作家でごはん!鍛練場

『そのとき、僕は確かに魔法少女だったのです。』

おけら蟲著

お読みいただきありがとうございます。ご意見ご感想お待ちしております。
・なぜこの小説を書いたのか: 体験談を伝えたかった
・表現したいものは何か: 魔法少女を、非日常的なもの、小さな少女であっても与えられるのではなく与える側の存在であることの象徴として捉え、その限りで現実の我々はアニメの中の魔法少女と同様の精神体験をすることができるはずだということ
・執筆上どのような挑戦があるのか: 回想本編を現在に生きる二人の紳士の会話でサンドイッチして、話に奥行きを作った。

作中引用作品
「魔法少女リリカルなのは」:2004年に放送されたテレビアニメ作品。人気を博し、現在までシリーズ化メディアミックス化されている。
「ストライクウィッチーズ」:2008年に放送されたテレビアニメに代表されるメディアミックス作品。宮藤芳佳はその主人公。人気を博し、現在までシリーズ化されている。

 年甲斐もなく魔法少女のアニメーション映画を鑑賞した休日のこと、上映が終わり隣席に目をやると、私と同い年くらいの中年の紳士がボロボロと涙を流して嗚咽を漏らしていた。
「ひどく泣いていますね。大丈夫ですか?良い映画でしたね。魔法少女の物語は僕たちの心を打ちます」
映画を見て気分が高揚していた私は紳士に小さく声をかけた。
「お気遣いありがとうございます。ええ、ええ大丈夫ですとも。まったくどうして魔法少女の生き様に僕たちはこんなにも憧れてしまうんしょうね」
「それは非現実・非日常だからでしょう。僕たちは体験したことがないものに憧れを抱かずにはいられません」
「体験……か……」
紳士はふと天井を仰ぐと、何かを考えるようだった。彼の顔は年相応の苦労を重ねているようにも見えたが、それと同じくらいどこか幼い少年のような印象をも与えた。
「たしかに、現実はアニメとは違う。非情で、非物語的で、非エンターテインメントです。しかし……」
彼は私の方に向き直ると小さく笑った。
「なんだかあなたとは気が合いそうです。もし時間がよろしければ、お気遣いのお礼にカフェでお茶とケーキでもご馳走させてください。そして少し僕の昔話を聴いてもらえたらありがたい」

