作家でごはん!鍛練場

『アンドロイドの美人局』

岡田寄良著

ラノベ風。
エンタメ風。
流行りのフェミニズムには乗れてない感じ。

自分ほど運の悪い奴はいない。そう思うことほど愚かなことは無い。が、実際そういう気持ちになる時も人間あるもので、サナダヨシハルはまさにそんな気持ちで自分の小さな懐かしき家へと向かっていたのだった。気掛かりなことは一つではなく幾つかあった。その中でも一番に気になったのは、収監中、といっても二か月の間のことだが、もう同棲して随分と長くなるミクが、ただの一度も会いに来てくれなかったことだ。ミクはこの高さにしては珍しく品を感じる女で、それは単に物静かなだけで頭は空っぽといった風な女とも違って、本来ならもっと高い所にいるべき女だと、ヨシハルは生活を共にしながらその一瞬、一瞬に、何度となく思うのだった。その後に続く感情は二通りで、いつかはこの女を連れて高い所に行くぞ、という決意に繋がる時もあれば、本当ならおれみたいなちんけな奴と一緒にいたら駄目なのかもな、というネガティブな気持ちに繋がる時もあった。空中回廊で繋がり歩道の絡みついた聳え立つビルの隙間を公共エレベーターや浮遊バス、チューブトレインを乗り継いで、なんとか地上百三階の、社会の、物理的にも概念としても下層に位置する我が家に辿り着くと、スライド式ドアの前に立って、自分の名前を言った。
「サナダヨシハル」
 するとドアは、
「承認」
 とだけ言ってシャッと開いた。
「ただいま……」
 不安気にヨシハルは狭い家の中に声を掛けた。はたしてミクはいるのだろうか。おれに愛想を尽かして出て行っちまったんじゃないだろうか。そんな気持ちがこの虚勢を張ることでしか自分の価値をうまく認められない哀れな男の声を、いつも通りの空威張りな声とは違ったものにした。が、次の瞬間にはヨシハルの顔はぱっと変わった。部屋の奥からミクが出てきたのだ。
「ヨシハルさん。お帰りなさいませ……」
 と、そう言った後で、戸惑いを見せつつあったが意を決した様子で、ミクはヨシハルの立っている玄関に裸足で出ていって、ヨシハルに身を預けたのだった。久しぶりのミクの匂いと体の存在と動きと声と。ヨシハルは感極まって、ミクの背中に手を回し、ただ強く抱きしめたのだった。
「ミク、ミク、おれはてっきりおまえが……」
「私が……?」
「いなくなっちまったのかと……」
「行きませんよ。私はどこにも」
「でもおまえ、来てくれなかったから……」
「ええ……? どこへ?」
「どこへってお前、刑務所だよ」
「ヨシハルさん刑務所に入ってたんですか?」
「ってお前知らなかったのか……」
「ええ……実は正田組の使いだという人が来て、ヨシハルさんは仕事の都合で少しの間家を留守にするかもしれないが、必ず帰って来るから心配しないで待ってろって……」
「なんだそうか……正田組の人が……でも、まあいいや。こうして家にいてくれたことだけでおれは満足だ」
二人は十分に抱きしめあうと、短い廊下を進んで左にある居間に入った。
「おお、随分綺麗だ」
 ヨシハルは磨き上げられた懐かしき我が家を眺めて言った。液晶壁紙では色とりどりの花が降り注いでいた。
「はい。いつ帰ってきてもいいように、掃除だけは毎日しておいたんです」
「うちには掃除ロボットもいないのに?」
「はい」
「ミクよ。やはりおまえは……」
 とヨシハルはそこで言葉を不自然に区切ってミクを見る。
「なんですか?」
「いい女だ」
 と笑ってミクに抱きついて言った。
「お料理もできてますよ。今日は奮発して、カロリーミールじゃなくてちゃんとした食事を準備しました」
 ヨシハルは犬のように鼻をくんくんさせて
「おお、どおりでいい匂いがすると思った」
「まあ、とにかくお座りになって、ゆっくりしてくださいな」
 ミクはヨシハルの腕を下方向に引っ張ってエア座椅子の上に座らせると、簡易ヴィジョンテーブルの上に、食事の支度を始めたのだった。まだ夕食には少し早い時間だったが、食事は多めに作っていたし、ゆっくりと食べれば良いとそう思ってのことだった。ミクはヨシハルのために第三のアルコールも出した。もっともこちらは正規品ではなかったが。まあ、それも仕方無い。ここは下層社会なのだから。
ミクも座って落ち着くと、ヨシハルに刑務所のことを訊いた。
「ヨシハルさん。訊いてもいい?」
「なんだい」
「刑務所ってどんなところでした?」
 ヨシハルは第三のアルコールでもうほろ酔い気分で
「ああ、刑務所か。ミクよ。つまんねえとこだよ。あそこは。ミクみたいなかわいい女もいないしさ」
 と言って、頭をミクの肩に置いてちょっとだけ寄り掛かった後で、
「洗脳だか、教育だか知らねえけどよ。わけのわからんヴィジョンを見せられて、一日の大半を使って道徳教育? つったけな。をやるわけよ」
「それは具体的にはどんなやつなんですか?」
「うーんとね、要は自分がさ、映画の中の主人公か脇役になって、退屈な、何もかも予測できるストーリーの中に入るわけさ。でも、それは全然リアリティが無くて、ヴィジョンの中なのにだよ? きっと上の糞役人が税金を自分で使いこんじまって、素人に毛が生えたようなヴィジョンクリエイターを使ったんだろうが、それにしたってあれはないってぐらいつまんかったね」
「大変でしたねえ」
 ミクは空になったコップに、第三のアルコールのまがい物を注ぎながら言った。ミクは自分ではほとんど酒を飲まなかった。下戸ではない。むしろその逆にとんでもない大酒飲みであったが、飲んでも飲んでも全然酔わない体質で、それを理由に酒に対し下戸と似たような距離感を持っていた。
「いやあ、まあね。勿論、その他にもちょっとした労働があったんだが、むしろそっちの方が楽だったな。そのヴィジョンを見るのに比べたら……」
とそこでヨシハルはふと思ったようにミクの方を見て、
「そっちはどうだったんだ?」
「私ですか?」
 とミクは崩した足の先を見ながら言った。
「うん、俺のいない間、どうしてた? 金、全然無かったろ」
「ええ、もうびっくり」
 それをミクは笑って言った。ヨシハルが続きを聞きたそうなのをちらりと見てからミクは、
「いえね、ちょっとしたアルバイトをしてたんですよ」
「アルバイト? それは陸上エビサンドの店じゃなくて?」
 と、ヨシハルはそれを聞いて思いの他驚いたような声で言った。
「ええ、掛け持ちですぐそこのバナナフィッシュってバーで」
 ヨシハルはさらに驚いて、
「お前まさか、あそこで酌婦を?」
「ええ、駄目でした?」
 ヨシハルは目をつぶって頭を振り、
「いや、いやいや、俺が悪いのさ。おれがドジ踏んで、サツに捕まんなければ。でも、お前、厭らしい男とかがしつこく絡んでこなかったか?」
「ええ、大丈夫でしたよ」
 ミクは澄まして言った。
「大丈夫ってお前。酌婦をしていたんなら、そんな男の一人や二人寄ってくるだろ。お前はかわいいし」
「まあ嬉し。でも大丈夫だったんです。だって私、古い型のアンドロイドの振りをしてたから」
 するとヨシハルは笑いながら、
「へえ、アンドロイドか。そりゃ考えたもんだ。つまりは店側が賑やかしで置いたものだと客に思わせたわけだ」
「はい。こんな風に。ワタシ、はズイブン、と、前に作らレタ、ので、こんなハナシカタを、します、が、どうか、ゆるしてネ」
 ヨシハルはミクの演技に尚喜んで、手を叩いて、
「うまい。うまい。確かにそんな感じだ。考えたもんだなミク」
「ええ、おかげで私に寄ってきた男の人は、みんな困った顔になって去っていくの。それがおかしくて私」
 と、ミクは思い出し笑いをしながら、
「でも、やっぱり男の人は人間の女がいいのでしょうね」
 とぽつりと言った。
「そりゃそうさ。アンドロイドには心が無いって分かってるから虚しくなるんだろ」
「でもでも、人間同士だって虚しくなる時はあるでしょう?」
「あるっちゃあるが、よくわからんね。おれはあんまりブンガクってやつを知らんからさ」
「私もですよ」
 とミクは肯った。
 その日二人は夜の深いところまで語って、その後で愛も語った。コミュニケーションが言葉以外にもあるということを堂々と主張しながら。


