・オリジナルを探すのは愚かな事

佐々木

新人賞を受賞したければ、売れた作品に似たものを書くのがいいと教えられました。
本当なんですかね?
でもオリジナルを作るよりは受賞が早いかもしれないって思えもします。
オリジナルにこだわります?
類似作品(悪い言い方すれば猿真似)でいきます?


へも

どうなんでしょう?
売れた作品というのは、ウケた実績があるわけで、オリジナルにはそれがない。
多くのオリジナルがあって、ウケるのはほんの一部なわけです。
要は、そういった確率の問題なのではないでしょうか?


聖文

物語のパターンは既に出尽くされたといわれているから、あながち嘘ではないでしょう。
けれど既存の作家や作品を真似たとしても、オリジナルの方がいる訳だから、仮にデビューしたとしても読者の需要はクローンよりもむしろオリジナルになるのではないのでしょうか。少なくとも、オリジナルよりも面白いものが書けなければ。

それと。既存の作家を蹴倒すくらいの意気込みがなければデビューはできない、というようなことを栗本薫が言っていたような気もしますが。


近所一 一

 オリジナルは受けない。だから、類似作品が良い。こんな単純な答えではないと思います。確かに時代のニーズを捉えることは大切だと思います。あくまで読者を満足させる物をプロは作り上げなきゃいけないと思うので。
 だからといって、時代のニーズばっかり優先させてしまうと、今度は個性が無くなっていくと思うんです。
 純文学とか自分の人生がモノを言うジャンルなんかは、類似作品だけで伸し上がった作家さんなんていませんよね。
 ジャンルにより話も変わってくると思いますが、少なからずオリジナル要素は必要になってくると思います。


三日月

全部真似しろって事じゃなくて、俗に言う黄金パターンをつかえって事なのでは。

例えば

●男二人に女ひとりが登場→男Aと女がいい感じになる→でも女は男Bになびく →男Aがさわやかに去る→男Bと女、ゴールイン

しこたまありそうなパターンですがプリティブライド(映画)なんか、このまんまの作品でした。他にも。強敵を倒しに行くため旅立つ不遇な身の上の主人公だの、いろいろあると思いますが。

「勧善懲悪なんかオリジナリティがない、だから自分はオリジナルで行く!」と言ったって、悪が栄えて主人公が死んで終わりなんて後味の悪いものは読みたくないです。
……たぶん、オリジナルにこだわってとんでもないものを書くぐらいならば、ありふれたモンを使ってもそこそこ面白いモンの方がましだよ、って事では?

↑がもし違っていて、ただ単に売れたものの焼き直しを書けって事ならば同意できませんが……。焼き直しを書いて原作に勝る人気を獲得できるヒトならば、たぶんオリジナルの作品の方がもっと面白いんではないかと。

ちなみに私は自分のオリジナリティを表現するために小説を書いてるので、自分を表現できない小説なんかは書かないと思いますが。


佐々木

ハリーポッターが、はやってますよね。
ホラーもはやってますよね。
テレビで放送中のアニメなど、なんでもいいのですが、多分僕が言われた意味を考えると、ハリーポッターがはやっているから、同じようなの書けというのではなく時代によって、味の好みが変わるので、売れる作品傾向を書いていったほうがよい!
いまなら魔法物、ホラー物というようなことと、受け止めました。
解釈の仕方ってムズイ。


 売れた作品と似た傾向の作品は、優劣の判断がし易いのです。
 もとの作品と読み比べてみれば、どこが悪いのかがハッキリ分かる筈です。

 悪い所などない、どこを取っても上位互換だ、というならそれは名作です。
 独創性なんかなくても受賞に足る作品なのではないでしょうか。

 なお、「独創性を求めるほど先達の偉大さが身に沁みる」ことを付記しておきます。


ストーリーの流れ、物語の展開において、オリジナリティーを追求するのは、労力の無駄だと思います。
まず、存在しません。
しかし、作品の設定や変則的な表現方法は、とことん追求するべきです。

