作家でごはん!鍛練場

『部屋』

ななな著

インディアンというテーマでなにか小説を書きたいな、というのがまずあって書き始め、このようなものになりました。自分でもよく分からない出来になってしまったため、誰かに評してもらいたいと思い、投稿させてもらいました。よろしくお願いいたします。

 鍵を鍵穴にゆっくりと差し込むと、彼女は小さくため息をついた。それは唇から溢れた白い吐息とともに、ささやかな安堵が彼女をそっと包んだからだった。
ドアを開け、玄関で陶器の小皿に鍵を置くと、その二つが粗雑な楽器のようにカチャンと音をたてた。それを合図のように、彼女は足踏みしながらショートブーツを器用に脱ぎはじめ、その間、左手はコートのジッパーを下ろし、右手はマフラーの結び目を解いていた。
 短く細い廊下を抜けてドアを開けると、六畳間の部屋があり、それが彼女の唯一の部屋だった。他には入り口の脇に小さなキッチンとロフト、トイレ付きのバスルーム、それからロフトよりも狭いベランダがついているだけだった。
 彼女はコートをコート掛けにかけ、マフラーをその上に引っ掛けた。まっすぐとベランダへ行き、一人分の洗濯物を取り込むと、窓を閉め、カーテンをぴったりと合わせた。給油ストーブの電源を入れ、そこから二メートルほど手前の床に冷え切った洗濯物をドサッと落とすと、両手をすり合わせながら、壁に沿って置かれた二人掛けのソファに腰を下ろした。
 部屋に入ってからの彼女の一つ一つの動きは、腰を気遣う老婆のような緩慢さであり、またよろよろと夜道を歩き回る夢遊病者のようでもあった。実際、彼女は部屋に入ってからも電気をつけなかったし、ソファにもたれて細く長い息を吐ききるまで、そのことに気づきもしなかった。
 彼女は体を肘掛のほうへ傾け、しばらくの間、手のひらに額を押し付けながら石のようにじっとしていたが、やがて緩く頭を振って体勢を崩すと、照明のリモコンをとろうと、目の前の簡易テーブルへ手を伸ばした。するとその時、キィン、という鋭い金属音のような耳鳴りが彼女の左耳を貫いた。彼女は手を止め、屈み込むように上体を落とすと、自らの耳鳴りに耳をすました。不格好な管楽器のようなそれがだんだんと先細りし、最後にはその余韻さえも辺りの薄闇に溶けてわからなくなると、彼女はほっと胸をなでおろすものの、リモコンへと伸びていた手は怖気付くように引っ込んで、彼女の膝からくるぶしまでの間を撫で始めた。彼女の手のひらは毛糸のタイツの肌触りと、その下から滲む暖かな体温を味わうようにゆっくりと上下した。そのうちに、電気ストーブが猛獣のような唸り声をあげはじめ、ボッという重い音とともに青い炎をつけた。(ところで、彼女は今履いているタイツの他にも全く同じタイツを二つ持っていて、それを日替わりで履き続けている。タイツだけではない。彼女は下着や洋服といった衣料品に関しては、必要最低限の、片手で数えられる程度しかもっていない。かつてはたくさん持っていたのだが、ある時、そのほとんどを処分してしまったのだ。)
 彼女はまだ固まっていた。今度は耳鳴りではなく、耳自体の具合を確かめるために静かに神経を集中させた。そうすると、確かに彼女の左耳にはある違和感があった。左耳の奥深くにあるそれは、分厚く固まった泥が鼓膜を塞いでいるような嫌悪感を彼女にもたらし、さらにそれは左耳から右耳へとまっすぐ貫通し、飛行機が離陸するときの圧迫がそのまま沈滞しているかのようだった。
 彼女はさっと目を閉じた。すでに暗がりに慣れた瞳が、部屋にあるものすべての輪郭を子細に捉え始めていたからだった。(といっても、彼女の部屋にはとりたてて何かがあるわけではなかった。むしろ部屋には生活における必要最低限のものしかなく、それは安価なビジネスホテルのように簡素で寂寞としていた。もちろん、かつてはいろんなものがあったのだが、彼女はある時、衣料品と一緒にそのほとんどを処分してしまったのだ。彼女としてはその決断について後悔は無かったが、とくに英断とも思わなかった。けれど、ある種の後ろめたさのようなものがあるにはあった。というのも、彼女ぐらいの年齢の女はたいてい、所帯をもつか、そうでなければ趣味に勤しんだり自身を着飾ったりするのに忙しく、ほぼ宿命的に多くの物を持たざるをえないのに対して、彼女の部屋ないしその生活はそういった若さに対しておよそ似つかわしくないほど何もなく、貧寒としていたからだった。)
 彼女は目をつむったまま体を起こし、ソファの背もたれにもう一度身を沈ませた。彼女の両手は腿の横に、手のひらを仰向けにしてだらんと置かれていた。頭の中で、ルルルルルルル、と電話の着信音がなり、彼女の肩はわずかにこわばった。それから、あのう、という間延びした男の声がした。
「あのう、これから、ガラスサッシにシリコンを使いたいんですけどね、これって、プライマーは必要なんですかねえ」
 と男は言った。その日の午後四時ごろのことを、彼女はおぼろげに思い出していたのだった。


