となく、その同じ時間、同じ場所を訪れるようになっていた。それは、最初は惣太郎の絵に惹かれ、その内に絵を描いている惣太郎の姿に惹かれ、そして最後は男性としての惣太郎本人に惹かれていったからである。
 作画に没頭している時の惣太郎は、話しかけても振り向く素振りさえ見せず、観光客のざわめきはおろか、例え雷鳴が轟いても微動だにしないのではないかと言うほどの集中力を見せてスケッチブックに向かっていた。
 彼が見据えているのは、重い歴史を背負う仏閣の威光や幾星霜を経た自然が見せる多彩な表情のみである。
 だが、そんな惣太郎の手にしていた絵筆が、ある時ぴたりと止まる。
 その視線の先を追うと、寺の総門の陰で腕組をしながら立っている一人の若い女の姿に行き着いた。惣太郎は、やおらスケッチブックをたたんで立ち上がると、バッグや画材もベンチに放り出したまま、その女の元へと慌しく駆け寄っていった。
 若い女は、艶のある黒髪が顎の線で水平になるようなレイヤーカットで、自信に満ちたような目は切れ長で鋭く、スリムなシルエットのベージュのワンピースに身をつつみ、気位の高さを感じさせる白銀色のハイヒールを履いていた。彼女の佇むその一角だけは、寺の境内と言う荘厳な場にはそぐわぬ、妖艶ともいえる空間のように見えた。
 惣太郎は、それまでの様子とは一変し、卑屈とさえ思える態度で女の前に屈みこみ、何かを必死に懇願していた。女は無表情に、艶やかなバラを思わせる紅を塗った口から、一言二言、何かの言葉を惣太郎に投げかけた。惣太郎は媚び諂うような表情でその言葉を受け止めている。しばしの沈黙が二人の間に続いたかと思うと、女は惣太郎にくるりと背を向け、門の外へと歩いていった。石段を下っているであろう女の姿を目で追いながら、惣太郎はその門の真ん中で立ち尽くしていた。
 やがて、よろけるような足取りで境内に戻ってくると、放心したようにベンチに座りこんだ。イーゼルにカンバスを立てるでもなく、スケッチブックを開くでもなく、そのまま悄然と宙を見つめたままだった。
「俺は……。いったい何をやっているのだろう……」
 惣太郎は、両の手の親指の爪を噛みながら、自分を責めるように呟き続けた。
「いや、今は何も考えるな、仕事をこなすことだけに集中するのだ」
 しかし、惣太郎の心の焦りとは裏腹に、絵筆を持つ気力はすっかり失せていた。
 吐き出す言葉の端々は次第に掠れてゆき、乾ききった唇は微かに開いたままとなっていた。冬色の嵩高な雲が寺の上空を覆いはじめた。寒風を受け、ことのほか紅く色づいた楓の葉々が、微かな音を立てながら惣太郎の頭上で、その葉裏を見せながら揺れ動いていた。

 山々に囲まれた鎌倉の道も、南へと歩けば必ず海へと辿り着く。
 晩秋の空気は澄み、海面の光の帯は幾重にも連なり、白波となって浜辺へと押し寄せる。相模湾に臨む小動(こゆるぎ)岬から江ノ島、伊豆半島、果ては富士山までをも見渡すことができるこの絶景の地が七里ガ浜である。
 ここに惣太郎の住む下宿があった。築年数は古く、部屋は六畳一間で風呂便所が共用など、家賃が安いこと以外には不便を強いられるばかりの住まいではあったが、この二階の窓から臨む眺望だけは何事にも代えがたいほどの価値があると惣太郎は思っていた。
 彼のこの根城にも悠子は幾度となく無遠慮に訪れるようになっていた。そして惣太郎もまたそれを拒むことはしなかった。
 彼の創作は、この狭い自称アトリエで行われる。カンバスや絵の具の独特の匂いが部屋に染み付いている。畳敷きの和風の部屋は、そこに似つかわしくない画材や未完成の作品などで埋め尽くされており、狭い空間はいっそう狭く感じられた。
 それでも惣太郎のみならず、悠子にとっても、ここはとても居心地の良い空間のひとつとなっていた。
 晴れた日の日没時間に近くなると、窓から見える海面が銀の鱗がうねるようにひときわ輝いて見えた。明るさが暗さの奥に吸い込まれてゆく、まさに逢魔が時と呼ばれる時間帯、映るもの全てを赤く染める夕日が人の胸を怪しく騒がせるようであった。
 惣太郎は、相変わらず無口でキャンバスに向かったままである。
 そんな彼の横顔を、悠子は何も言わず、ただ見つめていることが好きだった。悠久の時の流れに漂う揺籃に抱かれ、まどろむような気分に浸ることが出来るからだ。しかし、その一方で、惣太郎へと彷徨い出ようとする自分の気持ちが膨らんでいることも感じていた。寄り添うほどに、熱い眼差しをおくるほどに、堰を切って溢れ出ようとする自らの想いを押しとどめることが難しくなりつつあった。
 澱みのない、静寂な空間を切り裂くような大きな声が、階段下から聞こえてきた。
「堂本さーん!電話ですよ。森泉さんと言う女性から」
 階下で大家が取り次いだ電話の呼び出しであった。その瞬間、惣太郎の血相がさっと変わる。廊下に駆け出て、慌しく階段を下りていく。惣太郎は、受話器を両手で握り締めると、目の前に居ない相手に対して、ぺこぺこと何回も頭を下げている。応対する声は次第にか細くなり、少しの沈黙のあと、静かに受話器を置く音が聞こえた。しばらく経つと、惣太郎は疲れきった顔をして、部屋に戻ってきた。
 今、惣太郎が依頼されている雑誌の挿絵の締め切りが、とうに過ぎていることに対しての督促であった。
 部屋の入り口で立ち尽くしながら独り言のように呟く。
「僕は駄目だ……。自分のペースに仕事を合わせる器用なことができない……。でも彼女を、こんな名もない僕を世に出してくれた恩人の彼女を、裏切ることだけはできない」
 惣太郎の言う彼女――。彼の才能を見出した、惣太郎より五歳も年下の、森泉と言う若い女性の編集者である。
 惣太郎がそれまでに描き溜めていた作画の何点かを、担当している雑誌の随筆の挿絵に採用したのは彼女である。その作品は、読者から少なからぬ好評を得たらしい。
 その後も一年半ほど連載した中で、惣太郎の絵はずっと使われ続け、彼女の企画で画集にまとめて発刊したところ、それもほどなく評判となり、次第にその名も知れるようになってきていたのである。そんな彼女の頼みを断ると言うことは、今の惣太郎には出来ようはずもなかった。
 窓とカーテンを閉め、先ほどまで取り組んでいた油絵のキャンバスを部屋の隅に押しやり、窓際の座卓の前に座った。その卓上には、ペン入れだけが済んでいるイラストボードが幾枚か無造作に置かれていた。後は色付けをするだけで完了の筈が、鈍重な気持ちが筆の動きを遅らせていた。
「今日は徹夜になるかもしれないな」
 苦笑いをしながら、彼はまた、無意識にぱちんとウインクをした。しかし、その目はとても微笑んでいるようには見えない。惣太郎は座卓に向かい直すと、仕上げの作業へと没頭していった。
 あとわずかで消え入りそうな黄昏の陽に照らされた彼の背中は、なぜかいつもより一回り小さく見えた。

 雪ノ下に夕闇迫る中、悠子が帰宅すると真っ暗な洋居間の片隅で明滅する赤い光が目に入った。何本かの留守電が入っているようだ。録音を聞いてみると、病院からの伝言である。しかし悠子は、何もメモを取ることもなく録音の消去ボタンを押した。
 冷めたコートを脱ぎ、クローゼットにかけ、厚手の毛糸のカーディガンを着ると、居間のソファに深々と腰掛けた。テーブルに置いてあった薬の空袋をくしゃくしゃと丸めると、屑かごに放り投げた。悠子は、余命宣告を受けたあの日以来、病院には一切、足を運んでいなかった。処方してもらった薬も飲み果たしてから、もう何日経ったのかさえ覚えていない。
 それでも不思議なことに、身体には痛みなどの変調は見られなかった。ただ何をするにも気だるさがつきまとい、毎日の僅かばかりの家事さえも辛く感じるようになっていた。日によっては、一日中、床に臥したままでいることさえもあった。
 しかし、寝ても覚めても頭によぎるのは、迫り来る命の期限のことではなく、惣太郎のことばかりである。行き先のない感情、決して叶わぬ想いが心の中で交錯する。これまで自由に、嬉しそうに絵を描いていた惣太郎が、時おり見せる苦汁の表情。それなりに名が売れ、安定した収入も得られるようになったのに、どこか以前には見られなかった暗鬱な雰囲気を漂わせている。
 悠子には分かっていた。彼を追い詰めているのは、あの女なのだと。純真無垢な彼を惑わし苦しませているあの女の存在が、悠子は赦せず、肺腑をえぐるような憎しみが湧きだしていた。
 残された時間の中で、胸についたその火をなんとか消さねばという焦燥感にかられるも、今の悠子には為す術はなく、ソファの上でただその身を抱きながら、歯の根も合わずに小刻みに打ち震えるのみであった。

