作家でごはん!鍛練場

『ボーン・アゲイン』

ラピス著

久々の中編。原稿用紙換算36枚です。改行一字空けになっていない箇所があります。ワードの悪癖を直せませんでした。すみません。

洋風なタイトルですが、微妙に和風テイストです。ご意見ご感想をお待ちしております。

 いつからおれは、この暗がりで悶えているのだろう? この地獄――着流しにした寄裂の小袖の裾は擦り切れ、おれの手足を繋ぐ鎖の先は闇に沈んでいる。鎖から解き放たれることはない。戦国の世で戦いに明け暮れ、屠り、犯し、奪い合い、生きてきた罰か?――されど、おれのような者はいくらでもいる。皆、罰を受けて地の底でのたうっているのか?――
 昏い、巨大な洞窟めいた処だった。立ちつくし、答えのない問いかけを繰り返していたおれの頭に、ふわりとしたものが降りてきた。
「誰だ?」
鎖の音を響かせながら、おれは足元の棒切れを持ち、身構えた。だが羽音がするだけだ。頭を探ると、先程の柔らかいものが手触りで羽根だとわかった。肩が鋭い爪でつかまれる。かあ、と鳥は鳴いた。肩に止まり、耳元で鳴く鳥の姿は薄闇でもわかる。
「カラスか……。地獄にも飛んでくるとは。三界をさまよう鳥なのだな」
「そうよ」とカラスは答えた。「あんたの胸で光る水晶の数珠が気になって飛んできた」
 おれは安堵して、胡坐をかいた。下は滑らかな岩場だが、固い。鎖も邪魔で、なんとも座り心地が悪いが我慢した。地獄で感覚があるのは、痛みを味わわせるためらしい。カラスは肩から離れず、またも言う。
「近くで見ると、その数珠、透明な中に赤いのがあるね」
「カラスよ。よく見るがいい。赤や透明ばかりじゃない。この水晶の数珠には青もある」
 おれは百八ある珠をひとつひとつ探った。ひ、ふ、みと数えようとしても青く光るのは、ひとつしかなかったが。
「おくれ、おくれ」とカラスは嘴で数珠を突いた。
「これはあげられぬ。数珠は地蔵から借りたものだからな。だめだと言われる」
「地蔵がものを言うかい?」
「カラスがものを言うのだ。地蔵も言うさ」
 カラスは、ぎゃあぎゃあと笑った。
「地蔵が地獄まで降りてきたのかい」
「そうだ。そこに浮かんでいた」
 おれは闇の向こうを指して、ぐるりと円を描いた。
「おれに棒切れを与え、数珠を貸し、地蔵が言うには、この百八の珠の数だけ人を助けよと」
「鎖に繋がれて、どうやって?」
「この鎖は存外、長いのだ。地上まで届く。地蔵の許しがなければ長く伸びることなどできまいが」
「地蔵の使いで人助けをしているのかい?」
「そうなるな。おれは願いを聞きに行く」
「聞きに行く!」
 カラスは大げさに翼を広げ、かあかあ騒いだ。翼におれの髪が絡まって、するりと解ける。
「何で、あんたが使いに選ばれたの?」
「地蔵に祈りながら、おれを想い、礼を言う者がいたのだ」
「礼を言う者って、何かいいことをしたのかい」
「おれのような者でも生きているときは、ひとつやふたつは善行をするさ。地蔵は言っていた。その優しさに免じて、鎖を解く機会を与えると。でも、まあ、おれを想いながら祈る者のお蔭だ」
「善行は積むものだね」
「そうだな」
「で、百八人の願いを聞いた後、あんたはどうなるの?」
「鎖から解き放たれる。百八とは、おれに縁ある者の数よ。おれの業でもある」
 けけ、とカラスは鳴いた。
「ただで願いを叶えてもらえる人間は得だね。でも、いいのかい。地蔵が無知や憎しみや貧欲からくる願いを叶えちゃっても」
「人のことをよく知っているな。ものしりなカラスだ」
 おれがカラスの頭を撫でると、カラスは嫌そうに頭をふった。
「赤は業の色だ。その者の持つ宿業の、ね。願いを聞いて珠が赤くなれば、願った者は」
「地獄に堕ちる?」
「いや、地獄に堕ちる者もいるだろうが、まあ、その者にふさわしい世界へ堕ちる」
「ふさわしい世界って何よ?」
「六道輪廻を知っているか?」
「聞いたことはある。修羅とか餓鬼とか色々あると」
「天、人、修羅、畜生、餓鬼、地獄と六つの世界がある。人はその中で輪廻転生を繰り返す。例えば、貪り食らう願いを持つ者は餓鬼界へ転生するだろう」
「何か罠みたい。うっかり赤い願いをした人間は、たまらんねえ」
「その者の持つ世界だから、自業自得でもある。地蔵は、ゆるりと試しているのだろうよ、人を」
「試すとは傲慢だね」
「願いを叶えられるのだから、良いではないか。輪廻を繰り返そうとも、地獄に居続けるよりましだ」
「ふん。それで青い願いはどうなるのさ」
「青は他のために願う者の魂の色だ。その者は六道輪廻を外れるか、天界へ行くだろう。おれもよくはわからないが、祝福されるのは確かだ」
「ふうん」
 あ、とカラスが翼を羽ばたかせた。
「紫の珠もある」
「おまえは鳥の癖によく見えるのだな」
「見えるよ。昼しかだめな鶏じゃあるまいし。地獄の中は目利きだよう」
「では、おれの片手片足が鎖に繋がれていないことにも気づいたか?」
 くう、とカラスは呻いた。「見落とすこともあるって」
「おれが片方だけ解放されたわけと、紫の珠の話をしようか」
 教えて、と言わんばかりにカラスは頭をかたむける。おれは話しはじめた。紫の珠にまつわる醜くも美しい娘の話を――

