・本当にプロを目指しているのか

考える人

 この「作家でごはん」は、その名の通り、プロの作家で食べていくことを目指している方々の
ためのサイトだと思います。
  そして、私も「プロデビューはしたい」と思っているのです。

 でも、その後がちょっと違うんですよね。「プロとして食べていける力量は付けたいし、仕事があれば受ける。しかし、それを本業にはしたくない」と思っているのです。
 こんな考えは中途半端だというのは百も承知です。でも、私の中では、所詮、小説を書くという行為は趣味であり、「生活の糧を得るためのもの」ではなく、「趣味ではあるが、アマチュアとして最高峰の(プロに匹敵する)実力を得たい」という対象なのです。
 こう思う最大の理由は、もっと好きな仕事があるからに他なりません。そして、現在、その仕事をして生きています。
 とは言うものの、「そんな考え方は中途半端であり、どうせプロになる自身がないから、成功できなかったときの逃げ口上を考えているんだろう」といわれると、そうかもしれないな、と思うこともあります。

 皆さんは、本当にプロの作家を目指しているのでしょうか? また、私のような小説に対する
向き合い方をどう思いますか?


アキタ

それはそれでいいのではないでしょうか?
「書く」ことと「収入を得る」ことは別次元の問題であります。
ですから、「プロとして食べていける力量は付けたいし」とは別に矛盾しないと思います。
むしろ収入のことを気にしないで書きたいものを書けるというのは理想的な環境かもしれません。

出版者側から言えば、出版に値するものを書いてくれさえすれば、その人がどうのように生活を成り立たせているかなんてことは関係ないわけですから。
(私は出版者側の人間ではないですが、常識的に考えてそういうことになるはずです)

「プロ作家」というのは結果の積み重ねでしかないと思いますから、ちょっときついかもしれませんが、「それを本業にはしたくない」というのは売れる小説を書けるようになってから考えても遅くないと思います。


ひとがた

僕も“考える人”さんと同じく、「自分のやりたい別の仕事」をしながら作家を志しています。別のトピックで、「なぜ作家を目指すのか」というのがあって、とても参考になり、いろんな動機があるのだなぁと思いました。
動機がいろいろあるのだから、たぶん目指す達成のカタチもいろいろあると思います。

僕は“考える人”さんにとって、作家を目指すことが「もっと好きな仕事」のプロとして障害にならないのであれば、作家を目指すことのスタンスはこだわらなくていいと思います。

僕は一読者としては、その作品の作者にスタンスのどうこうは問いません。
アキタさんの言われるとおり作品が残す“結果の積み重ね”のみが、プロかアマか、そしてスタンスの是非を“結果論的に”決定すると考えます。

であるならば、書き手は純粋な書き手の都合で書くのが最良だと思うのです。
趣味であろうが自信がなかろうが、作品の善し悪しを決定するのは、市場(読者や出版サイド)であって。

また僕個人的には、作家を目指すこと以外の場で得た情報を自分の作品にフィードバックさせることとか、自分の作品を客観的に観ることのできるもうひとつの自分の立場を維持することができるかもしれないという意味で、「副業作家」というスタンスはメリットもあると思います。


アキタ

 あ、そうそう。
 誰もが知ってる宮沢賢治。
 事情があって、年表をつぶさに見るということをしたことあるんですが、驚いたのは、その生涯の中で彼は一度しか原稿料を手にしてないんですよ。
 当時の彼自身は「作家でごはん」を目指していたのか、どういう意識だったのかどうかはわかりませんが、少なくとも客観的なお金の出入としては「プロ作家」とはとうてい呼べるものではなかったのです。
 しかし、皆さんご存知のように未だに本が売れ、熱烈なファンを持つ作家であるわけです。
 まあ、それを本人は知ることはなかったわけなので、作家として幸福だったのかどうかわかりませんが、これも「結局は積み重ねである」の一例になるかと思います。


ごんべえ

 考える人さんに激しく共感してみる……。
でもそれが本業に成ったなら成ったで又アレですが……。
私の場合、とりあえず今は趣味、ってところです。


わたしは絵も小説も書く事も大好きです。
将来は真剣に作家になりたいと思っています。でも絵は書き続けたいと思います。
趣味ですね。でも、その趣味の為に美術の高校に行こうとしています。
(美術にしろ作家にしろ、食ってけなさそうな感じ……)
絵を描くからには上手くなりたいです。絵で食べていければ、それも良いなと思っています。
けれど、小説を書くことはやめないはずです。
わたしは、そう言う考え方も良いんじゃないかと思うのですが。


