作家でごはん!鍛練場

『影の砦』

埠頭著

 
 怖さを演出するために、なるべくカタカナを使わないようにしました。
テーマは、何かを信じること=幸せなのかということです。全てを恐れるあまり何も信じることができなかった主人公にも、流れに身を任せて自分を見失ってしまった村人たちにも、幸せになるチャンスは平等に与えられていて、結局は自分から動こうとしない限りそれを掴み取ることはできない、というのがこの話に込めたかったメッセージです。

 そいつらが栗目村へやってきたのは、冬の訪れも近い十一月の頃のことだった。
最初にそれを目撃したのは、村の外れに住む吾一という男だった。彼によれば、そいつは異様に細長く先端の尖った黒い帽子を目深に被っていて、畑仕事に精を出していた吾一の前を影のように通り過ぎていったという。

 何せ狭い村のことだから、妙な格好をした得体の知れないものが村に入り込んできた、という噂は瞬く間に広がっていった。迷信深い老人などは、あれは山に棲む物の怪の類だ、災いを運んできたのだ、などと吹聴して回っていた。
 吾一が男を目撃してから数日後、太助が村の外の学校から帰ってくると、すぐさま日がな時間を持て余している老人共がわっと集まって来た。

「太ちゃん、聞いたかい。例の黒帽の男。村長と話つけて、向こう山の空き家に住むことになったんだと」
 そう言ったのは、前歯がところどころ抜け落ちて虫の食ったようになっている高見の家の婆さんだった。太助自身、この田舎の山村に突如現れた黒帽の男に多少は興味のようなものを抱いてはいたが、男の行動を逐一監視して彼に報告してくる老人たちの厚かましさには正直なところ辟易していた。
 
 太助は学生服の裾を弄りながら、老人たちの話に適当に相槌をうってみせた。
「俺ぁてっきり口が聞けないのとでも思ってたから、驚いたあよ」
 頭の禿げ上がった鈴内の爺さんが声を張り上げて言う。この爺は頑固で意地っぱりな上に、いつも怒鳴るような大声でまくしたてるように話すものだから、太助の母などはいつも陰でがんくつ爺と呼んでいた。

「早く追い出さんと、祟りが起こるよ」
「そういえば聞いたかね。今日重豊の旦那さんが、あれが集会所の前を歩いてるのを見たんだと」
「ほんとかい」
「それが……」

 いつの間にか老人たちは、太助を蚊帳の外に置いて談話に耽り始めた。太助はこれ幸いにと、小走りにその場から逃げ出していった。



 黒々とした山の稜線に、赤い夕陽が沈みゆこうとしていた。
家も、畑も、その間を縫う畦道もつかの間真っ赤に染まり、やがて太陽が完全に沈むと共に薄い霧のような闇の中にその身を横たえてゆく。
 太助は夕焼けが嫌いだった。血のような赤で塗りたくられた村は、まるでいつもの村ではない別のどこかであるかのようで、得体の知れない心細さに襲われるのだ。

 太助は早足に家へと向かっていた。稲穂の海を分つ畦道を駆け、用水路にかかる小さな橋の袂へと急いだ。
 夕日を見ないようにと頭を垂れて走っていたから、太助は橋の上に佇む男の姿に全く気付かなかった。

 男の姿は影のように真っ黒で、その輪郭を縁どるようにして逆光が滲んでいた。
太助は心臓がどくんと跳ねあがるのを感じて、足を止めた。三角の黒帽子に、袖の長い異国風の衣。男は橋の縁に立って、村を眺め回しているようだった。

「こ、こんばんは」
 太助は学生服の裾を握り締め、喉の奥から擦れた声を絞り出した。
男は袖を風にたなびかせて、ゆっくりと振り向く。顔は影に隠れてほとんど見えなかった。

「君はこの村の子ですか?」
 男は言った。太助ははやる思いを必死に心の中に押し込みながら答えた。
「はい」
 男はそうですか、と頷くと、そさくさと太助が来た方へと去っていった。
太助は息をするのも忘れて、体を揺らしながら歩いて行く男の後ろ姿にまんじりともせずに見入っていた。後から気付いたことだが、男の衣は白色だった。