    1

 歳は十六。年頃なりにわたしには夢があった。いつか男の人の逞しい腕に抱かれたいと。かの人は凛々しく、清廉で、温かく……。
わたしは卑しい男に無残に散らされようとは思いもしなかった――ああ、そこはもう想うまい。か細い蜘蛛の糸にすがるカンダタのように、かの人を想おう。
あのとき、わたしの胸で桜の花びらが舞っていた。忘れない。壊れたわたしに服を被せ、花をくれた人を。その苦しげな瞳を、父さんみたいに大きくて優しい手を――
 
想像の余韻を惜しんで、シーツにくるまる。しばらくして時計を見ると午前三時半だった。もぞもぞとシーツから抜けだして、ジャージに着替える。机にあるポシェットをつかんだ。ショートカットの髪の毛先が少し跳ねているけど、気にしない。
 カーテンを開けた深夜の部屋に、月が薄ぼんやりとした光を投げかけている。夜が明けるまでの静寂が好きだ。誰もいない。誰も、わたしを傷つけない。
 部屋を出て販売店側へ下りていっても、バイトの人たちはいつも通り、まだ来ていない。わたしがシャッターを開けないと入れないが、外にも来ている気配がない。
昨日の夕方にチラシを入れた新聞の束を、一区ごとに区分けして作業台の上に置いていた。店内は自転車とバイクでいっぱいだ。わたしはガラス戸を引いてシャッターを引き上げた。同時に、外側から圧力がかかり、内側にシャッターが凹む。
「早いもんだ」
 酔いの回った、野太い声がした。安川だ。安川は屈んで半開のシャッターをくぐると、酒臭い息を吐きながら、へへえと笑った。
「お酒飲んでいるなら、バイクで配達はできません」
「あいつがやるさ。香耶ちゃんのママ」
「やるって、母さんは集金担当です」
「それはとりあえずの担当。臨機応変にやらなきゃ」
 わたしは黙ってシャッターを全開させ、中の自転車やバイクをすべて外に出した。それからビニールシートで保護した新聞を自転車にくくりつける。安川は舐めるようにわたしを見ていた。
「暗がりだと香耶ちゃんでも美人に見えるわあ」
 安川は汚らわしい手で、わたしにふれようとした。わたしは外灯のついている電柱の下に逃れる。ひっ、と大げさに安川がのけ反る。
「危ない、危ない。相手は化け物だわな」
 安川は捨て台詞を吐いて家の奥へ入っていった。「死ね」とわたしはつぶやく。奥で「こんな時間に」と母さんが文句を言っていた。
明かりの下で露わになったわたしの顔は、どれほど酷いのだろう。あまり鏡を見ないから忘れてしまった。額の右から鼻梁を通り、口の左端にかけて斜めに指でなぞる。醜いわたしの傷痕――わたしは帝王切開で顔から血を流して産まれた。責任を否定する病院側と親は揉めたようだけど、それも昔。わたしが傷を隠そうともせず、顔を晒しているのは被虐趣味なんかじゃない。
 籠や荷台に乗せた新聞紙の束で重くなった自転車を、バランスをとりながら漕いだ。夜明けまでに配り終わらせよう。知らない人がわたしを見て驚かないように、ひっそりと。
 自転車に乗ったまま、籠から新聞紙を一部とっては郵便受けに入れていく。注意深く素早く新聞を配っていった。屋根の上で春を迎えた猫たちが甘く呻き、塀をヤモリの影が這いまわる。皆が寝静まっていた。眠りと死は似ている。どちらも意識が空気に溶け込み、自然と一体となる、ひとときの休息だから。
 しんとした夜の町に「化け物」と言った安川の声がよみがえる。
「父親になるつもりはないから」
 初めて会った日、安川はそう言った。その見下した台詞よりも、安川をひとめ見た瞬間から襲われた痛みに耐えられなかった。虫が好かないという言葉では済まされない。わたしを凌辱した男と同じ卑しい魂。身体を縦に引き裂かれるような苦痛と嫌悪感がした。今日から一緒に暮らすと言われ、どれほど嫌だったか。けれど、女手ひとつで自分を育ててくれた母さんに逆らえなかった。
「ありがとうって気持ちを忘れてはいけないよ」 
と、わたしが六歳になるまで生きていた父さんは教えてくれた。道端のお地蔵様にも手を合わせることを。けれど感謝の気持ちは安川には持てない。
暗がりに入って、わたしの思考は中断した。町の境の住宅地は近くの十四階建てマンションのせいで、より暗かった。マンションではエレベーターで一番上まで上がり、らせん階段を使って下に配っていく。マンションから道路を挟んだ住宅地まで配り終えると一段落ついた。
わたしは車が通っていないのを確かめ、白みはじめた町の二車線の県道を、荷台が空になった自転車で横断した。
右から左へ坂になっている県道を渡ってしまい、町道に入ると桜並木が連なっている。わたしは桜並木の真ん中あたりに自転車を止めた。ちょうど通っている高校の通学門がある。この町の辺りは昔々、古戦場だった。古戦場の中心に校舎が建っている。そのせいで通学門のそばにお地蔵様がある。わたしは配る途中で拝むのが日課だった。
腰のポシェットから蝋燭を取り出し、お地蔵様の祠に立てて火を点け、お線香を三本あげる。そして唱えた。
「オンカカカ、ビサン、マエイ、ソワカ」
 今日もありがとう。感謝の意を表しながら、想っていた。桜を一枝、わたしに手向けてくれた人のことを。わたしは、かつて死んでいた。死にかけて助かったという話じゃない。死んでいたのだ。わたしは、わたしがわたしである前の出来事を覚えている。人が生まれ変わるということを知っている。
 仰げば、はらはらと桜の花びらが落ちていた。朝陽が昇るまでもう間もない。立ち上がり、自転車へと急いだ。と、ひいいいっ、ひいいいっ、と向こうから叫び声がする。戦乱の世に聞いた阿鼻叫喚と似ていた。乱れた足取りの人間がやってくる。近づく人影に、わたしは身を硬くした。
人影は覆面をした男で、血の滴る刀を持っていた。目が合った。はっとする暇もなく刀が振り下ろされる。「死ぬ」と覚悟した。そのときだった。どこからか長い棒が投げられ、男の手首を打った。男は呻いて刀を取り落とす。わたしは桜の樹の後ろに逃げ込んだ。朝陽が顔を出す。覆面の男は刀を持って逃げ去った。
「大事はないか?」
 小袖姿の若い男の人が、お地蔵様の祠の陰から現れた。頬にかかる長い髪を払いのけ、落ちた棒を拾う。その手足は囚人のように鎖で繋がれて、鎖の先は地中に消えていた。この世の者ではない。
「おれは時四郎」
 トキシロー……。わたしは口の中でつぶやいた。トキシローの首に下げた無色透明な水晶の数珠の珠のひとつが、きらきらと光を放っている。
「この光る珠は、おまえだ」
 えっ、と聞き返すわたしにトキシローは続けて言った。
「おれは、おまえの願いを叶えるために来た」
風が吹いて満開の桜から花びらが雨と降ってくる。花雨の下で、トキシローは笑みを浮かべた。
「やっと探しあてた」
「……わたしも」
 想い描いた男の人を前にして、ふるえながらわたしはささやいた。