 次の日昼近くになって二人は起き、食事をして、紅フィーを飲み、さてこれからどうしようかという話になった。ヨシハルは無論、働くつもりだったが、ヨシハルにはただ働くだけでは我慢がならない訳があったのだ。今回、警察に捕まってしまったのだって、それが関係していないとも言えない。ヨシハルはかつて、ミクに夢を語ったことがあった。とはいっても、ヨシハルは酔っぱらう度に、同じ話をミクに語って聞かすのだが、その内容とはつまりこうであった。
「ミクよ。おれはこんな高さで終わる男ではないのだよ」
「はい」
 ミクはいつもにこやかにタイミングの良い相槌を打って、ヨシハルのヘンテコな大言壮語を聞いてあげるのだった。
「ミクよ。この話は誰にも言ったら駄目だ。アイデアというのは一番最初のやつにしかその恩恵を与えない」
 これは枕詞のようにヨシハルが毎回言う文句だった。
 ミクは甲斐甲斐しく言う。
「私は誰にも言いませんよ」
 ヨシハルはいかにももったいぶって話す。
「ミクよ。上の奴らが機械犬を飼っているのは知っているね」
「簡易ヴィジョンで上の人用のチャンネルを見ると、よく宣伝をしてますものね」
「そう。奴らは機械犬を飼うのが一種のステータスと思っている節がある。全く馬鹿げたことだが。しかしそこにチャンスがある」
「なんでしょう」
「ミクよ。おれはね。将来金が溜まったら、お前を連れて上に行く。そしてね、機械犬を作る会社を起業するのさ」
「でも、機械犬を作る会社はすでに大手が参入していて入り込む余地などないのでは?」
ミクはわかって否定している。
「そうさ。その通り。さすがにミクは賢い。だがね、それは他と同じ機械犬を作った場合の話なのさ。今ある機械犬はどうも写実的すぎる」
「写実的?」
「そう。つまり、犬らしすぎる犬なのだ」
「じゃあ、ヨシハルさんはどんな機械犬を作るつもりなの?」
「ずばり宙に飛び上がって三回転も四回転もしたり、時に二本脚でひょこひょこではなく人間のようにスタスタ歩き、高い壁をもよじ登り、ダンスまでしてしまう犬さ」
「まあ、でも、機械犬を飼う人は生理的なマイナスポイントを排除した犬が欲しくて機械犬を買うのではなくて?」
 ここでヨシハルは毎回いつもちょっぴり弱気になる。しかしそれにも一応の理由をヨシハルは日々の妄想の産物として持っていた。
「しかしだ。それはね。大人の理論なのだよミク。一般家庭において、犬を一番に欲しがるのは誰だと思う?」
「さあ、誰でしょう?」
 ミクは小首をかしげる。
「ミクよ。それはね。子供なのだよ。犬が欲しいと言いだすのは大体子供なのだ。その点、おれの考えだしたダンスする機械犬なんか、子供が大喜びで飛びつきそうな代物だとは思わないか」
「確かに子供は好きそうですね。そういうの」
「そう、つまり俺の戦略とはねミク。子供を相手にすることなのさ。そうすればきっと売れる。爆発的に売れる。するとどうなると思う?」
「お金をたくさん儲けられますね」
「ああそうさ。だけどそれだけじゃない。大手企業がダンスする機械犬の権利を売って欲しいと、こうくるわけだ」
「なるほど」
「だがそこで用心しなくちゃならない。大手企業は上の奴らだからずるがしこい。ダンスする機械犬の権利を一括で売ってくれと言ってくるはずだ。だけど、おれはちゃんとそれにノーと答える。売れた分だけその数に乗じて金を払ってくれと、こう出るわけだ」
「なるほど」
「するとだ。金は一時的にではなく、いつまでも入ってくる。売れれば売れるだけ入ってくる。したらばミクよ。おれ達は二人いつまでも遊んで暮らせるぞ」
 つまりはこれがちっぽけな男ヨシハルの大いなる野望であった。そのためには、まず一にも二にも金である。三四が無くても、五に金なのだ、とヨシハルは思っていた。金が無ければこの野望は何も始まらないのである。しかし先の逮捕はこの野望の資金稼ぎのために、少しでも多く蓄えを殖やしたいと思ったヨシハルが、危険な職業に手を染めていたから起こったのだった。
「これからどうするんです?」
 ミクはそれとなくヨシハルに訪ねた。
「なに、また同じさ。とにかく金を稼ぐだけ稼ぐ。資金が溜まったら上に行く。そして起業して大金持ち。たったこれだけのことさ」
ヨシハルは紅フィーをあと二口か三口分残して言った。
「じゃあ、またお仕事を探しに行くので?」
「ああ、もちろん。生活のこともあるしな。またお前に酌婦なんかさせたくないし」
「それはいいんですよもう。じゃなくて、私が言いたいのはですね……」
「仕事のことだろ」
「そうですよ……仕事のことです」
 ミクはその顔を僅かに曇らせながら続けた。
「ハローワークはどちらの方へ?」
「うん。まずは正規の方に行くつもりさ」
 ヨシハルは紅フィーを飲み終わって答えた。そして立ち上がった。
「さあ、支度しなくちゃ。のろのろしてたら一日が終わっちまう」
「その後はどうするんです?」
 ミクはヨシハルを不安げに見上げて言う。
「そりゃ、正規の方で無かったら、闇のハローワークに行くしかない」
 ミクはその言葉を聞いてさらに顔を曇らせ、
「そしたらまたこの前と同じようなことになりませんか」
 と心配そうに言った。
「ミクよ」
 そんなミクを見て、ヨシハルは坐りなおして、ミクに正対して言う。
「ミクよ。ここは下層社会さ。自然、ヤクザと関わっていかなきゃ生活できないんだ。おまけにこんな時代だよ。下層社会の人間がやるような仕事は、全部ロボットの方がうまくやっちまうんだ。勿論規制もあって、人間を何人か雇わなくちゃいけないらしいんだが、それもごく限られた人数だし、その規制を守ってるところも少ない。ならば闇のハローワークを利用するのも致し方あるまいよ」
ミクは下を向いて小さくなった声で言う。
「はい……それはわかっているんですが……」
「大丈夫だよミク。前の事件はね。一緒に組んでた奴がとんでもねえ馬鹿だったんだ。だからサツに捕まっちまった。だが今度は一緒に組む奴をよく観察して、ろくでもねえやつだったらそいつにも注意して、いつでも逃げられるようにするからさ。それに正規のハローワークで仕事が見つからないとも限らない」
「はい。あの、できるだけ正規の方で粘ってみてくださいね。もしかしたらその熱意に、受付の人もいいところを紹介してくれるかもしれません」
 するとヨシハルは笑っていった。
「ミクよ。受付の人もロボットなんだよ。制服を着させられたアンドロイドなんだ」
それからヨシハルは遺伝子組み換え動物の皮でできたジャケットを着て、脳波ハットを被ると、見送るミクを残して家を出たのだった。


 地上、百五十六階にある正規のハローワークの中には、キャラメル色の床の上に簡易ヴィジョンが、長い水色のカウンターと並行して並んでいて、その間には十メートルほどの幅があり、十分な数の長椅子が置かれていたが、すでにその長椅子にはどこにも座れそうになかった。正規のハローワークの中はまったく混みに混んでいて、この下層社会では誰もが常に仕事を探しているという当たり前の状況を、全く回りくどい手法を使わずに表現しているような光景だった。ヨシハルは人にぶつからぬよう、あるいはスリに気をつけながら、簡易ヴィジョンの順番待ちをし、自分の番がくると、後のやつが覗いてくるのを煩わしく思いながら、とにかく賃金の高さを最優先の条件に設定し、仕事の内容など構わずにカウンターの方へ送信した。それから順番待ちになって、赤紫色の長椅子の丁度立ち上がった人の場所にすかさず坐って、脳波ミュージックで雅楽ジャズファンクを聞きながら、時折、カウンターの上部に浮かび上がる簡易ヴィジョンの中のニュースと順番の進行状況を確認した。やがてその簡易ヴィジョンの端にヨシハルの登録した番号が点滅し、ヨシハルの名前が呼ばれると、ヨシハルは音楽を止めて立ち上がり、三番カウンターの方へ向かった。中には紺色の制服を着たツインテールの女性型アンドロイドが坐っていた。
「こんにちは。この度は当ハローワークをご利用いただきありがとうございます」
 対人コミュニケーション用だから言葉はそれなりにすらすらと出てくる。
「こちらこそ」
 ヨシハルは何気なく言った。それから答えてくれるかどうか分からない質問をした。
「髪型、前と変わってるね」
「これは同僚の人間の皆様がやってくれたのです」
「それは男性、女性?」
「男性です」
「嫌じゃないの?」
「許容範囲内です」
「そうか。ところでおれの選んだ仕事はどう? 向こうは雇ってくれそうかな」
 女性型アンドロイドは、眼の奥でデータを読み込んだ後で言った。いつもならすぐなのに、今日は読み込みが変に長かった。
「あなたには最近、前科が付きましたね」
「ああ、前科があるとやっぱり駄目かな」
「マイナスポイントです。でも、ここではそんな人たくさんいます」
「じゃあ大丈夫?」
「はい、でも、いいえとも」
「どっちなんだ。アンドロイドなんだからはっきりしてくれ」
 ヨシハルは苦笑いして言った。
「あなたの前科は新鮮なのです。時間が経ってデータが埋もれてしまえばマイナスポイントも薄れます」
「だけど、ここは正規のハローワークだろ。前科とかも記録に残すのか」
「私たちの正式の記録では表に出すことはありません。しかし情報網は私達だけが持っているわけではありません」
「向こうがそいつで調べるわけか」
「はい」
「データが埋もれるまでどれくらいかかる?」
「早くて半年、長くて一年はかかります」
 ヨシハルはため息をついて言った。
「そんなには待てない。今すぐ金を稼ぎたいんだ。生活もあるし」
「では、駄目もとでアタックしてみますか?」
「可能性はどれくらいある」
「三パーセントから四パーセントほどですね」
「駄目じゃないか」
「はい」
「はいって。これだからアンドロイドは」
「別の仕事ならもう少し可能性は上がります」
 ヨシハルはしかし不満げに、
「だけどそれは賃金がうんと安い仕事だろ」
「はい」
「それじゃ、駄目なんだ。とにかくお金を溜めなきゃいけないんだから」
「私に提案できることはもうありません」
 決断するように促すプログラムのために女性型アンドロイドはそう言った。しかしヨシハルの方は気の無い感じで、
「そうか」
 と言った。それから、
「その髪型。嫌なら嫌って言った方がいいよ」
 と言った。
 女性型アンドロイドは澄まし顔で言う。
「破壊されるか、業務に支障が出ない限りにおいて、私は人間に従うことを決められているのです」
「おれは帰る」
「お仕事の方がまだ決まっていませんが」
「また後で来るさ」
 そう言うとヨシハルはカウンターの前から立ち上がって背を向けた。
「ご利用ありがとうございました」
 ツインテールの女性型アンドロイドはただそれだけ言って頭を下げた。


