作家でごはん!鍛練場

『便利屋AIAIの事件簿~犬はどこだ~』

山﨑丹生著

ミステリを読むのが好きで、自分でも書いてみたいと思い、何作か書いています。
自分なりに書くのに制限を設けていて、「人を傷つけない」「舞台は田舎」「コメディタッチである」です。
ミステリならではの意外性やスリリング性よりも、ほんわかするものが書きたいと思っています。
感想や指摘したい点がありましたら、よろしくお願いします。

札所(ふだしょ)巡(めぐる)の視線の先には、一軒の小屋があった。フェンスに囲まれ、出入り口は一か所。辺りには雪が一面に二十センチほど降り積もっており、小屋へと向かって二筋、足跡が続いている。行きと帰りの足跡だ。行きの足跡は一定の距離で点々と続き、持ち主が落ち着いていたのが分かる。しかし、帰りの足跡は乱れて、動転している様子が見て取れた。まるで小屋の中にいると思っていたものが、見当たらなかったみたいに。

「とうとう密室消失事件の依頼があった。これぞ名探偵にふさわしい」

 隣で腕を組んで不敵に笑う草鞋(わらじ)勝也(かつや)に、巡は冷えた声で応じた。

「所長。僕の目には犬が逃げた後の空っぽの犬小屋しか見えません」

「何を言う、札所くん。あれはどう見ても雪上の密室だ。足跡は発見者の行きと帰りのものだけ、しかし、雪の夜、小屋の中で寝ていた筈の犬はどこにもいない。これぞ謎の消失事件!」

「言っててむなしくないですか?」

「……少し」 

 草鞋は正直に言うと、着ぶくれたコートの中で窮屈そうに肩の位置を直した。古着屋で購入した見るからに重いモッズコートだが、背の高さに合わせて買ったら肩幅が合わない。身長のわりに痩せているのである。

 対照的に小柄で小太りなのが巡だ。今日は赤レンガ色のニット帽にベージュのダウンジャケット、ジーンズにスノーブーツという完全防寒のいでたち。手編みのピンクのマフラーが完全に浮いている。草鞋が所長、巡がアルバイトをしている『便利屋AIAI』の事務員、釈氏(しゃくし)奈津子(なつこ)が編んだものだ。巡だけでなく、草鞋も黒のマフラーを押し付けられて身につけている。見た目は良くないが、暖かい。

「僕たちが頼まれたのはいなくなった犬を探すことで、密室とやらの謎を解くためじゃないですよ。わかってますか、所長」

「わかっている。犬は雪が降りだす前に逃げたのだろう。そうそう密室なんてお目にかかれないさ」

 言い訳しながら、草鞋は名残惜しそうに犬小屋を眺めている。

 ほんとうは、密室であってほしいんだな。巡は呆れた。まったく、所長の探偵趣味にも困ったもんだ。

「便利屋さん、お待たせしました。どうぞ中にお入りください」

 背後から女性の声がして、二人は振り向いた。

 丸顔にどんぐり眼、おまけに眼鏡のフレームまで丸い、ワンピースに厚手のタイツを履いた小柄な若い女性が一軒家の戸口からこちらに呼びかけている。一軒家――こちらはもちろん人間サイズ――は平屋建てで、薪ストーブの煙突が出ている田舎風洋風建築。一般道路に面した庭戸から玄関ポーチまで飛び石が続くつくりで、その小径の雪は既に掃かれている。草鞋と巡はそこから庭に一歩入ったところにいたので、雪の上をまず移動して小径に出、それから玄関へと向かった。ポーチで脛についた雪を払い、女性に挨拶する。