    2

 今朝の事件は学校でも話題になり、校長先生は全校集会で「夜から明け方にひとり歩きをしないように」と言っていた。新聞配達をしているわたしや、バイトの人たちには無理な注文だった。
六時限目が終わって教室を出たわたしに、日本史の氷見先生が声をかけた。
「見たんだろう? 犯人を。どんなやつだった?」
 それは、さんざん警察で訊かれたことだった。
「日本刀を持っていました。覆面で……」
 言いかけた途端に視界が真っ赤に染まる。血塗られた日本刀が脳裏でぎらつく。氷見先生の目が覆面の男の目と重なった。眩暈がして、わたしはその場にしゃがみ込んだ。
「どうした? 具合が悪いのか?」
「はい。なんだか吐き気がします」
「保健室へ連れていこうか」
「いいです。放課後だし、帰ります」
 片膝ついたわたしを支えようとする先生の手をつい、ふり払って言った。
「犯人については、先生以上のことは知りません」
 何か言いかける先生を無視して下駄箱に急いだ。「なあに、あれ」と近くにいた生徒が、わたしの態度を非難している。構わずに靴を履き、校門を出た。
 通学路で忘れずにお地蔵様に手を合わせる。
「何を願う?」
背後でトキシローが訊いた。
「何も」と足早に家へと向かう。十一分で家の表の販売店へ駆け込んだ。すでにバイトの人たちは夕刊を配りに出ている。販売店の外に、わたし用の自転車があるだけだ。素早くジャージに着替えて、新聞紙の束を籠につめ、自転車を漕ぐ。
「姉ちゃん、一部ちょうだい」
 配達している最中、駅前で後ろから頼まれた。
「五十円になります」と新聞を一部渡そうとふりかえる。相手は口にこそ出さないが「わっ」という顔をした。新聞を受け取って、そそくさと駅に入るおじさんの背中をみつめる。
 地元の人たちなら知っているけど、よそから来た人は知らない。わたしの顔を。段々、町が大きくなるにつれて、驚きの目で見る人が増えた。中には安川のように「化け物」と小さい声で言う輩もいる。夜明けや黄昏時に出くわすとよけいに、だ。そんな状況に陥るたびに、わたしはいちいち傷ついた。
「その傷、治したいか?」
 背後でトキシローが訊く。
「おまえの真の願いなら、ひとつ叶えられる」
「やめて」
 傷に手を当てて、わたしは叫んだ。道行く人がこちらを見ている。トキシローは自分に縁のある者にしか見えない。だから、周りからしたら、わたしがひとり芝居しているようにとれる。
「傷は消さないで」
 わたしは自転車に乗りながら、ささやくように低い声で言った。「何ゆえだ」とトキシローはついてくる。
「何ゆえ、おまえは隠そうともせず、傷を晒している? おなごには、むごい傷だ」
 答えないわたしにそれ以上、追求せず、トキシローは首元の数珠に目をやった。
「数珠が鎮まったままだ。おまえは本当に願っておらぬのだな」
「願いに数珠が反応するの?」
「おまえの珠が色づく。赤か青に」
「……わたしには願いなどないわ」
「あるはずだ。気づいてないだけだ」
「じゃあ、あのお婆ちゃんの足を治して、杖なしで歩けるようにして」
 わたしは横断歩道で信号待ちしているお婆ちゃんを指さした。トキシローは黙って数珠をみつめる。数珠の珠は、どれひとつも赤くも青くもならなかった。
「効かないじゃない」
 数珠の代わりに歩行信号が青くなって、お婆ちゃんは覚束ない足取りで杖をつきながら横断歩道を渡っている。
「おまえの真の願いではない」トキシローは言った。「偽善では何も変わらぬ」
偽善と指摘されて、わたしは少なからずショックを受けた。
「でも、思ったのは本当よ」
「嘘ではないだろうが、その者の心よりの願いでなければ色も変わらぬし、叶わぬ」
「心よりの願い……か」
 それきり、わたしは黙って夕刊を配った。配るのは朝の区域と同じだけれど、夕刊は部数が少ない。一時間くらいで配り終えた。
 販売店へ帰っても、バイトの人たちはいない。もう帰っている。明日が新聞休刊日だからだ。いつもトラックいっぱいに積まれてくる朝刊もチラシも来ていない。
「お帰り」
 奥から安川が出てきた。すでにお酒を飲んでいる。片手に焼酎の瓶を持ち、目の焦点が定まっていない。わたしは眉をひそめて「母さんは?」と訊いた。
