作家でごはん!鍛練場

『破壊心』

松下周平著

三島由紀夫の作品にインスピレーションを受けて書きました。現在高校2年生なので経験は浅いのですが、それなりに自分の思想を織り込んだ作品です。

   序

私はまだ死んだことがない。死のうとしたことはある。その殆どは試みに死んでみようといった好奇心からであった。しかし現在私がここに存命しているのは事実であり、それは今までに死への好奇心と欲望に理性が働いた証拠であった。
 生は死を聯想する。束の間に死は私の中に入り込み、水に落としたインクの如く脳内で拡散し始める。決して濁る筈のなかった記憶迄もが死と混ざり、私を欺き始める。生の死への盲目が生をして死の聯想を加速させ、生は自らも濁った。斯様な死による力の顕示を私は数え切れない程見てきた。
 この生が死に抗し難い状況に身を委ねればよいものを、生の奥底に潜んでいた理性はそうさせなかった。理性が現れると即ち死は浄化され、生は元の透明さを取り戻した。
 確かに理性は生の最強の存在で生存の第一の貢献者のように思われたが、私は理性を思うが儘に呼び覚ますことが出来なかった。


   一

 私はこの町で育ち、現に今もこの町に住んでいる。田舎町ではあったが、道路は普通に整備されていたし、スーパーもコンビニも家から程よい所にあり、私にとっては別段暮らしにくくはなかった。どちらかと言えば、人通りが少なく、街路樹が整然と立つこの町は私にとっての理想の町であった。
 私の周りにいる人はよくこの町を田舎呼ばわりし何かに付けて私を田舎者だと言ったが、別段私の気に障ることも無く、ただ微笑するだけであった。
 春のこの町は縁石で隔てられた歩道の所々に蒲公英や大犬の陰嚢が咲き、誠に愛ずらしかった。都会にはない自然の美がごく当たり前に根差していた。
 こんな町を歩く時に、ただ一つ目障りだったのが犬の糞であった。私が歩道の糞を警戒するが故に下を見て歩くようになり、お陰でそこに咲く花々の美しさに気付くようになったのも事実だが、歩道に咲く花々と歩道に側臥する糞が同じフレームに収まった時、私は怒りを覚えた。
 しかし今から思うと私はあの光景に出会うのを待ち望んでいたのかもしれない。下を向いて歩いていたのも糞を避けるためではなく、あの生を破壊する世界の一面を垣間見るためだったのではないか。あの怒りは欲望を抑える理性が覚えたもので、それに抗した欲望が覚えたものであった。故に先行したのは欲望であった。


   二

小学三年生の私はある日寝起きざまにこんなことを考えた。
 私は一本の道路の上に立っていた。そこは土手べりで、左手には川が、右手には林立するビルが、遠く前方には川に架かる橋が確認できた。道の左右は雑草が傾斜に沿って生えていた。辺りは雲が暗く立ち込め、人の声も車の音もしない。此処は何処かと辺りを見回していた私の目に両親の姿が映じた。其の後ろには一台の灰色の車が空と同化して在った。両親は私を悲しそうな目で見ていた。何も口にしない。私は不安に駆られて両親のもとに駆け寄った。両親は私に追い着かれまいと何も言わず車に乗り、即ち私を置いて走り去ってしまった。
 私は目を開けた。危うく涙が出そうであった。自分で悲しみを欲しておいて、その悲しみに負けてしまうとは。とかくするうちに、理性が私にあの空想は夢だと言い聞かせ忘れさせようとした。理性は現れると迅速に且つ確実に私から悲しみを隔離させた。縁起でもない妄想は止めろとでも言わんばかりに。理性は論理を伴わず、無理やり私を引っぱたく。
 理性は虚栄心を張っているように思えた。感動の涙を否定し、感動することを嫌う子供のようであった。