 円覚寺から建長寺に至る鎌倉街道の坂の、狭い道沿いにある小洒落た和風の喫茶店。その一番奥まった席に二人は向かい合って座っている。
「森泉さん、やはりもう、僕には無理なようです……」
「何を言っているの?貴方を取り立ててあげた私の立場も分かってもらえる?」
 女は、とても年下が発するとは思えないような不躾な言葉を惣太郎に浴びせた。
「まったく」と言いながら、赤いシルクのタイトスカートから伸びた脚を組みなおし、くわえていたメンソールのタバコの煙を思い切り吸いこむと、不機嫌そうにその吸殻を灰皿に押し付けた。
 テーブルの上に置かれた二つのコーヒーは減ることもなく、ただ冷めきっていた。
 女がふうっと吐いた白い煙が、うつむいている惣太郎の顔に届く。
「いいこと? 貴方は私の言うとおりにやっていれば、間違いはないの」
「ですけど、この前新しく出したばかりの画集は、売れ行きが芳しくなかったと……」
 女の目つきが変わる。
「だから。あれは営業部の宣伝手法が間違っていると言ったでしょ?貴方の絵のクオリティは、最初の画集とまるで変わっていない。むしろ、更に良くなっているくらいだと私は思う。貴方は、私の指示した通りの絵を描くことにだけに専念してちょうだい」
 惣太郎は暖かい店内でも厚い黒のコートを着込んだままだった。突き刺さるような女の言葉がかかる度に、その身を震わせているようにも見えた。
「いいわね? じゃあもう一回、次の企画について説明するから」
「今度は風景画だけではなくて、同じような調子の人物画も採り入れること。貴方のその繊細なタッチを巧く使ったら、絶対に人の目をひくことが出来る。取り敢えず来月末までにラフを二十枚ほど描き上げてみて」
「僕は、イラストレーターみたいな器用なことは……」
 女が、きっ、と睨み直す。
「そんなことは分かってる。でもこの世界、まずは売れてなんぼでしょ?ある程度の地位が獲得出来たら、そこから自分の好きな作品なんかいくらでも自由に描けるじゃないの。それともこのチャンスを逃したまま、埋もれたままで人生終わらす気? いいの? それで」
 反論は許さないと言った表情で、矢継ぎ早やに厳しい言葉を投げつける。惣太郎は返す言葉を失った。
「はい……。わかりました」
 そう、それでいいの、と女は満足げな表情に戻ると、今まで厳しかった目元を少し潤ませてみせた。
「私は、真剣に貴方に賭けているのだから。分かってくれているわよね?」
 女は惣太郎の耳元に、触れそうなほどに唇を近づけ、そっとささやきかけた。そして手元のバッグを開けると、何やら薄い紙を取り出し、惣太郎の前に広げて見せた。
「ほら見て。分かるでしょ?私の貴方への本気度が」
 その一枚の緑色の書類には二つの署名と捺印がされてあった。
「これで晴れて、私とあなたは一緒になれるのよ」
 女は満面の笑みを浮かべていたが、惣太郎は女に目を合わせていなかった。
 ふんと嘲笑したかのような表情で、書類をバッグに仕舞い直す。
「無理やり見合い結婚をさせられた上に、貞淑さばかりを求める旦那なんて私はもう真っ平。こちらから三行半を突きつけてやったから。私は、私自身が選んだ男ともう一度やり直すの。分ってくれるわよね?」
 惣太郎が答えに窮していると、女はちょっと不機嫌そうな顔になる。
「今度の企画で、絶対に私と貴方は絶対に成功する。二人で頑張ろう、ね。それじゃ」
 女はレシートを取ってさっと立ち上がると、足早に出口の方へと向かっていった。
 一人残された惣太郎は、無表情のまま、冷めたコーヒーをスプーンでかき混ぜ続けていた。

 古い住宅の軒をかすめるように、翠とクリーム色に塗り分けられた小さな二両編成の電車がカタコトと走る。鎌倉駅を発った江ノ島電気鉄道の車両は、秋の陽光を浴び、右に左に著名な古刹を眺めながら古都を走りぬける。カーブが急な上に単線で、駅などで上り下りの交換待機などを行うため、終点の藤沢まではそれほどの距離でもないのに一時間弱もかかったりする。それでも、そのレトロな風情や、鎌倉、湘南といった観光の要所を縫うように走るため、観光客の人気は年々高まりつつあった。
 悠子は流れ行く車窓の風景を見るでもなく一人座席に腰掛け、久しぶりに乗ったこの電車に揺られるがままになっていた。
 家に閉じこもると、つい臥しがちになり、買い物に行くことさえ億劫になることが多くなった。身体のだるさは日に日に重くなり、確実に自分を蝕んでいくものの存在を認めざるを得なくなっていた。そんな時はたまに、一人、気晴らしのためにこのような近隣の散策を行ったりした。
 無人の駅である由比ガ浜で下車をした。
 電車が発車すると、ホームにぽつねんと取り残された悠子以外に人影は認められない。
 住宅街の細い路地を南に向けて歩いていくと、一段の潮鳴りの音が高まり、やがて眼前に広い海が開けてくる。夏場なら海水浴客でにぎわうこの浜も、寒風吹き荒ぶこの季節には、人が寄り付くことは少ない。薄霞がかかりながらも、雲間から差し込む幾筋かの陽光が波の端を照らしている。夏には穏やかだった海の波も、今は轟音をあげながら逆巻き、凍えた白い飛沫を砂浜にうちあげていた。しかし荒々しさはあっても、美しく煌きながら広がる雄大な風景には思わず目を奪われてしまう。
 悠子は堤防から砂浜に降りると、湿った砂に足を取られながら波打ち際に沿って歩いてみた。
 今日の悠子は化粧をするでもなく、ブラウスの上に厚手のセーターを着込み、その上に濃紺の重たいオーバーを羽織るという、人目を意識しない出で立ちであった。海からの凍えた風が容赦なく身体に吹きつける。毛糸の帽子を目深にかぶり、マフラーを鼻まで隠れるように巻くと、掛けていた眼鏡が吐く息で白く曇った。
 悠子は、潮の香りにつつまれながら、以前、この場所に一緒に訪れたときの惣太郎の言葉を思い出していた。
「こんな美しい風景にも、何百年も前にあった哀しい話が隠されているのをご存知ですか」
 悠子は黙ったまま、惣太郎の話を聞いていた。
「義経と静御前の悲恋にまつわる話です。静御前は、身ごもった子が男子ならば殺せ、と義経の勢力拡大を恐れる兄、頼朝に命じられました。しかし、女子であれと祈り続けた静御前の願いもむなしく、生まれたのは男の子。そして、その子はこの美しい浜で、誰に抱かれることもなく海に投げられ、殺されたのです」
 惣太郎は海の果てを見やりながら、重い口調で語りつづける。
「この世に生まれてはならなかった男の子と言うのは、あまりにも不憫だとは思いませんか」
 その時は花で彩られる暖かな季節であり、惣太郎との逢瀬だけが楽しかった時期でもあったため、悠子はそんな話もさしたる感傷も持たずに、ただ武家時代の薀蓄でも教えられた程度に聞き流していた。
「僕は七人兄弟の末っ子で、家も極貧状態でした。両親も老いて亡くなり、兄達も立派な社会人になって家から出ていくと、僕はその存在さえも忘れ去られるようになったのです。今の僕などは、家族にとっても社会にとっても、居ても居なくてもどうでも良いような人間なんですよ」
 あの時の惣太郎の言葉を、今、反芻してみると、彼の心の中に渦巻いていたであろう黒い澱みを感じずにはいられなかった。
 一段と冷たい潮風が吹いて、悠子のマフラーが強くたなびくと、その端が解かれて宙に舞った。露になった頬が、鼻が、唇が凍えそうになる。由比ガ浜の波が滑るように砂浜に打ち寄せては足元で微かな音と白い泡をたて、そして悠子の暗鬱な気持ちを思いやることもなく、消えていった。