*****
 大通りに面した小さな写真屋の戸を引いて外に出ると、春の日差しの下を強めに吹く風が心地良かった。撮影してもらった就職活動用の証明写真を風に飛ばされないように注意して鞄にしまうと、僕は駅に向かって歩きだした。大通りをまっすぐ北に行けばJRの路線と交差するので、道に迷うことはない。着慣れないスーツで風をきり履き慣れない革靴でアスファルトを踏みながら、僕はぼんやりと辺りを見回した。左には事務所や学習塾などの入った雑居ビルが、車道を隔てた右側にはコンビニや個人営業の医院が見受けられた。歩行者の姿は少なく、自動車はリズムよく車道を行き交っていた。まったく平凡な、地方都市の中心部から二駅ほど離れた郊外に似つかわしい風景だった。それは初めて見る街並みであるものの、初めてらしい感動をおぼえることは無かった。人は誰しも大人になるにつれ世界が色褪せていくことを、二十一歳の僕は既によく感じていた。人は長く生きるうちに多くの体験をするものだが、それと同時により多角的な考え方を持つようにもなる。それはまさしく知性といえるものだが、思考と経験が重層化するほどにどんな具体物・具体事象を認識しても思考の中で一般化し経験になぞらえて感じることが身に染み付いてしまうものだ。その結果として、僕は早々にタウンウォッチングに興味をなくしてしまうのだった。あの事務所の中にはきっと幾つかの机が配置されていて、机上にはパソコンや電話や書類やその他の雑多な事務用品が乗っていて、何人かの大人が書類を作成したり電話対応をしたり、小休憩をとって取り留めのない世間話をしたりしているだろう。隣りの学習塾の中では少年少女達が数学か英語かそれとも他の科目かの問題を解いているだろう。いや、電灯がついていないようなので今は受講時間外かもしれないが、そんなことは僕にとってどうでもよかった。道路向かいのコンビニも医院も同様、普通の市民が普通の義務を果たし、普通の幸と不幸を享受していることだろう。断っておくと、僕はそれらを見下しているわけではない。むしろ、普通の義務を果たし、他人から信頼され愛される普通の人々を、尊敬せずにはいられない。そのありふれた生活のためにどれだけの辛抱強い努力と立派な精神が必要なのか、僕にはいまだ計り知れないところがあった。僕が言いたいのはただ興味の問題である。尊敬に値する威風堂々とした大衆の生活よりも、たとえ矮小で歪んだ価値であっても何か普通でないものを希求したいとう個人的な興味の志向性である。だからこそ、それはあくまで興味であって、当の僕は大した例外性を持たない大学生で、何となく就職活動を始めて、「就活用の証明写真はきちんと写真屋に撮ってもらうのが当たり前」という友人の言葉に乗せられてわざわざ電車に乗って先の写真屋を訪ねたような、他人に流されやすい自立しそこねた成人であった。
 駅が見えてきた。道路は線路の下をくぐるために暗く凹んで短い地下トンネルとなっている。これを通って少し西に歩けば駅へとたどり着くだろう。トンネル内に踏み入ると車の走行音と革靴のカツっカツっという硬い足音が響き渡り、聴覚から俄かに現実感が遠のく。少しだけ、違う世界に迷い込んだようだ。そしてそのとき、僕は歩道端の側溝に黒い物体を認めた。それは僕にとって普通でないものとの邂逅だった。近づいて覗き込むと、そこには一羽の黒い鳥が横たわっていた。

 しばらくの間、僕はしゃがみこみじっと鳥を観察していた。全身が黒い羽毛で覆われたそれはカラスのようであったが、体長はヒヨドリほどであり、頭の辺にはふわふわとした産毛が残っていた。なんにせよ、雛鳥であると推測できた。そして一目見てそれが弱っていると分かった。側溝に埋没した姿勢は不自然で翼は力なく歪み、目は半開きの状態で、何より人間が近づいても全く反応を示さないのがその証拠だった。春の風に受動的に小さく羽をはためかせながら、鳥は安らかな死を待っていた。僕はそれを、とりわけその目を見つめた。じっと動かないので、もう既に死んでいるのかしらとも思った。そうしていると一度だけパチリと瞬きをした。命の残りかすのような瞬きを見て、もう助からないなと思った。
 僕は鳥を残して立ち上がり、前を向き歩きだした。そして数歩行って立ち止まって振り返り数歩戻って鳥を抱えた。トンネルを出た。僕はみすぼらしく汚れた黒鳥を持って街を歩く異様な男と化していた。願わくは、僕が愛の精神でそれを抱えていたと思わないで欲しい。「可哀そうに」という極めて直情的な気持ちは沸き起こったが、しかし僕に踵を返させ逆戻りさせた感情ではなかった。行きだした歩を止めた時、僕は「魔法少女リリカルなのは」のストーリーを思い出していたのだ。それは主人公高町なのはが負傷したフェレットを助けたことから始まる非日常的な物語を描いた人気アニメーション作品である。僕はただ非日常への憧れという自分の中から溢れてくる欲望に従ったまでだった。あるいは偽善を強く嫌う人は「おまえは“無力に死に行く雛とそれを救済する純真な私”という感動の劇を開演させたかっただけだろう」と言うかもしれない。実際のところそこまで構造的な思考をしたわけではないが、後から思い返した時、その指摘を否定はできないだろう。
 交差点の信号を渡るとき、サラリーマン風の男とすれ違った。彼は訝しげに僕を見たが、そのまま去っていった。改めて鳥の状態を確認すると、翼がよれているのと脚が変に曲がっているのが分かった。羽毛を伝って手に感じる温もりだけがその生命を証明している状態だった。僕は動物病院を目指した。高町なのはがフェレットを医者に見てもらったことを思い出し、それと同じようにしようと思った。スマートフォンの検索だけを頼りに見知らぬ街を小走りで駆けた。それはどこにでもある街ではなかった。ありふれた風景ではなかった。世界は一変して、まだ見ぬ動物病院を覆い隠す巨大迷路となった。検索であがった住所付近までたどり着いたが、見当たらない。じれったい気持ちで辺りを見回すうちに少し行き過ぎたことに気づき、慎重に引き返していくと小さな動物病院があった。目的地を探し当てて舞い上がった僕は臆することなく入口に歩み寄ったが、扉に書かれた診療時間を見て落胆した。その日は平日であったにも関わらず、現時刻は診療時間外であった。検索で見つかる別の動物病院はここから徒歩では遠い。現実が非情な牙を剥いた気がして、僕は空を見上げた。
「にいちゃん、おにいちゃん!それどないしたんや?」
唐突だった。男の声がした。見ると、知らないおじさんが不思議そうに僕を呼んでいた。