   三

 私は地元の中学校に入学した。顔立ちと体格にはまだ小学生を感じさせるものの、内面は今の私に徐々に近付いた。今も持つ取捨選択の考えを築いたのはこの頃である。私は捨を重んじ、捨を愛した。
 この性格が顕著に現れたのは学業に於いてであった。私の学業の原動力は捨であった。あらゆる教材を頭に叩き込み、最終的に教材本体を捨てることを目的とした。
 また、私がノートを取ることを厭うのもこの捨に因った。私が小学生の頃はどの授業もノートを取り、クラスメートとその美しさを競った。一度取ったノートを翌月に読み返して、その微妙なバランスを修正する程の完璧主義であった。しかしいくら書き直しても、その翌月にはまた書き直すのであった。つまりはノート事態が駄目だったのだ。あの何本も引かれた線が字をあるべき場所に置かせなかった。このことは私をして無を好ませ、自由帳を通り越してノートを取らないという手段を取らせた。

 私は生来好奇心を持っていた。刃物を見ると、無性に体を指してみたくなる。血が止めどなく出るという手首を切ったら実際どの程度の血が流れ、痛みを発するか、試したくなる。こんな事を考えながら渋面を作る私は側から見ると阿呆である。しかし人間が持つ恐怖心は各が斯様な想像をすることから生まれるのである。

この頃には既に自分を殺す妄想を多々していた。
 現実世界の私があることを達成できなかった場合に、私は殺されるといった妄想であった。殺され方は実に非現実的であった。近未来的な武器や、突然の心肺停止が私を襲った。ホラー小説やホラー映画の影響かとも思えた。
 この妄想は毎回理性に中断させられた。理性は縁起でもないことが本当に起こることを惧れ、妄想の最後には必ず私の超科学的な生還を思い浮かべさせた。
 また私は他人の期待を裏切る妄想もした。
懇意の友人たちとの楽しいパーティ中などは、今私がこの楽しい状況を潰したらどうなるだろうと思った。果たしてここにいる友達と絶交になるかもしれぬ。ここでもやはり理性が好奇心を制し想像した悲劇が幕を開けることはなかった。
孰れの妄想にせよ私が求めたのは悲劇的な妄想で、それに毎回付随する理性であった。というよりは、いつか来ると思われた理性の機能停止を欲した。つまり私は幾度となく賭けをしていた。賭けでは毎回理性が働き、その度に安心した。私はこの安心が崩れ去る日を待ち望んでいた。

私が自涜を知ったのもこの頃であった。小学生の私には性欲が無かった訳ではない。ただ自涜を知らなかったのだ。小学生の頃は女性の裸体を想像することしか出来なかった。何度こんな妄想をしても、妄想は記憶を基に生まれる他なく、私は記憶の先にあるものを見出すことが出来なかった。無知から自涜や媾合の存在に気づくことは出来なかった。理性を取り戻したときに毎回残るのは、この欲望を捨てたいというやりきれない思いだった。
 自涜はこの点まさしく快感であった。自涜後には私に無が訪れるのである。
 私は雨の降る夕方に多く性欲に駆られた。自室に微かに響く雨音や言い知れぬ温度と湿度が私を魅した。


   四

 私の中学校生活の終わりに待ち構えていたのは高校受験であった。中学三年の秋になり漸く現実味を帯びてきた。勉強は嫌いではなかったが受験のことを考えると気が滅入った。休み時間も放課後も機械的に問題を解いた。私は名門校に行くことで得る名声のみを欲していた。
 毎日過去問に取り組む日々は苦痛であった。なにより私はテストが嫌いであった。別に学校のテストで悪い点を取ったことは無かった。私がテストを嫌う理由はその結果の大半の正解にあった。正解から得れるものは何もない。私は正解を見る度に徒労を感じた。テスト及びその所要時間の九割は水の泡に帰した。
 受験前のある日、私は突然死にたくなった。そこに好奇心は無かった。私は勉強を止めてベッドの上に仰向けに寝転び、天井を見つめていた。季節は冬であったが、其の日は日中暖かく、自室はストーブを付ける程ではなかった。雨戸が閉められた自室にうす暗く光る白色発光ダイオード電灯は壁面を白く見せるどころかより一層暗く見せた。
 私は何故勉強しているのか。何故私は名声を欲するのか。結局それらは死ねば無になるのであった。徒労であった。結局人の終着点は死であった。
 私は死のうと思い立ったが、死ぬ方法を考えた時にやはり恐怖が襲った。
 死の恐怖は経験することのない未来の世界の想起が生んだ。私が死んで悲しむ家族、友人のことを想像すると、計画を実行できなかった。そして電灯の明かりを眩しいと感じた頃には理性が私を連れ戻し、私をして死への恐怖を増大させた。
 私には生きる道しか残されていなかった。