 山の影が伸びきって、抜きがたい闇が足元に忍び寄ってきていた。
 雪ノ下にたどり着いても、悠子の精神は冬の海が見せた幻影に蝕まれたままであった。鼻腔に残る仄かな潮の匂いが、耳に残る寒々しい潮騒の音が、今も悠子を浜辺を彷徨っているような気分にさせていた。 
 現実と虚構が溶け合い、混じり合っているような世界に紛れ込んだまま、悠子は家の門らしき場所をくぐり、玄関の扉のようなところで鍵を開けようとしている。 
 と、何やら庭の方に見慣れぬ影を捉えた。悠子は少し驚いだが、目を凝らしてその暗がりを見つめなおした。すると、庭の大きなクヌギの木に背を押し付けるようにして一人の人間が立っているのを認めた。 
 ぼやけて見えるその顔をさらに凝視すると、どうやら惣太郎のようである。悠子はほっとしたような面持ちになると、そっと声をかけてみた。
「びっくりした。そんな寒いところに居ないで、家に入ってくだされば良かったですのに」
 遠くを眺めている惣太郎の、ほうほうと吐く息が白く見えた。
「いえ、この庭から見える山々の姿に見惚れていたもので。出来れば、ずっとここに佇んでいたいくらいだ」
 悠子は玄関の扉を開けて、さあ、こちらへと手招きをすると惣太郎はようやくクヌギの木から離れた。彼の姿が近づいて、その顔の輪郭がはっきり見えると、化粧もせず地味な服をしか着ていなかった悠子は、自分のみすぼらしい格好に気づき思わず頬を赤らめた。
 廊下のハンガーに惣太郎の凍てついた黒いコートをかける。薄手の茶色のタートルネックのセーターだけを下に着ている惣太郎の姿は、その細身の見かけも手伝って、悠子の目には寒々しく映った。
 居間の明かりを点け、ストーブに火を入れる。部屋が次第に暖まってくると、窓ガラスが結露で白く曇っていく。惣太郎はまだ、庭へと向かうその窓から寒々しい外の風景を眺め続けていた。悠子が彼の下宿に訪れることも多かったが、彼がこの家に来ることもまた同じくらい多くなっていた。惣太郎がこの庭からの風景がことのほか気に入ったと言う理由だけで何度となく訪れるうちに、悠子は、いつでもお好きなときにと合鍵さえも渡すようになっていたのである。
 悠子は部屋着に着替え、ガウンの袖に腕を通し身支度を整えると、居間に戻ってテーブルの上にティーカップをふたつ用意した。惣太郎がソファに腰掛けると、ポットから熱い紅茶を注ぎいれた。暖かい湯気が、惣太郎の顔を遮るように漂いのぼった。白い、霞がかった空気が部屋を、悠子そのものを包み込んでいるような感じがした。
「お仕事は順調?」
「いやあ、ぜんぜん駄目です」
 惣太郎は、背を丸めて入れたての紅茶を少しずつすすりあげた。
 作り笑いさえ見せないその表情に、悠子は気を揉む。
「駄目というのは、新しく依頼された絵が締め切りに間に合いそうもないとか……」
「いえ、何とか期日通りには仕上がりそうなのですが、今回はどうにも苦しみましてね」
 惣太郎は、ティーカップを両手で包み込むように持ったまま呟いた。
 悠子は、聞いてはいけないと思いつつ、つい口を滑らせてしまった。
「厳しい注文をつける、あの女性が惣太郎さんを苦しめているのではないのですか?」
「そんなことはありません!」
 間髪を入れずに強い口調で返答をした惣太郎に、悠子は少し驚いた。
「僕は、彼女の望む期待に応えられる実力がないことが悔しいのです」
「そんな……。あなたの才能ならば、普段どおりに描けば素晴らしい作品が出来上がりますよ。それでも、あの女性は、自分の都合ばかりを一方的に言って、貴方に無理難題を押し付けているのでは……」
「確かに、彼女は心の底では僕をたたき台にして、出世したいと思っているのかもしれません。でも僕はそれでも全然、構わない」
 惣太郎は、頭を上げて真っ直ぐに前を見据えた。
「僕は」
 声を絞るようにして言う。
「僕は彼女のことを愛しているのです」
 その言葉が彼の口から漏れ出てきたときに、悠子は少なからずショックを受けた。
「そうでしたの……。でも、あの女性は、厳しい仕事の話しかしていなかったのでは」
「違うのです。彼女に本当の気持ちはまだ伝えていませんが、最初に彼女が僕の絵を見に来てくれた時に、実は僕の方が一方的に彼女に惚れ込んでしまったのです」
 真剣に話す惣太郎の顔が、なぜか次第にぼやけて見えるようになってきた。
「でも彼女は子供こそ居ないが、既に結婚をしていた。それでも、僕の気持ちは変わらなかったのです。だから本意であろうとなかろうと、僕に色々な依頼をしてくれること自体が嬉しくて、どんな注文でも引き受けていたのです」
 惣太郎は、紅茶をぐいっと飲み干すと、ひと呼吸おいてこう言った。
「仕事も、はじめは上手く行きました。すると、今度は彼女の方が急に、離婚をしてでも僕と一緒になろうと言って来たのです。 これには逆に僕の方が驚いた」
 惣太郎の言葉の一つ一つが、鈍い痛みとなって悠子の胸を貫く。頭の中を覆い尽くしていた白い霧が、一瞬拡散し、そしてまた渦を巻いて悠子を取り巻いた。
「彼女と一緒に暮らす。こんな夢のようなことが現実になる。家族からも社会からも孤立していた、こんな何の役にもたたない人間が、愛する人と寝食を共にできる。頭の中は溢れんばかりの喜びで満たされました。……そう感じた時に」
 ティーカップが彼の手から離れて、テーブルの上に音をたてて落ちた。
「僕は、絵を描くことができなくなってしまったのです」


 惣太郎の下宿は木造で、時おり吹く海からの強い風に建物全体が揺らぐことがある。
 壁や天井が軋む音が響いてきても、住人で気に留める者はいない。今日もまた外の風は強く、窓ガラスも雨戸も大きな音をたてて震えていた。だが、そんな騒音も部屋の中の二人には聞こえない。緊張した空気が狭い空間に漂っていた。
 惣太郎は座布団の上で正座をしている。昨夜遅くに仕上がった数十枚の絵が、惣太郎の目の前で、一枚一枚めくりながら見られている。沈黙の時間がやたらと長く感じられる。切れ長の女の目が、作品の隅から隅までを嘗め回すかのように右から左へと忙しく動く。
「ふうん……」
 女は深い溜息をつき、絵を座卓の上で縦にしてまとめると、会社の大きな書類袋に丁寧に入れた。
「ありがとう。これは頂いていくわね。なかなか良い出来だと思う。来週の編集会議に諮らせていただきます」
 惣太郎は足を崩さないまま、何も言わずに女に対峙していた。
「貴方は、まだまだその才能を伸ばすことが出来ると思う。私が貴方にずっとついていれば、さらにそれは間違いなくなると思う」
 彼女は立ち上がり、疲れきった表情の惣太郎の頭を両腕で抱え込むと、その額に軽く口づけをした。
「もうそんなに緊張しないで頂戴。貴方には、私が必要なの。そして私も貴方が必要。二人が一緒にいれば、これからもずっとうまくいく」
 ふくよかな胸の中にしばらく抱かれていると、惣太郎はようやく身体の緊張をほぐすことが出来た。しかし虚ろな表情は変わらず、言葉を発することはなかった。
 女は惣太郎から離れると、窓の方へと向かい外を眺めやった。海風は雨をも伴って、ますます激しく窓ガラスに打ちつける。
「外はだいぶ荒れ模様ね。今日は泊まってもいくわ。いい?」
 女はそう言うと、カーテンを隙間なく閉め、台所へと向かった。
「今日は色々食材を買ってきたから。何か作ってあげるね。たまには婚約者らしいことをしてあげなきゃ」 
 買い物袋を開け、料理の支度をするために女は白いエプロンをつけた。コンロに火をつけ鍋をかけると、何やら気分良く鼻歌を唄っている。だが、その浮かれた声は激しく震える雨戸の音ですっかり掻き消されてしまっていた。