 知らないおじさんを神経質に警戒するような歳でもない。僕はおじさんに応えた。彼は白髪まじりの短髪でカジュアルな白シャツにベージュのズボンという姿だった。とりわけお洒落というわけではなかったが、全体の上品な雰囲気から良い暮らしぶりの者であることが伺えた。おじいさんと呼んでも差し支えない年齢にも見えたが、背筋の伸びた姿勢と滑舌良く聞き取りやす喋り方は彼を若く見せるようだった。僕は道で弱った鳥を見つけて助けようとしていること、すぐそこの動物病院がやっていないことを彼に伝えた。おじさんは僕の抱えている鳥を見て幼いカラスだろうと言い、そして弱りきっていることを心底可哀そうに思う様子だった。おじさんはそばに駐車していた彼の車まで僕とカラスの雛を導き、タオルで体を包んでやること、水を飲ませてやることを提案した。僕ははっとした。怪我をした生き物に対して体温維持や水分補給はどれも必要なことだったが、僕はそこに全く気が回っていなかったからだ。言われるまま、おじさんの車にあったタオルで包もうとするとカラスの雛は少しの間翼を広げて暴れた。ペットボトルの飲み口を嘴にあてがってやると、少し飲んだ。
「よかったよかった、ちょっと元気出てきたみたいやな。車で病院連れてったるけん、後ろ乗りいな」
おじさんも僕も喜んだ。助かるかもしれないという希望が出てきた。そして赤の他人である自分を車に乗せて病院を回ってくれることに僕は本当に驚き、おじさんに何度もありがとうございますと言った。おじさんと僕とカラスの雛を乗せた軽自動車が走り出した。走りだすと振動で水がこぼれたので、僕はタオルに水を染みこませて、それを嘴にあてがってやった。おじさんは運転しながら彼自身のことを語り始めた。彼は名前を深山といい六十三歳で既に会社を定年退職していること、動物が大好きで犬を七匹も飼っていること、犬以外に鳥も飼っていることなどを話してくれた。怪我をした鳥を抱えていたら動物好きの老人と出会ったことに運命を感じずにはいられなかった。僕も自分の名前や就職活動中の学生であることなど少し話をした。このまますべてがうまく行かないものだろうか?そう思って膝の上の雛を見るのだが、先程から元気がなく、水を飲む気配もない。深山さんは向かう先の動物病院に電話をかけているが、どうも雲行きが怪しい。電話を切った深山さんは浮かない顔を浮かべた。
「大野くん、いかんそうや。怪我した野鳥は見てくれへんのやと」
 後から知ったことだが、現在の多くの動物病院は野鳥の診察を断っている。野生動物は多くの病原菌を持っている可能性があること、人の手で保護された野鳥を自然に戻すことが困難であること、そしておそらく、なによりも財布を拾って交番に届けるように野鳥を拾って病院に持ってくる無責任な人たちが迷惑だからだろう。それはまさしく僕のことだった。