「はじめまして、便利屋AIAI所長の草鞋、こちらは所員の札所です。お電話くださった古泉さん?」

「はい。連絡したのは私です。でも、犬の飼い主は鹿野(かの)小太郎先生とおっしゃって、奥の方に。足を悪くしていらっしゃるんです」

「ほう、ではあなたは?」

「私はフリーペーパーの編集者です。鹿野先生のお宅に原稿を取りに伺って、ついでにマルちゃんに会おうと犬小屋を覗いたら、マルちゃんがいないのに気がついて……」

 巡は二人の会話を聞きながら、要点をいくつか心にメモした。

①依頼人は鹿野小太郎。フリーペーパーに原稿を提供する地元の引退した国語教師。

②逃げた犬は雑種のマル(雌/7才)。体重十キロの中型犬。おとなしい性格。

③マルが逃げたのが発覚したのは今朝八時。原稿を取りに来た編集者が発見。

 短い廊下を歩きリビングにたどり着くと、テーブルに杖を立てかけ、胡麻塩頭でセーターにチノパン姿の頑固そうな男性が椅子に座ってこちらをにらみつけていた。

「遅い! 電話してから何時間待たせる。昨今の若者は時間も読めんのか!」

 どん、とテーブルの上の茶碗が震える。調度に負けず劣らず、高級そうな茶碗だ。薪ストーブといい、高価そうなチェストといい、鹿のはく製が飾られていないのが不思議である。草鞋がすかさず営業トークに入った。

「申し訳ありません。軽く辺りの様子を頭に入れておりました。ワンちゃんはどうやら雪が降る前に逃げたようですね。すると十四時間以上が経っていることになります。遠くまで行ってしまったかもしれません」

「そんなことはないぞ、夕べの十時には小屋に入っていた。まだ十一時間しか経っていない」

 草鞋はここで片眉を上げた。巡は昨日の天気を思い出す。雪が降りだしたのは午後六時頃だ。午後十時にはずいぶん降り積もっていた。そして、やんだのは午後十一時あたり。目撃直後に逃げだしたにしても、雪にへこみくらいは残っていそうなものである。だが、先ほど見た雪の表面は真っ平だった。。

「そうですか、午後十時には小屋に……。それは鹿野先生がご自身でご覧に?」

「私ではない。この門次郎(もんじろう)が見た」

 鹿野が顎をしゃくった先には、青い格子柄のセーターにジーンズを履いたひょろりと細長い青年が立っていた。鹿野が日焼けして恰幅がいいのに比べ、門次郎は細面で色白だ。しかし共通の見事な鷲鼻が、二人が血縁である事実を物語っていた。

「私の甥っ子の門次郎だ。私は一人暮らしなので、色々と世話を頼んでいる。夕べも午後十時過ぎまでこの家にいた」

 門次郎は軽く頭を下げると、

「夕べは薪ストーブの調子が悪くて、十時過ぎまで様子を見ていました。マルを見たのは柱時計が十時を打った頃です。猫か何かが近くを通ったのか、鳴き声がして、ここの窓を開けたら、小屋の中にいるマルが見えました。夕方に入れたばかりの、新しい毛布にくるまっていました」

「マルの鳴き声なら私も聞いた。時間もその通りだ」

 ふたりは鷲鼻を向かい合わせて頷き合う。

 巡はなんだか出来の悪い推理小説を読んでいる気分になってきた。

 雪降る夜、犬が足跡も残さず犬小屋から消えた? まるで密室じゃないか。

 嫌な予感がして草鞋の様子を窺うと、彼は今にもよだれを垂らしそうだった。

「そ、それでは、マルちゃんは足跡も残さず雪の上を歩き、逃げ出したということに……」

 草鞋は興奮のあまり、どもりながら結論を出そうとする。と、冷静な声で門次郎はある事実を告げた。

「マルはフェンスの下を抜けて、隣の竹藪へ続く抜け穴を地面に掘っていました。そこから逃げ出したんだと思います」

「――へ」

「犬小屋の屋根の出っ張りが長いから、そこの下の雪の積もっていない部分を通ったんでしょう。小屋の真裏に穴があるはずですよ」

「どうか、マルを見つけてくれ。娘の気に入りの犬なんだ」

 鹿野が、態度に似合わない低姿勢で草鞋に頼み込んだ。しかし草鞋は放心の体だった。


「あれ、穴、塞がれてますね」

 巡は手袋をした両手で竹や雑草をかき分け、隣の敷地の竹藪の地面を覗き込みながら言った。下半身は鹿野家の敷地、正確にはマルの小屋のフェンスの中に残したまま、フェンス越しに上半身だけが越境して隣の竹藪の中を覗いている。