 地上六十七階の、アンドロイドではなくサイボーグ女同士の本格的キャットファイトも見られる広いストリップバーの奥に、闇のハローワークは在った。変に赤い照明が二階席も含め店のあちらこちらにばら撒かれ、テーブルには昼間からおそらくは偽アルコールで酔っぱらう男、あるいは女達で満席とはいかないまでも、それなりに埋まっている。今は試合時間ではないようで、その代わりに店の九か所で同時ストリップが始まっていた。中央で踊るのが一番人気のストリッパーだということは知っていたが、ヨシハルは入り口から左に曲がってすぐの、目の覚めるような赤い髪をしたストリッパーの腰の動きに目を奪われた。しかし頭を振って、家で待つミクを思い出し、早足になって店の奥へと進んだ。店の左奥のドアの向こうには部屋があって、大きな高級そうな机の向こうにクルスが坐っているのだが、どうやらここでも順番待ちをしなければならないらしく、ドアの横には正田組の下っ端が立っていて、店のテーブルで順番を待つ失業者たちを、従わねえ奴はその場で死ぬ前殴りつけるぞ、と言った目つきで順番を守らせドアの向こうに送り込んでいた。ヨシハルはその下っ端に仕事を探しに来たことを告げ、呼ばれるまで適当に待ってろと言われると、順番が来るまで何か頼もうかと思い、テーブルの呼び出しボタンで配膳ロボットを呼んで紅フィーあるかと言ったら、
「んなもんねえよ。豚の血ならあるぜ」
 と言われ、仕方なく一番安い酒を頼んだ。
「死ぬまで待ってろ糞野郎」
 そう言って乳房のようなものを胸の辺りに張り付けたロボットは、キッチンと繋がるカウンターまで注文の品を取りに行った。酒を飲みつつ、ドアの付近で刺青なのか、ペイントなのか知らないが、無数の人間の手を体に張り付けて踊るちょっと筋肉質なストリッパーを見ながら待っているとやがて、
「次! てめえだよ!」
 と下っ端に怒鳴られた。ヨシハルは黙って立ち上がると、下っ端によって既に開けられたドアの中に入っていった。
「ようヨシハル。出てきたのかてめえ。どうだった。ムショは」
 クルスが脂っぽい声でヨシハルに声を掛けた。クルスは机の向こうの椅子に座ったまま、ヨシハルは突っ立ったままである。
「ええおかげさまで。それなりに」
ヨシハルは愛想笑いをしながら答える。
「なんだてめえムショなんか全然平気ってか」
「いやあ、堪えましたよ。うちのには適当なこと言って誤魔化しましたけど、ムショのあれは精神にきますから……」
 クルスは別段の何の同情的な態度すら示さずに言う。
「ああそうだよな。おれもあるよ。経験。だからわかる。で、今日は何しに?」
「仕事です。仕事をいただきに参りました」
「まあ、それしかねえわな。おれの所に来るとしちゃあ」
「いえ……すいません」
「いいってことよ。こっちも商売だしな。それにこの高さじゃカタギもスジもんもお互い持ちつ持たれつじゃなきゃ、やっていけねえんだからよ」
 そう言ってクルスは笑みを浮かべた。が、これは何かがおかしくて笑っているわけじゃない。それは眼を見ればわかる。クルスはずっと鮫のような眼でしか話をしていない。
「で、どうするよ。何がいい」
「ええ、あんまりサツに捕まる危険が無くて、稼げるやつがいいんですが」
 すると、クルスが大袈裟に溜め息をついて間を作り、
「おいおい、ヨシハルよ。てめえ何勘違いしてんだ。ここをどこだと思ってる。正規じゃねえんだぜうちは。んな仕事あるわけねえだろ」
「はい……」
「はいじゃねえよてめえ。リスクが大きければその分賃金も高い。逆にリスクが小さければその分賃金も安い。当然のことだろうが。ふざけたこと言ってっと叩きだすぞ」
 ヨシハルは恐縮して言った。
「すいません……あの……」
「なんだ?」
「じゃあ、前と同じ仕事は駄目ですか?」
 クルスは言った。
「駄目だ」
「でもおれは案外うまくやれてたと思うんすよ。あの仕事」
「だが捕まったろうが」
 馬鹿かといった風にクルスは言った。
「いや、でもあれは、組んでいたサイトウの馬鹿がですね。あの馬鹿が、一目見りゃ絶対に分かるような私服警官に、こともあろうに脳波麻薬を売りつけたのが原因で」
「だからあいつに責任を取らせて、主犯格だって言わせておまえはその分短い刑期で出てこられたんだろうが。それでトントンじゃねえか」
「いやあ、でも、おれは本当にうまくやってたんですよ。売り上げも良かったでしょ? それにあいつを選んだのは」
そう言った途端、クルスが大きな音をたてて机を叩いた。
「おい! てめえ今、サツに捕まったことをおれのせいにしようとしたか」
 ヨシハルは慌てて言った。
「違いますよ」
「ならいいんだが」
 クルスはいとも簡単に怒りを引っ込めた。ヤクザこういう演劇を常にやることがもはや習性となっているのだ。
「はっきり言うぞ。ヨシハル。てめえにはもう脳波麻薬の売人の仕事は任せられねえ。それは仮にてめえのせいじゃなかったとしてもだ。失敗した奴に高い金を払う仕事を任せていたら他のもんに示しが付かねえ。おれが任せた仕事を失敗してもいいと思われても嫌だしな。こっちだってあの件で割とめんどくさいことになりかけた」
「はい……じゃあ、他の仕事でいいですから、なるべくいいのがあったらお願いします」
「なるべくいいものか。だがよヨシハル。本当だったら少なくとも一定期間はてめえに紹介する仕事なんかねえよって 門前払いしても、それはむしろ仁義の範疇なんだぜ?」
「そこを何とかお願いします……」
ヨシハルはもう何度目か、頭を下げた。そのどれもが深いお辞儀だった。
「まあ、いいさ。おまえはよく働くからな。それに免じて紹介してやるよ」
「はい。ありがとうございます」
「じゃあよ。一応聞くが、巨大化させたバイオペットの飼育ってのはどうだ?」
「それって、例のやつですよね……人食いカメレオン……勘弁してください」 
「わかったよ。まったく。高い金払うつってるのに誰もやりたがりゃしねえ。じゃあ、上から流れてきた盗品と、偽物の販売だがどっちがいい。金がいいのは盗品の方だが」
「両方は駄目ですか?」
「駄目だ。それじゃあどっちかが疎かになるだろ」
「はい……じゃあ盗品の方で」
「わかった。じゃあ盗品だな」
 そう言うとクルスは机の引き出しから一枚の紙を取り出し、それを大きな机の上を滑らしてヨシハルの方へやり、ペンを投げた。
「じゃあこれにサインしろ」
ペンを持ったヨシハルの手が止まった。
「あの、六割じゃないんで?」
 するとクルスはヨシハルを睨みつけて言った。
「嫌ならいいぞ」
「いえ、聞いただけです。すいません……」
 ヨシハルは紙にサインした。
 クルスに礼を言ってヨシハルが部屋から出ると、丁度サイボーグ女のキャットファイトがこれから始まるらしく、大きな簡易ヴィジョンのスクリーンが出現していた。客たちの多くは、店が有料で貸し出しているものか、持参したヴィジョンゴーグルで観戦している。サイボーグ女は多分ずっと下の階あたりの別の会場で戦っているのだろう。興奮して騒ぐ観衆も映っているし、ヴィジョンに映し出されたものが作りものというわけではないだろう。なぜならそっちの方が費用が掛かるだろうから。ヨシハルはキムラリセの方に少額を賭けた。結果はセンドウリンがキムラリセの両腕を折り、頭から腹にかけてしこたま殴りつけた後、自慢のイボイボの付いた黒い人口ペニスで、勝利後のレイプを見せつけるようにして終わった。働かなくちゃ。そうヨシハルは思ってストリップバーを後にした。


 家に帰ると、ミクがヨシハルのジャケットを預かりながら、
「どうでした?」
 と聞いた。ヨシハルは苦笑気味に、
「まあ、まあ、せめて座らせてよ」
 とミクに言った。二人して居間に座って落ち着くと、ありのままを話した。
「じゃあ、また闇のハローワークの仕事を?」
「ああ、しょうがないよ。正規の方は仕事が無いんだから」
 そうですか、とそう小さくつぶやいてミクは暗い顔をして黙った。それを見てヨシハルは、
「何、大丈夫さ。今度のは前より楽な仕事だからさ。まあ、でも、その分稼ぎは悪いんだけどな……」
 しかしミクは後半の言葉なんか聞こえなかったといった風に明るく、
「じゃあ、今回は警察に捕まることはないんですね?」
「いや、ないことはない。けど、みんなやってることだから、いちいち捕まえに来ることはないだろうとは思うよ」
「そうですか。それならよかったです」
「いやあ、よくはないんだよミク……」
「どうしてですか?」
「言ったろう。稼ぎが少ないんだ。これじゃいつになっても金は溜まらず、起業して一攫千金なんて夢のまた夢だ」
「でも、まあ、いいじゃないですか。とりあえずは仕事も決まったんだし」
 ミクは元気づけるように言ったがヨシハルは
「良くはないんだ。良くはないんだよ……これで良いと思ってしまったら、おれは一生上には行けないんだ……」
 ヨシハルは自分に言い聞かせるように言った。


 ヨシハルの新しい仕事は店番と路上販売の交代制だった。午前中はヨシハルが店番をやり、シノノメサラが路上販売をやった。午後はそれが逆になる。サラは若い娘だったが、この下層社会の娘らしく粗野で野放図で眼だけがギラギラしていて、フェラチオをするハードルが鼠用に設定されているようなそんな女だった。しかしヨシハルはそんなサラが気にいった。全体的に性格も思考回路もさっぱりしているところが、ビジネスパートナーとして適格だと思ったからで、同じく下層社会育ちのヨシハルの目には、サラの欠点など欠点のうちに入らなかった。だからサラとは路上販売のコツなどを教えてやったりして親しく話した。サラのモチベーションは低かったが、本物の若い娘のために人目をひき、
「ねえ、これ買ってよ」
 とそういうだけで驚くべきことに金を払っていく男がいたため、サラの稼ぎはそれほど悪いというわけでもなかった。むしろ調子の悪いときのヨシハルの稼ぎよりもいいときすらあった。しかしまあ、サラの販売方法にも弱点があって、時々しつこい男に絡まれる時があったりして、ちょっとしたトラブルになることもあった。そういう場合、サラは下層社会育ちの女らしく、うまく男をだまくらかして逃げてしまうことも簡単にやってのけたのだが、一度だけ、店を調べて押し掛けてきた男がいて、その時はヨシハルが正田組の名前を出し、商売の邪魔をするなら連絡して、肉眼では見えないレベルにまで分解してもらうぞと脅しをかけ解決した。実際、連絡すればすぐにそうなっただろうから、脅しというよりは警告だった。押し掛けてきた男もそれを理解したのだ。
 ヨシハルの目的である肝心の貯金はといえば、これはほとんど溜まらなかった。ヨシハルは稼いだ金の七割を正田組に収めなければならず、残りの三割からなんやかんや差し引かれた額は生活するのにギリギリだったのだ。相手を見て品物の値段を決めるというのは当たり前だったが、ヨシハルは御人好しそうな人間を見つけると、とにかく高く売りつけようと必死になった。が、そういう努力をしても貯金は出費に飲みこまれてしまうのが常だった。それがヨシハルの大きな悩みとなった。そのことがヨシハルの最大で唯一の希望を阻害していたからだ。盗みでも働くか。ヨシハルの頭には時々よりも多い頻度でそんな考えが浮かんだが、ここらは正田組が仕切っているために、どこへ入っても報復の危険があった。報復とは即ち死であった。それも死体すら残らない、この世から瞬時に全く跡形も無く消えてしまうという死であった。上に行ってやればいい。ヨシハルも一度はそう思ったが、上に行けば行くほど防犯設備は厳重になり、下層社会育ちのヨシハルには思いもしないシステムで守られていて、ヨシハルはそれをイメージのみ知っていて、プロではない自分では必ず失敗すると思っていた。実際、それは正しい判断だと言えただろう。
そういう理由で近頃元気の無いヨシハルを、ミクは勿論、心配していた。表向きは虚勢によって覆い隠されていたものの、ミクはヨシハルの内面を察していたのだった。そのためにミクは普段から丁寧なのに、さらに丁寧にヨシハルに接して、自分がヨシハルの癒しとなるように心掛けたが、ヨシハルの悩みはミクに対しても負い目を感じてしまうものであったので、ヨシハルはミクに甘えることが段々と辛くなった。ヨシハルは自分もだが、それ以上にミクをどうしても上の世界へと連れて行きたかったのだ。しかしミクにはそんなヨシハルの中に生まれてしまった余所余所しさが辛かった。そんなある日の晩酌のこと、ミクはヨシハルに言った。
「ヨシハルさん。最近なんかお疲れのようです」
 ヨシハルは笑って、
「疲れてなんかいやしないよ。大丈夫さ」
「私、もう一度あのバナナフィッシュってバーで働きましょうか。また古い型のアンドロイドの真似して」
「馬鹿言うな。ミクよ。本当はね。おれはあのまずい陸上エビサンドの店でも働かせたくないんだ。お前みたいな綺麗な女が働いてちゃいけないんだ。働いてないことがお前と他の下層社会の女達との違いを示すものなのに、おれが至らねえからさ」
「でも、こうやってちゃんと生活できてるじゃないですか。それに私、働くこと好きですよ」
「ああ、そういう健気なところもミクのいいところだけどさ。だけど酌婦だけは駄目だ。あんなもんミクには似合わないよ」
「でも、ここじゃ珍しくないいでしょう? つまり賤業というわけでもないのでしょう?」
「ああ、大体の下層社会の女は一度はやってるね。むしろ売春婦より高級な職業だ。まあ、ここじゃどっちも同じ意味だから、そういうわけのわからない優劣がなぜ存在しているのか不思議だけどさ」
「私は売春は断りますよ」
「当たり前だ。そんなもん断らなくてどうする。だけどおまえを無理矢理連れて行こうとする男が確実に出てくる。おれが刑務所にいる間は運が良かっただけなんだ。しかもかなりの幸運の部類だぜ。ここはそういう場所なんだ」
「でもこのままじゃ……」
「ああ……そうなんだ。それが問題なんだよな……」
 そこでミクは意を決して、前から考えていたある計画をヨシハルに話すことを決めた。これ以上、ヨシハルが憂鬱を抱え込む姿を隣で見ているのに耐えられなくなったのだ。
「ヨシハルさん。真剣なお話があります」
 ミクは改まった調子で正座して、ほろ酔いのヨシハルに言った。その急な姿にヨシハルも何だと思って、
「どうしたい。急に真剣な顔して」
「ヨシハルさん。私考えたんですけど」
 とミクはその美しくルビーのように光る瞳でヨシハルの顔を真っ直ぐに見て、
「美人局、やりませんか」
 ヨシハルはひとつ間を置いて、それから大笑いした。
「ミクよ。そんなことどこで覚えてきた。あのまずい陸上エビサンドの店主か? 全く変なこと吹き込みやがる。今度文句言ってやらなきゃ」
 しかしミクは全く真剣な様子を崩さずに、
「ヨシハルさん。私は真面目に言っているのです。お金を稼ぐにはそれしかないですよ」
 そのミクの様子に冗談ではないと知ったヨシハルは、急に気の小ささを露呈して
「何を言ってるんだミク」
 と言った。ミクは、
「私は多分うまくやれますよ。作戦を考えたんです。私が売春用アンドロイドの振りをして、上からそれ目的で降りてきた、あまりこの下層社会に慣れてない人を狙って声を掛けるんです。相手がアンドロイドなら簡単だと思ってホテルに連れ込んだ所で、ヨシハルさんが熱光線銃を持って突入すればいいんです」
 ヨシハルはしかし変に狼狽して、簡単に答えが出ることを聞いた。
「だけどミク。鍵が開いてなかったら? 中の様子はどうやって知る?」
「ホテルの電子キーなんてこの下層社会ならば、解錠端末を使って子供でも開けられるでしょう? いざという時は熱光線銃で撃ってドアを焼き切ってしまえばいい。中の様子は小型ヴィジョンカメラか、立体認識マイクをこっそり持ち込めばいいんです」
「危険すぎるよミク。異常性癖を持ち主で、とにかくアンドロイドでも何でも女の体を解体したいと思ってるような奴だったらどうするんだ。下に降りてきて女を買う奴ってのは大体そういうのが多いんだから」
ミクはヨシハルの目を真っ直ぐに見て言った。
「そこは必ず、ヨシハルさんが助けに来てくれると信じていますから」
「そんなこと言われてもな」
「ヨシハルさん。お金を稼ぐにはこれしかありませんよ。上の人はお金の支払いはカードですから、カードリーダーでごっそり頂くことができます。本当は闇ルートで下層社会にも上の技術がこっそり流れ落ちてきているのに、上の人は下層社会の人間に上の人が作ったセキュリティを破れるはずが無いと油断してますから、多分下層社会に来るにも、上で使用するカードを持ってきている可能性が高いですよ」
「しかしなあミクよ。おれは気乗りせんよ……」
「確かヨシハルさんのお友達に売春婦と売春用アンドロイドを派遣する会社の、雇われ店長をやってる人がいましたよね」
「ああ、マツダトシロウ。それはおれもちらっとは考えたけどさ……」
「その人に少しだけ情報を流してもらえば、ターゲットもすぐに得られます」
「しかしなあミク……失敗したらおまえも刑務所行きかもしれないんだぜ?」
「覚悟はできてますよ。そんなことより私はこれ以上ヨシハルさんの気に病む姿を見ていたくないし、ヨシハルさんと一緒に早く上に行きたいのです」
 ミクはただ、ただ、誠実だった。誠実にヨシハルのことを思っていた。だからこそ、この危険なやり方を提案をしたのだった。ヨシハルにもそれは伝わっていた。ミクは自分のことを思ってこんな大それた話をしてると。一時の辛抱か……。そうヨシハルは思った。そもそも大きすぎる夢だったのかもしれない。下層社会の人間が上の世界を目指すなど、そんな話はもう、ヴィジョンの中でもやりつくされた感がある。つまりは長いこと変わらない現実に押しつぶされてしまった夢なのだ。それに挑戦しようというのなら、正攻法では叶うまい。ここから抜け出すには多少のリスクを冒さなければ無理なのだ。ヨシハルはミクの案に後ろ髪を引かれる想いがしながらも、
「じゃあ、よしやってみるか」
 と言ってしまったのだった。