 その後、深山さんが彼の家で雛を預かろうと提案したとき、いよいよそれは息をひきとった。タオルの中で静かに目を閉じ、体温を無くした。僕たちはしばしの沈黙で悲しみを表現した。深山さんは最後まで親切に僕を家まで送ってくれた。
「就活中や言うてたね。君のような優しい人間はきっといいところに就職できるよ。鳥が死にかけてても普通なかなか助けようと思わんよ、君は優しい」
深山さんは最後にそう言ってくれた。一年半後、僕は新卒で入社した会社を退職し、その後職を転々とすることになったのだが、このときの深山さんの言葉が心の支えになるときもあれば、逆に悲しみを呼び起こすこともある。僕は雛の亡骸とともに下車し、一通り感謝を述べて彼と別れた。ホームセンターでスコップを買って、近所にある小高い丘の墓地の隅に穴を掘って死んだカラスの雛を埋葬した。ああ、きっと僕には君の死を哀しむ資格はないだろう。ただ僕は感謝しているのだ。君が最後の命の残滓で僕に出会ってくれたことを。僕の人生の中でふと抱きしめたくなるような記憶を形作ってくれたことを。つまるところ、僕はいつも通り、何も与えることができなかった。むしろ小さな命が僕に与えてくれたのだった。
 埋葬した上の地面は死体の体積分だけ盛り上がった。僕はそこに手頃な木の枝を差し立て墓標とし、合掌し心の中で「ありがとう、安らかに眠ってください」と祈るのだった。
*****

 紳士は――大野氏は話を終えると、穏やかな表情で紅茶を啜った。
「僕を世間知らずで無責任な偽善者だと軽蔑してくれても構いませんよ。いや、きっと多くの人は冷笑するでしょう。それでいい。私が言いたかったのは、あのとき、地下トンネルで立ち止まりカラスの雛を抱き上げた瞬間だけは、僕はたしかに魔法少女だったということなんですよ」
「まさか、私はあなたを軽蔑しませんよ大野さん」
「それはありがたい……。僕はね、いまだにストライクウィッチーズの宮藤芳佳ちゃんになれていない。彼女のように優しさを与える側の存在に。でもそれは現実と非現実の差ではないと思うのです。この現実世界でも僕たちは魔法少女になることができます。僕が魔法少女になれないのは単に個人的にその資格が無いからだと、そう思うのです」

そのとき、僕は確かに魔法少女だったのです。 ©おけら蟲

執筆の狙い

お読みいただきありがとうございます。ご意見ご感想お待ちしております。
・なぜこの小説を書いたのか: 体験談を伝えたかった
・表現したいものは何か: 魔法少女を、非日常的なもの、小さな少女であっても与えられるのではなく与える側の存在であることの象徴として捉え、その限りで現実の我々はアニメの中の魔法少女と同様の精神体験をすることができるはずだということ
・執筆上どのような挑戦があるのか: 回想本編を現在に生きる二人の紳士の会話でサンドイッチして、話に奥行きを作った。

作中引用作品
「魔法少女リリカルなのは」:2004年に放送されたテレビアニメ作品。人気を博し、現在までシリーズ化メディアミックス化されている。
「ストライクウィッチーズ」:2008年に放送されたテレビアニメに代表されるメディアミックス作品。宮藤芳佳はその主人公。人気を博し、現在までシリーズ化されている。