 マルの小屋の地面には確かに隣の竹藪へ向けて小さい穴が掘られていた。直径二〇センチばかりのその穴は、マルが通るのにちょうどの大きさのようだ。しかし、入り口は視認できたが、出口がどうなっているのかは竹に阻まれてできない。巡が小柄な体をフェンスに押し上げて向こう側を覗いたのはそのせいだ。

 巡の言葉を聞いた途端、草鞋は「何?」と言って巡の体を押しのけた。彼は長身なのでフェンスに乗り上げなかったが、上半身も長いので巡の見ていた位置を探り当てるのに時間がかかった。

「なんと、穴が石で塞がれているうえに雪が積もっているではないか!」

「何で説明口調なんですか」

「探偵とはこういうとき事実を口に出すものだ」

 巡には理解できない世界である。

「困ったな、これではいよいよ密室ではないか。雪上の密室に抜け穴があったと思ったら、雪が降る前に塞がれていたとは」

 まったく困っていない口調でうきうきと草鞋は腕を組んだ。

「マルが逃げ出した後に塞がれた可能性もあるんじゃないですか?」

「君は雪が降っている夜に、わざわざ犬しか通れない竹藪の抜け穴を塞ぐのかね?」

 巡は反論をやめた。

「これはもう少し、犬小屋を調べないといけないな」

 草鞋は犬小屋の表に回った。小屋の中から、オレンジ色の毛布の切れ端がはみ出している。

「……新しいな。汚れが全くついていない」

 草鞋は毛布の切れ端を掴んだ。

「昨日の夕方に新しいのを入れたばかりだって、門次郎さんが言ってたじゃないですか」

「くしゃくしゃに丸まって、中心に向かってへこんでいる」

「そりゃ犬がくるまったんだから、そうなるでしょう」

「ふむ、そうだな」

 草鞋は腕を組んだまま、考え込んだ。

「庭全体を調べてみよう」

 ふたりは鹿野家の庭の配置を確認した。一般道路から見て、庭戸は敷地の左端に位置している。一軒家は庭の奥中央に位置しているので、庭戸から玄関ポーチへの小径は右に少しずつ湾曲している。空いた庭の右スペースに犬小屋があり、右隣の竹藪を背にするようにして建っている。