「集金」と安川は焼酎を飲みながら答え、二階へ上がるわたしにつきまとう。
「何か用ですか?」
「用ですか、だとう。すかしてるんじゃねえよ。そのご面相で。一生、男もできんだろうが、面倒みないからな。卒業したら出ていけ」
 なおも言いつのる安川の面前でドアを閉めた。自前で取り付けた鍵も閉める。安川がドアを叩く。しばらくして階段を降りていく足音がした。動悸がする胸を押さえて、わたしは深呼吸する。
「傷は、おまえの守りなのだな」
 背後霊のように、わたしについてきていたトキシローが言った。
「綺麗でなくていいの。もし傷がなかったら――あいつに……」
 蹂躙される。もう踏みにじられるのは嫌。
「わたしは前世で、あいつに犯されて殺された」
「前世を覚えているのか」
 うなずいてドアにもたれて膝を抱える。わたしは言った。
「人は生まれ変わるの。わたしは覚えている。かつて死んだ日のことを。死んでからのことを」
「…………」
「あいつ、安川にわたしは――」
 無言で聞くトキシローに、堰を切ったようにわたしは繰り返した。わたしが落ち着くと、トキシローは訊いた。
「あいつを、どうにかしたいか?」
「いいの、安川はそのうち死ぬから」
 安川に纏わりつく血のイメージを感じていた。袈裟懸けに鋭い刃で一太刀のもと、安川は斬り殺される。前世と同じに。
「人の生き死にがわかるのか?」
「うっすらと。小さい頃は周りに言っていたの。言ってはダメだとわからずに。わたしが近所の人から遠巻きにされているのは、傷のせいだけじゃない。薄気味の悪い女だと思われているのよ」
「……難儀だな」
「あなたも」
 わたしは顔を上げて、トキシローを見た。
「拾い子であったあなたは養い親に命じられるままに殺戮と略奪を繰り返した。でも、心は引き裂かれていた――あなたには相反する、ふたつの心がある。戦いを求める熱い心と、平穏を求める静かな心」
「ほう」と、トキシローは怖い顔をして、続きをうながす。わたしは言い続けた。
「あなたはいつも心の中で叫んでいた。まことに神仏がいるなら、何故、自分を罰しないのかと――あなたが鎖で繋がれているのは、自らおのれに科した呪いのようなもの」
 怒るかと思ったトキシローは冷静だった。
「三世を見通す娘よ、おれの行く末も見えるか?」
 わたしは目をつむって考え、「ええ」と答えた。
「あなたの未来は愛で包まれている」
「ということは、鎖から逃れられるのだな」
「待って。同時に、悲しみで覆われている」
「なんだ、どちらかよくわからぬ」
「それにしても」とトキシローは笑う。「愛だと? このおれに? 生きているときですら、そのようなもの、なかったというのに」
「いいえ、あったわ」わたしは膝を立てて、トキシローに寄りそった。
「あなたは、死んでいるわたしに花を手向けてくれた」
「あれは、おまえか!」
 思い起すように、わたしの姿をしげしげとみつめるトキシローに、意を決してひと息に言う。
「もう一度、わたしに花をちょうだい」
「…………なんと――」
 トキシローは目を瞠った。
「おれに愛を乞うたか!」
 トキシローの首にかけた数珠の珠がひとつ、赤く染まった。真の願いの証だった。それを見たトキシローは困った顔をした。
「おまえの願いは叶えられぬ」
「叶えに来てくれたんじゃないの?」
「おれは使いだ。叶えるのは、おまえが毎日参っている地蔵よ。他の男ならともかく、おれ自身に……地蔵も嫌がるだろうよ。おまえに花をやったのは、ただの気まぐれよ」
「でも、その気持ちに嘘はなかった」
「……愛するふりはできても、ふりではだめであろう?」
「わかっているわ」と、わたしはため息をついた。「あなたは死ぬまで、わたしを愛さない」
「そのこともわかるのか?」
 ええ、とわたしはうなずいて、膝を抱えてうずくまる。
「わたしが醜いから、ダメなのかな……」
「そんなことではない。おれは人を愛したことがないのだ。べつな願いを探せ」
「……じゃあ、わたしの願いがみつかるまで、そばにいて」
「もとより、そのつもりだ」
 トキシローは瞳に憐れみの色を浮かべて、ささやいた。同情されて胸が苦しい。