おけら蟲

61.8.87.55

感想と意見

加茂ミイル

タイトルがかわいいと思いました

2017-09-02 11:24

60.34.120.167

今晩屋

 途中までよみました。

 魔法少女まどか☆マギカは踏破してますが、リリカルなのはは名前だけしかわからないです。
 非現実的な存在から与えられる。との事は小説でも同じです。リリカルなのはの作者を作者様は感じていない。
 本文は、主人公に血肉を与える前に考えを述べており、作者様丸出しなのです。だから途中で読むの辞めました。小説はいわば1次元ですから余計に難しい。時間を加えれば4次元に私達は生きており、1~4にもってくわけですから。
 作者様の作品に対する考えには私も同じです。文字も画も人間の生きる時間をゆうに超えます。二十年前の漫画も五十年前の小説も今では違いますが、引き継いだ文化だと思います。それはすごく魔法のような姿が今にあり、先人もそうであったと思いますね。作者様よりたぶんおっさんなんですが、ケンシロウや悟空の顔は疎遠になった友の顔よりハッキリわかりますよ。死ぬまで魔法とけないなw

ありがとうございました。
 

2017-09-02 19:08

119.63.158.224

おけら蟲

加茂ミイル様

ありがとうございます。今風っぽい感じのタイトルをつけました。気に入ってくださり嬉しいです。

2017-09-02 20:35

182.251.243.33

おけら蟲

今晩屋様

途中まで読んでくださりありがとうございます。作者丸出しの主人公というご指摘をいただき、なるほどと思いました。私は小説のはじめの方からできるだけ質量のある文章を書こうとして、自身の考えを独白してしまい、まさに作中人物に血肉を与えられていないと気づきました。それを踏まえて書き直しを行おうと思います。今晩屋様のコメントは私にとってたいへん意味のあるものとなりました。重ねて感謝申し上げます。

2017-09-02 20:42

182.251.243.33

山口 夕

おけら蟲さま

 この小説においては「中年」の定義を30歳あたりに設定されているようです。囲ってある以外の部分を2017年と仮定した場合を考えます。「魔法少女リリカルなのは」は  2004年10月~12月の間で放送されていたことに加え、
>春の日差しの下を強めに吹く風が心地良かった。
 という描写より翌年、2005年の春の出来事であるとします。これにより回想以外では33歳かその前後と予想されます。
>彼の顔は年相応の苦労を重ねているようにも見えたが、それと同じくらいどこか幼い少年のような印象をも与えた。
 私はこの「中年」の使われ方が引っかかりました。厚生労働省の健康日本21では「中年期」が45~64歳とされています。平成10年の国民生活白書では「中年世代(40代,50代)」との記述があります。私もこの年齢層だと回想に入る前まで思っていました。回想に入り、証明写真やパソコンのあたりで少し違和感を覚えたのです。「中年」の定義は非常に曖昧で、私のように40~50代を思い浮かべる方もいらっしゃると思いますし、あなたのように30歳を考える方もいらっしゃいます。それより若い25歳からと考える方もいらっしゃるようです。「中年」と「年相応」でつながると30代はあまり出てこない可能性があります。
 2005年にしてもスマートフォンはあまり一般的とは言えません。これはガジェット好きという表現なのでしょうか。
 もう一度、その2005年の就職活動へ話は戻りますが、
特集1990年代以降の大卒就職 特集1 ― 変わったもの、変わらなかったもの、変わるべきもの ―(http://www.kokusen.go.jp/wko/pdf/wko-201702_01.pdf
 上記の記事を参照いたしますと、2005年では広報活動の期間が10月からとなっています。春と考えたとき21歳は大学3年生か大学4年生となります。短期大学の可能性は
>当の僕は大した例外性を持たない大学生で、
 によりなくなりました。4月と考えた場合、証明写真を取るのは3年生では非常に早く現実的ではありません。4年生だと選考活動がスタートするあたりのため準備が遅いことになります。3月であるとするとエントリー期間だと思います。そこで関わってくるのがカラスの孵化時期です。インターネットの記事をいろいろと見てみますと5月あたりに雛が孵化するようです。これでは4年生としたときと「春」である描写とに歪みが生じる可能性があります。
 