 次の日、栗目村にはまたしても憶測と噂の嵐が吹き荒れることになった。

「二人いたよ!」
 高見の婆さんが、登校中村道を歩いていた太助を待ち構えていたようにつかまえて言った。太助が言葉を挟む暇もなく、畳み掛けるようにして言葉を浴びせてくる。
「あたしゃ見たんだ。空き家を見張ってたら、黒帽の男が二人連れだって出てきたんだよ。いつの間に村に入り込んだのか知らないけど、ありゃ何かきっと企んでるに違いねえね」
 太助はしばしぎょっとして、空き家のある浦賀山の方を振り返った。ここからは空き家は見えないけれど、太助には、まるで山自体が黒帽の男に乗っ取られてしまったように感じられた。

「太ちゃんも気をつけないと駄目ね。あたしが子供の頃にも浮浪者が一人入り込んできたことがあってね、その時は……」

 また際限ないお喋りが始まりそうだったので、太助は適当に理由をつけて逃げ出した。

 学校についてからも、太助の頭の中は黒帽の男のことでいっぱいだった。授業の時など、先生に指されていたことに気付かなかったほどだ。実際太助はその一日中常に男の影につきまとわれているようで、何となく気分が落ち着かなかった。踊り場の向こうや廊下の突き当たりにも男がいるような気がして、暗いところに足を踏み入れるのさえ怖かった。



 一週間ほど過ぎると、黒帽の男は四人になっていた。
老人たちによれば彼らは何か仕事をするでもなく、日がなぼろぼろの空き家に籠っているようで、村人も段々と彼らに対する興味を失い始めていた。
 つまりは、彼らは栗目村に定着したのだ。村八分を受けるわけでもなく、何か村に危害を加えるわけでもなく、彼らはただそこにい続けた。

様相が変わってきたのは、さらにそれから数日後のことだった。一人の村人が彼らの元を訪れ、食うものがなくては大変でしょうと米を置いていったのだ。彼らは礼を言って米を受け取った。

 村は、男たちを同じ村人として認める方向に動き出したようだった。原因のひとつとして、男たちが非常に礼儀正しく、紳士的な言葉遣いをすることがあった。彼らは愛想をかかさず、すぐに相手と打ち解けるすべを心得ていたのだ。
 男たちに貼られた得体の知れないものという札は取り下げられ、次第に村人たちは彼らに友好的に接するようになった。

 太助はといえば、そんな村人たちの様子に少なからず危機感を抱いていた。今や、あんなに男たちの悪口を並べ立てていた老人たちでさえ親しげに彼らと話しているのだ。そういった会話によって、彼らについての情報も出回ってきていた。
 彼らは西からやって来たらしく、この村にある信仰を根付かせたいのだという。

 絶対神「あらぬい」を主な信仰の対象としたその宗教は、多くの部分を遥か西欧からやって来たキリスト教や日本古来の神道から拝借しており、全く継ぎ接ぎというに等しい代物だった。
 それでも、未だ宗教などには触れたこともない山村の人々には、それが輝かしく崇高なものとして映ったのである。

 彼らの記した書「創世伝記」によれば、はじめにこの地上にのちのあらぬいの父親である神「あらむ」と同じく母親の「えむ」が誕生し、二人によって世界の枠が形作られたのだという。次に二人はあらぬいと弟の「かむる」を産み、その後あらむは空に、えむは大地になった。
 あらぬいは土地を耕し、畑作をして勤勉に働いたが、かむるは働きもせずに日々を怠惰に過ごしていた。かむるはあらぬいの人柄に嫉妬し、彼を陥れて無実の罪で裁判にかけ、磔にしてしまう。あらぬいがいなくなり世界は荒廃してしまったが、彼が自分は神の子であることを悟り復活すると、再び豊穣にその身を包まれたのだという。