売れた作品、良い作品と、そうでない作品との決定的な違いは、感情移入の度合いではないか、と自分は考えています。と言うか、むしろ確信しています。
そして、いかに読者に感情移入を促すかが問題であって、それについては、まだまだ数多くの可能性が存在するはずです。

ボクシングで例えてみます。
起承転結の転、もしくは結は読者の心に決定的な一撃、感動を与えなければいけません。
K.O.させるだけの威力があるパンチが必要なわけです。
そんなパンチは、「大振りの」ストレート、フック、アッパーくらいでしょう。
たった三種類だけで、きちんと踏み込まないと意味が無く、1ラウンド目からぶん回しても当たりません。
そこで、小技で隙を作り、相手に避けられない程ダメージを与えます。
小技が「設定」「変則的な表現方法」、ダメージが「感情移入」です。
ちなみに小技は、ジャブやワンツー、フェイント等です。

つまり、自分は必殺パンチを開発するのに躍起にならずに、テクニックで闘うボクサーになるべきだと思うのです。
しかし、観客は、とどめのパンチのシーンがとても心に残り、テレビも実況もそのパンチを賛美賞賛するため、そのボクサーのどこが凄いのか、わかりにくくなりがちです。
加えて、相手のボクサー(つまり読者ですが)自身も現実と違いダメージを負っている事に気付いていません。(オイオイ)
「あ、今、すげー感情移入してる!」なんて普通、思わないでしょう?

いかに物語の設定を、表現技法を変え、読者を感情移入させるか。
読者の立場に立って試行錯誤を繰り返すのが、オリジナル、コピーを問わず、良い作品を書くポイントではないでしょうか。

……あれ、スレッドのテーマから、かなり脱線してます?


辰田淳一

どこかでこんなことを聞いた覚えはあります。
確かに、今現在「誰も使ったことの無い」方法自体は存在しないかも知れません。
でも、その組み合わせは無限にある、と。それは小説の世界じゃなくて、映画の世界とか、もっと極端な、普通に考えれば小説とは結びつかない世界にあるかもしれません。それを探してみるのも一興かもしれませんよ。

それともう一つ。一見ありがちでも、そこに必ず「自分だけの味」を出せる。
それが本当のプロじゃないかと僕は思ってますが。


芹沢

 人類が誕生してから数百万年。
 いまだに使われていないオリジナリティーを発見できたらそれは凄まじい事です。
 変にオリジナルを意識せず、自分の思ったことをそのままやってみては?
 辰田さんの言うように「自分だけの味」を出せるようにしてみましょう。


吾妻 誠之

 ”オリジナル”ってーのが どのものを指すのかわかりかねますが、作品の”ネタ”と”パターン”は 出尽くしていると思います。

 初期のTVゲームなんか見るとわかると思いますが、たいがい『”悪”がいて それを殺しに行く』だと思います。その”悪”が <魔王>や<竜王><悪魔>等、様々な呼ばれ方をしていますが。

 今、売れている作家の作品。よ〜く、読んでみると、「あれ?この言い回し どっかで見たな〜」って事があると思います。でも、”登場人物”や”世界背景”などが違うので{全くの別物}と感じるはずです。


moyasi

狸さんの発言に便乗です。

>感情移入をどうやって促すか。
つまり伝えたいオリジナルの部分をどうやって受け入れてもらうか。
自分が思うようにおもしろいと感じてもらえるか。
この技術を知らなければなりません。

たとえば、とびっきり面白いストーリーを書いたとして、それを誰が演じるか。
これは時代によって変えなければなりません。
その時代の人々がよりストーリーのおもしろさを探求できるような配役が望まれます。
もし、ストーリーを読んでほしいなら、キャラクタにオリジナルを求めても仕方ないことです。真似してもつまらないですが。
たいてい読者は同じ現代に生きており、様々な影響をうけているわけです。
ここであなたは、それらの先入観や価値観を上手く利用しなければいけないということです。