 草鞋は庭全体に残された人間の足跡やバイクの轍を調べた。

「バイクの跡はあの女編集者さんですかね。ポーチの横にバイクが置いてある」

「車の轍を通れば、積雪の中でもバイクは出せる。意外だな、君よりも小柄な女性なのに」

「言っときますが、僕がスクーターに乗っているのはバイトの時給が安いからで、バイクが扱えないからじゃないですからね」

 会話しながら、ふたりは小径の飛び石の周辺を調べた。

「ここらあたりは掃かれていて、足跡はわかりませんね」

「ふむ、門次郎さんがやったんだろう。朝早く呼び出されただろうに、手際のいいことだ」

 草鞋は感心しながらも、手がかりがないことへの不満か、鼻を鳴らした。

「おや」

 草鞋がコートのポケットからスマートフォンを取り出した。着信があったようだ。

「奈津子くんか、どうした?」

『あ、所長、おはようございます。事務所にかけたら留守だったので』

 数日前から休暇で旅行中の事務員の奈津子からだった。草鞋は用件を聞く。

『今、池袋なんですけど、お土産を買おうと思って。所長、どうせデパ地下のお惣菜とか食べたことないでしょう?』

「決めつけないでくれたまえ。デパ地下のお惣菜くらい食べたことがある」

『閉店ぎりぎりの値引き商品じゃなく?』

 草鞋は黙った。 

 その沈黙をどう受け取ったのか、奈津子は今日の仕事を尋ねた。

 草鞋が簡単に説明すると、スマートフォンの向こうで、奇妙な笑い声が聞こえた。

『ふふふ……』

「どうした、奈津子くん。年末臨時セールの案内放送でもあったのか」

『違います。わかりましたよ私、その、マルちゃんが消えたトリック!』

「どういうことだ」

 奈津子はくつくつと笑いながら言った。

『ずばり、クレーンです』

「は?」

『だから、工事現場用のクレーンで犬小屋ごとマルちゃんを持ち上げて、マルちゃんを降ろした後、改めて犬小屋をもとの位置に戻したんです』

「…………」

『クレーンなら道路からでも十分にマルちゃんの小屋に届きます。道路は車の轍でぐちゃぐちゃなんですよね? だから、クレーンが通った後ももうわからないんですよ』

 草鞋は奈津子の本棚に赤川次郎があることを確信した。

「奈津子くん。悪いが、それはない」

『えぇ~。どうしてですか?』

「自分のいる犬小屋が持ち上げられたら、いくらおとなしい犬でも気づいて騒ぐだろう。それに、深夜にクレーンが動く音をどうごまかすかも考えなくてはならない。それに」

 草鞋は鹿野家が面している一般道路を振り返った。普通乗用車が一台、何とか通り抜けられる程度の幅しかない。

「この家の近くにクレーンが入り込める余地はないよ」

『え~。ざんね~ん』

 奈津子はさほど残念でもなさそうな声で詠嘆すると、帰りの特急の時間を告げて電話を切った。

「まったく、奈津子くんはマイペースだな」

 草鞋はため息をつくと、スマートフォンをしまった。マイペースな点では草鞋も奈津子に劣らないと巡に思われているとは知りもしない。

「そろそろ外に探しに行きませんか?」

 巡が下ばかり見て痛くなった腰を伸ばして問いかけると、

「いや、もう少しこの辺りを調べておきたい」

 草鞋が答える。その時、一軒家の中から人の争う声が聞こえた。

草鞋と巡が鹿野家の玄関を覗くと、困り顔の門次郎が

「助けてください」

 とやってきた。

「伯父さんが古泉さんに、犬を逃がしたのはお前だろうと言い出して」

 リビングでは鹿野が椅子に座ったまま古泉にくってかかっていた。

「君はたいそう犬好きだったな。ろくに散歩にも連れていけないうちの犬をかわいそうだとか前も言っていた。犬がいないのを見つけたとか言って、君が逃がしたんじゃないのか?」

「なんで私がそんなこと。いくら散歩に行けなくても、マルちゃんは庭で放されることもあったし、問題と思っていませんよ」

「だが、私はマルの世話をろくにしない。それを飼い主の資格がないと思って」

「ですから、飼い主の資格のあるなしなんて、私は決めませんてば」

 古泉がいくら言い聞かせても、一度、火のついた鹿野の疑いの心は止められないらしい。草鞋はこほん、と咳払いすると、ふたりの間に割って入った。

「鹿野さん、ご安心を。古泉さんはマルちゃんを逃がしてなどいません」

「なぜそう言い切れる?」

 鹿野は血走った目で草鞋をにらんだ。草鞋はリビングの窓から犬小屋を指し、

「犬小屋の前にあった足跡は二本で、犬のものはなかった。仮に、古泉さんがマルちゃんを逃がしたのだとして、彼女は少なくとも庭の小径まではマルちゃんを抱いて運んだことになります。ところで」