    3

 翌朝、安川は殺された。思ったより早い死だった。警察の見解では、日本刀のようなもので一刀のもとに斬られたらしい。
「おまえの言う通りになったな」
 トキシローが言う。わたしは「そうね」と静かに返した。
 母さんは朝から泣いている。あんな男でも悲しいのかと、わびしくなった。警察の霊安室に安川の家族が来て遺体を引き取っていくまで、母さんは安川から離れなかった。わたしが諭すと「冷たい子だね」と罵った。
 わたしは冷たいのだろう。悲しくないのだから。むしろ、ほっとしたのだから。
「誰が殺ったか、知っているか?」
 トキシローが訊く。「犯人は、この町の者だろう? おまえは人の本性が視えるのだろう?」
「知っているわ」
 わたしは学校の廊下を歩きながら答えた。ふいにトキシローは姿を消した。向こうから氷見先生がやってくる。先生は、わたしを見て驚いたようだった。
「学校を休んでいいんだぞ。お父さん――義理のお父さんが亡くなられたのだろう?」
「あんなやつ、戸籍上でも父親じゃありません。母さんが引っ張り込んだ男なだけです」
「何と言っていいか……」と先生は口の中でぼそぼそ言った。温厚な顔の向こうで、安川の断末魔の声が、知らない人の悲鳴が、響き渡る。わたしは耳を覆った。
「……刀が――たくさん――」
「刀が?」
 先生が訝しそうに顔をしかめて聞き返し、わたしの肩に手を置こうとしたときだった。
「先生、剣道部の今日の稽古なんですけど」
 袴姿の三年生が小走りに近づいた。「ああ」と言って先生は三年生と打ち合わせを始める。わたしはその場を離れた。
 校舎から出ると、トキシローが現れた。
「何で隠れたの?」
「やつには、おれが見える」
 トキシローは数珠を指し示した。光る珠が、ひとつ増えている。
「やつって、氷見先生?」
「ああ。ふたりめだ」
 わたしたちは、三年生と話しながら渡り廊下を体育館に向かう氷見先生を見た。
「安川を殺したのは、氷見先生よ」
「そうか」トキシローはうなずく。「やつには近づくな」
「明け方にひとりになるなってこと? 無理よ」
「おまえの仕事は町の中だろう? 地蔵の力の及ぶ町の中なら守ってやれる。おれに守護を願え」
「嫌よ。真の願いはもう決めたの」
「命が、かかっているのだぞ」
 わたしは目をすがめて、つぶやいた。
「運命は、向こうからやってくる……」
「何?」
「わたしは斬られて死ぬ運命なの。今までは、ぼんやりしたイメージだったけど、先生を視ているうちに、はっきりしたわ」
「わかっていたら、避けるだろうが」
「いいえ、逃れられないの。今までもそうだった。何度、避けようとしても無駄なの。そうなるの」
 トキシローは鎖に、わたしは未来に呪縛されている。
「……では、この町から出るな」
 怒りを抑えるように、トキシローは低く言った。
「わたしを守るつもりなの? 願ってないのに?」
「真の願いを聞くまでは、おまえを死なせない」
「ありがとう」
 嬉しくなって、わたしは薄笑いを浮かべてしまった。
「このようなことで喜ぶな。戦いは終わっておらぬ」
 トキシローは渋い顔をした。
「いいか。再三、言う。この町から出るな。おれを繋ぐ鎖は長いようで長くない。おれが動けるのは町の中までだ」
「わかった。肝に銘じるわ」
 微笑みながら答えたわたしの額を、トキシローは切れ長の目をつりあげて、指で小突いた。
 その日は眠らずに、わたしは考えた。先生の真の願いは何だろうと。先生の望みは人を斬ること――それはもう自分でやっている。トキシローに願うのは何?
