作家でごはん!伝言板

花見。

五月公英。

作業ズボンのジッパーを閉め忘れたまま頭上の桜に見とれるちっこい爺さんが、女子高生を満載したスクールバスの進路をふさいで微動だにしない。

感じた事

アフリカ

綺麗事で済ませてしまえる小説なら
僅かにも問題提起等出来ないと考えます。
痛みを感じないものに、何を感じるのでしょう?
より力強い痛みを訴えるからこそカタルシスが生まれてそこから感じて考える。
綺麗事を書くために小説を書きたい。または書くべきだと考えるのは何処か違った感覚の持ち主なのかもしれないとさえ感じます。
子供に向き合う姿勢にしても、勉強しろ!と無意味に言葉を発し。健全な事が正しいと説くのにその理由は自分自身で明確に理解していない。
頭デッカチで現実の世界と向き合うことを否定して安心してる。そんな感じにさえ思えます。

書くべき事が理解出来ないなら辛辣な感想擬きを出すのも滑稽にさえ感じてしまいます。

一日24時間・・・足りない!

よこやり

しかし、あんさん方。暇でんな、どんな実生活? 仕事はしているの? 本は読んでいるの? 小説は書いているの? 他にすることはないの? 浸かっているけどあんさん等にとって作家でごはんはなんなんですか?