諒矢
美形キャラについてお聞きしたいのです。
見目麗しい人が一人、二人三人……居ても良いでしょう。が、それは何人くらいまでが許容範囲でしょうか?
そりゃあ登場人物全体の数にもよるかもしれませんが、あんまり麗しキャラが多いとぎゃくに、困惑してしまって。
たとえば、それが狙ってとか故意なら構いませんし、どこかの一国の中枢に近ければ、国王とか貴族とか遺伝的に美形が多かたっりはそういうものでしょう。美形しかいない世界なら構いません。
が、そうではない場合、どのくらいまでとか決めていらっしゃいますか?
私の場合はあまり作りたくはないんです。現実的に美しい人は男でも女でもそうそう近くにいませんし、ということは、どんな世界を舞台にしても普通は多くないと思うんです。
よろしければ、ご意見お聞かせください。
アキタ
結果として面白ければなんでもありです。
結果として面白くないときに、その理由として「美形キャラが多すぎ」と言う指摘が出るかもしれませんが、それは「許容範囲」を超えたからではなく、登場キャラを上手く扱えなかったからであるはずです。
物語の流れの中で、出てくる意味が感じられなければ、それは「無駄」=「多すぎ」ということになるわけです。
だから、数のことを気にするのではなく、そのキャラが物語の中でどういうポジションにあるのか、そして、そのために「美形」とした方がより効果的になるのかどうかで判断すれば良いことだと思います。
諒矢
なるほど。確かにそう言われてみると、その通りですね。結構最近の本は、(漫画もそうですが)特に意味を感じないのに美形にしているものが多いように思えましたで。
(って私が読んでるものが単にそうなだけかもしれませんが)
では、ありではあるとは思うのですが、見目をよくして人目を引く、興味を引いたりする、格好良くする。というのはどうなのでしょう?
その場合は、そりゃあ美形にした方が効果は上がると思うのですが……?
(いえ、それだけで良く見せる、というのではなく)
紅々
そのキャラクターが美形である必要があるのなら美形で良いと思うし、逆に美形じゃない必要があるなら美形にしなければ良いでしょう。
たとえば「シンデレラ」なんかはシンデレラが美形で無いと成立しない話です。
さらに言えばシンデレラ以上の美形が居ても成立しません。
必要か、必要でないかを判断すればどんなキャラクターが何人居ても許容されるものだと思います。
ハザマ
美形は書いたことないので、あまり参考にならないかもしれませんが。
美形が美形であるには、非美形がどうしても必要になって来るんじゃないでしょうか。
でないと、結局『美形=平均』になって、美形が美形でなくなってしまいます。
主要人物全員が美形であっても、どこかでそれを納得出来るようにすることが肝要で、どんな個性もそれを引き立てるもの(比較出来るもの)が無いと、結局『普通』になるということです。
美形が美形であれる条件は作品の内容によって変わってくるでしょうし、本当に人を惹き付ける魅力あるキャラは何も美形ばかりではないことも視野に入れて考えられてはどうでしょうか。
アキタ
これはジャンルの問題も関係してくると思います。
マンガはもちろんとして、ライトノベル系はアニメ画を前提しているので実際にイラストという「現物」が存在し、且つ、それが「商品」の魅力の一つでもあるわけです。だから、挿絵のイラストがことごとく「おいしい」ものであるように登場人物が皆美形であるというのは、ある意味で必然であるのかもしれません。
私自身はライトノベル系はほとんど読んだことがないのでその実際を知りませんが、「美形が多い」というのは、文章を読んだ印象ではなく、挿絵のイラストの印象だったりしませんか?
