とり
夏目漱石などの歴史に残っている文豪たちはなにが無名の作家の作品と違うんでしょうか。
その決め手となるのは普遍性でしょうか。
ヲオツキ
ただの紹介になってしまいますが、中村明著『名文』を読みましょう。
背表紙から引用いたしますが、
名文とはどのような文章だろうか?
悪文と駄文の違いはどこにあるのだろうか?
国木田独歩、夏目漱石、森鴎外から辻邦生、小川国夫、丸谷才一、宮本輝にいたら50人の作家の多彩な名文例を通して、その名文性のありかを探りつつ、名文のスタイルの構造を解明する労作。
日本文学を愛し、日本語に心をよせる人びとのための必読の現代文章読本。
純粋に、ためになります。
本当にただの紹介になってしまいましたが、是非とも御一読を。
匿希
過去の名作を読んでも、「なんだ、たいしたことないや」と思うことは多々あると思います。
その理由は、ひとつには個人差の問題があるでしょう。
でも、一番の理由はなんといっても、「近年の作品を読んだために、思考が刺激に慣れている」というのがあると思います。
つまり、ある刺激を受けたことのある頭脳は、それ以上の強い刺激でないと「すごい」と思わないということです。
私も、志賀直哉の「暗夜行路」がすごいと言われて読んだのですが、まったく良いとは思えませんでした。
現代はありとあらゆる小説があふれ、その多くが、過去の作品の上を行くことを目指して書かれています。ですから、最初に近代の作品を読んで、その後で過去の名作などを読んでも、それほど良いと思えなくても当然だと思います。
そのことを念頭に置いて考えると、夏目漱石の作品が今でもそれなりに面白くかつ感動的に読めるのはすごいことだと思います。当時の日本には、それほど面白い小説もなく、また、あのような文体(口語体に近い平易な文章)すらなかったのを、彼が独自に創作したというのですか
ら。
また、森鴎外などは、今読んでも涙が出るほどすばらしいですよね? それは、彼の作品がそれほど普遍的な魅力を持っているのと同時に、あの固い文語調の文章がかえって新鮮に感じられるため、ということもあるかもしれません。
少なくとも、昔の作品を評価するときには、その時代背景とかを考慮すべきだと思います。
とり
ツキさんぜひその本を参考にしたいと思います。
匿希さんご意見ありがとうございます。思考が刺激に慣れてる確かにあるかもしれません。漱石とゆう明治の文学者が時をこえ平成になっても読まれるそれは、すごいことですよね。例えばこころは人間のエゴイズムを鋭く描いたもので時代など関係なしに通じるものがありますから。
OakJoe
漱石の凄さは年を取るほどにわかります。
ある作品では、日本の事を欧米と比べて牛と競争する蛙と看破しています。これって現代でも日本の苦悩の一つでしょう。いずれ張子の虎になるのが落ちだとまで言ってたり。
しかし、何より凄いのは坊ちゃんです。これって青春ドラマの原型ですよね。