 草鞋はそこで、古泉を示した。

「彼女は小柄で華奢です。おそらく体重は五〇キロあるかないか――」

「そんなにありません!」

「――だそうです。比べて、マルちゃんの体重は十キロ。つまり、行きと帰りで足跡にかかる体重は十キロ違うんです。すると、当然、足跡の深さも違うことになる」

「足跡の深さ?」

 鹿野が眉を寄せた。

「はい。数センチ程度の積雪ならわからないでしょうが、昨日の積雪は二〇センチはありましたから、体重によって雪に残る深さは違います。重いほど深い。しかし、彼女の小屋の前の足跡は、行きも帰りも同じ深さです。帰りの方が乱れてはいますが。外に出て確かめてみますか?」

 草鞋の視線から、鹿野は目を逸らした。 

「いや……いい」

「ありがとうございます」

 草鞋はにっこり微笑んだ。古泉が視線と笑みで礼を言う。草鞋はこっそり彼女にウィンクを贈った。――ばっちり両目をつぶっていた。

「それで、君たちはいつマルを探しに行くんだ?」

 鹿野が機嫌悪そうに咳払いをした。

「君たちへの依頼はマル探しだ! さっさと探しに行け!」


「すいません。伯父は妻と娘に出ていかれて以来、人当たりがきつくて」

 玄関先で草鞋と巡を見送りながら、門次郎は謝った。

「マルも、かわいがっているとは思えないんですが、従妹がマルを溺愛していて週に一度訪ねて来るんです。伯父はそれでマルを手放したがらないんだと思います」

 草鞋はふむ、と頷いて、

「マルちゃんくらいの中型犬なら室内飼いでもおかしくないのに、外飼いなのはそういうわけですか」

「はい。以前は室内犬でした。だからマルは今でも放すと家の中に入りたがって、いつも玄関ポーチのところにいるんです」

 杖をついて歩く音がして、家の奥から古泉と鹿野が出てきた。草鞋たちを見て、

「なんだ、まだ探しに行っていないのか」

 鹿野がかみつきそうな顔になる。古泉に顎をしゃくって、

「門次郎、お前、古泉さんに袋をお貸ししなさい」

「袋。どんなものを?」

「丈夫なやつだ。この編集者は不勉強で父冨の歴史もろくに知らん。郷土史の資料を貸してやるから入れるものが要る」

「はい。ええと……」

 門次郎が奥へ引っ込もうとすると、鹿野が思いついたように声をかけた。

「ああ、あれがいい。昨日お前が置いていった袋だ。厚くて丈夫そうだったな」

 門次郎は一瞬考え込んだような様子を見せ、それから、

「わかりました」

 と言って去っていった。戻って来た手にはオフホワイトの帆布のトートバッグがある。古泉は恐縮した様子で、

「あら。悪いです、そんな高価そうなものを借りるなんて」

「いらんいらん。昨日だって、この袋を置いて小学校の時作ったナップサックで帰るような男だ。宝の持ち腐れだ」

 鹿野は手を振って袋を門次郎から古泉に渡すよう指示すると、数冊の書物を持ってくるよう門次郎に言った。

じろり、と草鞋と巡をねめつけて、

「いつまで突っ立っている? さっさと犬を探しに行かんか!」


草鞋は陽光に溶けていく鹿野家の庭の積雪を眺めていた。

「所長、これからどうしますか」

 隣で巡が尋ねる。草鞋は軽く頷くと、

「古泉さんが出てくるのを待つよ」


 数時間後、草鞋と巡は鹿野家のチャイムを押した。

 顔を出したのは門次郎で、ふたりの訪問に戸惑った様子だ。

「もうマルが見つかったのかね? 意外に有能だな」

 鹿野がリビングのいつもの席でふんぞり返る。

「ええ、有能すぎると言われます」

