作家でごはん!鍛練場

『有型の残骸』

田中蜜柑著

中島敦の文字禍を下敷きにしました。
テーマは、自我とかアイデンティティとか。

 古代アッシリヤの、アシュル・バニ・アパル王の治世下、老博士ナブ・アヘ・エリバの報告に、既にその記載がある。今日に至っては誰もがその存在を知りうるところの、文字の精霊である。当時のアッシリヤにおいては、夜闇を跳梁するリル、リリツ、疫病をふり撒まくナムタル、死者の霊エティンム、誘拐者ラバスなどの精霊群の存在が既に衆知されていた。老博士ナブ・アヘ・エリバはそこに新たな研究の成果を報告された。
 粘土の板に硬筆をもって記された彼の報告をここに引用する。
――人はある物の影を、その物の魂の一部と見做しているようだが、文字は、その影のようなものではないのか。
 そして、ナブ・アヘ・エリバ氏はこう推察している。
――文字の精は、歓びや知恵を人々に施し、本来影でしかない歓びや知恵を人々に与え、物憶えの悪いものに記憶の術を与えた。文字が普及して、人々の頭は、無益な労苦から解放されたのである。
 しかし、不可解なのは後年、氏が遺した記述である。曰く、
――文字ノ精ハ、蛆虫ガ胡桃ノ固キ殻ヲ穿チテ、中ノ実ヲ巧ニ喰イツクスガ如ク人間ノ鼻・咽喉・腹等ヲモ犯シ人間ノ頭脳ヲ犯シ、精神ヲ痲痺セシムルニ至ル。
 
 わたしは、ナブ・アヘ・エリバ博士と文字の精霊を心より崇拝してきた。文字列に宿る精霊に、わたしは生かされているのである。だが博士の記述を額面通り解釈すれば、まるでその精霊が悪しきものであるかのようにきこえる。
 わたしも氏が行ったように、沈黙と凝視をもって真実を見極めんとした。文字列から文字の精霊を観察した。文字列が表わすことのことごとき真であることを改めて発見した。老博士は一体その中に何を見たのか? なぜあのような記述を遺した? あるいは、氏は晩年になって気がお触れになったのではないか。だが、それにしては博士の遺した文面には確かに精霊の姿が見える。では、なぜだ? なぜ? 
 手元にあった粘土板は博士の記したものの写しであったから、王国図書館へ赴き、元板を観察してみたが結果は変わらなかった。
 私の研究は一向、進まなかったが、ある朝のことである。突如眩暈を覚えた。いや、大地が揺れている。地震であろう、建物が崩れ落ち人々は秩序を失って辺りは一瞬のうちに廃墟と化した。ほうほうの体で我が家に戻ったわたしが見たものは崩れ落ちて見るに堪えない残骸であった。それでも瓦礫から、粘土板を掘り起こしたときそれがばらばらの破片になっているのを確認した。なぜか、心中にただならぬ危機を感じてその破片に目を通す。違う。これでは意味をなさない。思えば、全てを文字とその精霊に委ねていた。その粘土板に記されたことが事実であり、ナブ・アヘ・エリバはナブ・アヘ・エリバでありわたしはわたしだった筈だ。手に持った粘土の残骸はもはや何も語らなかった。

有型の残骸 ©田中蜜柑

執筆の狙い

中島敦の文字禍を下敷きにしました。
テーマは、自我とかアイデンティティとか。

田中蜜柑

114.163.8.172

感想と意見

hir

 拝読しました。
 書きたいことがいっぱいあって、手が止まらなくなって、了いには文字がピョンピョン飛び出して、ペコペコお辞儀をした。
 難しいことを考えていたようですが、粘土板の上はにぎやかだったかもしれませんね。

2017-03-20 22:58

210.149.159.38

田中蜜柑

すっからかんの頭で、りくつをそらんじてはいつも決まって嘆き、
生きた文字にあこがれて、かきなぐってもこれじゃあない。アッシリヤにはあるそれは此処にはなく。
愚々愚々かたかたかた眼汚しか。意味も無く。、

2017-03-21 16:30

114.163.8.172

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