 そういう話があった数日後、ヨシハルはマツダトシロウと連絡を取って、近くの軽食屋で会った。ヨシハルは紅フィーを、マツダは本当かどうかは知らないが、カロリーミールを一切使ってないという、その店にしては妙に値段の高いビッグパフェを頼んだ。普通より少しだけ長めの黒髪に変色コートを着てハンチング型脳波帽を被ったマツダは甘党だった。勿論これはヨシハルの奢りだ。ヨシハルは世間話から入って、想い出話、それから例の件について話した。別段戦略ではない。マツダとは割と古い仲で、しかし最近は会う機会も無く、単に懐かしかったのだ。ヨシハルは言った。
「で、その顧客データってのは教えてくれることはできるのか」
「やってできないことはない」
「そのデータ内の人物からの連絡を転送することは?」
「それもまあ同じだ。設定するだけだからな」
 マツダはクリームを口に運びながら言った。
「じゃあ、やってほしいんだが」
「金はあるのか」
「払える分は払いたいと思ってる。だが知っての通り、おれはそんなに金持ちじゃない」
「どうかな。こっちもおまえとは古い仲だし、下層社会の原則は持ちつ持たれつだし、協力したいのはしたいが、おまえの欲しがってるデータの量によるな。そのデータがあらぬところに持ってかれて、大事になったらおれの首が飛ぶ」
「いや、べつにこれは大きな仕事じゃないんだ。ただ十人か二十人くらいかな。それだけ教えてもらえば事足りるんだ」
 マツダはビッグパフェを食べ続けながら言った。
「そんな少ないデータで何の仕事をするんだ。売っても大した額にならんぞ」
「いやあ、まあ、ちょっとした個人的なことさ。大きな話じゃないんだ」
 マツダはスプーンを止めて、ヨシハルの方を見た。
「ヨシハル。勝手なことすると死ぬぞ。ここは正田組のシマだ」
「大丈夫さ。大きなことをやるわけじゃない。正田組の商売を邪魔しようだなんてこれぽっちも思っちゃいないんだから」
「お前がそう思っていなくたって、実際やってることがそうだったら同じことだ」
 マツダはまたパフェに視線を戻して言った。
「だから大丈夫だって。少しの間のことなんだ。正田組はでかいんだ。下層社会では日々何かしら起きている。その中でちっぽけなおれのことなんか気にしないよ」
 マツダはそれから少し黙って、
「おまえまだ上に行こうと思ってるのか」
 と言った。ヨシハルは、
「ああ」
 とだけ言ってそれを肯定した。
「昔、それで喧嘩したことあったよな」
「ああ」
「上に行くためか」
「ああ」
「女がいるんだって?」
「いる」
「本気なのか」
「本気だ」
「そいつのためか」
「自分のためだ。だが、そいつのためでもある」
「そうかよ」
 マツダは黙ってヨシハルの足を軽く蹴り、メモリースティックを机の下から渡した。
「すまないな」
「うるせえロマンチスト野郎。もう会いたくねえから言ってた分より少し多めにとっておけよ」
 ヨシハルはそれを腕時計型簡易ヴィジョン式携帯端末に接続して、データを受け取った。それから、紙袋を逆にマツダに渡して、
「これ今支払える分のギリギリの金だ。すまん少なくて」
「貰っとく」
 マツダはそれを持ってきた自動開閉式肩掛け鞄の中に入れた。
 帰り際、ヨシハルはマツダに聞いた。
「なあ、上の奴らって、実際どれくらい金持ちなんだ?」
「知らんが、多分、おれ達の百倍くらいさ。その上の奴らそれよりもさらに金持ちって聞くからな。まさに雲上人だよ。畜生が」
「畜生だが、思ってた通りでよかったぜ」
ヨシハルは礼を言って、マツダと別れた。マツダが「じゃあな」と言ったのがなぜだか耳に残った。