 三時半になった。わたしは、いつものように支度して販売店へ下りていく。ガラス戸とシャッターを開けた。雨が降っている。店の柱に掛っている合羽を着た。
 周囲が見えないほどの雨足だ。屋内で、ビニールシートにぐるぐる巻きにした新聞の束を自転車にくくりつける。籠の上も濡れないように保護して、自転車を雨で煙る外に出した。肌寒さに、ぞくり、とする。ああ、今日かも知れないと思った。わたしの最期は――
 トキシローは鎖を引き摺って、ついて来た。慎重に配達区域を回る。ビニール袋の中に一部ずつ折り畳んだ新聞を入れて配達した。雨のしずくの垂れた新聞は籠の脇に破棄する。
 なんとか町の境まで来た。手も足も濡れている。十四階建てのマンションで配るのが一番楽だった。じっとりと濡れて蒸れる合羽を脱いでホールの隅に置き、エレベーターへ走る。
 マンションでの新聞を配り終えたとき、五時四十五分だった。雨のせいで半時間も遅れている。あとは暗い住宅地だ。少し小降りになったかも知れない。
わたしは急いで合羽を着て、自転車を漕いだ。あわてたせいか、坂になっている県道で滑った。自転車が横倒しになり、いくらか残っていた新聞が道路に飛び出す。自転車を立てて、落ちた新聞を拾い集めていて標識に気づいた。「○△町」隣町だった。鋭い痛みを背中に感じた。
目の前の新聞が血で染まっていく。限界まで鎖の伸び切った足を引き摺って、トキシローが叫んでいる。自分の町まで数十歩。這っていこうとして叶わなかった。やっと辿り着いたとき、ふたたび斬られていた。
降りしきる雨のために男は濡れそぼっている。やにわに覆面を脱いだ。
「氷見先生、どうして……」
「きみは目撃しているし、ぼくが刀を収集していることを知っていたからな」
「わたしは――」
 視えただけ――証拠も何も持ってない。それに先生には感謝している。先生は安川を殺してくれた。生涯、黙っていただろう。気の毒な犠牲者を増やしたとしても、運命だと胸にしまい込んで。
 そんな自己中心の考え方だから、罰を受けるのだろう。
 先生は、ふたたび刀を振り上げた。わたしに向かって振り下ろされた刃は、横から伸びた棒によって跳ばされた。トキシローが棒の先で先生の胸を突く。先生はつんのめって倒れた。間髪いれず、トキシローは刀を拾い、先生の首を斬った。血が吹き出る。先生は笑いながら絶命した。
「香耶!」
 トキシローがわたしに駆け寄り、わたしを抱いてマンションのホールまでつれていく。明るいホールで見ると、トキシローの首の数珠の珠がひとつ赤くなり、ぶぶぶ、とスマホのバイブみたいにふるえていた。
「数珠が……ふるえているわ」
「真の願いが叶ったのだ」
「ああ。先生の真の願いは……強い相手に斬られること、だったのね――」
「おまえも願え、おのれの命を」
「わたしの――願い……」
「そうだ」
 トキシローが、わたしだけをみつめる。こんなときなのに、わたしは幸せを感じて笑った。
「トキシローが、鎖から解放されますように」
 わたしは――持てる力のすべてを使い……ひと息に――願い事を……唱えた――。
 トキシローの数珠がひとつ、青く輝いている。ぶぶぶ、とふるえている。鎖の外れる音がした。がちゃり、がちゃり。
 トキシローの片手片足の鎖が外れた。もう片方も外れようとして、ふたたび閉じた。数珠の青い珠が赤らみ、青の色を凌駕していく。珠のふるえは止まってはいなかった。
「何で?――」と涙しながら、わたしは訊いた。けれど、すでに息絶えていて、トキシローの耳には届かない。
「おまえは――おのれの命よりも――おれの自由を願った……」
 トキシローから抱きしめられたとき、わたしは身体から抜けていた。