   五

 私は名門高に入学した。私は名声にしか興味がなく、その学校が男子校であるということしか知らなかった。
 入学式の朝は大雨であった。駅から学校までは徒歩三十分。母と私は歩きながら濡れていた。
 三十分程歩き漸く校舎の一隅が私の眼に映じた。学校に近づくにつれ、校門を塞ぐ人だかりが確認できてきた。私は人だかりを嫌った。
 親譲りの恐怖症であった。人に囲まれると自分が見られているという気持ちが強まり緊張した。しかし実際周囲の人は誰一人私に目を向けることはなかった。全ては考え過ぎなのであった。
 恐怖症程私をして徒労を思わせるものは無かった。恐怖の全ては自分の思い込みから生まれる。
 私は身の回りのあらゆるものに恐怖を感じた。家のソファに腰をかけている時は、何時何か電化製品が壊れて爆発してしまうのかと怯え、台所にいる時は、何時包丁が飛んで来て私に刺さるのかと怯えた。
 外を歩いているときは実に様々なことを想起した。今後ろから向かってくる車が急に歩道を歩く私に突っ込んでくるのではないか。向こうから歩いて来る人がいきなり刃物を出して私を刺して来るのではないか。どれも馬鹿馬鹿しい雑念であった。
 これらの恐怖のシナリオはいくらあがいても媾合に思い着かなかったように、全て記憶からしか生まれなかった。
 その顕著な例が「歩道を歩いていたら突然鉄パイプが凄まじい勢いで飛んで来て、私の頭を粉砕するのではないか」というシナリオであった。これは私の小学生の頃の体験から生まれたものだった。ある晴れた日の午後、母は私を後ろに乗せて運転していた。車が走るのは田舎道であって、人も車もあまり通らなかった。あったのは梨の直売所だけで、道の両脇には梨畑が広大に広がっていた。こんな時間にこんな道を通るのだから、母も私も睡魔に襲われていた。事故が発生するには幸運な条件が揃っていた。
 車は突然大きく鈍いしかしどこか爽快にさせる音を立てた。驚いて目を開けると後ろに弾け飛んで行く一本の鉄パイプが見えた。その後の車の走り方でやっと事態を飲み込んだ。タイヤはパンクしていた。


   六

 くだらぬ入学式が漸く私の束縛を解いた。母はこれから保護者会があり、依然として束縛されていた。私は母と別れてに帰ることにした。特に用事は無かったので、駅までの散歩を楽しむことにした。校舎を出ると外は日が差していた。校門前の楠には日が照り、葉陰にちらちらと光が落ちていた。
 通学路は古びた店の立ち並ぶ細い道を抜けては、コンクリートの建物がずらりと構える大通りへ出、そこからまた細い路地へ入るような複雑な道のりであった。今朝は傘に隠れた街並みも、今はだいぶ活気づいていた。
 四十分程歩くと改札を抜けて駅から出てくる人影が見えてきた。