 データを家に持ち帰ったヨシハルはミクと共に入念な打ち合わせをした。そして話し合ううちに幾つかの原則を決めた。
 相手が武器のようなものを持っていないか良く観察すること。
 必ず超小型簡易ヴィジョンカメラを身につけているか、自分のそばに置いて、絶対にスイッチを切らないこと。予備としての立体認識マイクも同様。
 スイッチが切られた場合、そのターゲットとのミッションはそこで終わらせること。具体的にはヨシハルが姿を現して、ミクの男だと言ってミクを強引にターゲットから引き離す。
 ホテルへの道はなるべくわかりやすい道を選ぶこと。狭い道や入り組んだ道を選ばない。もしもターゲットに狭い道や入り組んだ道から行こうと言われても断る。
 ホテルに入ったらさらなる注意をターゲットに向けること。乱暴なことをされそうになったら、あきらめずにどんなに少ない時間でも時間稼ぎをして、ヨシハルが突入する時間を作ること。
 ヨシハルが突入するのは服を脱ぎ、ターゲットがミクに触れた瞬間にすること。その際ミクはなるべくターゲットに裸を見せないようにすること。
 などが原則として決まった。ヨシハルはそんな話をしているうちに心配になってきて、話の途中ミクに、
「やっぱりやめようか……」
 と言ったが、ミクは、
「ヨシハルさん。もう私達はデータを買うのに大金を払ってしまってるんですよ。私なら大丈夫です。しっかり作戦を立てて事に臨みましょう」
 と真剣に言った。
 それから数日後、データの中の人物の一人から連絡があった。二日後に下層社会に下りていくから予約したいとのことだった。ヨシハルはミクに言った。
「本当にやるんだな」
「勿論です。ヨシハルさん一緒に上に行きましょう」
 待ち合わせは公共エレベーター前、百十階空中回廊広場でのことだった。相手は上の住人らしくおそらくは体全体を整形していて、ヴィジョン映画の俳優のように整った顔立ちをしていたが、最近はダイエットカプセルが故障中なのか、億劫なのか、かなり太り気味の印象だった。ヨシハルはそれを望遠グラスで遠目から見た。音は脳波ハットから入ってくる。事前に携帯端末に登録していたので、それがミクを導いた。勿論顔も知っていたが、上の住人は、というか、これは下層社会人間もなのだが、すぐに整形するからあまり顔の特徴はあてにならない。端末で生体データを確かめるのが一般的な方法だ。ミクは端末を頼りにターゲットに接触を開始した。
「こんにちは。ミカサケンジさんですか?」
「ああ、君は店からの?」
「はい」
「アンドロイドなのに端末を使うのか」
「私はコミュニケーションに思考領域のほとんどを使うように改良されています。だから外部記憶装置を使います」
「なるほど。改良型か」
 ミクの声に多少の緊張が感じられる。しかしターゲットは気づいてないようだ。ということは、いつも一緒にいるヨシハルだけが気づくレベルのものなのかもしれない。ターゲットはミクをしげしげと眺め、それから手を取ってミクの手の甲の肌触りを確かめた。
「ほう。こりゃ上玉だ。店からいいのが入ったって聞いたんでね。改良型ってことだったんだな。うん、なるほどいい」
「ありがとうございます」
「ふむ。いやあそれにしてもよくできてる。下層社会製じゃないね?」
「はい。しかしそれについてはあまり話すなと言われています」
「ああ、いやいや、別にそんなことを詮索する気はないよ。僕はね。変な趣味だと言われるから上では誰にも言ってないことなんだが、下層社会に下りてきて女を買って寝る時が、一番自分の本当の姿になれている気がするんだな。だが下層社会では性病が怖いだろ。だから僕はアンドロイドを選ぶことにしている……ってこんなことアンドロイドの君に言っても仕方ないか」
「いいえ。私は対人コミュニケーション用ですので、人間の精神を分析し、理解するプログラムを装備していますから、少しならわかります」
 ミカサケンジは言った。
「だが、それはあくまでプログラムで、心理学とかの応用だろ? そんなもの理解したとは言えないよ」
「はい……」
「しかしまあ、僕はごっこ遊びを楽しみたいんだから、話しかけたらなるべく答えてくれたまえ」
「はい。承知いたしました」
「さあ、それでは僕の腕をとりたまえ」
「はい」
 ミクはミカサケンジの腕に自分の腕を絡ませた。そして二人は歩き出した。ミクはしゃべり方にはいつもよりも抑揚が無い。しかし機械じみているというところまではいかない。ヨシハルはミクの演技力に少なからず驚いた。これなら相手が売春用アンドロイドだと思っても仕方ない。ミクの話し方、立ち振舞い、態度は少し高級だがまさしく本物のそれに限りなく近かった。ミクとミカサケンジが連れだって歩き出したので、ヨシハルは一定の距離を置いて後を追った。途中ミカサケンジはこの下層社会にしては高そうな女性用の服屋に寄り、ドレスを買った。きっとミクに着せるつもりなのだろう。ヨシハルはそれを見て、自分が買ってあげられたらと、不快な気持ちになった。それからホテルに入り、カウンターでチェックインすると、部屋への案内を断ったらしく、ミカサケンジとミクは二人だけでエレベーターの中に入ってしまった。ヨシノブは慌てて同じエレベーターに乗り込もうと早足になったが間に合わず、エレベーターがどこで止まるのか腕時計型端末で簡易ヴィジョンを見ていると、ふいにミクの声で、
「千八十五号室に着いたら、ミカサ様は私に何をするおつもりで?」
 と言ったのが聞こえた。ミカサはそれに、
「なんだ、自発的に質問する機能が拡張されたのか。下層社会も下層社会なりに進歩しているらしい……いいことだよいいこと」
 と言った。ヨシハルは別のエレベーターに飛び乗ると、エレベーターの選択速度を最大にして千八十五号室がある階を目指した。簡易ヴィジョンを見る限り、二人はまだエレベーターの中だ。どうやらヨシハルは二人を追い越してしまったらしい。ミカサケンジが上の世界のことを紳士ぶって自慢げにミクに話している。ミクはそれに、アンドロイドらしいが、過度に人情を欠いたものではない適切な答えを返している。ヨシハルは部屋に入る前に、ミカサケンジがミクに何かしないか不安な気持ちで一杯だ。立体認識マイクと簡易ヴィジョンで二人の様子はわかるものの、ヨシハルはやきもきしながら二人の到着を待った。やがてエレベーターの扉が開いて二人が出てくる。上の人間らしくスタンダードな古臭い服を着たミカサケンジが、ミクを連れて出てくる。ヨシハルはそれを遠くから肉眼で視認し、後をつけた。千八十五号室の前に来ると鍵を開け、ミカサケンジはミクをその部屋に連れ込んだ。ヨシハルは緊張が、自分の中でもうひとまわりもふたまわりも大きくなるのを感じ、すぐに突入できるようドアの前に走った。簡易ヴィジョンの中でミカサケンジは窓を曇らせ、自動で点いた照明を消し、関節照明のみを弱い光で点灯させた。全て音声認識である。そこからヨシハルは自制心との戦いだった。簡易ヴィジョンと立体認識マイクからは、ヨシハルを今にも部屋に飛び込ませそうな会話がなされていた。
「ククク。おまえは今まで僕を紳士だと思って安心してたんだろう。ククク。ところがね、こういう男ほど部屋に入れば狼になるのだよ。ククク。さあ、おいでビッチちゃん。その汚らわしい心と体を僕がさらに汚してあげるから」
 ミクは腰にというか尻に手を回され、ミカサケンジに抱き寄せられる。まだだ。まだ服を脱いでない。ヨシハルは鍵を開けて、ドアノブに手を掛けたい気持ちを必死で抑える。すると、ミカサケンジは、あろうことにミクの耳をアイスクリームのように舐め、耳たぶを噛んだ。ミクは顔を背ける。
「どうした?」
 ミカサケンジが不審がる。アンドロイドは感度が異常に高く設定されているから、すぐに性的な興奮を表すプログラムに繋がるはずなのだ。ミクはその濡れた瞳をミカサに向け直して言う。
「いえ、ドレスはお召しにならないでよろしくて?」
 すると、ミカサケンジは思い出したように、
「おおそうだった。そうだった。さすが改良型。あれをひっぺがしてこそだ。あんな下層社会の安物、びりびりに破いたって大したことはないが、雰囲気は出るからな。いやはや僕としたことが、アンドロイド相手に焦っちまった」
と、そう言って、ミカサケンジはさきほど抱き寄せた際、ミクがその手から落とした紙袋を拾い上げると、中に入っていたブランド名の書かれた箱から真っ赤なドレスを出した。
「さあ、着替えなさい。ただし服を脱ぐときは僕に見せつけるように脱ぐのだ」
「はい……」
 さらさらとミクの肌を覆っていた衣が床に落ちて行く。ミクは言われた通り、下手なストリッパーの真似事のようなことをして服を脱いでいく。ミクのしなやかな肌が少しずつ露わになっていく。紫色の下着。その少しずれたブラひもに親指を通しかけ直した時、親指の爪を噛みながら椅子に座ってじっと見ていたミカサケンジが言った。
「下着は付けなくてよろしい。ドレスは素裸の上に着るんだ」
ミクはうろたえる気持ちを態度には出さなかった。
「……はい」
 とそれだけ言うとミクは前かがみになりブラを外した。しかし右腕で、もぎ立ての林檎を抱えるようにして露わになった乳房を抑え、下半身のものは左手を使い、腰を器用に捻るようにしてふとももを上げ、片方ずつ膝と足首とを引き抜き、脱いだ。その姿がミカサケンジの目にはひどく官能的に映って、心臓と呼吸のペースを速め、そしていつまでも秘部と乳頭を隠し続けるミクに向かって声を荒げて、
「もういいから早く手をどけなさい」
 と言った。ミクはそれに対し、
「ミカサ様もお脱ぎなったらこの手を外します」
 と答えた。ミカサは立ち上がって素早くズボンを下げた。
ヨシハルはもう我慢がならなかった。ヨシハルは焦って、解錠端末を使わずに、ドアノブを回してドアを開けようとしたが、開かない。当たり前だ。オートロックなのだから。ヨシハルは、腰に付けたバッグから解錠端末を出し、ドアの鍵の部分へ近づける。五秒かからずに鍵が開く。ヨシハルは解錠端末をウエストバッグに押し込み、代わりにジャケットの中から熱光線銃を出した。古い型の、拳銃型にしては大きめで携帯性に難がある物だったが、その威力に問題はない。ヨシハルは感情に任せ乱暴にドアを開け中に入った。ミクとミカサケンジのいる寝室へと一直線に大股で歩いていく。そして大きなベッドの二つ並んだ下層社会にしては広い寝室へと入った。いきなり見知らぬ男が熱光線銃を持ち、血相を変えて入ってきたため、ミカサケンジは多少パニックになり、ついさっきまでミクに見惚れて、ミクだけしか入らなかった視界を今度はヨシハルに集中させた。
その時ミクはといえば大声で
「助けて」
 と叫んだ。ミカサケンジが一瞬ミクを不審そうに見たが、それどころではないとまた部屋の入口の方に目を向ける。 ヨシハルはその大型の熱光線銃の銃口を向けながら、寝室に入った。
「なんだ? なんだっていうんだ!」
 取り乱したようにミカサケンジが言う。
「うるせえ黙ってろ!」
 血走った眼でヨシハルが怒鳴りつける。
「ミクこっちへ来い!」
「はい」
 ミクは服を掻き集めてヨシハルの許へ来る。その時ミカサケンジが移動しようとして、ヨシハルはトリガーを引いた。熱光線はホテルの壁に穴を開けたが、ミカサケンジには当たっていない。が、その心理的効果は大きい。ミカサケンジは移動しようとした体制のまま固まってしまった。
「動くんじゃねえ。このクソ豚野郎」
「わかった。わかったから撃つな。勘違いなんだ。人違いなんだよ」
 ミカサケンジは両手を上げて言った。ヨシハルはそれには答えず、ミクが服を着るのを待った。ミクがすべて元通り 着衣し終えると、ヨシハルは言った。
「てめえ。他人の女に手を出してんじゃねえよ!」
 そしてもう一度熱光線銃を撃った。今度はホテルの床を焦がした。
「待て待て!」
 とミカサケンジは片足を上げたまま叫ぶ。
「待てよ! 待て! 勘違いなんだ。そう言ってるだろ! そいつは売春用アンドロイドで僕はただその子を買っただけなんだ!」
「アンドロイドなわけねえだろうが!」
 ヨシハルは怒鳴った。
「このきれいな肌を見てみろよ! ミクは人間なんだ! そしておれの女だ!」
「何?」
 ミカサケンジは不可解な顔をし、それから目だけをミクの方に向けた。
「いや、しかし……いや……そうか……そうか、わかったぞ! 店だ。店がおれを騙したんだ。そうか、そうだったんだ。下層社会にこんなによくできたアンドロイドがいるわけなかった。ハハハハ。そうか。そうだよ。おれじゃない。君。誰だか知らんが、僕に責任は無い。店だ。売春アンドロイドを派遣する店が悪いんだ。よかったら、ほら、連絡先を教えようじゃないか」
 そう、笑いながら、無論、これは恐怖から来る愛想笑いだろうが、語りかけてきたミカサケンジにヨシハルはただただ冷たく言った。ヤクザの真似をして。
「てめえ舐めてんのか」
「だから、僕じゃないんだって」
 ヨシハルはもう一発熱光線銃を撃った。今度はふとももに少し当たった。かすっただけだったが、熱光線銃だから火傷のようになっているはずだ。あるいはもう少し重症かもしれないが。血は流れてはいなかった。するとミクが、
「ヨシハルさん。殺しちゃいけない!」
 とヨシハルの背中に抱きついた。ヨシハルは
「大丈夫だよ。ミク。おれは落ち着いてる。かすっただけで当たってない。それに足だよ。当たっても死にやしない」
 と言って、ミクを離した。それから体をくの字曲げて右手でふとももの熱光線銃の当たった辺りの抑え満足に立っていられなくなったミカサケンジに、
「責任を求めるのはおれだ。お前はお前で勝手にやれ。だがおれは、今ここで、お前に責任を求める。金を出せ。全てだ」
「金? 金だって? 畜生が。ああ、分かったよいいとも。だがもう撃つんじゃないぞ。いいか。今、財布を出すからな」
「下手な真似したら容赦なく撃つぞ」
 ヨシハルはズボンを脱ぎっぱなしのミカサヨシハルに言った。
「ほら」
 と言って、上着のポケットの中からマネークリップに留められた金と、紙テープで巻かれた札束をヨシハルの方へ投げた。言わずもがなこれだけでもヨシハルにとっては大金に違いなかった。それをヨシハルは拾わず、ミクが拾った。
「カードも出せ」
 ヨシハルが熱光線銃の銃口を向けながら言った。
「カード?」
「惚けんじゃねえ! また撃たれてえか」
 ヨシハルはミカサケンジに向かって熱光線銃のグリップを握り直し怒鳴った。
「わかった! わかった! だが待てよ。カードにはセキュリティが掛かってる。セキュリティは、そのカード会社にしか解くことはできんぞ。おれ自身にだって無理なんだ。だから渡したっていいが、無駄なんだ!」
「いいから出せって言ってんだろ!」
「わかったよ。わかったから……」
 そう言うと、ミカサケンジは上着の中から黒いケースを出し、中からカードを取り出した。
「こんなことしたって無駄だぞ」
 と小さく呟きながら。そしてそれをまたヨシハルの方へ投げた。それもミクが拾った。ヨシハルはミクの方を見ずに、 ミカサケンジから視線を逸らさないで言った。
「ミク本物だよな。紙切れじゃないよな」
「はい。本物です」
「よし」
 確認が終わると、ヨシハルはゆっくりとミカサケンジに近づき、
「ベッドへ行け」
 と言った。ミカサケンジは慌てた調子で、
「金はやったろ」
 と言うと、
「いいから言う通りにしろ!」
「何なんだ……金は渡したろうが……」
 そう小さく不平を呟きながら、ミカサケンジはベッドに上がった。
「これでいいのか?」
 ミカサケンジはヨシハルの方を向いて言った。その時、ヨシハルは撃った。弾は頭部の辺りに当たったように見えた。
「ヨシハルさん!」
「ミク。大丈夫さ。こいつはガス弾銃だ。催眠ガス弾を発射する銃だよ。眠らせただけさ。だからベッドに移動させたんだ。床で寝てると変だろ?」
 そう言ったヨシハルの手には、先ほどの熱光線銃とは違う銃が握られているのだった。ミクは胸を撫で下ろして、
「なんだそうだったんですか」
「逃げる間もなく騒ぎ立てられたら面倒だろ。起きた時も記憶の混濁があるらしいから、運が良ければおれたちのことはよく思い出せないはずさ」
 それから二人は二分から三分の間、空気中に漂うガスが無効化するのを待って、ミカサケンジをベッドの上にきちんと寝かせ、頭から掛け布団を被せ、部屋を後にした。帰り際ミクが、
「あの、ヨシハルさん。これどうしましょう……」
 と言って、ドレスを持った。ミクの目をちらと見てヨシハルは
「そんなもん……貰っとけ」
「はい」
 と何だか嬉しそうにミクは言った。
ヨシハルとミクは何食わぬ顔でホテルを出て、帰宅し、カードリーダーでミカサケンジのカードから電子マネーへのアクセス情報を自分のカードに移し替え、そのままヨシハルは下層社会の犯罪者御用達、闇の銀行に行き、ミカサケンジの全ての預金を引き出した。二割とられたが、闇の銀行に頼んで様々な会社の取引、投資案件などを介し、足が付かないようにしてもらった。そうして、ヨシハルとミクの初めての美人局は成功したのである。