 黒帽の男たちはこの神話と祝詞を栗目村の人々に説いて回った。人々が信仰に目覚めるのに長い時間はかからず、いつの間にか山の麓の空き家は立派な教会へと建て替えられていた。


 
 十二月に入る頃には、栗目村の様相は一変してしまっていた。
村人は皆一様に件の黒帽子と白い衣を身につけ、毎日教会に集まって礼拝をするようになった。四人の男たちのうちはじめに現れた一人、兵吾という男は集まった村人たちを前にしてこう説いた。

「私たちはこの地において創世の神話をいま一度やり遂げたいと思っておるのです。実際に復活が成し遂げられることで、あらぬい教は後代にまで脈々と受け継がれていくことでしょう」

 かくして栗目村には祭りを執り行うための磔台が建てられ、あらぬいの人形を載せた巨大な山車の制作も急遽計画された。これらは全て兵吾の指示によるものであり、今や村人は彼のいうことなら何でも信用するといった有様だった。

 太助はといえば、狂騒の中にある村人たちをひとり醒めた視線で眺めていた。
兵吾の説く思想はひどく幼稚なもので、それにうまく乗せられている彼らが滑稽に思えて仕方なかったのだ。
 また太助はそうした村人たちに嫌悪感を感じ始めている自分に気付いてもいた。簡単に男たちに取り込まれ、自分の頭で考えるということを棄て、一度自分が正しいと信じたものに対しては恐ろしいまでの固着をする。
 
(夕闇の向こうからやってきたあの男たちに、村は乗っ取られてしまったのだ)

 太助は暗雲たれこめる思いを胸の中に押し込め、夕焼けの赤に染められた村の畦道を急いだ。
道行く皆が、橋で出会った兵吾と同じ格好をしていた。帽子も服も不揃いでおまけに継ぎ接ぎだらけのぼろ物で、それが余計に太助の恐怖心を煽るようだった。
 
 稲穂が綺麗さっぱり刈り取られた寒々しい田んぼの傍を通り、太助は家へ急いだ。いくら歩いても同じところへ戻ってきてしまうように感じられ、次第に焦燥を感じ始めた頃合、ようやく太助の家の茅葺屋根が見えてきた。
 心の底から安堵し戸口に手をかけた時、奥からぼそぼそとした話し声がきこえてきた。

「それでは、お宅の太助くんをあらぬいの役として使わせてもらうということで……」
「ええ、よろしいですわ」

 答えたのは太助の母で、もう一方の声は兵吾のものだった。
太助は全身に藤壺のごとく鳥肌がびっしりと立つのを感じて、思わず後ずさった。意に反して、耳は二人の声を聞きとろうと鼓膜をそばだて始めていた。

「……光栄ですわ。うちの太助があらぬい様の役をやらせて頂けるなんて」
「では、祭りの日には太助くんを磔にするということで……」

 太助は大声を上げたくなった。足が震えて両膝がぶつかり、こつんこつんと音をたてている。
心臓は脈を跳ね上げてどくんどくんと波打ち、太助は焦燥と小便が漏れそうになる感覚が体の下の方から湧き上がってくるのを感じた。 
 太助は、まるで夢の中で走っているように足をもつれ合わせて駆け出した。庭の敷石をざくざくと踏み分け、畦道へ出た。

 日は既に沈んでいて、村は不気味な静寂に包まれている。
黒い輪郭だけになった家々が、見慣れた風景が、ぐるぐると回りながら追いかけてくるようだった。太助は何度も転びながら、鼻水と涙でぐちょぐちょになった顔を肘で拭って走り続けた。



 太助は夜の奥に沈みゆく村道を駆け続け、やがて木立がまばらに生える斜面を登って山に入った。

 夜の山には同じものなどひとつもない、様々な音が響き渡っていた。ざわめく梢、やかましく喚く野鳥の鳴き声、どこからか聞こえてくる川のせせらぎ。そういうものが実体を持ったひとつの「音」として押し迫って来るようで、太助は身震いした。
 しばらく右も左もわからぬ闇の中を走り続けて、太助はようやく開けた土地に出た。周り一帯樹木の幹が黒い縞模様のように連なって見えていて、隙間からは栗目村が見下ろせた。