   七

 駅前の人だかりに宗教勧誘をする五十代の女を確認した。誰も女の事を一瞥もせずに皆通り過ぎていく。くだらない宗教勧誘だと知っていながら私だけは女を凝視していた。誰も女の事を気にも留めないのにもかかわらず女は絶えず同じ言葉をかけていた。とんだ阿呆だ。自己の救いを求める宗教上、宗教勧誘というのは矛盾である。危うく自身の信仰が怠ってしまうではないか。やはり宗教というものは人々を救う一心では無かった。宗教も結局欲望を持つ、動物であった。信者を増やし、金を巻き上げ、世の中に間違った秩序を植え付けるのが宗教の本当の目的であった。
 私は女を見つめているだけで徒労を感じた。すると突然私はこの女をして徒労というのをわからしめたいという衝動に駆られた。私は女に近寄った。近づくにつれ、もう若返りようのない顔に厚化粧を施した女の顔がはっきり見えてくると、本当に救われるのかと疑問に思った。私に気付いた女は一冊の本を手渡した。
「「晴心教」・・・・・・ですか」
「ご存知ですか」
「はい。前から興味を持ってまして」
「ありがとうございます。もしよろしければこの後場所を変えて晴心教のお話でもどうですか」
「聞かせてもらいます」
「ありがとうございます。では教会の方へ向かいましょう。ここからすぐ近くです」
女と私は学校の方へ少し戻り、先程通った時に気付かなかった細い路地へ曲がって行った。
二度曲がった突き当りの角に教会はあった。二階建てで表はガラス張りだった。そこに「晴心教」と書かれていた。奥の様子は壁に隔たれて見えなかった。駅前と比べ物にならない殺伐とした場所で、周囲はビルの脊に囲まれて暗かった。こんな陰にあって何が晴れだ。
私は女に促されて中へ入った。壁の奥へ行くとそこは一面真っ白な広い空間であった。そこには小学生に見える子供と、スーツを着た男性、それに大分年輩の老人が礼拝している姿があった。
「ここが礼拝所です」
偶像は何処にも見当たらず、拝む方向も人それぞれであった。
「二階へ」
急でもない階段を上るのに女は息を切らした。
 二階には事務室と面会室があった。女は面会室のドアを開け、私を中へ通した。
「どうぞおかけください」
私より女が座るのが先決のように思われた。椅子は机を隔てて四客程あり、私は手前の左の椅子に座った。
「なにか飲み物を持ってきますね」
「いや結構です。禁欲主義なんで」
「ジュースまで禁欲するなんて、偉いですね。貴方にはすぐにでも救いが訪れることでしょう」
この女は勘違いをしている。遠藤周作が著書「白い人」で描いたように、禁欲主義はかえって激しい欲望を生み出すが故に本末転倒なのである。その欲望は禁欲主義者の中に姿を隠し決して人々に見られることはない。それはある時人々を裏切る形で爆発する。
そもそも動物は欲望のままに生きるものである。それでも生態系は維持される。生態系は柔軟な存在であった。故にこの均衡を崩すのは人間のみが持つ理性であった。
女は席に着いた。
「私は晴心教教祖の田所康子です。貴方の御名前は」
私は松島太輔と偽名を使った。
「ではさっそく晴心教とはどんなものかの説明をさせていただきたいと思います。まず、晴心教の理念からお話しします。晴心教は人間が持つ全ての恐怖を晴らして下さる素晴らしい教えです。毎日下買いの階の礼拝堂で礼拝をすれば必ずや救われます。松島さんは今何か恐怖をお持ちですか」
私は死の恐怖と答えた。宗教が払拭すべきありきたりで最大の恐怖であった。
「人間誰もが持つ恐怖ですね。大丈夫です。晴心教を信じる心さえあれば、貴方の持つ死の恐怖も消えます」
私は馬鹿馬鹿しいと思ったが、本当ですかと一様興味があるように相槌を打った。
 晴心教の教えの詳しい内容説明が始まった。
 全て説明し終わるのに二十分程要した。予想通り、晴心教の内容はひどかった。聞いた限り晴心教の特徴はその名の通り晴天を拝することにあった。
「晴天は幸福を呼ぶもので、神は幸不幸を天気に宿し、その均衡を御量りになりました」
女はここに最大の矛盾が存することに気付いてない。私は雨を愛し、雨で幸福を感じるのであった。
「しかし雨の日だからと言って絶望する必要はありません。晴を望む心さへあれば雨の日でも救いは訪れます。ここで礼拝することによってそれを天に証明しさえすればよいのです」
 その他諸々の説明は、既存の名の知れた宗教を混合にしたものばかりだった。それはただ異なる宗教を一つにし、対立を無くそうとする無駄な努力から生まれたものであった。宗教ほどに非論理的なもの同士を合わせたところで、大きさの割に共通部分の極端に少ない全体集合が生まれ、より一層綻びが生まれるだけである。
 私は明日も来ると言ってその場を後にした。私はあの女の目に軽蔑を覚えていたが、どことなく羨望もしていた。
 宗教的なイデオロギーが人を生かせていた時代は良かった。しかし私が生まれたのは無心教徒が巣食う日本で、現に私も無心教徒であった。故に私は幾分自由を得ているが、どの岐路を辿っても死に着く運命、機械的に勉強し機械的に生きることしかできなかった。人々から思考を奪う点、宗教は救いかもしれなかった。