 雪ノ下の空に星はなく、やわらかな真珠色の光輪を放つ月が薄雲にかかるさまはどこか物狂おしい。人の機知も、情炎も、すべてを呑み込まんとする白い霧は、ついに悠子の屋敷すべてを、大きな繭の中に閉じ込めるかのように包み込んでいった。光も陰も、泡立つ想いも、わだかまる暗雲も、みな濃度を増した空気の中へと深く溶け込んでゆく。闇溜まりは、その隅々まで白い霧の粒子に浸食され、隠されていた憐れみを浮かび上がらせる。
 悠子の寝室で、惣太郎は布団の上で横になっていた。
 その枕元に座りながら、悠子がささやきかける。
「難儀な仕事が終わったようですね。一段落して何より」
「終わるのは終わりましたがね。いやあ、だけど彼女は今回の僕の絵をお気に召さなかったようです」
 惣太郎は自嘲気味に話した。
「え?でも絵はちゃんと、出版社に持ち帰られたのでしょう?」
「彼女の表情を見ていればわかるのです。駄目なものは駄目と言ってくれれば良かったのに、なぜあんな馴れ合いの言葉だけで本音を隠そうとしていたのか……」
 悠子は黙ったまま、惣太郎のつぶやきに耳を傾けていた。
「僕は」
 惣太郎は仰向けでの一点を見つめたまま、一つ一つ確かめるように言葉を零していく。
「……うそつきです」
「何を仰っているのですか?貴方は今まで嘘などはついていないではありませんか」
「いえ、僕は、これまで僕自身を偽ってきたのです。でも、一方でその事実を自分でも認めたくなかった」
 吐き出す言葉がとめどもなく溢れ出てくる。悠子はただ聞き入るのみだった。
「僕は、いやらしい人間なのです。同じような歳の人間が世の中に出て金を稼いだり、栄誉を得たり、家族を持って安定した生活をしているのを見ると、無性に羨ましくなるのです」
「だからと言って、僕は自ら社交性を持つことも、目的をもって資格を取ろうなどと言う貪欲さも持ち合わせていない、あらゆることに怯えるだけのクズのような人間なのです。ただ少し、絵が得意だった。それだけを心のよすがにして何とか生きてきたのです」
 悠子は諭すように返す。
「人間なんて多かれ少なかれ、同じような事を感じているものよ。貴方は他人にはない才能がお有りになるではありませんか……」
 言葉を遮るように惣太郎は続ける。
「……才能なんか最初から無かったのですよ。実は、僕はこれまでに何度も公募展にも挑戦をしてきたのです。でも、入選するどころか、一度だって選考対象にさえ引っ掛かることもなかった」
 惣太郎は、天井を睨み身体の芯を伸ばしたまま全く動いていない。
「でも、あんなに素敵な絵を描かれて、しかも画集まで売れたではないですか」
「素人は騙せても、画壇の目は誤魔化せやしないのです。いや美大時代の友人にまでいつも揶揄されっ放しでしたよ」
「それは、お友達の嫉妬でしかないと思うわ」
「いえ、媚びへつらったような太い輪郭線も、ぼやかした面グラデーションなどの手法も、往年の印象派やアールヌーヴォーからの応用、いや盗用みたいなものです。ぼく自身の拓いた新しさなどは実は何一つないのです」
 ううん、貴方の絵は、貴方独自のもの。誰の真似でもない。
「小手先で描いた画集も、やはり一般の人にさえ飽きられてしまいました。当然、分かりきっていたことです。結局、ぼくは、まやかしの世界で生き延びていたに過ぎない」
 そんなことない……。貴方はちゃんとここにいる。
「僕は彼女が喜ぶのであれば、才能があるふりをし続けても構わなかった。でも、いずれこんなまやかしは全てバレてしまう。仮面を外す勇気がなかった。本当の顔を見られるのが、怖くて怖くてたまらなかったのです。そう思い始めたら、絵筆を手に取ることができなくなってしまったのです。……いや、それさえも嘘だ」
 惣太郎は、魂を切り刻むがごとく言葉を捻り出す。
「僕は本当は、絵そのものも好きじゃなかった。ただ、そこにしか、すがるものがなかったから、さも芸術家気取りで周囲に嘯きながら、うまく世を渡ろうとしていただけなのです。ところが、そこに『彼女を愛する』と言う大きな拠り所が出来てしまった。僕は二つの場所に根を下ろすなんて出来る人間などではない。彼女を選択したら、それ以外のことは全く何も出来ない、普通の人間からしたら、信じられないほどの不器用な人間なのです」
 なぜ。なぜ自分ひとりで苦しむの。愛する女の前で、なぜそれを先に言わなかったの。
「化けの皮を剥がされるくらいなら、僕なんかこの世からいなくなった方がましなんです」
 悠子は惣太郎の言葉を断ち切ろうと思いを巡らしたが、心の中の叫びはとめどもなく続いた。
「ただ『愛する』だけで、生活なんて出来っこない。彼女を幸せになど出来ようはずもない。それでも彼女から離れることが出来ない。これでは人間ではなく、単なる動物だ」
 貴方は貴方のままでいい。貴方は何も偽ってなどいない。
「いや、生きようとする本能を持つ動物の方が遥かにましかもしれない。そう、僕は動物以下の何の存在価値もない人間なのです」
 もう自分を追い込まないで。私が。私が助けてあげる。私なら貴方を助けることができる。
 戻って来て。私のもとへ。……戻って来て……。

 惣太郎の下宿に、出版社からの電話が何度も入っていた。
 その都度、大家の返事はまるきり同じで、ずっと出かけたままで部屋には誰もいません、の一点張りであった。堂本惣太郎が音信不通になってから、もう一ヶ月が過ぎている。
「必ず。必ず、見つけ出しますから」
「もう良いのではないかね、森泉くん。彼は自ら失踪したのだろう?家族からの捜索願いさえ出されていないと言うことらしいじゃないか。正直、社としても行方不明の人間にこれ以上関わるのも如何なものかと言う意見だって出始めているんだ」
 出版社のデスクチーフが苦々しげに言い放つ。
「いえ、彼は少しの創作の旅に出ているのに間違いはないのです。私が必ず探し出します」
「うーん、だが彼の画集も、この売れ行きでは今後に多くを望んでも仕方がないのではないのかね」
 チーフは、返本されて脇机に山積みにされている画集を指差しながら、眼鏡越しに上目遣いで森泉を睨んだ。
「そんなことはありません。彼にはまだ才能と言う武器があるのです。失踪ではなく休養中である、と関係者の方々にお伝えください。彼のこの私が必ず見つけ出して参りますので」
 渋い顔のチーフを残し、女は乱れた髪を気にする事もなく、外へと飛び出した。
 ここ一ヶ月、他の編集の仕事も抱えながら、鎌倉中を奔走した。円覚寺も建長寺も明月院も極楽寺も。彼がこれまで好んで訪れていたであろうところを、端から巡っていった。勿論、惣太郎の下宿にも何か手がかりでもないかと大家に頼み込んで、中を捜索した。部屋の中はきちんと整理されており、愛用のバッグも画材も、財布も、そしてこれと言った書置きさえも見当たらなかった。
 絶対にこの鎌倉にいるはずだ、間違いない、と雪が舞いちらつく中、山々から街中までを心当たりのある場所を隈なく捜しまわった。
 どこに行ったの?どこに行ったの?私を置いてどこへ行ってしまったと言うの?
 女の心の中で、黒い不安の塊が大きくなってゆく。その不安の意味さえ茫として掴むことが出来ない。そしてその焦りが更なる不安を増大させていった。目を血走らせながら駆けずり回っている内に高いヒールも折れ、思わず地に手をついてしまう。砂利で擦れた掌には、どす黒い血が滲んでいた。女は息を切らせながら、その場にへたり込む。
 古都に流れ込む冷たい風が、憔悴しきった女の身体に容赦なく吹きつけていた。

 遠くで鐘の音が聞こえる。
 東慶寺か建長寺であろうか。やや遅れて別の済んだ音色の鐘の音も聞こえた。あるいは浄智寺か円覚寺の鐘だったかもしれない。 
 あと一時間ほどで年が明ける。鎌倉の澄み切った夜空には、いくつもの除夜の鐘が間合いよく鳴り渡り、その余韻を絡ませあっていた。
 悠子は、長谷寺の近くにある着物教室の年忘れ会に出席していた。長い間通っていた教室ではあるが、最近では参加を見合わせていた。もう、これ以上通うこともできないだろうと、退会を申し入れていたのである。毎年通例であった大晦日の年忘れの宴会が、悠子にとっても最後の参加となった。
 教室には同じような年齢の婦人も多く、月に一回程度の集まりでも、それなりに話はずむこともあった。友人の少ない悠子にとっては、たまの息抜きになる集まりではあったので、口惜しい気もしたのだが、今の身体の状態ではそこへ通う気力さえ湧き上がって来なかったのである。 街道沿いにある社寺の、今はどこにも提灯の明かりがともり、読経の声があがっている。普段は暗くて寂しい帰り道も、今宵ばかりは明かりに照らされ、初詣の参拝客で溢れていた。