NO NAME

オリジナリティとは、何も題材やストーリーの新しさだけに限ったことではないと思うが…。まずは「人間」があって、必然的にそこに「物語」が生れる訳でしょう。題材とか展開とか構成とか、そういうのはあとからくっついてくるものだよ。


黒猫

 それもまた、極論じゃないでしょうか。
 題材やストーリーの新しさだけに限ったことではないのと同じように、人間があって必然的に生まれた物語に限ったことでもないと思います。
 むしろ、ただなんとなく書いてそれが自然にオリジナリティを生むであろう、という期待を抱けるほど、たとえば私個人としては才能に自信があるわけではありませんし。だから、ストーリーや題材にもこだわることで、オリジナリティ、私の作品らしさというものを表現して行くことにしています。


NO NAME

スタイルの違いなのでしょう。おそらく。
描きたい「人間」がないまま物語を構成していくなどという作業は、私には到底想像もできません。
かといって「人間」→「物語」と杓子定規に小説を書く訳でもない。ただ、確かなのは常にまず最初に「人間」が頭の中にある、ということ。描きたいのは「物語」ではなく、「人間」なのです。私の場合は。


黒猫

話し言葉にも、ひとりひとり言い回しのクセやイントネーションの個人差があったりします。また筆記文字のクセなんかは、指紋や声紋のようにひとりひとりを識別できるほどの違いがあります。ただ、話し言葉にしても筆記文字にしても、巧妙に真似ることは可能であるという点、文章の個人差に似た部分があると思います。

マンガタッチのイラストに興味を持って描きはじめると、たいがいにおいて特定の漫画家の画風に似てしまうことがあります。長年練習したり、様々なテクニックを身に着けて表現方法の幅が生まれてくると、いつしか特定の漫画家の画風ではなく、その人なりのオリジナリティが現れてくることがあります。あるいは、その前にやめてしまうか。

よくある話で、たとえばオリジナリティというのが登場人物の個性設定の奇抜さのことでもなければ、物語舞台における国家情勢の懲りようではないことは、今更論じるまでもないことと思いますが。じゃあ、オリジナリティって何なの?と考えると、なかなかに難しいことで即答しにくかったりというのも、また真也といったところ。

オリジナリティとは何なのか答えられないような状態で、是非論が展開するのも不思議な話とも私には感じられます。などとホザく私自身、とあるSF作家さんの小説が大好きで、ずいぶん影響を受けたこともあり、読者の方からも「似てるぞ」と指摘されたこと数知れず。

まず、自分が書いている小説がどのような印象のものであるか、ということを分析することから、オリジナリティの追求は始まるのではないかと考えはじめています。「だれそれの小説に似ている」ではなく、「これこれこういう特徴があって、そこがだれそれの小説に似て見える原因になっている」というところまで見えれば、その先のステップにも進みやすいのではないかと思うのですが、いかがでしょう。


ゆき

書き手意識としては、求めても求めなくてもいいのでは。
書き手は、とにかく書くだけです。
読み手は、とにかく面白ければいいのです。
売り手は、その書き手じゃないとかけないオリジナリティがあった方が、販売戦略上有利です。

書き手が自分のオリジナリティに拘りだして、作品の幅を狭めてしまっては意味がないと思うので、これは、読者や売り手側が「これはこいつにしか書けない味だ」というのが、オリジナリティではないでしょうか。

私には私のやり方で言いたいことがある! と言う人は、オリジナリティを追求しているのでは。何でもいいからとにかく面白い物を、と思っている人は拘ってはいないでしょう。
書き手としては、結局は書ければいいんであって、追求自体に是非はないと思います。