(ああ、結局おれは最後までどっちつかずのままだったのだ。そんな野郎に、幸せが訪れるものだろうか。例え奴らの味わったそれが仮初の幸せであったとして……)

 太助は夜露にしっとりと濡れた学生服の裾をぱんぱんと払うと、地面から土くれを毟り取って思い切り村に向けて投げつけた。



 翌朝、栗目村は蜂の巣をつついたような騒ぎに包まれた。
太助の父母は目を腫らして泣き叫びあらぬい神に助けを求め、高見の婆さんはとえいば白目を剥いて悪霊「でもん」が太ちゃんを連れ去ったのだ、などと吹聴して回っていた。太助は出来のいい子供だったし、あらぬい神の役の件もあって、すぐに山狩りが敢行された。
 
 それからほどなくして、栗目村から離れた遠くの谷で頭の割れた少年の死体が見つかった、との知らせが村に届け出られた。足をすべらして岩底に頭を打ち付けたのが死因らしく、太助と思われるその死体は蓆に包まれて村へと送り届けられた。

 そして太助の死を惜しむ暇もなく、数か月後村では祭りが催された。
あらむとえむをあしらった小さな山車が村道をのろのろとねり歩き、公民館前では遠方から呼ばれてきた楽団がラッパを高らかに吹き鳴らしていた。
 ふたつの人形は石膏で固めた素体に藁や麻の衣を被せてつくったもので、あらむの衣は鎧に似せた風情となっている。

 黒い山並みを背景にして、ふたつの山車はまるでそこだけ切り取ったかのように日光を浴びて白く光り輝いていた。

 そんな華やかな光景の中にあって、兵吾は苦虫を噛み潰したような表情で教会の二階に面した露台に立ち、村の外れに建てられたお粗末な磔台を見据えていた。

 村では数少ない若者の太助がいなくなってしまい、代わりにまだ十にもならぬ彦野という小僧をあらぬいの役に仕立て上げることになったのだ。
 兵吾はそれが気に食わなかった。あの日夕暮れに染まる橋の上で太助と対面した時、これだ、と神憑りにも似た確信を抱いていたのだ。聡明そうな面持ちといい、知性を感じさせる謙虚で勤勉な姿勢といい、兵吾の思い描くあらぬいの像と寸分も違わないものだった。

 これでは、人々に絶大な印象を与えることはできないだろう。栗目村全体をあらぬいの復活と共に豊穣に包まれたかの土地に例え、その村を網目のように走り抜ける畦道をあらぬいの血の流れとする。
 彼は、計画は失敗したも同然だと頭を抱えた。彦野をご神体として担ぎ上げたところで、それは最早自分の思い描いていたあらぬい教ではない。

 兵吾はため息を吐き上げ、黒いほどに濃く晴れた空を仰いだ。
太鼓の音に合わせて、金色に光る衣を纏った鬼がゆっくりと村道を歩いてきた。その後ろを、黒い帽を被り袖長の衣を纏った数十人の村人たちがうじゃうじゃと、地を這う蟻のごとく埋め尽くしている。

影の砦 ©埠頭

執筆の狙い

 
 怖さを演出するために、なるべくカタカナを使わないようにしました。
テーマは、何かを信じること=幸せなのかということです。全てを恐れるあまり何も信じることができなかった主人公にも、流れに身を任せて自分を見失ってしまった村人たちにも、幸せになるチャンスは平等に与えられていて、結局は自分から動こうとしない限りそれを掴み取ることはできない、というのがこの話に込めたかったメッセージです。

埠頭

60.67.255.252

感想と意見

hir

 拝読しました。
 磔はカタカナで書いたほうが怖くなりそうな気がします。
 信じる信じない以前に、この話の中で幸せを望んでいる人が居たのか疑問です。

2017-03-20 22:49

210.149.159.38

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