 疲れた足取りで悠子が家に辿り着くと、時刻はもう午前零時近くになっていた。
 鍵を取り出し錠に差し込むと、扉が既に開いていることに気がついた。玄関に入り、廊下の奥の方を見ると、もう部屋に明かりがついている。居間に入ると、暖房こそ入っていなかったが、天井の照明灯は点いていた。惣太郎が来ているのだと悠子は察した。
「惣太郎さん?来てるの?」と辺りを見回しながら声を出してみる。特に返事は聞こえなかった。
 悠子は居間を出て廊下をのぞくと、寝室である和室の方にも明かりがついているのが見えた。ああ、そこで寝ているのね、と思い、急ぎ駆け寄ると閉められていた襖を開けた。
 すると、果たしてそこに、惣太郎は居た。
 その和室の鴨居には荒縄がかけられ、その先の結ばれた輪に惣太郎は首を通していた。すでに意思の通っていないその肉体は、腕も頭も胴体も精気なく垂れ下がったままで、ぴくりとも動く気配はない。
 瞬間、悠子は半狂乱となり、惣太郎に飛び掛るようにすがり付くと、その重みで鴨居にひびが入り、結んであった縄は千切れ、敷いてあった布団の上に二人は一緒になって崩れ落ちた。
 惣太郎の首には、縄が深く食い込んでおり、長い時間血流が止まっていたことを示すように顔面は蒼白で、生気はまったく感じられなかった。悠子は叫び声をあげながら、惣太郎の全身を揺すり、叩き、爪を立てて顔を掻きむしった。惣太郎の身体が、次第に指の先まで冷たくなっていく。魂さえも尽き果てていく様子を、なす術もなく見守るしかなかった悠子は、溢れ出る涙をとどめようともせず、硬直していく惣太郎の身体に自分の顔を強く押し付けた。指先で惣太郎の上瞼の線をなぞる。あの長い睫毛で愛くるしいウインクをした眼も、既にその光を失っていた。乱れきった布団の上で悲しみの逢瀬となった二人を、淡い仄かな光が包み込んでゆく。
 遠くで鳴っている除夜の鐘が重々しく雪ノ下の空に響き渡った。

 新年を迎えた古都鎌倉は、うっすらと雪化粧をしていた。
 初詣も一段落したと言うのに、街中の人の波はまだ絶えることがなかった。
 鎌倉駅近くで買い物をした悠子は、混雑している小町通りを避け、東の若宮大路へと出た。八幡宮へと向かうこの大きな参道沿いには、飲食料品や土産物、洋品店など多くの店が軒を連ねている。
 新年を迎えて、明るい顔の家族や恋人達が身を寄せ合うようにして楽しそうに行き来している。悠子はそんな人々の間を縫うようにして、杖をつきながら少しよろめくようにゆっくりと歩いていた。
 大きなショーウインドウに時おり映る、背の曲がった自分の姿が見える。髪はほんの少し前より白さを増し、顔も腕も、さらに痩せこけていた。
 しかし、急に老け込んだ自分の姿にも、もう驚くこともない。それまで気にもとめていなかった腹部の痛みが日々激しさを増して、自分の身なり、身だしなみに気を遣う余裕さえも奪っていたからである。
 本宮へと真っ直ぐに向かう車道は、赤い大きな三の鳥居の前で左右に振り分けられる。その大鳥居をくぐると、真正面遠くに大石段、その上に艶やかな八幡宮の本殿がそびえている。左義長神事で焼かれた炭の匂いが辺りに微かに漂っていた。
 悠子は玉砂利を踏みしめながら、右手にある源氏池へと向かう。
 春は早春の梅にはじまり、桜、花海棠。夏は紫陽花、花菖蒲。秋は萩にはじまり、彼岸花、秋桜、そして晩秋の紅葉。鎌倉は四季を通じてさまざまな花に彩られるが、この冬の季節ともなると、さすがに見られる花も少なくなる。
 そんな中でも、鶴岡八幡宮の源氏池のほとりにある庭園の、数千本もの冬牡丹だけは見事な大輪の花を咲かせており、参詣者の目を楽しませていた。悠子は、幼少の頃からこの牡丹の花が大好きで、この牡丹園にも毎年のように訪れていた。寒さをしのぐ薦(こも)の覆いの中で、優美な色彩を湛える花弁が幾重にも開ききった様子は、その花言葉の通り、高貴にして壮麗。悠子の心の中でいつも鮮やかに輝いている憧れの花であった。
 だが、若い頃は自らを律してくれるような気概を与えてくれたこの花も、命の輪郭さえも見失いつつある今の悠子の心にもたらすものは、何もなかった。
 悠子は買い物袋を抱えなおすと、境内の流鏑馬馬場から脇道へ抜け、鎌倉街道の狭い歩道を通り、雪ノ下の家への帰路をたどった。靴底に鉛でも貼り付けたようにその足取りは重かった。空は晴天。風はほとんどなかったが、肌にきりりと寒さが伝わる。
 上空を見上げると、風花が黄金色にきらめきながら舞っていた。

 雪ノ下は、新しい年を迎えても、周囲の沈んだ静けさと物憂さは変わることがなかった。
 薄ぼんやりとした霞が、それまで晴れ渡っていた空を次第に覆ってゆく。陽が傾き、山の端に隠れると、その紅い光跡だけが薄雲に照り映え、天空の絨毯に色鮮やかな曼珠沙華の花弁を散りばめたような光景を見せた。
それはまるで、冬の残照が追憶との決別の時が迫っていることを悠子に知らせているようにも見えた。闇が迫り、漆黒の時間が悠子に訪れる。
外出から戻った後、玄関でうずくまり、えづくと大量の血を吐いた。着替えをする気力もなく、よろけながら寝室に向かうと、そのまま寝床に倒れこんだ。
 悠子が寝起きする北側に設えたこの和室は、切り立った山肌に面しており、湿気が浸入するのを嫌い、ここ数十年、窓も開けられることがなかった。寝床の枕元には、電球の切れそうな古い行灯型の照明が掠れた光を放っている。
 部屋の隅には、亡き母が嫁入り道具として持参したという大ぶりの黒漆塗りの姫鏡台が置かれていた。
 その鏡台が、一瞬、仄明るい青白い光を放った。
 悠子は時が来たとばかりに、身体の痛みを我慢して起き上がり、気力を振り絞ってその前に正座をすると、鏡台の掛け布をそっと裏側にめくった。
 寂れた灯りの中で、鏡の中にぼうっと映し出されるその姿を悠子はじっと見据える。
 背筋を伸ばし、姿勢を正すと、鏡の向こうも姿勢を正す。
 くっと顎をひくと、鏡のむこうの彼女も顎をひく。
 同じ動きをするのはごく当たり前のことである。
 しかし鏡の中の相手は、艶やかな黒髪と透き通るような肌を持つ若い女だった。
 悠子は、向き合う相手から目を逸らさないようにしながら、優しく囁きかけた。
「ごきげんよう、森泉さん」
 鏡の中の相手も答え返す。
「ごきげんよう、勅使河原悠子さん。でも今の私はもう森泉姓ではなくてよ」
「そうだった。貴女は、勅使河原……悠子に戻ったのですものね」
「どうして。なぜ今また貴女は、私に向き合おうとするの?」
「貴女の、いえ、私の背負ってきたものを降ろすときが来たからなの」
「私は業を背負って生き続ける。貴女は私に何を言いたいの」
「この三十年間、苦しみ続けてきたこと。でもそれは誤解だったと言うこと。彼の言葉を聞いたわよね?」
「何を言っているの。彼を死に追い込んだのは、間違いなく、この私」
「もう自分のことを憎むことはないとわかったでしょう?」
「お笑いだわ。自分の罪を勝手な妄想の中で打ち消すことができるとでも思っているの?」
「彼の残した言葉に間違いはない。もうやめましょう」
「そんなことは何の気休めにもならない。私が彼の前に現われさえしなければ、彼は死ぬ事はなかった。それが真実」
「貴女だって、彼と同じように自分を誤魔化していた。彼の心の孤独を測る余裕がなかった」
「その通り。でも私は彼を愛していた。仕事とか出世とか栄誉とか、本当はそんなものどうでも良かった。ただ彼と一緒になりたかった。でも私は素直に気持ちをぶつけることなく、姑息な手を使って彼を自分のものにしようとした……」
「ちがう。彼は貴女のことを本当は理解していた。ただ二人ともお互いの心を念入りに調べようともせず、先を急ぎすぎてしまっただけ」
「誰にも言えない。誰にも見せられない。定年を過ぎても平然と、何もなかったかのように過ごした人間が赦されると思って?」
「彼の発した最後の言葉を信じてあげて……。貴女はここで三十年間、彼を守り通してきたじゃないの」
「自分に都合の良い妄言を仕立て上げて、さらに糊塗しようとするのは、やめて」
「違う。間違いなく、彼は貴女を愛していたし、追い詰められたとも思っていない」
「もういい。誰もそのことを証明することなんか出来ない」
「いいえ、彼はささやきかけてくれた。今でも貴女を見守りながら、愛していると語りかけてくれている」
「見守っている人なんて、もうどこにもいやしない。私は、私自身を憎み続ける」
「それならそれで構わない。でも、もう期限はすぐそこまでに迫っているわ」
「私は……。死ぬまで私を憎み、呪い続ける」
「私は……。彼の言葉を……、彼の愛情を信じる……」
「呪わなくてもいい……、憎しみを持つ必要もなくなったのだから……」
 悠子の視界から全ての像が消えた。心の中で、惣太郎の言葉と過去の自分の気持ちがすっと一本の線で繋がった。なにか、柔らかくて大きな手の中に抱かれているような心地になり、次第に身体から痛みが抜けて楽になっていくような気がした。