 草鞋がテーブルについてからにやりと笑った。

 巡は隣で、そんな評価は初耳だな、と内心ツッコミを入れた。

「それでマルはどこだ。見たところ、連れていないが」

「現在、うちの事務員とこちらに向かっています。世話している方の説得に苦労しまして」

 巡は門次郎の様子を盗み見た。鹿野の隣で黙しながらも驚愕に目を見開いている。

「もうそんな人間を見つけていたのか。ずいぶん要領がいい」

「要領の問題ではありませんね。仲介者がいましたから」

「仲介者?」

 鹿野の眉毛が逆立つ。

「どういうことだ?」

 草鞋は門次郎にそれとなく視線を送った。自白を促していると巡は汲んだが、門次郎は蒼白の顔で微動だにしない。

「マルは盗まれた、ということです」

 鹿野の顔が一気に憤怒の色に染まる。

「誰だ、そんなことをしたやつは!」

 草鞋は両手を上げて鹿野を落ち着かせようとした。

「まぁまぁ。動機を考えてみましょう。あなたからマルを盗みたい、と考える人間に心当たりはありませんか?」

 鹿野は吐き捨てる。

「思いもつかないね。せいぜい、あの編集者くらいだ」

「彼女は犯人ではありません。昼間説明したとおりです」

「ふん!」

 鹿野を無視して、草鞋は話を続けた。

「その人物はマルを盗みたい、手に入れたいと考えていた。何故なら、マルが好きだから。マルがろくに散歩も連れていかれず、かわいがられてもない様子に心を痛めていた。かつては室内犬だったマルが、今は家の外に追い出されている。なのに自分に出来るのは、せいぜい週に一度、家に通ってあげることだけ」

 草鞋の話す言葉に従って、鹿野が目を見開いていく。

「そして思い余った彼女はとうとう、唯一、マルの家に出入りしている従兄に頼んだ。お願い、マルを連れてきて――」

「門次郎! まさか、お前、安寿(あんじゅ)に頼まれて――」

 鹿野が隣に座った門次郎の肩を両手で掴む。がくがくと揺さぶられ、蒼白だった門次郎の頬に、少しずつ赤みがさしていく。

「だって、安寿ちゃんがかわいそうで。マルをあんなに溺愛していたのに、週に一度しか会えないなんて」

「しかし、面会が週に一度というのは向こうの出した条件だぞ。私は安寿が来るなら毎日だってかまわないんだ!」

「伯父さんに会うのは週一回で十分なんですよ。安寿ちゃんが会いたいのはマルなんだから」

「なんだその言い方は! 私がマルよりも会う価値がないような!」

「当たり前だ、怒鳴ってばかりの頑固親爺に会う価値なんてあるか!」

「なんだと!」

 巡は無言で供されていた茶を啜った。

目の前は伯父甥の口喧嘩の様相を呈してきている。

「所長」

「なんだい、札所くん」

「プレゼンの方法、間違えましたね」

 草鞋は茶をぐっと飲み干すと、舌を出して苦そうに顔をしかめた。


「最初に引っかかったのは犬小屋の毛布だ。綺麗すぎる。少なくとも一回は犬がくるまったはずなのに、抜けた毛の一本もついていない。あれは、新しい毛布を犬が寝たように丸めただけだ」

 数時間前。古泉から鹿野の元妻の居場所を聞き出した草鞋は、そこへ向かって自動車を運転する道すがら、巡に説明した。

「降雪中に犬が犬小屋にいるのを目撃したのがひとりだけなのも気になった。鹿野さんは犬の鳴き声を聞いたというが、そっちはどうとでもなる。スマートフォンにあらかじめ犬の声を録っておいて、ポケットの中で操作すればいい。後は窓を開けて、犬が猫に吠えたようですよ、で一丁上がりだ」