 次に「魔法少女」の定義です。まず21歳の男性が「魔法少女」であるというのは直視できるものではありません。「魔法少女」が「助けようと努力する存在」なら心優しい人すべてが「魔法少女」となります。最後まで読んでも読者には疑問符が残ることでしょう。あなたは「魔法少女」の「少女」には意味がないとお考えなのでしょうか。

 回想の描写ついて「大野」の21歳当時の一人称視点が中心だと考えられます。ドライな性格かと思えば、小鳥を助けたり、親切な老人と出会ったことに対して運命を感じたり人間味がないわけでもない、これらを踏まえると世の中を分かった気で達観したように振る舞っているが、実は人並みの感受性のある学生となります。その場合は心情に対しての描写がもう少し必要だと思われます。読者が感情移入できるポイントがあまりなく遠くから眺めている傍観者にならざるを得ません。せっかくなので、「大野」の現在の視点で過去を描いた方が会話の内容そのままなため、テクニックが入りますが、自然さは増すことでしょう。そうしない場合は
>あれは僕が学生の時で就職活動をやっていたそんなときでした――大野さんはそうして「魔法少女」であったことを話し始めた。
 でしたら、入りやすいかと思います。それでも違和感は拭いきれません。

 私でしたら、以下のようなものにします。
 少年時代にして姉がいるためか少女のような格好で「魔法少女」の玩具を使っている遊んでいるときに泣いている少年を見つけます。その少年は母親とはぐれたらしいと話して分かります。励ましたり、慰めているとその少年が「お姉ちゃん」というものだから、「魔法少女」になりきるほかがなくなり、母親が彼を見つけるまで演じることとなった。その少年にしてみる語り手は「魔法少女」だった。
 という話にすれば、「魔法少女」に対する違和感はなくなります。加えてそういった環境だから、「魔法少女」のアニメを今でも見ていることの理由にもなります。
>「昔から家で姉と一緒に見てきたから、あまり変だと思わずにいられるのでしょう」
 などと書けます。しかし、これでは他の設定に大きな影響が出るため、簡単に導入することはできません。参考程度に受け取ってください。

 あなたのスタイルでしたら、客観的な描写が多いため、あまり感情のない人間を主人公にするとよいかと思われます。例としましては無理やり入らされたサークルで辞めずに非日常的な出来事を冷えた目で観察するという話などには向いていると思います。

2017-09-03 00:21

124.240.230.118

おけら蟲

山口 夕様

お読みくださりありがとうございます。概して4つのアドバイスを頂いたと思います。
 一つめ、作品内の時間の問題について、私は時間軸上で回想→紳士の会話という相対的な時間関係しか意識していませんでした。紳士の年齢は40歳くらいを想像していましたが、特別な時代設定がなければ読者は当然作品内の現在を2017年と考えること、それにより諸々の矛盾を感じさせてしまうことを見落としていました。今後は文明機器や引用作品を書く上で絶対的な時間を意識しようと思います。
 二つ目、魔法少女の捉え方について、私は日常の隙間の小さなイレギュラーの事態において「与える側の存在」になることを念頭に置きました。その議題をもう少し最初の紳士の会話で明瞭にさせれば唐突すぎる違和感が緩和されるかもしれないと思いました。
 三つ目、回想内の表現について、自身の技量の無さを実感するところであります。とりあえず、過去回想に入ったことが分かりづらいのでその部分は分かりやすいように直そうと思います。感情描写を適切にして一つ一つのセンテンスが読者に与える印象を意識していきたいと思います。
 四つ目、私の文章のスタイルについてアドバイス頂いたのはこれが初めてです。たいへん心強く思いました。ありがとうございます。
 以上、詳細で具体例を交えたコメントを頂き重ねて感謝申し上げます。

2017-09-03 10:59

182.251.243.34

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