    *  *  *

 おれの頭の上を旋回して、また肩に止まるとカラスは訊いた。
「一度は解放されたのに、どうして?」
「香耶の先の願い――おれに愛されたいという願いが叶ったからだ。叶えられる願いは、ひとつのみ」
「死んでから愛してしまったというわけね……」
「そうだ。死ぬまで愛さないという香耶の予言は、奇しくも成就した」
「それから香耶はどうなったんだい?」
「知らぬ。魂はどこかへ逝ってしまっただろう」
「そう……また会えるさね」
 じゃあね、とカラスは飛び去った。かと思えば、すぐに戻ってきて桜の枝を嘴に挟んでいる。桜の枝をおれの膝に落して、カラスは行ってしまった。
拾った桜を紫の珠に捧げ、おれは涙を流しながら、笑った。

ボーン・アゲイン ©ラピス

執筆の狙い

久々の中編。原稿用紙換算36枚です。改行一字空けになっていない箇所があります。ワードの悪癖を直せませんでした。すみません。

洋風なタイトルですが、微妙に和風テイストです。ご意見ご感想をお待ちしております。

ラピス

160.249.89.136

感想と意見

GM91

拝読しました。面白かったです。
なんか気の利いたことが言えなくて申し訳ないのですが、次作楽しみにしています。

あと、段落字下げの件ですが、WORDの使い方が不慣れなら、適当なテキストエディタにいったんペーストして見直しされた方が早いかもです。
あるいはこういうツールも世の中にありますので活用されたし。
http://ranove.sakura.ne.jp/check.php

2017-05-15 21:17

124.37.59.242

あでゅー

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2・txtファイルをクリックしてメモ帳を立ち上げて、編集、すべてを選択。編集、コピー。
3・あとは、張り付けるだけです。
※なお、フッダ、ヘッダを使っている場合は、メモ帳の文章の後ろにカスが出ますので、削除をお忘れなく。

2017-05-15 22:51

106.161.112.47

五月雨をあつめて早し最上川

面白いんですけど…… 先に(ちょい下にUPされている)けったくそ悪いだけの悪趣味作(すいません…)『恋の始まり、恋の終わり。』を見てしまっていたので、
正直、「またかよ〜…」と、義父安川の描写にげんなりしてしまった。


暗いの苦手なんで、駆け足で読みましたが…… 文章そのものは読みやすいし、読ませる。まとまりもある。

でも……
「トキシロー」とカタカナで書かれて、乱世からの転生の話で、高校生の住んでる町で夜に辻斬りが出て、その犯人が高校教諭・・

ええとぉー…
『Fate/stay night -UNLIMITED BLADE WORKS』って・・知ってる??(苦笑)



それより何より気になったのは、タイトル。
「地蔵」の力が可能たらしめている一連のミッションなのに、表題はハッキリ「キリスト教用語」で、
意味は分かるんだけど、違和感が否めなかった。

もっと適切な表題、他にいくらもあると思うし。

2017-05-15 23:30

106.185.185.3

ラピス

GM91様
色々と不安でしたが、面白いといわれて安心しました。この調子でいけたらいいんですが、波がありますからね〜。

一字下げの件、ツールなど教えて頂いて、重ねて、どうもありがとうございました。

2017-05-16 19:39

49.106.211.143

ラピス

あでゅー様
ありがとうございます。感想は?