桜林美野

小説、芸術の捉え方からこの論議は大きく枝分かれすると思います。
世間で芸術家と呼ばれる人はたいていそれで生活しています。
要は創ったものがお金になる。
ここでは似つかわしくないたとえですが、音楽界のつんくさんを思い出してください。観衆の視点から創りだした、世間のニーズに応えられる曲を生む彼は時のひと。けれど、心に咲く唄を作り続けていた彼は「流行の歌も歌えなくて ダサいはずのこの俺」だったんです。
実際に人が欲しているものを生み出し、お金を貰うことは「成功」なのだと思います。流行ったものにあわせて。これも手堅い手段でしょう。
けれど、誰も予想していない、何を求めていたか分らなかったものを表現するのが「創作」であるように私は思えるんです。人間は200年も経つと一通り出揃うと言われているので、奇想天外なもの、というよりはそこにあるものを人の目がどう捉えるか。そのへんだと私は思います。
まあ私は、ニーズ、発想どちらにも手が全く届いておりませんが・・・。


NO NAME

>書き手は、とにかく書くだけです。
>読み手は、とにかく面白ければいいのです。

面白ければいい、のでは作家の存在意義はなくなってしまうのでは?
実際そこそこ文章の書ける人は大勢いるのだろうけど、ただ、村上春樹は二人は要らない。柳美里も。大江健三郎も…。
その作家独自の世界があるからこそ、それが職業として成り立つのだと思う。また、オリジナリティとはそういうことも含めて言われるのではないだろうか?
他人ができることをやって食っていかれる程、甘い世界ではないように思う。

>書き手が自分のオリジナリティに拘りだして、作品の幅を狭めてしまっては意味がないと思うので、

「拘る」というより、そもそも個性を持たない作品は、特にこれからはなかなか受け入れて貰うのが難しくなるのではないでしょうか? 実際、多くの人間がありふれた「物語」にいい加減飽き飽きしている訳ですから。


ゆき

>NO NAMEさん
意見を有難うございます。
作家の存在意義を気にするのは、作家(つまり書き手)側ではないでしょうか?
読者は、まず「出た本を読んで、面白ければ更に読む」という行動が基本だと思います。

読者にとって作家の存在意義とは、「面白い本を出してくれる人」では?
極端を言えば、作品があって始めて、作者の存在価値が出てくるわけです。
私が言っていたのは、存在価値を追求する前に、作者は作品を書き上げることに専念すべきでは、ということでした。

作品もない状態で、作家の個性だなんだといわれても、誰も興味は持たないと思います。そこら辺を気にするのは、自意識の強い作家自身だけは?

#書き手としての「二人は要らない」、というのも分かります(^^ゞ
#二番煎じで生き残れるとしたら、更に「面白かった」時だけですね。
#大ヒットには、古典の二番煎じの更に二番煎じも多いですよ。

柳美里さんや村上春樹さんが「私の特徴は二人と要らない個性だ」と自負しながら書く必要があるかどうか、が疑問なんです。
その自負に拘るあまり、もしかしたら書いてみたら物凄く面白く書けるジャンルに目を向けないのは、残念なことだと思います。
例えば、柳さんが軍事ミステリーを書いたら面白いものがかけるかもしれない。

まだ人目に触れるような作品を書いてないうちから、そういった可能性をつぶさないほうがいいのでは? ポリシーとしてあるなら追求も手ですが。どこに拘るか、だと思います。

私は恋愛物のハッピーエンドしか書きたくないのよ、というのも個性の一つかもしれませんが、読者にとってそれが重要になるのは、その人の作品が面白いかどうかじゃないでしょうか?
作家の自負には、余り左右されない部分なのでは?

柳さんや村上さんを論じるのも、また違うんですが(^^ゞ
彼らは既に、何作も出して自分というものを見る機会を持った人たちです。
まだプロ以前の実力の人がそれを言っても、作品がつまらなかったら個性以前の問題でしょう。

言って悪いということはありません。「私にはこれしかない!」というのは、あれば強みになります。
ただ、色々な話を思いつくタイプの人に、それを求めても無意味です。
作家全員に適用できることでもないと思います。
結局は、作品が面白ければそれでいいんじゃないでしょうか?