   八

 気付けば夏であった。
高校生になってから通学に使うということもあって電車に乗る機会が多くなった。始めは人で埋め尽くされる電車を嫌ったが、今ではもう慣れた。車内の大半の人はスマホをいじっていた。私はというと大概読み物に耽っていた。私は車内で私の理解できない書籍を読んでいる人を見たことがなかった。私は電車に乗る度に自分の頭の良さを衒い、優越感を感じ、周囲の人を軽侮した。しかしあんまりこんなことを考えるものだから、時に自分がやっていることに集中できなくなることがあった。この自尊心や優越感といった類は徒労であった。

私は毎日欠かさず放課後は教会に行っていた。月に教会に払う数万と数十時間が水の泡になる労役である。私はその頭脳と見せかけの熱心さ、誠実さから、あの女に寵愛されていた。しかしそろそろあの女を裏切ってもいい頃だった。しかしこの計画は実行したところで結局あの女は私のテリトリーではないが故、この計画が私にとって無駄だということは元より知っていたが、自尊心と軽蔑の念がこれを止めさせなかった。

 この日田所は特に熱心に礼拝していた。どこか怒りくるっているように見えた。私は気になって事情を聴くことにした。
 田所は気の置けない唯一の存在である私に、一枚の手紙を見せてきた。そこには何やら脅迫めいた文章が書かれていた。内容は金の請求であった。
「誰ですか送り主は」
「鈴原絵美里っていう女の子よ。貴方と同じくらいの年の。あの子は貴方がここへ来る何か月か前まで、ここに放課後毎日来て熱心に礼拝していたわ。だけど突然何も言わずに来なくなっちゃったの。突然ね。それから一週間したある日から、彼女からこの手紙が度々来るようになったの。だけどどうしてもあの子を咎める気にはなれなくて」
「一度私が会ってみましょうか、鈴原さんに。丁度同じ年頃ですし、直接関係の無い私から伺う方が話しやすいかもしれませんし」