ええ、ええ、と相槌をうちながら、彼女はデスクの引き出しを開ける。そこにはメーカーのカタログが十冊ほど入っていて、彼女はその中から一冊を抜き取って開く。
「今、カタログを見てみますね」と彼女は言う。
「近藤さん、だっけ?営業さん、電話でないからさあ」と男は言う。
「少々、お待ちいただけますか?」
 彼女はわざとゆっくりした口調でいうと、ページを手早くめくり、そこに書いてあることに目を走らせる。
「そうですねぇ……」と彼女は少し口ごもる。「カタログには、ちょっと、書いてないみたいですね」
「うん」
「そうしましたら、メーカーさんに確認しますので、折り返しでもよろしいでしょうか?」彼女は言う。
「うん」
「申し訳ございません、失礼いたします」
と言って彼女は電話を切る。


 彼女は目を開けて、眼球だけをぐるりと動かして部屋を見渡した。それから体を起こし、照明のスイッチを入れると、たちまち小さな部屋は反射光のような白い光で充溢した。水平線を見つめる漁師のように彼女は目を細め、その目線の先には一つの黒電話が置かれている。それは壁際のサイドボードの上にあって、小さいながらもこの部屋を時代錯誤たらしめる存在である。黒電話は実際に電話線にも繋がれていたが、彼女がこの部屋に越してきてから、その呼び鈴はまだ一度も鳴らされてはいなかった。


「私、……株式会社の……と申します」と彼女は言う。
「お世話になっております」電話口の男が返す、その声は低く抑揚がなかった。
「お世話になっております」と彼女も言う。「御社のシリコンで、ちょっとお伺いしたいことがありまして」
「はい」男は言う。
「お客さんがですね、ガラスの取り付けにシリコンを使うそうなんですけど」
「ええ」男は言う。
「その時に、プライマーは必ず必要なのか、って言うんですね」
「ええ、なるほど」男は言う。
「で、いま、御社のカタログを見ているんですけど、どうもそういうことが書かれていないようなので」
「なるほど、では、少々お待ちいただけますか?」
 男は言い、とたん、「小さな世界」のメロディーが彼女の左耳に流れ込んでくる。
 彼女は男を待っている間、さっとまわりを見渡してみる。目の前にあるパソコンの画面には入力が途中になっている発注書のデータが、机の上には手配の途中になっている注文書の束がある。ルルルルルルル、と電話がなる。誰かがそれをとる。「お電話ありがとうございます……」ルルルルルル、とまた電話がなる。誰かがそれをとる。「お電話ありがとうございます……」四方八方で、大きな交差点の渋滞のように会話が錯綜している。その喧騒の中で、彼女の左耳には相変わらず「小さな世界」の単調なメロディーが流れ込んでくる。
 彼女は頭をそっと垂れ、肘を机にたてたまま、右手のひらを後頭部にやった。鼻先を右腕に押し付けると、背中を丸め、まるで注文書の上で頭を抱え込んでいるような体勢になった。ルルルルルル、と電話がなる。誰かがそれをとる。「お電話ありがとうございます……」
 四角いビルのなかの四角い部屋の一角で、腕の中にできた暗がりと注文書に書かれた数字の羅列をじっと見つめたまま、彼女の瞳はそっと細かくまばたきをした。