 悠子はもう、そのまま寝床から出ることはなかった。食事はおろか、水を口に含むことさえもなかった。
 もう年が明けてから何日経っているのだろう。光も入らぬ寝室で、見えない時間を追う手段をも失っていた。
 終焉が目の前に迫っていることを、自覚していた。もはや身体の痛みも感じず、物事を考える気力さえも徐々に消え失せつつあった。
 だが、悠子のその顔には満足そうな表情がうかがえる。
 もう、このままでいい。静かに彼と一緒にゆっくりと暮らせる場所にいけるのだから。
 そのとき、暗く閉じられた寝室に一条の光が差し込んだ。
「そうだね、一緒に行きましょう」
 隣で寝ている惣太郎が、優しく語りかけてきた。
 悠子は最後の力を振り絞り、ゆっくりと起き上がると惣太郎を見返した。
「私は……、ずっと貴方を守り通してきました。でも、もう限界みたい」
 惣太郎がにっこりと笑みを浮かべる。
「ありがとう。貴女の想いは全て分っていました。僕は貴女であり、そして貴女は僕そのものだった。本当に、これでやっと一緒になれたような気がします」
「はい。長い間こんな暗いところに閉じ込めたままで本当にごめんなさい。でも、もう誰に知られても気にすることもなくなりました。私は惣太郎さんとともに永遠を手にすることが出来たのですから」
 悠子は、痩せさらばえた身体を引きずるようにして窓際の方へと行くと、壁を伝いもたれかかるようにして立ち上がった。
「もっと光を。明るい光をいっぱいに浴びて貴方と二人で旅立ちましょう」
 そう言うと、三十年間閉められたままだった寝室の雨戸を一気に開け放った。金属製の窓枠は、さび付いていて鈍い音をたてたが、大きな雨戸は抵抗なく開けられた。裏山に面した部屋なので暗がりからは逃れられないかと思ったのだが、太陽の位置が良かったのか、燦々とした光が一斉に入り込み、寝室全体がひときわ明るく照らし出されていった。
 全ての力を使い果たしたのか、悠子はそのまま崩れ落ちるように寝床に倒れこんだ。
 寝床には二つの布団がきれいに並べられている。
 悠子の隣には、惣太郎の形骸が横たわっていた。
 仰向けになったまま、黒い窪みのような眼で、天井をずっと見据えている。
 かつて、いとおしい笑みを湛えていた頬や、顎や、髭や、唇が、さらさらと崩れてゆく。
 太陽に照らされた惣太郎の身体から、光輝く鱗粉が振りこぼれて、風に舞う。
 部屋の中に流れ込んできた冷たい、しかし清澄な空気が二人を包みこんだ。
 悠子は惣太郎に寄り添ったまま、もう動くこともなく、目に映る窓の外の風景を、ただぼんやりとだけ眺めることしかできなかった。山の合間からわずかにのぞく、蒼い空に浮かぶ筋雲の切れ目から、飛行機が銀色に光りながら現われ、そしてまた雲の中に消えた。
 窓の外の雑木林も、苔むした岩々も、次第にその形だけでなく色合いまでもが霞み、ぼやけていく。
 そのとき、窓の近くまで突き出していた木の枝の上に、なにか小さな灰色の影がうごめく様子が目に映った。
 それは、姿を消していたあのリスだった。
 悠子は、その姿を認めると、乾いた口元をふっと緩ませた。
「……なんだ、まだここに居たのね。でも、ごめんね。私、もう餌をあげることもできなくなってしまったの……」
 リスは、窓枠にしがみついたまま、じっと悠子の方を見つめている。
「冬ごもりもしないで大丈夫? ……でも今までおつきあいしてくれて、ありがとね」
 悠子は、リスに向かって精いっぱい腕を伸ばそうとしたが、もうその指先を動かす力さえも残ってはいなかった。












(了)

雪の下にて ©真奈美

執筆の狙い

5年前にここで習作として投稿したものを、若干改稿して再掲させていただきます。

私は本来ラノベ畑の人間で、ラノベ以外にもエンタメばかり書いていましたが、今作で少し文学調というものに挑戦したことを記憶しております。このためにわざわざ鎌倉まで現地取材に行ったことも思い出しました。それでも結構な酷評もいただきましたが(笑)

このたび、でしょさんの企画に乗らせていただくことになり、久しぶりにガチモードで新作に挑戦いたしますので、よろしくお願いいたします。

真奈美

180.14.162.93

感想と意見

PiSでしょ

真奈ー美ナイスアゲインストラヴァーそのしたたかなほとばしりをあまりにも愉快にひけらかそうと。
でかしたやつかよ。

だからって、その底に当たり前みたいに潜むアナキズムをあたしは見過ごすわけにはいかないから、あたしたちの一ヶ月はより色濃く企みを増すしかないらしい。



侮れねーなぁ。

2017-09-03 00:32

221.22.130.5

真奈美

でしょ様

早速のご返信、ありがとうございます。
これを書いた頃は「純文学」っ何よ?って探求心が強まり、青空文庫あたりを喰いまくっていました。
それっぽい言い回しや語彙力高めっぽく見せる単語などを散りばめれば雰囲気出るんじゃね?みたいなテンプレ構築に勤しんでいたワケですが、そんな単純なもんじゃないわなーと三浦哲郎の「忍ぶ川」に打ちのめされたり、三島は神の領域だとしても、絲山秋子や堀江敏幸みたいな凄みのあるシンプルさに才能の差を見せつけられたリ、山田詠美や綿矢りさなんかの、どう足掻いても根っこの感性が違うんだから、ど素人が何万枚書いても越えられるわけないよなあと悟ったりで、以降は漫画やラノベに執筆活動をシフトしてきた次第です。


今回、旧作を敢えて出したのは、PIS参加に対する陽動作戦ですね(笑)
でしょ様の信条かどうかは判りませんが「言葉は人だ」に対する挑戦です。9月30日までにあと1作品投稿できますね。5年前の本作と9月16日に投稿するラノベ新作と9月30日に出す「はじめとおわりのひとごろし」品で読者を撹乱させようと企てています。お祭りは大好きなもので。

またよろしくお願いいたします。

2017-09-03 10:57

180.14.162.93

古河 渚

真奈美さん

お久しぶりです。
最近、鍛練場で懐かしい方をお見かけしては、コメントを書いています。
本作ですが、改変前の作品を読ませていただき、コメントも書いた記憶があります。
コメ内容は忘れましたが、たぶん辛口だったと思います。酷評ではなかったと思いますが……、
真奈美さんが書いた自由奔放な作風が好きだったので、雰囲気の異なる作品についていけなかったような、そんな感じだったような……

改めて本作品を読みまして、丹念な説明や、風景描写など丁寧に書かれているなと思いました。ただ、あの時も感じたような気がするんですが、全体を通すと、落ち着かない雰囲気があるんです。
たぶん、最後の謎解きまで読者をひっぱりすぎているような気がします。
これって、登場人物たちがかなり離れた二つの時間軸を行き来しているんだと思うんです(読めていないなら、この先は無視してください)が、それは、どこか適当な場所で(最終場面ではない中盤入りあたり)でそれを提示する必要があるのではと思います。作者は知っていても読者はしらない、要はそのバランスとタイミングだと思うんです。ミステリーの醍醐味が薄れても、読者に寄り添う雰囲気を出すことで、本作は非常にいい作品になるのではと感じました。なので、謎解きを引っ張る関係で、?となるようなポイントもいくつかありました。
例えばですが、二つの時間場面を分けるように(1)(2)(3)と記載するだけでも、上記で感じた疑問点を消失させられると思います。

学生のとき、英語購読でフォークナーの短編を原文で読まされまして、意味不明だから翻訳を買って読んだのですが、これも意味不明で(笑)苦労しました。確か、基本的に本作と同じ構造だったと思います。

面白そうな企画に参加されるようで、読ませていただけるのを楽しみにしています。
ちくわさんとか、ドリーマーさんとか、私の知っている方々が実力を示しますこと期待しています(と、プレッシャーを掛けておきます)。
ありがとうございました。

2017-09-03 12:57

27.92.117.133

地獄極楽丸

2行ほどしか読んでないけど
きっとまともな人なんだろう
そういう人が増えるといいなあ
感想を言えるほどの能力は僕にはありません。
まあ真面目な人に会うともう一回やってみようと思えるから
いいなあ