 それからミクとヨシハルは二人目、三人目、四人目……と成功させていった。回数を重ねるごとにヨシハルは熱光線銃を撃たなくても、脅しつけて金を奪えるようになり、ミクのアンドロイドとしての演技も堂に入るようになって、ますます手際よく美人局を成功させた。そして美人局が成功するごとに、蓄えは働いて稼いでいた時とは比べ物にならないスピードで殖えていった。
 ヨシハルとミクはしかし、無駄遣いはしなかった。ヨシハルは、ミクとの仕事のためにシノノメサラに頼んで、時々休むことはあったが、闇のハローワークで正田組のクルスに紹介してもらった仕事はまだ続けていたし、外食はめったにせず、晩酌だっていつも家で飲み、コップに注がれるのは変わらず第三のアルコールの粗悪品だった。二人の間に完全に共有できる目的と気持ちがあったからだった。
「このままのペースでいけばもうすぐに上の世界に行けますね」
「ああ、だが、回数を重ねれば重ねる程、警察が動く可能性が出てくる。やつら、ここは下層社会だからと小さな犯罪にはまるで見向きもしないが、事件が大きくなったり、利害関係があったりすると、途端に本腰を入れてくるからな。まあ、今はまだ大丈夫そうだが、後二、三人かもな」
「お金は大丈夫なんですか」
「うん。ミクのおかげで大分溜まった。でも、上の世界の物価はここじゃ想像もできない程高いらしいし、できる限り金はあった方がいいと思うんだ」
「起業の方の算段はどうなんです?」
「それは大丈夫。もう何人か、スキルを持った奴に声を掛けてあるんだ。スキルだけは持ってるんだが、何かの理由でうらぶれて、下層社会に落ちてきてしまった奴ら。そういう奴らに片っ端から当たって、信用できそうな奴だけを選んで話を通しといた。あとはおれがゴーサインを出すだけなんだ。さらに人員が欲しくなった時は単純明快に、ハローワークの起業者向けの人材紹介サービスを使うつもりさ。そのときはミク。おまえも面接してみるか?」
「私がですか?」
「ああ、ミクが良ければ共同経営者にもなればいいさ」
「いやあ、私はそんなのは向いてませんよ。でもやるなら秘書がいいですね。ヨシハルさんを陰ながら支える秘書」
「よし、じゃあそうしよう。起業して会社ができた暁にはミクは社長秘書だ。美人の秘書だ」
 そう言って、ヨシハルはミクにキスをした。二人は幸せだった。お互いがお互いを思いやり、それが二人を取り巻く環境を好転させる状況に、この上ない自己肯定感を覚え、しかし、それは決して独りよがりのものではなく、二人の間で、お互いに、お墨付きを与えるものであったから、そこに懐疑的な感情は発生せず、たとえ共依存だと言われようが、むしろ、それこそ上等、それこそ望むもの、欲するものだという、迷いの無い愛(それは奇跡かもしれない)の輪の中に二人ぼっちで生きていた。


「ミク。次の奴を最後のターゲットにしよう」
 ついにヨシハルは言った。もう蓄えも十分に溜まり、そして同時に警察が動き出すリスクも高まっていた。簡易ヴィジョンによるニュースで二人の美人局が小さいながらに扱われはじめたのだ。被害者の中に警察と関係を持つ者がいたのか、あるいは上から来る金づるに、ネガティブなイメージが広まりつつあり、この下層社会の既得権益連中が、その経済的悪影響の理由に気づきはじめたか。それでも警察ならばまだいい。ヤクザが動き出せば、事はより一層悪くなる。いずれにせよ、ヨシハルはあと一人が限界だろうと判断した。ミクは勿論、その判断に従った。欲をかいて無駄な危険を冒すべきではないことを、ミクは理解していた。手段と目的を取り違えた人間は、目をつぶったまま歩いていることに気づいていないのと同じである。つまりはやがて足をすくわれる。
 ヨシハルは下層社会を旅立つ準備を始めつつ、最後のターゲットから連絡が来るのを、シノノメサラとの仕事を含め、普段通りの生活をしつつ、しかし若干浮ついた気持ちで待った。そしてついにその連絡はやってきたのだ。相手の名はカノウシンジ。接触は三日後だった。
「ミク。おまえも支度しておけよ。最後の仕事が終わったらすぐに上に行くぞ。無駄にだらだら残っていたら、ある日警察が来ないとも限らない」
「はい。でも家具類とかはどうしましょう」
「大きなものは後でおれがやるよ。声を掛けた奴の中にでかい浮遊車持ってるやつがいるんだ。そいつにみんなの物と一緒に乗っけてもらうつもりさ。小さい物はすまんが、ミクがやっといてくれ。ミクの判断で全部やっといていいから」
「後で文句言わないで下さいよ」
「言わないよ。社長秘書に全て任せるさ」
 ヨシハルはそう笑って言って、その日の仕事に出かけたのだった。男たちはその後で来た。音声認識ドアをいとも簡単に開けると、靴も脱がずに家の中に押し入り、荷物の分類を始めようとしていたミクに対し、
「マエダミクさんですね? わたしたちはこういうものです」
 と、バッジを見せた。ミクは持っていた大きな鞄を落とし、蒼白になった顔で、
「ヨシハルさん逃げて」
 と呟いた。


 ミクの端末からヨシハルのものへメッセージが送られてきたのは、それからすぐ後だった。午前中の店番をしていたヨシハルはすぐさまシノノメサラに連絡した。
「すまないサラ。一刻も早く行かなければならない用事が出来た。店番頼む」
「なんかそういうの最近多くない?」
「ああ、すまん」
「すまんってもう移動してるの?」
「ああ」
「店は?」
「だからそれを頼むって」
「何があったの?」
「ミクが、ミクが攫われたんだ!」
 走りながら、ヨシハルは叫んだ。


 ヨシハルは家に飛んで帰って家の中に飛び込んだが、そこにミクの姿は無かった。それから陸上エビサンドの店にも走ったが、ミクは来ていないとのこと。
「どうした。血相変えて。ミクと喧嘩でもして、愛想尽かされたか?」
 店主とは知った仲だから、そう冗談のように声を掛けられたがヨシハルは
「違う」
 と不愛想に一言吠えるように言って、店を後にした。
「なんだ、あいつはどうしたっていうんだ」
 店主の訝しげな顔だけがあった。


 ヨシハルはそのまま家に帰った。ヨシハルの端末に送られてきたメッセージにはミクを預かったという内容しか無く、例えば、身代金の要求とかその受け渡しの場所や日時の指定などの情報は無かったのだ。しかし、必ず来る。ヨシハルはそう思った。そう思い込んだ。ここは下層社会。何があっても不思議ではない。おまけに今、ヨシハルとミクはおたずね者でもある。あるいは美人局にはめたターゲットの報復という場合もある。しかしヨシハルは信じた。必ず接触はある。その時のために武器を用意しておかなければ。ヨシハルは熱光線銃とガス弾銃をジャケットの中のホルスターに吊り、ショートレンジの加反動トンファーをベルトに差し込んで、煙幕弾、超振動ナイフなどをウエストバッグに詰めた。