 彼女は黒電話から目をそらし、両膝に手をかけながらゆっくりと立ち上がった。彼女にはまだやるべきことがあるのだ。
 彼女はストーブで温まった洗濯物をたたんで戻したあと、冷蔵庫にある食材で適当なスープとチキンソテーを作り始めた。その間に風呂を洗って沸かし、スープができると風呂に入った。風呂から出ると、スープとチキンソテーと前日に炊いてあった白米の残りを食べた。食べ終わると、食器を洗い、翌日の食事の仕込みを少しだけやって、またそれを片付けた。それから部屋のゴミを集めて玄関にやると、その日に彼女がやるべきことは一通り終わったといってよかった。
 その一つ一つの仕事をこなしていく間、彼女は時折その場で、鳥のように腕を上下に持ち上げて振り回したり、足でステップを踏みながら、ぐるぐると円を書くように回った。彼女の目は開かれたまま、口からはフッフッフッ、と小気味良い息が漏れた。そのダンスは加熱と鎮静を繰り返しながら、大胆かつ厳かに行われた。
 やがて彼女は黒電話の方へ歩いて行き、サイドボードの引き出しから本とノートとペンを取り出した。テーブルの上にそれらを広げると、彼女はノートの中身を厳しい眼差しでもって精読していった。

 そこにはアメリカ・インディアンのことが書かれていた。

彼女はアメリカ・インディアンについてのレポートを書いていたのだ。と言っても、誰に見せるわけではない。彼女はただ自分のためにアメリカ・インディアンについてのレポートを書いていたのだ。それはちょうど一ヶ月前から始まっていた。彼女はそのために図書館でアメリカ・インディアンについての文献をあさり、そのほとんどを読破してレポートに落とし込んでいった。レポートはほぼ完成といったところまで進んでいて、今日、彼女はその最終的な見直しをしていたのだ。

 出し抜けに黒電話がリリリリリリ、と部屋の静寂を裂くように鳴った。
 彼女は、先生だ、と思った。
 レポートをほおって黒電話へ駆けつけると、もしもし、と彼女は電話をとった。それから受話器を両手で握りしめ、両目に涙をためながら、先生、と震える声で言った。
「先生、私、ずっと、先生からの電話を待っていたんです」


「そりゃあ、メーカーなんかに聞いたら、プライマーは必要ですって言うに決まってるだろうよ」
 と係長が斜向かいの机から、自分のパソコン画面に向けて独り言のように言った。
 彼女はさっと顔をあげ、じゃあ、本当は使わなくても大丈夫なんですか?と係長のほうへ身を乗り出した。係長は瞼を重そうに半分だけ開けた目で彼女を見据え、椅子の背もたれにのけぞり、人差し指を耳にさしながら、まぁ、使わない客は多いだろうねぇ、とだけ言った。