2017-09-03 13:10

223.223.104.177

アフリカ

拝読しました

お祭りでは、宜しくお願い致します

んで、やっぱり書ける人がバンバンお祭りを楽しんじゃうのね。と、今さらながら実感してます。

感想としまして

上にも出てましたが、どこまで(どこで)読み手の興味を惹き付けておく事が出来るのかを考えて書かないといけない。確かになと感じますし、序盤から終盤まで興味を持続させるなんてそりゃエンタメとして最終型でもあるのかもな……とも感じました。

僕もお祭り用に書き始めてるのですが、枚数の事を考えながらやりたいことをやるってやっぱり難しくて……

興味を失わさせない
で読み切らせることが出来る書き方……
難しいですね……


刺激になりました

ありがとうございました

2017-09-03 14:50

49.96.21.78

真奈美

古河 渚様

うわー、やばーい(笑)お久しぶりでございます。まさか当時作を知ってる方がいらっしゃるとはー。

そうなんです。これを投稿した時は結構な酷評をたくさんの方からいただきまして。ああ、ごはん民の方々は甘くないなあと思ったものです。この作品の前まではファンタジーやら残虐物ばかり上げてたので違和感もあったのかもしれません。

>あの時も感じたような気がするんですが、全体を通すと、落ち着かない雰囲気があるんです。
>たぶん、最後の謎解きまで読者をひっぱりすぎているような気がします。

これ、ほぼ感想人全員から言われました。確かドリーマーさんからも同じ指摘が。
で、やはり無理筋だったかーと思ったものです。本作はプロット無しでスタートして、鎌倉の風景描写と余命短い老女の仄かな恋愛物という毒もないストーリーで、本作の半分くらいの長さで終わる予定だったのです。

結局、最終的には全てが老女の妄想だったというオチ&タイムパラドックスになってしまったんですけど、これは当時の乾くるみの「イニシエーションラブ」の影響ですねー。あの読者を仰天させる仕掛けを入れてみたいと思ったのですよ。
自分の悪いクセです。

読者に寄り添うって難しい技術ですよね。素人はどうしても独りよがりのところが出てしまいがちなのですが、それを客観的に見ることができない。だから「ごはん」のような場所が助かるんですよね。

2017-09-03 15:45

180.14.162.93

真奈美

地獄極楽丸様

お寄りいただきましてありがとうございました。
私、かなりまともな人じゃありませんよ。
自分が読みにくいなーと思う作品は無理に読む必要はないと思いますよ。私もそうですし。

でも「まじめ」って、つまんないですよ。私は創作活動については弾けてるタイプの人の方が好きです。
後でお邪魔しますねー。

2017-09-03 15:50

180.14.162.93

真奈美

アフリカ様

こんにちは。わざわざお出で下さいましてありがとうございました。
でしょさん祭りではお互いに楽しみましょー。(別に勝った負けたと騒ぐような主旨ではありませんし)

読み手を飽きさせず、最後まで引っ張るというのは至難の業です。私もつい書き込みが多くなるタイプなので、感想では必ず「冗長」というワードが返ってきていたものです。

>僕もお祭り用に書き始めてるのですが、枚数の事を考えながらやりたいことをやるってやっぱり難しくて……
→ これって人によってもやり方が違うのかもしれませんけど、私の場合は例えば1万字制限があるとしたら、3万字を書きなぐってから切り落とす、圧縮するといった手法にしてます。推敲も苦手なので「好きなことを好きなだけ書いて編集すればいいや」という大雑把なO型ふたご座です(笑)

お互い頑張りましょうねー。私は参加作は三角関係のハナシでいきます。よろしくー。

2017-09-03 16:03

180.14.162.93

九月が永遠に続けば

脳味噌干涸びて回復していないので・・読めていません。
(冒頭ちょっと見て、あとは文末までスクロール。。って、長めの原稿だと、まあそうなる事が多くて、ものぐさでごめん…)


スクロールしてみて、目が受け付けなかった(=これはダメだろ〜う、とゆゆしく映って、脳が拒否した)のは、終盤のこのへん ↓


>「ごきげんよう、森泉さん」
> 鏡の中の相手も答え返す。
>「ごきげんよう、勅使河原悠子さん。でも今の私はもう森泉姓ではなくてよ」
>「そうだった。貴女は、勅使河原……悠子に戻ったのですものね」
>「どうして。なぜ今また貴女は、私に向き合おうとするの?」
>「貴女の、いえ、私の背負ってきたものを降ろすときが来たからなの」
>「私は業を背負って生き続ける。貴女は私に何を言いたいの」
>「この三十年間、苦しみ続けてきたこと。でもそれは誤解だったと言うこと。彼の言葉を聞いたわよね?」
>「何を言っているの。彼を死に追い込んだのは、間違いなく、この私」
>「もう自分のことを憎むことはないとわかったでしょう?」
>「お笑いだわ。自分の罪を勝手な妄想の中で打ち消すことができるとでも思っているの?」
>「彼の残した言葉に間違いはない。もうやめましょう」
>「そんなことは何の気休めにもならない。私が彼の前に現われさえしなければ、彼は死ぬ事はなかった。それが真実」
>「貴女だって、彼と同じように自分を誤魔化していた。彼の心の孤独を測る余裕がなかった」
>「その通り。でも私は彼を愛していた。仕事とか出世とか栄誉とか、本当はそんなものどうでも良かった。ただ彼と一緒になりたかった。でも私は素直に気持ちをぶつけることなく、姑息な手を使って彼を自分のものにしようとした……」
>「ちがう。彼は貴女のことを本当は理解していた。ただ二人ともお互いの心を念入りに調べようともせず、先を急ぎすぎてしまっただけ」
>「誰にも言えない。誰にも見せられない。定年を過ぎても平然と、何もなかったかのように過ごした人間が赦されると思って?」
>「彼の発した最後の言葉を信じてあげて……。貴女はここで三十年間、彼を守り通してきたじゃないの」
>「自分に都合の良い妄言を仕立て上げて、さらに糊塗しようとするのは、やめて」
>「違う。間違いなく、彼は貴女を愛していたし、追い詰められたとも思っていない」
>「もういい。誰もそのことを証明することなんか出来ない」
>「いいえ、彼はささやきかけてくれた。今でも貴女を見守りながら、愛していると語りかけてくれている」
>「見守っている人なんて、もうどこにもいやしない。私は、私自身を憎み続ける」
>「それならそれで構わない。でも、もう期限はすぐそこまでに迫っているわ」
>「私は……。死ぬまで私を憎み、呪い続ける」
>「私は……。彼の言葉を……、彼の愛情を信じる……」
>「呪わなくてもいい……、憎しみを持つ必要もなくなったのだから……」
 悠子の視界から全ての像が消えた。心の中で、惣太郎の言葉と過去の自分の気持ちがすっと一本の線で繋がった。なにか、柔らかくて大きな手の中に抱かれているような心地になり、次第に身体から痛みが抜けて楽になっていくような気がした。


↑ 中身読んでないんで、、、実際の会話なのか、幻想の人との会話なのか、自問自答なのか、判然としない(分かってない)んだけど、

ただただ“鉤括弧台詞が連続”で、地の文で“受ける文章”(って言うのか?)一切ナシってのは、
アリエナイと思うんですよ。

「完全手抜き」に見えて、、、&そうとしか見えないし、この「芸のない台詞羅列」が目に入ってしまった時点で、「全体の印象がだだ下がって、“地の文書けない人”に見える」んで、
はっきり【損】です。

2017-09-04 02:29

219.100.86.89

真奈美

九月が永遠に続け様

ほーい☆

精進しまーすぅ\(^o^)/

2017-09-04 07:16

180.14.162.93

九月が永遠に続けば

↑ 「文筆」について語ってる時に、

顔文字書いてるような人は、

絶対最終選考まで行けませんね。

それだけは分かる。

2017-09-04 14:51

219.100.86.89

真奈美

九月が永遠に続けば様

うーん('ω')ノ

私ここで昔から言ってるんですけど、公募投稿したこと一度もないんですよねー。

身の程を知ってますので。獲れるわけがないもの、成れるわけがないものに大切な人生のエネルギー費やしたくないもので。そんな時間があれば、もっとお金儲けしたいし、楽しいことに投資したいですよねー(#^.^#)
私の座右の銘は「見切り千両」。創作活動は同人誌レベルで十分でございます。おっ気楽に~( *´艸`)

2017-09-04 19:58

180.14.162.93

加茂ミイル

>「彼女と一緒に暮らす。こんな夢のようなことが現実になる。家族からも社会からも孤立していた、こんな何の役にもたたない人間が、愛する人と寝食を共にできる。頭の中は溢れんばかりの喜びで満たされました。……そう感じた時に」
> ティーカップが彼の手から離れて、テーブルの上に音をたてて落ちた。
>「僕は、絵を描くことができなくなってしまったのです」