「じゃあ、マルは最初から、雪が降ってから犬小屋に入っていない?」

「だろうな。抜け穴から竹藪に逃げたように偽装しようと、雪が降る前に庭に放しておいたんだろう。そうするとマルは家の中に入りたがって玄関ポーチのところに来る。玄関ポーチは屋根があるから、雪が降っても庭に足跡は残らない」

「そんなうまくいきますかね?」

「ポーチに眠り薬入りの餌でも置いておけば間違いない。腹が減ったらマルは餌を食べて、そのまま門次郎さんが帰るまでおねんねだ」

 巡は門次郎のとった一連の行動を頭の中で整理した。

「その流れだと、鹿野さんをごまかすのは門次郎さんしかできなくても、マルを連れ出すのは誰でもいいんじゃないですか?」

「いや。門次郎さんだ」

 草鞋は断言する。

「証拠は、帆布のトートバッグ」

「トートバッグ?」

 巡は袋に関する玄関先での出来事を思い出した。

「あれ、何か意味があったんですか?」

「君は高価な帆布のトートバッグを単に袋と表現する古い男の家に置いて帰るかね? 小学校時代に作ったナップサックに荷物を入れ替えてまで?」

「……えーと」

「しないだろう。つまり、トートバッグをナップサックに変える必要があったんだ。どんな必要か? トートバッグではできなくてナップサックならできること。すなわち、両手が自由になる」

「両手が自由になる?」

 巡は自分の両手を見た。はて?

「わからないかね? 犬が抱きやすいじゃないか」

「あ!」

「最初はトートバッグを片手に、マルを片手にで帰ろうとしたのかもしれない。しかし、積雪二〇センチでそれはアンバランスだったんだろう。十キロの犬は片手では扱いにくい。荷物を背負って、両手で犬を抱くのが一番安定する」

 巡はその様子を想像した。

「でも、それならマルをトートバッグに入れればよかったのでは?」

 草鞋はため息をついた。

「門次郎さんのトートバッグの色は?」

「え、と、オフホワイトでしたね」

「マルは外犬だ。――トートバッグが汚れるじゃないか」

 巡は心の中で両手を打った。

「感心していいんだぞ、札所くん?」

 鼻の穴を膨らませた草鞋に、巡は絶対喜ばせないぞと心に誓った。


 チャイムが鳴った時、伯父と甥の口喧嘩は最終局面を迎えていた。話は過去へ遡り、五歳の門次郎に鹿野が寒中水泳を強要した話題にまで及んでいた。もはや娘、従妹は関係ない。

「……お父さん!」

 そんななかリビングに現れたのは、セーラー服姿の少女だった。透き通った白い肌に細い鼻、小さな唇。この場にいる誰にも似ていないが、この場でお父さんと呼ばれる立場にあるのは鹿野だけなので、彼女は鹿野の娘のようだ。

 彼女は白地に茶色の鉢割れで、背中と尾っぽに大きなぶちのある犬を抱いていた。写真で見せてもらったマルだ。無邪気にしっぽを振っている。

「お父さん、ごめんなさい。私、ひどいことをしてしまった……」

 少女はほろほろと涙をこぼす。鹿野はその涙を見た途端、すべての怒りを忘れた菩薩の顔になった。力ない声で、

「いいんだ、安寿。お父さんは安寿が来てくれるなら、マルを盗んだことなんて許――」

「でも安心して! 便利屋さんが、いい案を考えてくれたの!」

「え?」

 ぱあっと顔を輝かせた少女に代わって、鹿野の前ににょっと飛び出たのは釈氏奈津子だ。胸を大きく開いたダウンジャケットに、胸の谷間の覗くV字セーター、ファッションにそぐわないオレンジの手編みマフラー。

「はじめまして、ワタクシ『便利屋AIAI』の釈氏奈津子と申します。このたびはお嬢様からのご依頼を承りましてお伺いさせていただきました。週五日、お嬢様とマルちゃんのお散歩のお相手を務めさせていただきます。お時間になったら私どもがマルちゃんを迎えに参りまして、お嬢様と散歩をご一緒した後、マルちゃんを私どもがこちらまでお送りするというプランで、一日当たりの料金は――」