   九

 もしかして私と同じ事を考えているのかも知れないと思い私は鈴原の家を訪ねることにした。家は教会から二駅程自宅の方面へ向かった駅の近くにあった。鈴原の家はいたって普通の新築であったが、駐車場は無くその分庭が広かった。しかし庭には雑草が垣根からはみ出んばかりに生い茂っていた。
 インターフォンを押すと中から大人びた声が返ってきて、その声の主がすぐに表に出てきた。鈴原は高校生には見えない大人びた清楚な顔立ちをしていた。無地の黒のシャツに黒のズボンの風変わりな私服。よく見ると顔と服は絵の具で少し汚れていた。
「どなた」
先ほど聞いたのと同じ大人びた声に私は少しかしこまって、自身の名と訪れた理由を話した。すると女はすんなりと家へ通した。
 家の中の至る所には様々な絵が無残に立てかけられていた。
「画家目指しているんですか」
「まあね。でも職業としてじゃなくて、単純に絵が好きっていうか」
私はリビングに案内され、そこにあるソファに座らされた。
「親は今居ないんですか」
「家族は私が生まれる前にみんな死んじゃった」
「すいません。こんな質問してしまって」
「いいのよ。死ねたんだから、救われたも同然よ。なんで貴方はあんな宗教に入ってる訳」
私は見透かされていた。
「なんでそんなことを」
「目を見たらわかるわ。貴方も宗教を軽蔑してることくらい」
鈴原のこの言葉は高校生になって始めて私を喜ばせた。
「ちょっとこっちに来て」
鈴原は階段を登りある一室の扉を開けた。部屋の中は無数の風景画が壁にかけられ、日本画だったり洋画だったり水彩画だったり油絵だったりと、実に様々な画が見られた。しかしどれを取っても美しく彼女に描けないものはないと思えた。
「私は自分の画風というものを持たないの。画風を確立してしまったら、画家の修行は終わりだわ。何にとってもそうよ、諸行無常、行く河の流れは絶えずしてしかももとの水にあらずよ。人間だってこうしているうちにも変わってる。その変化を止めたら生きてゆけないのよ」
私は関心深くはあと言った。壁に掛けられた絵を一枚一枚見見廻していると、見たことのある建物を見つけた。私には一見その建物が教会には見えなかった。
(雨だ。教会に降る雨が美を生んでいる)
雨は教会にもその周りのビルにも等しく降り、それらの色は曇り空の如く暗く濃く濁って混ざったように見え、建物の境界線は時と共に消えていくように感じた。
「皮肉ですね」
「そうね」
「・・・・・・」


   芸術作品の感動がわれわれにあのように強く生を意識させるのは、それが死の感動だからではあるまいか。――
  ――精神の不在によって精神を証明し、思想の不在によって思想を証明し、生の不在によって生を証明する。それこそは芸術作品の逆説的な使命である。ひいては美の使命であり性格である。
  完璧さが彼の痼疾のなったのである。それは無傷の病気である。幹部の皆無な病気で
ある。病菌も熱も昂進する脈拍も頭痛も痙攣もない病気である。死ともっともよく似た病気である。
彼はこの病気を治すものが死のほかにないことを知っていた。
                        三島由紀夫「禁色」

破壊心 ©松下周平

執筆の狙い

三島由紀夫の作品にインスピレーションを受けて書きました。現在高校2年生なので経験は浅いのですが、それなりに自分の思想を織り込んだ作品です。

松下周平

219.111.167.226

感想と意見

虎徹

読ませて頂きました。

序盤主人公の思想がストレートに描かれていて、死への好奇心も欲望も無い私は途中で放り出しそうになりました……

私の個人的な感想と致しましては、最後が中途半端、えっ?終わり??って感じでした。

これだけの前置きでどんな裏切りをするのかと思いきや……全然回収されていないし、同じような事を考えているかもしれない鈴原も、せいぜいお金を請求しているだけ。

>月に教会に払う数万と数十時間が水の泡になる労役である。
高校生が月数万払って教会に??
鈴原に関しても「作られたキャラクター感」があって、素直に作品に入り込めませんでした。

>三島由紀夫の作品にインスピレーションを受けて書きました
との事ですが、作者の思想が強いと読み手を選んでしまう気がします。
私は三島由紀夫さんの作品は少ししか呼んでないですが、私小説ではないにしろ作者自身を主人公に投影させている物が多いですよね。
素晴らしい作家だと思いますが、好き嫌いが極端に分かれる作家さんだと思います。

こう言った作品はストーリーとか人物とかあまり気にしなくていいのかもしれないし、私は良く解りませんが、文章、表現とても上手だと思います。
私はこんな上手に書けません。

個人的な主観でしたが今後も頑張って下さい。

2017-09-03 04:51

223.25.160.55

松下周平

虎徹様

読んでいただきありがとうございました。

虎徹様の感想を読んで、自分の思想を直接に簡潔に書きすぎたかなと思いました。もう少し後半を物語り仕立てにできるように工夫したいと思います。

また、新興宗教やカルト宗教に関して無知に近いので、リアリティを追求できなかったと思います。

2017-09-04 00:05

183.74.206.252

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