という文章に感銘を受けました。

文章はとても丁寧で、表現力のレベルの高さを感じました。

ストーリーもしっかり書き込まれていたと思います。

私個人の好みを申せば、もっと人間の汚い部分や醜い部分を出すといっそう深みが増して面白くなるのではないかなと思いました。

真奈美様の文章は非常に綺麗なのですがその綺麗な文体で内容的にえぐいものを描いたら素敵な作品が生まれるような気がするんです。

2017-09-04 21:33

60.34.120.167

加茂ミイル

綺麗な文章という誉め言葉が、真奈美様には表面的なものに思えてしまったかもしれません。
でも、その綺麗な文章を武器に、これから真奈美様の可能性はどこまでも広がっていくと思うんです。
技術は確かなものがあると思うんです。
私はそれを伝えたかっただけなんです。

2017-09-04 23:40

60.34.120.167

真奈美

加茂ミイル様

返信おそくなりまして申し訳ありませんでした。
色々と、とっちらかっておりまして(笑)

綺麗な文章と感じていただけたのなら、それは身に余る光栄でございます。
ただ作者本人はまるで納得していないことばかりなので、さらに精進するよう頑張ります。
どうもありがとうございました。

2017-09-07 23:34

180.14.162.93

加茂ミイル

文章が綺麗だというのは、もっと言い方を変えれば、字面が美しいと言いたかったのかもしれません。
私、速読というわけではないのですが、ぱっと見て全体でだいたいの意味を読み取る癖があるんです。
忙しい時など。
その速読が、真奈美さんの文章は非常に整っていて速読しやすい。
いや、これもまた表面をなぞっているだけという風に取られるかもしれないのですが、
たぶん、真奈美さんはそういう風に文章を整えることに気を遣っていると思うので、
私の言っていることを分かってくれると思うんです。

2017-09-08 17:50

60.34.120.167

日乃万里永

 拝読させていただきました。

 御作を読ませていただいて、「思い出のマーニー」を思い出しました。それから「ハウルの動く城」、老女の恋物語です。

 どうにも、老女の恋って今一つトキメキがなくなってしまいますね。私も四十代の恋物語を書いたことがありますが、それほど関心を持たれず、今頃では泥沼不倫でもなければ引っ張れないなと思いました。

 御作は後半に種明かしがありますが、途中にそれとわかる描写があまり見られず、勿体ないなと思いました。
「あれ? それどういうこと?」というワードが各所に散りばめられてあったら、謎解きを追うように読み進められたかと思いますが……。
 でもこれは、軽いものしか読まないし書かない私の勝手な意見ですので、スルーしてください。

 真奈美様が天ヶ瀬様でしたら、以前、アパートに怪奇現象が起こり、それは残留思念の仕業だったというのを書かれたかたでしょうか?
 違っていたらすみません。
 あの作品は、今でもすごく心に残っています。

 月末は、真奈美様の作品、楽しみにしております。
 読ませていただきまして、ありがとうございました。 

 
  
 
 

 
 

2017-09-12 13:22

106.160.80.219

真奈美

日乃万里永様

わざわざこんな処までお出で下さいまして感謝感謝でございます。
これも5年前の作をちょい書き直しした程度なのでお恥ずかしい限りです。
「思い出のマーニー」!私、あれは3回観ましたよ!米林監督は「アリエッティ」の頃から好きで、ハヤオ先生とはまた違った世界観が良いのです。「メアリ」はイマイチでしたが…。

老女の恋って確かにアイキャッチ性は低いですよね。でも男女関係なく、人間は死ぬまで恋をすると思うけどなあ。ただあまり大っぴらにはしたくなくなるから採りあげる人が少ないのかも。まだ、ン十年経ってみないとわかりませんが(笑)

>御作は後半に種明かしがありますが、途中にそれとわかる描写があまり見られず、勿体ないなと思いました。
これ、前回も掲載した時にあらゆる人から言われました。「あれあれあれ?」と思わせるけども何がどこからリンクしてるとかが曖昧なので。アイディア倒れの失敗作だったと思います。この手の文体は書いたことがないので練習にはなりました(かな?)


>真奈美様が天ヶ瀬様でしたら、以前、アパートに怪奇現象が起こり、それは残留思念の仕業だったというのを書かれたかたでしょうか?
書きましたー。「いる」というタイトルで。よく覚えていてくれましたねー。めちゃ嬉しいっす!


本当にご丁寧にありがとうございました。でしょさん企画も楽しみですね。お互い頑張りましょー。

2017-09-15 06:49

180.14.162.93

水野

拝読しました。

プロット上の仕掛けに関しては上手く嵌っています。「悠子」と作中で呼ばれる人物と、「森泉」と呼ばれる人物との、年齢の開き、立場の違い、そういったものが、堂本という人物を中心として際立たせられ、悠子の森泉に対する憎しみの念が「悠子には分かっていた。彼を追い詰めているのは、あの女なのだと。」という文章によって指示されていることも相まって、完全に二人が切り離された存在だという錯覚に陥ります。おそらく風景にも微妙な差異があったり、三十年という時間の開きによる歴史的事実に関する違いもあるのだろうとは思いますが、そこまでは読めませんで、それにその辺も、この作者さんであればしっかり考えてあるのだろうなということが、読んでいて信頼できますので、悪しからず……。

ただ、「彼のこの根城にも悠子は幾度となく無遠慮に訪れるようになっていた。」という文章や、「それでも惣太郎のみならず、悠子にとっても、ここはとても居心地の良い空間のひとつとなっていた。」の文章、また「そんな彼の横顔を、悠子は何も言わず、ただ見つめていることが好きだった。」の文章に関しては、かなり危うい感じがあります。電話があった後の堂本の仕草で、彼が一人でいるということは明らかです。しかし、上の三つの文章と照らし合わせてみると、悠子がその場にいるのかいないのかはっきりしないところがあります。その文章の指示している意味内容の根拠が、完全に結末ありきなんですね。つまり、ここでこうした文章が提示され、あたかも悠子がそこにいるかのような雰囲気を漂わせているが、彼女がその場にいるという事実は書いていないでしょという「屁理屈」に帰着してしまうような気がします。理論上、この屁理屈は間違ってはいないのですが、しかし読者の心情としては、納得のいかないところがある。この部分に関しては不満が残りました。(既に指摘があったのであれば重複になってしまいますが)

また、あまりにプロットを成功させたいがために、文章上に妙な緊張感が漂っています(この点は多くの方が感じられたことだと思います)。結末に関しては、プロット上成功しているというだけの話であって、読者がそれを読む際の心地良さとか、そういうものに関してはほとんど省みられていないのではないかという印象です。小説の中には確かにこのような理論詰めのものもあり、特にミステリー小説なんか、私はあまり読まないのですが、そういう部分が重視されるのだろうとは思いますが、文学調を意識なさったとのことなので、一つ付言させていただきますと、たとえプロット上の瑕疵があったとしても、それでも読書中、何の違和感もなく読めるというのは、それだけでもう成功なんですね。ここの部分は矛盾してるじゃないかとかそういった指摘は、読んだ後に言える話であって、読んでいる最中の心持ちを重視した場合、そういう指摘は関係なくなります。そういう理屈が許されるというのが、懐の深い文学の良いところなのではないかと思います。その点で、当作品は失敗と言えます。殊自分自身に関して、当作品を読んでいる間に感じていたことを思い返してみる限り、読書中の快楽はあまりなく、結末に達した時点で、作品全体がその結末だけのために書かれたのだということが判明してしまうために、かろうじて残っていた快楽までもが否定された、という感覚です。

ただ、その「かろうじて残っていた快楽」について話をしますと、たとえば「いえ、彼は少しの創作の旅に出ているのに間違いはないのです。」という森泉の台詞、これにはちょっと、読書の快楽とでも言うべきものがありました。ここに作者さんの人柄が出てしまっているという印象を受けます。当作品では草稿の段階から、悲劇的色調にしようということで、全体がそういう雰囲気に彩られてはおりますが、もしも上記の台詞に染まった愉快なものが読めたとするならば、それはそれで面白いでしょうし、むしろそちらの方が、作者さんの本当に書きたいものなのではないか……などと深読みしてしまいます。

※念のため。私が「プロット」と申すのは、「企画書」とか「狙い」とかいう意味で、作者さんが本作を書く前にプロットを立てたかどうかという事実に関して、この言葉を用いているわけではありません。たとえプロットが実際に作られていない状態で書かれ始め、その結末に至ったのだとしても、その結末に沿って、後から全体を整えていく、その過程にはやはり、プロットの存在が、それが実際上のものか観念上のものかに関わりなく、不可欠なのではないかと考えます。その意味では、全ての作品にプロットが存在するということでもありますが、これと「小説」との違いがどこにあるのかといえば、やはり読んでいる際の感覚がどれほど大切にされているかが、一つの指標になってくるのだと思います。「プロット」は小説外の出来事です。

では、失礼します。

2017-09-16 10:57

223.219.1.176

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