テキストに保存して、いちいち編集するの、面倒そうですね。やんないかも。すみません。

2017-05-16 19:42

49.106.211.143

ラピス

五月雨を集めて早し最上川様

読みやすかったようで、ほっとしました。

安川は義理の父ではありませんが、こういう話わりとありますよね。どこでオリジナリティーを出すかに苦心しました。

設定?あらすじ?の似た話があるみたいですが、私は知りません。

タイトルについては、私もどうかなと悩みました。改稿の際に変えようと思います。

ありがとうございました。

2017-05-16 19:53

49.106.211.143

あでゅー

自分の命よりも、相手の幸せを願う。
いい話ですね。
読ませて下さり、ありがとうございました。

2017-05-17 09:02

106.161.100.137

ラピス

あでゅー様

再訪ありがとうございます。なんか感想を乞うたみたいで、すみません。

2017-05-17 19:39

49.106.211.143

童子繭

文章演出モラル全部立派ですが。。。なんか今までもあったようなシュゴレイものっぽいね。

もっと自分しかやらない破綻の道もいっていいような。

生意気いってすまんが。でもわたぢのカンセイするが変なのかも

2017-05-18 12:19

126.234.117.238

ラピス

嗚〜呼、所詮、平凡な人生を送っていますから、書くものも枠を越えないんですよね〜。
破滅いや、破綻の道ですか。もっと上手くなってからですね模索するのは。

ありがとうございました。

2017-05-18 20:41

49.104.56.59

アフリカ

拝読しました

ラピスさんの書き物を眺めてると、上手いなと言う感覚と同時に何だか騙されてる感覚がいつも沸いてきます。言い方悪い!ごめんなさいm(_ _)m
でも、騙されるって悪だけの意味じゃなくて!
騙されるのは「台詞」が多いのに現実味を失わない間合いと言うかテンポの良さに「確かにそんな風に掛け合いしてますわな」と唸ってしまう。
僕は、ついつい地の文章に寄り掛かるか台詞に寄り掛かるかの二卓になってしまいがちだけど現実のタイミングで台詞を出せるのは羨ましい。

ありがとうございました

2017-05-18 23:14

122.130.31.61

ラピス

アフリカ様
私は台詞で話を動かしている向きがありますね。いいんだろか、悪いんだろか、わからないです。
あー上手くなりたいです。自由自在に小説を書けたらなぁと思います。

ありがとうございました。

2017-05-19 19:35

49.104.56.59

卯月

拝読。
面白かったです。

私この手の作品余り読まないのですが、うまくまとまっているのではないかなあ。

あと、ほとんど会話だけで話を進める部分がありますが、本来私そういう手法は嫌いなのですが、御作はちゃんと合っていると思いました。むしろスピード感が出てよいのではないかと。

読ませていただきありがとうございます。

2017-05-20 15:45

183.176.74.78

ラピス

卯月様
本来なら読まないジャンルをお読み下さり、どうもです。卯月様に限らず、ごはん読者にはあまり受けないタイプかも。
まとまっている、台詞もそのままで良いとのお言葉、嬉しく思います。

ありがとうございました。

2017-05-20 23:00

49.104.56.59

藤光

読ませていただきました。

みなさん感想に書かれているように、おもしろい――興味深い内容です。
何より舞台設定とキャラクターが魅力的ですね。加耶などとてもいいと思います。

ただ文章は、物足りない。
冒頭のカラスが話し出す部分は唐突ですし、続く会話文も一部は他の文に落として整理した方が読みやすいと思います。

ラピスさんの頭の中では、「この場面は、こうしてこういう感じなんだよ」というのがあるのでしょうが、やや筆が急ぎすぎたのではないですか。そうした部分が読んでいるときに、唐突と感じられたように思います。

もっと噛み砕いた書きぶりでも、おもしろさは減衰しないように感じました。

2017-05-23 08:31

182.251.255.46

ラピス

藤光様
文章ですか。自由自在に文体を変えられたらなあ。
文章力は、いっそ文学ばかり読んでた20代の頃のがマシかも知れません。今は漫画ばかり読んでますもん。
漫画もストーリーの勉強にはなりますが、、、はてさて。

ありがとうございました。

2017-05-24 12:13

49.106.216.80

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