ですから、オリジナルの追求自体に是非はない、と記しました。

私は「これしかない!」という自負ばかりの詰まらない作品を出す人より、自負はどうあれ面白い本を読ませてくれる作家さんに価値を感じますが?

自分の個性を自覚していて、「私はこれで行きたいから作家になる」というのでしたら、それはそれで結構だと思います。が、これは自分だけのオリジナルだ、と信じ込んでいても実は無個性、
という場合が、実際は殆どです。

何が自分に本当に向いているかなんて、自分の満足は兎も角として、客観的には売れてみないと分からないような世界なんですから、「もしかしたら、今よりももっと向いていたジャンルかもしれない可能性」を、潰すことはないんじゃないでしょうか、ということです。

実際、投稿する人の中には「これが私の個性だ」と信じ込んでいる人は沢山いることでしょう。そこが自負です。
実際、賞を取って作家になれる人は、作品の面白さと個性を認められたのでしょう。

落選する人がこんなに多いというのは、自負はどうあれ実際は、本人が思っているほどの個性が出てないか、そもそも作品としてお粗末なものが多いのが現実なのでしょう。
選考委員(下読みさんも)は、どれだけ「個性に拘ったらしい、ありふれすぎた作品」を読んでいるんでしょうね??

ただ、物真似やらパクリをやる人間は、勿論すぐばれることですが、最低だと思いますね。人の作品のパロディだ、と思っているのかもしれませんが……
ですから、個性の追求には是非はないと思いますが、物真似レベルの行為はやめとけ、というのも正直な気持ちです。

オリジナリティは否定しません。追求は兎も角、人の物を借りるな、というのが結論……でしょうか?


NO NAME

僕は、基本的には、作家はやはり「個性」だと思っています。村上春樹も、柳美里も、大江健三郎も、二人は要りません。一愛読者である僕としては。

彼女彼ら自身は、おそらく特に「個性」ということを意識はしていないのないでしょうか。つまり、伝えたいこと、訴えたいことを表現しているだけだと思う。そしてそれが自然とその作家の「個性」として文面に表れているのではないかと。

村上春樹が、以前こんなことを言っているんです。
「どうしたらいい文章が書けるようになれるのですか?」という作家志望の村上ファンからの質問に対して、「自分の思想を持つこと。人生観、人間観…など。作家にとって一番大切なのは社会や人間をどういう角度から見るか。それを持っていれば文章技巧は自然と後からついてくる」と。

意識してつくった「個性」は、厳密には個性ではないし、その人間の内面から自然と醸し出されているのが真の意味での「個性」だと思う。読者が面白いと思えば職業として成立するというのは確かに理屈ではそうかもしれないが、そういう作家の存在はむしろ出版社の側が不必要としているのでは?各賞の選評などに目を通しているとそういった出版界の空気が感じられる気がします。でなければよっぽどの話題性が付随するとか…。

同じものなら無名作家よりは有名作家の名前で出版した方がリスクが少ないですし…。

「無名」である以上、作品のオリジナリティで既成の作家と差別化していかなければならないのが、まさに『新人』の宿命でしょう。


ゆき

>NO NAMEさん
有難うございました。
同感です。短い文章なのに、私が言いたかったこと殆ど入ってます……長けりゃいいもんじゃないですね。有難うございました。

私も、上手の技術で出せるオリジナリティではなく、その人の「人生観」や「生き様」がにじみ出るような、「どうしてこの人はこれを書いたんだ?」と感じさせるような作品は好きです。

既にこれだけ沢山本が出ている中、「それでも書く」にはやはり、既存の作家とかぶってもへこたれないだけの、自分だけの骨子は欲しいですよね。必要です。

生き残るタイプの人は、読んだ人が書き手の自覚にかかわりなくオリジナリティを感じた作家さん、ですね。もう、ここまで来ると「生き様」の世界になるんでしょうか(^^ゞ

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