さかなや

 小説を書くのは趣味、でいいと思いますよ。深沢美潮さんは「文章で食べてなきゃだめだ」とおっしゃってましたが、人それぞれ向き不向きがありますから。

 私も兼業で小説家を目指しています。私の場合、専業になると、たぶん売れるためになりふり構わなくなりますので。……大庭詠美ちゃん様の教訓は胸にとめておきたいです。

 時間が自由にならないので、執筆のリズムを作るのが大変ですが。それで書けないようならその程度ってことで。……と簡単に割り切れるものでもないのでしょうけど(笑) 書くだけなら何処にいて何をしていてもできますし。

 出版社側も、ちゃんと〆切を守ってくれれば、生活の心配をしなくていい兼業の方がありがたいみたいです。新人が専業小説家で食べていくのは大変ですから。


アキタ

でも、結局は、専業で行くか兼業で行くかは原稿が売れてからの問題では?
それ以前の段階で悩んでもそれは捕らぬ狸の何とやらでしかない。


さかなや

 ええと。もちろんデビューできなきゃ専業作家にはなれないのですが。
 それでも作家一本でいくために生活苦に耐えている人もいますし、逆に商業ベース以外で作品を発表している人もいますので。目的が変われば手段も変わるってことで。

 売れてから考えればいい、というのはもっともな意見です。けれど、売れなくても書き続ける、というのが大抵の新人さんの状況なので。その時の心構えをしておくのは悪いことではないと思います。

 たしかに捕らぬ狸になる可能性は高いですが。そもそもデビューできると信じること自体、夢を見てるようなものですし。ちょっとくらい皮算用しても構わないのではないかと。


路傍の隕石

 本業か否か、ということについては執筆する各当事者個人の捉え方で良いと思います。
 たとえば、日常の生活を愉しみながら書くという行為を味わってゆきたい、それにより日常が破壊されるのは困るという考え方の方もいらっしゃるでしょう。
  特に家族や扶養すべき人を持っている人にとっては、そのような考えに自然と落ち着くことは否めないでしょうし、決して非難されることではありません。ましてや、この不景気、就職難、出版不況(これは慢性化しているか)の世情ですからね。
  書いてそれが自らの癒しになり、そしてうまくいけばキャッシュが、という感覚でもいいのでしょう。最もこれでは許せないというストイックな方もいるでしょうが。
 
 ただ、単なる娯楽作品作者にとどまりたくない、とか自らの筆によって社会に一石を投じたいなどと考えている人は、自らの日常を捨てて事に当たるべきでしょう。


DAME人間

単純に、『何かを創るのが好き』だから小説書いてる人って多いと思うよ。
賞受賞とかは二の次、みたいな。
僕はホントは映画創りたいんだけどね。
気のあう連中と騒ぎながら、楽しく。
作家になるのは、あくまでその過程、という感じで。
結局、僕は『創作』がしたいわけだしね。


七味黒猫

 見事新人賞を受賞してプロ作家になることができて、それからしばらくは仕事をしながら小説も書くという生活を送っていたのだが、やがて小説の人気が出て執筆依頼が増えるにつれ、私生活にも負担がかかり始め、そのうち編集者や出版社にも迷惑をかけていることにも悩んだ上で、仕事をやめて作家稼業に専念する、という人もいるようです。

 まあ、そーなってから悩めば良いのではないでしょうか。でもま、一冊二冊出版したきりで消えて行く作家もいることを考えると、いきなり仕事をやめて作家専念というのも無茶な話なのでしょう。


Oak Joe

森鴎外なんか兼業ですよね。でも、それで確か一度左遷されているし一般の会社では今でもいい顔しないところって結構多いし、なかなか。

兼業したいけど、許してくれなくて専業にしてしまった人も居ますよ。
後、一番はやはり、会社って何処も知られたくない秘密ってあって、それが公になったとき、小説書いて飯、食っている人は警戒するんですよね。
もし貴方がそれこそ、誰でも知っているような物書きで、そこでそういうことになったら、絶対取材に来るし、己の良心とか試されたりして、言わずに通せるかと言う問題も起こるわけで、その辺もあって企業はそういう人材は敬遠しがちになるんですよね。理解ある勤め先でも、そのときは色々と言ってくると思いますよ。