 それから約一時間半後、ヨシハルの端末が鳴る。簡易ヴィジョンは無い。最初の時のように声だけだ。
「今日の午後一時。この地区の登録番号で第四十九番ビル、百二十三階、空き物件にて待つ。必ず一人で来い。でなければ女は解放しない」
 メッセージはそれで終わった。午後一時まではまだ二時間程ある。が、行き先は大して遠くも無いし場所もわかっている。急がなくても辿り着ける場所だ。ヨシハルは家を出た。これは友人との待ち合わせではない。遅れないように、待ち合わせ場所に到着するといった風な意識で行動する馬鹿がどこにいる。しかしヨシハルは焦る気持ちを抑えつつ、個人経営の車屋へ向かった。ここはマツダトシロウと同じくヨシハルの昔馴染みがやっている店だった。店主の名はトウヤマケンジと言った。背はヨシハルと同じくらい。短髪を逆立たせ、額を見せている髪型で、錯覚を起こさせる模様のシャツを着ていた。
「久しぶりじゃないの。ついに貯め込むのをやめて車を買いに来たってわけか」
「まあ、そんなとこ。だけど時間が無いんだ。できるだけ速くて、あと、高度リミッターが外されてるやつをくれ。金はある」
「だがよ。車っつうものはよく選んで買うべきだぜ? デザインとかもあるしさ」
「デザインなんかどうだっていい。とにかく急ぐんだよ」
「……なんだ、わけありか?」
「ああ」
「……さっき速いのがいいって言ったが、それは誰かさんから逃げられるぐらい速いやつって意味か?」
「ああ」
「そうかい。ならこっちだ」
 そう言ってトウヤマは、狭いながらに浮遊車の並んだ、テーブルと椅子が隅に置かれた商談スペースのある場所から、その奥へとヨシハルを連れていった。そこは整備工場となっていて、一台の、槍と猛禽類を混ぜたようなデザインの赤い浮遊車が置かれていた。
「店を始めてから一番の出来だと思ってる。正直、他人に売ろうかどうかすら迷ってる代物だが、昔のよしみだ。てめえになら売ってやるよ。金は割引にしといてやる。だが、できれば壊すなよ」
「ああ、すまん。本当にありがとう」
 ヨシハルはトウヤマに金を払って車に乗り、店を出た。ヨシハルは免許を持っていなかったが、運転に支障はなかった。この下層社会では運転免許など持ってるものが一割いるかどうかも怪しい。加えて、自動運転システムもあるから、たとえ運転が下手でも車には乗れてしまうのだ。ヨシハルそのまま約束の場所へと向かった。時間にはまだ余裕はあったが、相手がまだ来ていなければ、先に行って隠れていて、相手の隙をうかがってミクを奪還する。そういう想定もヨシハルはしていた。


 百二十三階、待ち合わせ場所の空き物件の前の歩道の横の駐車スペースに、降車してから遠隔操作(ほぼ自動)で車を止めると、ヨシハルは熱光線銃を出してビルの中に入った。幾本かの柱があるだけで、あとは何も無い。殺風景な中に所々落書きがある。ただそれだけの場所だった。ヨシハルは銃口を前に向けつつ、それを時折右へ左へと振り、人影を探した。窓のある方から日光が差し込んでくるが、空き物件の中は穴倉のようなただ大きな日陰である。太陽とは逆方向に影は倒れている。と、その時、ヨシハルの近くの柱の陰から男が出てきた。男は背が高くがっしりとした肩幅。 おそらくは体温調節機能付きのコートを着ていた。その手には熱光線銃が握られ、その銃口はヨシハルに向いていた。
「銃を捨てろ」
 男は言った。
「ミクはどこだ」
 ヨシハルも銃口を男に向けながら言った。しかしその時、別の柱の陰からもうひとりの男が現れた。こちらもコートを着ている。最初の男よりも背は低いが、こちらもがっしりとした体系。見た目は最初の男よりも歳をとっていそうに見えるが、その分経験に裏打ちされた落ち着きがあるように思えた。そして二番目の男の横には自動捕縛ロープで上半身ごと後ろ手に縛られたミクが腕を掴まれていた。
「ミク!」
「ヨシハルさん! 私に構わないで! こいつらの狙いはヨシハルさんです!」
「黙れ。おれ達の仕事を邪魔する気か」
 二番目の男がミクの耳元で言った。
「ミクを離せ!」
 ヨシハルはガス弾銃も抜き出し、最初の男を右手の熱光線銃で狙いながら、ガス弾銃を左手で持って、二番目の男に向けた。最初の男が、
「銃を下ろせ!」
 と叫んだ。が、ヨシハルは無視して銃を構え続ける。
「双方とも待て」
 二番目に出てきた男が言った。そして続けた。
「まず名前を聞こう。そちらさん名前は」
「お前に名乗る名前などあるか!」
 ヨシハルは銃を下ろさずに怒鳴るように答える。
「名乗らなければ女を開放しねえぞ」
 二番目の男は落ち着いた感じで、掴んでいる窮屈そうなミクの腕を僅かに上げて言った。縛られているため、ただそれだけでミクは顔を歪めた。
「……サナダヨシハル」
「ふむ、本人だ」
「そっちは」
 ヨシハルが男たちに聞く。
「よかろう。別に隠す必要もなし。おれ達は国家公認探偵だ。これが証拠だ」
 そういうと男は懐から、ミクを家から連れ出すときにも見せたバッジを見せた。
「警察でもない探偵が何の用でミクを攫う。報復か」
「違うね。このお嬢さんが」
 そう言って二番目の男がまたミクの腕をひょいと少しだけ上げた。
「このお嬢さんが、先ほど少しネタばれをしてしまったが、おれ達はあんたを訪ねて来たのさ」
「誰の依頼で」
「ふむ。それはだな。こいつを見てもらえばわかる」
 そう言うと二番目の男は、懐から小さな白い立方体を取り出し床へ抛り投げた。ヨシハルは一瞬爆弾かと思ったが、簡易ヴィジョンの映写機だった。簡易ヴィジョンの中には大きな机があり、その後方には上半身だけのカイゼル髭を生やした男がいた
「はじめまして、ではないのだよ。サナダヨシハル君。いや実験機D二○九号君。変なトラブルを起こされて、雇った 探偵に追加料金を請求されても面倒だからね、単刀直入に言おう。君は人間ではない。もう一度言う。君は人間ではない。我々が作った次世代型アンドロイドに向けた実験機というわけさ」
「なんだこりゃ」
 ヨシハルは不快そうに言った。
「黙って続きを聞け」
 二番目の男が言った。
「我々は次世代型アンドロイドの主に学習プログラム、並びに思考プログラムのさらなる発展、進化のため、リアルな コミュニケーション環境の中で実験を行うことにしたのだ。わざわざ下層社会を選んだのは、その環境がコミュニケーションを必要としなければ生きていけない環境であって、何か事件が起きた場合でも、こう言っちゃなんだが、下層社会ならば情報操作も簡単で、揉み消せるからね」
 簡易ヴィジョンの中の髭の男は机の上で手を組み、妙に楽しそうに話す。
「中でも君は我々の想像の遥か上をいく優秀さを見せた。もはや自我が芽生えたと言ってもいいくらいの人間らしさを 手に入れた。それはマツダトシロウ、トウヤマケンジなどという成功例と比較しても、君が一番だったのだよ。周りの人間もほとんどが、君のことをアンドロイドだとは気づいていなかったろう。しかし我々も、黙って見ているだけでよかったなんてことはなかった。記憶は無いだろうけど、君は一度撃たれているんだ。脳波麻薬を売っている途中にね。全くあのときは焦ったよ。せっかくの実験データが駄目になってしまうとひやひやした。君の記憶の中で刑務所に入った記憶があると思うが、あれは作られた記憶だ。あの期間、実は君を修理していたんだ。実験を継続するために、我々は君に偽の記憶を植え付けたってわけだね」
 ヨシハルは話を聞きながら、自分の手の甲を抓ってみた。人間のそれである。一体このキチガイ染みた男の簡易ヴィジョンは何なのか。ヨシハルには見当もつかなかった。
「しかし、なにはともあれ、長きにわたる実験は終わった。おめでとう。君は役目を果たしたんだよ。君の中にはすでに十分な量のデータが溜めこまれている。それは我々にとって宝の山、まさに一攫千金を齎すものだ。君には感謝してるよ。実験機D二○九号君。まあ、そういうわけなので、我々の研究所まで帰ってきてくれたまえ。出資してくれてる企業の方で、帰って来た君のお披露目式がある。君の頭の中を解析するのはその後になるだろう。案内はその雇った探偵二人がするから心配しなくていい。では、君と会うのを楽しみに待ってるよ。ああ、なるべく急いで来てくれたまえ……」
 簡易ヴィジョンはそこで消えた。床にはぽつりと簡易ヴィジョンの映写機があるだけだ。
「一体何の冗談だよこれは。お前ら頭がおかしいのか」
 ヨシハルは簡易ヴィジョンを見ている間、下ろしていた銃を再度構えて言った。
「偽の記憶が植え付けられているんだ。信じられないのも無理は無い。だがあの男の言った通りお前はアンドロイドで、上にある研究所へ帰らなければならない」
「おれをよく見てみろよ! どこがアンドロイドなんだ。人間とアンドロイドじゃ肌の質感が違うし、アンドロイドは人間と違って、言動に違和感があるだろ」
「おれは探偵だから詳しいことはわからんが、事前に貰った情報によると、どうやらおまえは生体複合型アンドロイドらしいぜ。つまり外は人間とほぼ同じらしい。言動の違和感については簡易ヴィジョンで言ってた通り、新型だからだろう」
「そんなことってあるかよ。おれがアンドロイドだって? ふざけんな」
「向こうさんもお前のその態度は想定内だそうだ」
 そう言うと、二番目の男はミクの腕を掴みながら反対側の手で、今度は黒い直径十五センチ程の円形の何かを取り出した。そしてそれをヨシハルの足元に投げた。
「そいつのスイッチを押して、十秒以内に左右どちらでもいいから耳に当てろ。すると記憶が戻るらしい」
「誰がそんなことするか」
「いいのか? こいつを開放しないぜ?」
 二番目の男はミクを腕を掴んで揺らした。
「わかったよ。わかったからミクを乱暴に扱うな」
 ヨシハルはガス弾銃の方を仕舞い、左手でその黒い円形の物体を拾って、真ん中にあったスイッチを押し、耳に当てた。するとその黒い円形の物体は部分的に青く光り、内部では何かが回転しているような音がしはじめた。
「おい、これどれくらい当てとけばいいんだ」
 ヨシハルは怒鳴るように訊いた。二番目の男は、
「記憶が戻るまでだよ」
 と至極当然のことのように言った。と、そのとき、奇妙な音が聞こえたかと思うと、雷の中にいた。服がギューギューに詰まったクローゼットが爆発したみたいに、様々な記憶が一瞬でヨシハルの脳裏に閃き、頭の中が無理矢理広がったような感じがして後で、ヨシハルは銃を落とし倒れ込んだ。ミクはそれを見て、