「お元気でした?私、もう、卒業してから五年も経つんです。早いですね。お変わりはないですか?そうですか、良かった。そう、私、ちゃんと就職して、ちゃんと生活しています。それから今は、アメリカ・インディアンの事について調べています。ええ、本当に、とっても面白くてーー……」
 彼女はアメリカ・インディアンの変遷の歴史について饒舌に語り始めた。そしてアメリカ・インディアンのことを「彼ら」と言ってしばしば弁護した。
「彼らは土地を奪われ、生活さえも変質させられました」と彼女はいった。「彼らはそれを取り戻すために戦ったのです。戦うほかに方法が無かったから」
 彼女の情熱は立ち上る炎のようだった。それはコロンブスの大陸上陸から始まり、天然痘の猛威、宗教的交流、血生臭い争いの歴史……。ピクォート族、イロコイ族、ティぺカヌー、チェロキー族、涙の帰路、サンティー・スー族、アパッチ族、インディアン人権協会、アパッチ族族長ジェロニモ、ドーズ法、そしてウーンデット・ニー……。
 彼女の口からは数々の争いと、それによって融雪のように消えていったアメリカ・インディアン達の名前が止めどなく溢れていった。彼女はアメリカ・インディアンについていつまでも語り続けることができた。それは彼女が本当に語りたかったことだったからだ。けれどアメリカ・インディアンの夢への解釈のおもろしい文献について話がのぼると、彼女ははた、と口をつぐみ、目を見開いたまま、全身をわなわなと震え上がらせた。
「あなたは、先生じゃない」と彼女は感嘆するようにささやいた。「あなたは、ビックフット……。そうでしょう……?」


「あ、私……株式会社の……と申します。お世話になっております。今、お時間よろしいでしょうか?はい、先ほどのプライマーの件なのですが、ええ、確認したところ、メーカーが言うにはですね、やはりプライマーは必要と言うことなんですね。はい、そうなんです。ええ、ただですね、ちょっと上のものに確認したところですね、メーカーはそういうんですけど、実際には使われないお客さんがほとんどらしいんですね。ええ、そうなんです、なので、メーカー的には、あれなんですけど、実際には、ふふ、ふふふ……。」
 吐息のような彼女の笑いは、この部屋にあるおそらく唯一の、黒く丸い穴へ音もなく吸い込まれていった。


 彼女が目を覚ました時、彼女の住む四角いマンションの外はすでに白んで、その色は、陽光の降り注ぐ雪原に横たわるアメリカ・インディアンの影のように淡かった。しかし部屋にいる彼女はそれを知らなかった。カーテンがぴったりと閉められていたからだ。またカーテンの合目からは一筋の光が、鉄壁をすり抜ける疾風のように部屋のなかに潜り込んでいたのだが、彼女はそれにも気付けなかった。昨夜から付けはなしの照明が煌々としているせいだろう。
 彼女はやがて、テーブルに手をついて上体を持ち上げる。軋む背中を慎重に伸ばしながら黒電話を一瞥したあと、頭をゆるく振る。それから立ち上がり、電気ストーブを消し、空気を入れ替えるためにカーテンを開けてガラス戸を引くだろう。向かい入れた冷風とともに彼女は振り返り、しばらくの間、ほとんど無意識に部屋を眺め続ける。彼女の部屋には、鳥もいなければ草の一つもない。なんの疑問もないが、それはよくできた空白のように見えるだろう。

(了)

部屋 ©ななな

執筆の狙い

インディアンというテーマでなにか小説を書きたいな、というのがまずあって書き始め、このようなものになりました。自分でもよく分からない出来になってしまったため、誰かに評してもらいたいと思い、投稿させてもらいました。よろしくお願いいたします。

ななな

122.131.131.224

感想と意見

ドリーム

拝読させていただきました。

三度ほど読み返したのですが、私にも何を描こうとしたのか理解出来ませんでした。
部屋の様子は分るのですが、電話でのやりとりの意味するもの。
一体どんな意味が含まれているのか。インディアンの事を描くなら冒頭から描くべきでは。
私生活から物語が入って、会社の仕事の電話、ごちゃ混ぜで何処に視点を合わせて良いか悩みました。
私の理解不足なのでしょうか。辛口ですみません。

2017-03-21 21:41

27.136.143.51

ななな

ドリームさま

読んでいただき、ありがとうございます。
三度も読んでいただけて、とても嬉しいです。

仰られることすべて、もっともだと思います。
一応、電話のくだりからは、彼女の夢ですね。

リアリズムの小説が好きなのに、書いてくうちに混沌としてきてしまうのが自分でも不思議です。もっとちゃんとした小説がかけるようになりたいです。

ご感想ありがとうございました!

2017-03-22 07:56

49.106.193.236

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