2番目の質問は、物語の筋と関係ないところで、登場人物の容姿を魅力的にすることで、作品の魅力を増すことになるか? と言う意味かと解釈しましたが、これについては「関係ない」「無意味」だと思います。
但し、上記したようにライトノベル系の場合、その人物がイラストとして描かれることになれば、プラスになるのかもしれないなとは思います。
これに関して、最初の質問に戻りますが、ライトノベルの1冊中に使われる挿絵のイラストにも枚数に限りがあるはずですから、そこに描かれないキャラは美形にしても意味無しという言い方は出来るかもしれません。つまり、「許容範囲」はイラストの枚数によって決まってくる……ということです。
もちろん、これは私の全くの推測でしかないですが。
いずれにしても、登場人物の容姿は、物語の面白さに対してプラスになるかどうかで判断を下せばいいというのが基本であると思います。
アキタ
連打すんません。もう一言。
小説の登場人物の魅力は、その言動が全てであって、実は容姿は些末な問題でしかないのかもしれません。作者が、その容姿を事細かく描写する必要はなく、どんなルックスをしているかは読者の想像に任せてしまえばいいんじゃないかと思うんですよ。
ライトノベルの場合でも、キャラの個性(=言動)がしっかり描かれていれば、容姿の描写を細かくしなくてもイラストレーターさんが、そこから想像して、それなりの魅力的な容姿を与えてくれるんじゃないかと思います。まあ、それはプロになった場合の話ですが。
ハザマ
趣味で美形を出して何が悪いのでしょう。
美形キャラが人気が出やすいのは、美形が好きな人が多いからだと思います。
つまり、美形おおいにけっこう、でも同じような美形(金髪が黒髪になったところで大した違いはないという意味で)が何人もいてもつまらないし、意味の無い美形は他の意味のある美形の存在感を薄くするだけです。
やはりバランスをとることが肝要なのではないでしょうか。
そのバランスのとり方として、『必要な美形』を効果的に出す必要があると思います。
(ストーリーの展開上ではなく、作品世界を面白くするための『必要な美形』という意味で)
諒矢
今書いているモノで、美形にしてもしなくてもストーリー自体に影響はないんですが、主人公との兼ね合いでどうするか迷っていたキャラがいたので、単純に他の方はどのくらいの割合で出しているのかな? と思っただけなんです(そりゃあ話や作風によって変わることは重々承知ですが)。
そして、前述したように、その迷いというのは主人公との兼ね合いだけのことなので、はっきり言ってどちらの方が面白いかは判りかねているんですよ。で、そこで美形にしたとき、趣味で美形にするのは大いに結構です。が、それが単なる趣味で終わってしまうのは私にとっての本位ではありません。私の場合、趣味止まりだったら、自分なりの肉付けのないスカスカになってしまう気がするんです。だから、そこで趣味以上の必要性が生じててきて……って、まぁ結局は自身が考えることです。
風杜みこと
美形であることが、そんなに作品世界で重要な意味を持つのでしょうか?
キャラクターを印象づける為に、その人物の特徴として「美形」という設定はアリだと思いますが、ただ美形というのでは面白くありません。宝塚のメイクのように、加筆すれば美しく描写できるけれど、それによってキャラが「美形群」に埋もれてしまうのなら、美形であることよりキャラの特徴を優先させるべきだと思います。
また、芸能界で活躍する人すべてが「美形」でないように、汚れ役、三枚目、悪人商会など脇役も必要でしょう。
月は太陽が昇っている間は、霞んでしまいます。
美形キャラを真昼の月にしない為には、非美形キャラを美形キャラの脇に配置し、(美女と野獣じゃないですが)対比・対照すると、生きてきます。
本人の美醜に関係なく、顔にコンプレックスのあるキャラがいると、その他のキャラの「美形」ぶりに付加価値が生まれるので、そういうキャラを一人登場させるだけでも面白いかもしれません。
「美形」=人間的魅力とも違うので、美形なのに目立たず根暗でつまらない人、美形じゃないけれどよく笑い、闊達で裏表がなく誰からもモテル人、外見がむさ苦しくダサイのに意外に繊細で、主人公を影ながら支えるイイ人、……色々あるでしょうが、人間関係や話が面白ければ何人美形が出てこようが、O.K.だと思います。
諒矢さんのコメントを読んで、キャラクターへの愛を感じました。
人それぞれ、どんなキャラクターに愛を感じるか違いますが、それだけ書きたい人物像がはっきりしているのは、いいことではないでしょうか?
ただ、美形=無個性化にならないようにだけ、ご注意ください。
どんな作品に仕上がるか、楽しみですね。
諒矢
ありがとうございます。そう言っていただけると、嬉しいです。
実はこういうところにカキコしたのは始めてだったので、少し緊張して、そのまま一人で突っ走ってしまたかな? と思っていました。
そして、よく考えもせずにレスを付けてしまっていたか? と反省しております。
というわけで、この場をかりて、失礼な発言があったならば、お詫びいたします。
どうも、申し訳ありません。
おかげ様で、今では(あくまでも私の主観では、ですが)自然な感じでキャラを創れたか、と思います。助言をくださった皆様、改めまして、ありがとうございました。