勿論食えるまで居ると言うのは必要ですが、兼業は色々と覚悟しなきゃならないと言う事は念頭に置いておいたほうがいいと思います。

大学教授の兼業が一番多いですが、研究論文も書かずいい気なもんだといわれるのは結構聞きますしそういう人も知ってますので。
この件、見ているとどうも、作品さえ良ければ良いという視点が主流のようですが、例えばサラリーマンと仮定して兼業してみた場合雇っている人はどう見ているかと言う視点からの発言がないように思います。悲しいかな経営者から見ると新人文学賞を取った社員って、やはり扱い辛いはずです。しかもマスコミが絡んでくるとなると、出来るだけ遠ざけたいと思うのは止むを得ないかなと思うのです。

ノーベル賞の田中さんを見ると頷けると思うのですが、この場合島津はしっかりした会社で、利益にもなり至宝として扱っていますが、あの騒動がいつまでも続いたらやっぱり田中さんは困るのです。島津も当然困るのです。研究に当てる時間がなくなるしさりとて、めったな扱いが出来なくなる。それでも、田中さんは技術者だし、マスコミと深く関わるわけではないから沈静化すれば問題はない。けれども、物書きはそうはいかない。作品を出せば一応取り上げられる。出している限り忘れられる事はないのです。そのなかで、もし勤めている会社がスキャンダルを起こしたら、ある程度の緘口令はしかれます、そこを開示しろとくるのが、報道でそのなかに貴方が居るとして、と経営サイドは考えるわけです。
極端な例ですが、そういった事もあって、企業は辞めさせる方向に行くわけです。どちらかを選択しろといわれて、筆を折った人もいるかと思います。無論サラリーマンでなければ又違ってきますから、その際は兼業も可能かと思いますが。いずれにせよ、雇われ人には中々難しい問題があると言っておきましょう。


宇宙象

「作家でごはん」とは、事象の一側面を捉えた表現に過ぎない。
「作家を目指す」のは、「ごはんを食べる」ためでは、ないはずだ。
野茂や、イチローや、松井が大リーグを目指しだのは、ノーベル賞の田中さんが、より良い製品の開発を目指したのは、「ごはんを食べる」ためだろうか。
それが生きるということだからではないのか。
「作家を目指す」ということも、同じではないのか。
生きるということが、ごはんを食べるということなら、この世に作家など必要ない。

「目指す」という言葉の意味を、分かっているのか。

あなたの職業は、目指したものか。
あなたは、その仕事の中で、日々、何かを目指し続けているか。
その職業に、生きて死ぬ覚悟はあるのか。
野茂やイチローや松井や、田中さんや、ゴッホやピカソや、美空ひばりのように。

「作家」とは、
大勢の人間の魂を震わせたいと願い、
そのために、自分の魂を削る覚悟をした者と、私は思う。

「目指す」とは、前進し続けようと闘うことだ。
作家は、作家を目指し続けている。目指し続けなければ、作家ではいられない。
私たちを感動させる作品は、その苦闘の結果だと思う。

敢えて、何かを目指さなくても、生きては行ける。
敢えて、歯を食いしばらなくても、悔しさに涙しなくても、いらぬ恥をかかなくても、
生きては行ける。
敢えて、魂を削らなくても、生きては行ける。

曰く『才能のある人間は、その才能でしか生きられない』
才能など、求めなければ見つからず、磨かなければ無に等しい。
あなたは、自分の才能を探し、才能に生きる覚悟があるか。

覚悟のない者は、退くべし。

私は作家を目指す。
頑張ろう!勇敢なる同志諸君。

私が、ここに書いたことは、すでにどこかで聞いた言葉と思う。
こんなことは、誰もが分かっていることかもしれない。
しかし、この意見室が、作家を目指す人々の意見交換の場として、
真に役立つことを心より願って、投稿する。

_作家でごはん!>創作意見室