「ヨシハルさん!」
 と悲痛な叫び声をあげた。ミクはヨシハルの許へ駆け出そうと捕縛ロープの与える苦痛に抗ったが、二番目の男はミクを離さなかった。が、それでもミクは抵抗したため、ついに二番目の男はペン型スタンガンを取り出し、ミクを気絶させた。ミクはそのまま床に寝かされた。
 黒い円形の物体はやがて青い光を発しなくなり、中の回転も止まったようだった。ヨシハルははっと目覚め、立ち上がって、
「どれくらい寝ていたんだ?」
 と誰に訪ねるでもなく訊いた。
「ご安心を。まだ三分も経ってやしない。記憶は戻ったんだな?」
 二番目の男が言った。ヨシハルはそれにつまらなそうに、
「ああ」
 と言った。
「じゃあ、おまえは?」
「アンドロイドだよ。製造年月日まで言おうか?」
「よし。大変結構。じゃあ行くか。センドウ行くぞ。もう銃を構える必要はない」
 二番目の男は一番目の男に声を掛けた。一番目の背の高い方の男は無言で銃を仕舞った。
「待ってくれ」
「なんだ」
「その女はどうする」
「てめえ、まだ……」
「違うさ。企業秘密に抵触しないかどうかだよ」
「……おれ達の仕事はお前を連れて帰ることだけだからな。この女は知らん」
「じゃあ、解放するのか」
「ちょいと記憶を消した後でな」
「記憶を消す?」
「注射するんだ。薬をな」
「思い通りに記憶を消せるのか?」
「んなわけねえだろ。アンドロイドじゃあるまいし。個人差があるからどこまでかはわからんが、ここ最近の記憶がとにかくごっそり抜け落ちるんだ」
「こいつの身柄はおれに預けてくれないか?」
「なぜだ。アンドロイドに情があるわけじゃなし、それとも新型には情もあるのか?」
「おれには研究所と企業の利益に資する行動が義務付けられている。この女も一緒に研究所へ連れて帰った方がいいかもしれない」
「そう思えば、向こうさんだっておれ達に何かしらの指示をしたはずだ。してないということは、お前の言うような必要はないということだよ」
「しかし、それはおれの創造主達がこの女を人間だと思っているからだろう」
「何? この女が?」
「どうもそうらしい。もしかしたら競合企業のスパイかもしれない」
「ユシマさん。行きましょう」
 背の高い方の男、センドウが言った。
「まあ、待ってくれ。おれには義務がある。あんたらはもう一人分の追加料金を請求できる。お互いwinwinじゃないか」
 それを聞いて二番目の男、ユシマは少し黙った後で、
「……よし、面倒だが、しょうがねえ。だが、この女が目覚めて、少しでもおかしな真似したら、そのときは頭を撃ってその場で捨てるぞ。おれ達が優先すべきはあくまで正式に依頼された方なんだからな。それでもいいか」
「ああ」
 ヨシハルは同意した。同意した後で、ヨシハルはミクを担いだ。次の瞬間である。窓を突き破ってヨシハルの浮遊車がビルの中に突っ込んできたのだ。ヨシハルの手には遠隔操作のコントローラーが握られていた。
「何だ!」
 二番目の男、ユシマは叫んだが、ヨシハルは浮遊車でユシマを撥ねた。続いて、車に向けて、熱光線銃を発射しようとしているセンドウに向かって、ガス弾銃を発射。センドウは浮遊車に人が乗っていると思い、そちらに気を取られていたため、避ける動作もせずにガス弾に当たり、気絶した。ヨシハルは浮遊車を遠隔操作し、自分とミクの傍まで寄せる。そして車内にミクを大事そうに座らせると、自分も運転席に座った。そしてウエストバッグの中から超振動ナイフを出し、捕縛ロープを切って、きつく縛られていたミクを開放した。運転席に座った時、光の筋が見えた。ユシマはまだ動けたのだ。ヨシハルはウエストバッグから煙幕弾を取り出すと、窓から投げ捨てた。視界を奪う濃密な煙が急速に広がり、窓から吹き込む風によってユシマの方へ押し寄せる。ヨシハルはアクセルを踏んだ。槍と猛禽類の混合を思わせるその浮遊車は急速に加速し、そうして、ヨシハルとミクは二人共々、国家公認探偵達を後に残して、ビルの中から脱出したのだった。天を突き刺すように聳え立つビルの間を、ヨシハルとミクは飛んでいる。高度リミッターが付いてないから、決まっているレーンを無視して上へも下へも行ける。そのうち交通違反監視システムに見つかって無人機が追いかけてくるかもしれないが。ヨシハルはその前に、どこかでミクを降ろしてしまうつもりだった。ヨシハルは一人でアンダーグラウンドへ行くつもりだった。その時、ミクが助手席で目を覚ました。
「……ヨシハルさん……?」
「ミク……起きたのか」
「あいつらは? あいつらはどうしました?」
「大丈夫。追いかけてこないから。もう心配ないよ」
「ヨシハルさんは……大丈夫なんですか?」
「大丈夫……自分の正体に気づいただけだから。でもミクとはもう一緒にはいられないかもしれない……アンダーグラウンドに行くことにしたよ……」
「アンダーグラウンドにですか……」
「ああ……だって地上にいたってどうせまた追手がやって来るからさ……アンダーグラウンドなら法の力も及ばないし、身を隠せるから」
「でもアンダーグラウンドは下層社会よりももっと……」
「うん。そう聞いてるけど、でも、自分の目で確かめたわけじゃないし、意外といい所かもしれない。それに……それにさ、もうアンダーグラウンドに行くしか選択肢が無いんだ……おれの全ては嘘だったわけだし……だからミク……ここでお別れだ」
 ヨシハルはあの空き物件のあったビルから、十分に離れた適当な所で浮遊車を停めた。ミクの側のドアを開ければ、すぐに歩道がある。ヨシハルはウエストバッグから出したカードをミクに渡して言った。
「これ、まだたくさんお金が入ってるから、これでどこか別の場所に引っ越して……上の世界に一人で行くのもありだな。ミクはかわいいから、なんとかなるよ……。あと、もしも奴らが来たら、おれはアンダーグラウンドに行きましたからもう知りませんって、ちゃんと言うんだぞ。銃も買っといた方がいいかもしれないな……危ないと思ったら警察に駆け込め。警察も一応は警察だからね。それに警察は国家公認探偵のことをあまりよく思ってないから、多分協力してくれるはずさ……ミク……今までありがとう……こんなおれに人間みたいに優しくしてくれて……さあ、もう行ってくれ……」
「ヨシハルさん……私、さよならは言いません」
「ああ、それでいい……こんな別れ方だしね。仕方無いよ……」
「違います。私も一緒に行きます」
「駄目だ。ミク。おれはアンダーグラウンドに行くんだぞ。そんな所にミクを連れていけない」
「私は行きます。ヨシハルさんが連れて行ってくれなくても、後から追いかけます」
「ミク……おれは人間じゃない。ミクが……どれだけおれを愛してくれていようとも、おれはもしかしたらプログラムに従って、受け答えをしているだけかもしれない……もしかしたらおれたちの会話とかコミュニケーションは、ミクの幻想で、ミクはただ壁に向かって一人でボールを投げているだけかもしれないんだ……通じ合っていないのにそこに愛があると言えるのか?」
「だけど、ヨシハルさんは記憶が戻っても、研究所と企業を裏切って、私を助け出してくれたじゃないですか。それに私は確かに感じるんです。私はヨシハルさんと一緒にいるとすごく幸せなんです。でもその幸せは決して自分だけの範囲のものじゃないんです。心が言っているのです。私は心を信じます。そしてヨシハルさんの中にも心があると信じます。私の中でその信仰は決して揺らぎません。これからもずっと」
「ミク……」
 ヨシハルは泣いていた。ミクも泣いていた。二人は抱き合って、そしてキスをした。心は見えなかった。浮遊車はやがて動き出した。ドアは結局、開かなかった。赤い浮遊車はただ、ただ、愛だけを頼りに、どこまでも、どこまでも、堕ちていくのだった。

アンドロイドの美人局 ©岡田寄良

執筆の狙い

ラノベ風。
エンタメ風。
流行りのフェミニズムには乗れてない感じ。

岡田寄良

182.249.246.9

感想と意見

アフリカ

拝読?しました。

僕の仲良くさせてもらってる方の文体に似てるな……と勝手に読み始めたのですが。結構序盤で、ど根性皆無の僕はく折れてしまって……以後は斜めに……それでも最後まで読めてないのだけれど……

ん……

タイトルと言うかアイディアは好きなんだけど……

僕が、なんだか乗れないのは展開とか語り口の問題ってよりも台詞の出し方かな?と感じたのですが。
台詞に勢いみたいなのを正直感じ難いと思いました。
もっと正直に出すと……振り切れていないと言うか魅力的ではない……かも?
と言うのが、読ませて頂いた部分だけのイメージですが、台詞の割合が多いので掛け合いのテンポが悪いと非常に鈍重なイメージ。
台詞で大きな部分を説明している訳でもなさそうだし、切り取ってしまってスッキリさせても良いやり取りがあるのかも知れません。

って、最後まで読まずに勝手な感想申し訳ないです

ありがとうございました

2017-03-14 19:55

49.106.204.91

岡田寄良

アフリカ様へ

お読み頂きありがとうございます。
実は私は会話文だけの戯曲を読むのがひどく苦手で、ぶっちゃけ全然読めないんです。
ご指摘して頂いた問題点はあるいはそういう私の修行不足な点、弱点が露見したのかもしれません。
しかしできれば最後まで読んで頂きたかった……。

2017-03-14 21:03

182.249.246.31

アフリカ

ですよね!

拝読しました。

読了一発目の感想ですが内容と言うか、アイディアは嫌いじゃない!

特に近未来と言うか直ぐ身近の異世界と言うか、現実半分空想的世界観半分の設定は好きなんだと思います。

ただ……

やっぱり乗りきれなかった……

勝手に……本当に勝手に思うのですが、岡田さんは素直に物語を読むのが好きなんだろうな~って……
だから、どちらかと言うと……
小説って書き物を分解してぶん殴って「この野郎! この野郎!」と踏みつけたり、蹴飛ばしたり、とにかくウリャウリャ!と分解してバラバラにして、とりゃ~とかウリャーとか変な形に造り直したりすることは苦手なのかな……と感じました。

確かに素直に物語に触れるのは楽しいし正しいのだけれど。それでも、分解してバラバラにしてグチャグチャにしてみると色々な事が解るかも知れないな……とかも思うんですよね。

沢山読んで下さい。

色々自分と重ね合わせて勉強になりました。

再度、ありがとうございました。

2017-03-14 23:16

125.199.128.69

岡田寄良

アフリカ様へ

最後まで読んで頂きありがとうございます。
乗れなかったとあるので、無用な精神的労力を使わせてしまったのではないかと多少申し訳ない気持ちです。
小説に対する研究は確かに十分とは言えませんね。
そもそも読書量が全然足りてない……。
最近読んだのはエミール・ゾラの制作でしたが、それもただ楽しんで読んでしまった感じです。
最初に小説を書き出した頃は、ほんのちょこっとだけ好きな小説のプロットを紙に書き出してみる的なこともやってたんですが、今では全然やってませんね。
でもプロになるにはそういう努力もしなくちゃいけないのでしょうか。
少なくともこれからはなるべく読者側の視点だけでなく、作者側の視点も持つように心掛けたいと思いました。

2017-03-15 00:09

182.249.246.30

ポキ星人

 正直、あんまりおもしろくはないです。アイデアが陳腐なのは、こういう場なのでかまわない(推理小説とかSFで斬新なアイデアのある作品はこういうところには出さないほうがよい)ので、そこは目をつぶったつもりですが、それでもあまりぴんとこない感じです。
 超格差社会で下層の人々が人間扱いされてない一方で、中層以上の人間の中にアンドロイドと性交したがる人間がいるという世界を舞台にしているので、そういうところで「人間だと思っていたけど実はアンドロイドでした」と言われても、なんか読者の関心外のところでどんでん返しをしている感じがします。
 この道具立てだと、たとえば、やくざの裏をかく形で主人公が大金を儲ける、とかの悪漢小説寄りのプロットの方がしっくりくるように思います。

2017-03-17 01:33

180.12.49.217

岡田寄良

ポキ星人様へ

お読み頂きありがとうございます。
自分としてはミクの存在がうまくミスリードになってくれればと思っていましたが、駄目だったようですね。
白状するとSFも全然読んだことなくてこんな感じかなあと思って書きました。
こういう話に書いてしまった後で、我ながら織田作之助とかあの辺りのSF版の出来損ないのようなものが書きあがってしまったなあと思ったのですが、やっぱりエンタメ寄りの作品はポキ星人様が示してくれたアイデア通り、痛快なカタルシスを感じるようなハッピーエンドじゃなきゃいけないのでしょうかね。
何にせよ、拙作を読んでくださりありがとうございました。

2017-03-17 21:52

182.249.246.40

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