 電卓片手に立て板に水といった調子でまくしたてる奈津子に、鹿野はついていけず呆然としている。門次郎も同様だ。

 その様子を眺めながら、

「札所くん、うちの事務員はプレゼン強いなぁ」

「ええ、参考になりますね」

 もはやそれ以外に言葉のない草鞋と巡であった。


(おわり)

便利屋AIAIの事件簿~犬はどこだ~ ©山﨑丹生

執筆の狙い

ミステリを読むのが好きで、自分でも書いてみたいと思い、何作か書いています。
自分なりに書くのに制限を設けていて、「人を傷つけない」「舞台は田舎」「コメディタッチである」です。
ミステリならではの意外性やスリリング性よりも、ほんわかするものが書きたいと思っています。
感想や指摘したい点がありましたら、よろしくお願いします。

山﨑丹生

122.30.123.153

感想と意見

黒とかげ

拝読させていただきました。

自分を棚に上げて厳しいことを書かせていただきます。

文章について
 ・最低限の状況説明は描写されていますが、もう少し地の文が欲しいなと感じました。
  地の文に書かれていることが全て推理に直結するのでどうにも結末に驚きがありません。
  ミスリードのように推理に関係ない情報を加え、読者が推理し難くなるような工夫あると良いかと。

物語について
 ・一番の問題は犯人がどうしてトリックそのものを使ったのかという点だと思います。
  別にトリックを使わなくても普通に犬を連れだせば良かったのでは?
  その点は絶対に説明が必要です。
  他にも最後に犯人の犯行の独白がもっと詳しく書ければ推理小説らしくなると思います。

以上です。お互い文章書きとしてがんばりましょう。

2017-03-18 23:36

124.86.172.187

hir

 拝読しました。
 飼い犬を捜索するだけでは事件性が薄く、強引にミステリーを仕立てた感じがします。
 いっそ、扱われ方を不憫に思った娘がこっそり持ちかえっただけなのに、探偵気取りの主人公が事件っぽく騒ぎ立てて周囲を混乱させるのはどうだろうと考えました。

2017-03-19 00:41

210.149.158.220

山﨑丹生

黒とかげ様

批評をありがとうございます。
今まで、他人から「読んだよ」以上の感想を受けた経験がなかったので、
真剣に読んでいただけてうれしいです。

地の文については、自分でも書くのが苦手だという自覚があります。
プロ作家の本から好きな描写の文章を書きぬいたりして研究しているのですが、
どうも自分の考えた光景を描写するとなると、苦手です。
頑張ります。

物語について。
犯人がなぜトリックを使ったかというと、
彼は伯父に対して強い恐怖とコンプレックスがあったので、
自分も従妹も絶対に疑われない状況で犬がいなくなった、ということを強調したかったからです。
しかし、本文でそのことをどう主張すればいいのかわからなかったので、あいまいな書き方になってしまいました。
反省しています。

次回もミステリを書こうと考えているので、
いただいた批評を参考に、頑張ります。

ありがとうございました。

2017-03-19 18:31

122.30.123.153

山﨑丹生

hir様

批評をありがとうございます。
確かに、事件といえば犬がいなくなっただけなので、ミステリーとしては小さいですよね。
しかし、そういう日常に密着したミステリが書きたかったので、その点では後悔していません。

>探偵気取りの主人公が事件っぽく騒ぎ立てて周囲を混乱させる

こういった発想はありませんでした。
この短編の探偵役の性格から考えると”騒ぎ立てる”のはありえないのですが、
最後に登場した事務員の性格では”騒ぎ立てられる”ので、
彼女を話のメインに持ってくるときに使えるかもしれないです。

どうもありがとうございました。

2017-03-19 18:35

122.30.123.153

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